永遠のはじまり


「……どうだ?」
書類に目を通し終わって、考え込むように瞳を閉じたクラヴィスを見つめて答えを待つ。

目を閉じても感じるジュリアスの強い視線。
私の答え次第では、また戻るか…ご苦労なことだ。
だが、普段のジュリアスならばそのような事を言わぬはず。
私の答えだけを聞き何も言わずに戻りそうなものを……
敢えて口に出したジュリアスの真意は…
自分に注がれる眼差しは、何を訴える?

書類を何度読み返しても、特に問題はないように思われた。
ただ、それを素直に告げるのが悔しい気がする。
まるで、私が行かせたくないようではないか…
かと言って、偽りを言う気にもならぬが…
クラヴィスは、瞳を開きジュリアスに書類を差し出すと、逃げるように視線を逸らした。
「…おまえに抜かりはあるまい?特に思い当たらぬ」

「そうか……ならよい。すこし厄介な事例に思えたのでな」
クラヴィスの手から書類を受け取ると、ジュリアスはかるく溜息を吐き出す。
「これで安心して次の視察に行ける」
苦笑する形に唇を歪めて、ジュリアスはもう無関心気に自分から目をそらしてしまったクラヴィスの視線を追いかける。
「……本当はあまり行きたくないんだがな」

「…おまえがそのような事を言うとは……次が更に厄介だという事か?」
ジュリアスの意外な言葉にクラヴィスは、驚愕を隠せず視線を再び戻す。
立て続けの首座の視察にも驚かされるが、執務を何よりも重んじるジュリアスが気が進まぬなど…初めて聞いた。
「厄介……そうだな。かなり厄介だ、私が行かなければいけないくらいだからな。これでは何時戻れるか。 ……気が進まないのは、他の理由だが」
驚いたように自分を見返すクラヴィスの瞳を直視して、ジュリアスは言う。
「今ここを離れたくないんだがな」

「……おまえらしかぬな。聖地が心配か?首座殿の不在の合間くらいは、他の者が補うであろう。心配いらぬ」
違う…このような事ではない。
ジュリアスの言いたい事は、わかっている。
今、離れたくない…そう言ったから…だが私に何を言えと?
ここにいろ…とでも言って欲しいのか。
仮に言ったところで、執務を疎かにできぬであろうに。
クラヴィスは、ジュリアスから再び視線を逸らし小さく息を吐く。

「聖地の心配なぞしておらぬ。そなたも居るのだし」
逸らされた眼差しを追いかける。
あくまで他人事のような言葉と、無表情。
「ただ……私が、ここを離れたくないと思っていることだけ覚えていてくれればいい」
伝えたいと思う言葉はたくさんあるのに、心で思うようには言葉が出てこない。
この言葉でさえ、伝えたい意味で伝わっているかなど解らないけれど。
「明日からしばらく留守にするが、後を頼む」
それだけを言ってしまうと、ジュリアスは返事も待たずに踵を返した。

クラヴィスは、閉ざされた扉を静かに見つめる。
自分の言いたい事だけを言って去るか……
おまえの言葉を故意に受け流した私を咎めもせぬのか?
それともおまえの本心さえ見破れぬと……私の言葉を鵜呑みにしたか…
ジュリアス…おまえはもっと器用だと思っていたが…不器用なのだな。
不意にクラヴィスの脳裏に過ぎったのは、不遜で自信家な炎の守護聖。
あの者ならば…偽ざる想いをそのまま口にだしたであろう。
それが良いとも言い切れぬが。
正反対の性格のジュリアスとオスカー。
共通するのは、私に対する真摯な態度。
二人の想いに片方だけを選ぶのは、困難を極める難題だな。
クラヴィスは、知らずため息を洩らした。


視察のため聖地を離れていたジュリアスが、戻ってきた。
その知らせを聞いたオスカーの胸に、小さな嵐が起こる。
恋敵の帰還に焦りを覚えるほどに、自分は卑小な男ではないつもりだ。
けれど。
相手は、あのジュリアスである。
多忙な執務の中、この希少なチャンスに何らかのアクションを起こさずにいるはずが無い。
彼は…もう、クラヴィスに会ったのだろうか。
くだらない思考ばかりが脳裏に浮かび、オスカーは小さく舌打ちした。
いつから、こんなに余裕の無い男になったのだろう、自分は。
苛立ちばかりがつのり、そのたびに自己嫌悪が増してゆく。
見慣れた扉の前で、オスカーはそっと自嘲の笑みを唇に刷いた。
会いたい…けれど会いたくない。
こんなにも、荒んだ心では。

水晶球を眺めていたクラヴィスは、ふと扉の向こうに見慣れた気配を感じた。
だが、この違和感は……いつものような強さ熱さが色褪せている。
何かあったのか…私が気に病む事でもなかろうが…
それにしても…オスカーは、何をしている?何がしたいのだ?
いつもならすぐに開かれるはずの扉は、いつまでも音を立てず、かと言ってオスカーの立ち去る気配もない。
クラヴィスは、扉の向こうに苛立ったように声を掛けた。
「…入る気がなくば立ち去るがいい」

クラヴィスの声に、はっとしたようにオスカーは顔を上げた。
気配に敏い方だ。気付かれぬと考える方がおかしいのだろう。
「あなたに会いたい…けれど、今日は会えません」
扉の向こうにいる愛しい人に、声をかける。
彼は、どのような表情で自分の言葉を聞いているのだろうか。
「会えば、きっと傷つけてしまいます」
心の中で、吹き荒れる嵐は収まることを知らず。
強暴な衝動が、彼を傷つけるのがなによりも恐い。
分厚い扉に拳を打ちつけて、オスカーは泣き笑いのような表情を浮かべた。
「こんなにも…優しくしたいのに」


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