僅かに空気の揺れを感じて振り向くと、憮然とした表情のクラヴィスが両手にボトルを抱えて入室してきたところだった。 ジュリアスは立ち上がり、もう一つグラスを用意する。 微かに苦笑して腰をおろすクラヴィスのグラスにも酒を満たして、ジュリアスは自分のグラスを目の高さにまで持ち上げた。 「役者がそろったところで、乾杯といくか」 ジュリアスの声を合図に、涼やかな音を立ててグラスが鳴る。 いささか奇妙な取り合わせで、酒宴が始まった。 交わす言葉は多くないが、心地好く酔える。 「こんなに美味い酒は、久しぶりですよ」 次々と空になるボトルに微かな不安を覚えぬでもなかったが、注がれるままにオスカーは飲みつづけた。 奇妙な酒宴だが…何処か居心地のよさを感じる。 クラヴィスは、時折二人を眺めながら黙々と飲みつづける。 オスカーは、落ち着きを取り戻したようだな。 この雰囲気を楽しんでいるのが手に取るようにわかる。 ジュリアスの気遣いが伝わったか…首座殿もご苦労な事だ。 ライバルであろうに…… 否、ライバルである前に…友人という事か…… クラヴィスは、ジュリアスのグラスに酒を注ぐと微かに笑みを浮かべた。 「…規律に厳しいくせに執務室で酒か。おまえも時には、首座である前に個人を選ぶのだな…その方が好ましいと思うぞ」 初めて聞く好意的なその言葉に、ジュリアスは軽く笑みをもらす。 「たまには良いだろう……こんなのも」 それだけこの想いが特別なのだと、言いかけて……止めた。 自分を見るクラヴィスの瞳には、特別な感情など見つけられなかったから。 そして、オスカーを見る目にも。 救いようが無いな、と思う。 ……そなたが選べ。 そう告げたのは自分自身だというのに、しばらくはこのまま、この奇妙な関係のままでいたいとさえ感じはじめている自分がいる。 きっといまこの瞬間が……こんなにも満たされて、心地よいから。 クラヴィスは、ボトルをそのまま移動させ、オスカーのグラスを満たした。 いささか酔いすぎている気がしないでもないが… 酒に逃げ溺れるでなく、楽しみながらの酔いであれば…それもよかろう。 酒でも飲まねばやってられぬと、思わせたのは私であるしな。 「オスカー…おまえの気持ちに応えてやれなくてすまぬ」 聞こえるかどうかわからない小声で、クラヴィスはポツリと呟く。 グラスに並々と注がれた酒を、一息に煽る。 ささくれだっていた心が嘘のように、いい気分だ。 忘れていたのかもしれない。 彼を想うだけで、どれほどまでに幸せになれたか。 もちろん、幸せなばかりではなかったけれど。 隣に座るクラヴィスが、何事か囁いた。 夢見心地で言葉の内容まで悟ることはできなかったが、声音の優しさに癒される気がして。 いつしかオスカーの意識は、ゆっくりと闇に包まれていった。 何よりも愛しい、闇。 不意に静かな寝息。 クラヴィスが隣を見遣ると、両手で空のグラスを握りしめたまま寝入るオスカーの姿があった。 「…やはり潰れたか……」 苦笑を洩らしクラヴィスは、オスカーの手からグラスを取るとテーブルに置く。 同時にオスカーの身体がふわりと傾き、クラヴィスの膝の上に倒れ込んだ。 「オスカー…図々しいと思わぬか?」 非難の声も眠り込んだ相手には、届かない。 気持ちよさそうな寝顔を見ると、無理に起すのも非情な気がする。 更に苦笑を深めクラヴィスは、自然と子供をあやすようにオスカーの髪を梳く。 我ながら甘い……と思うが……たまにはよかろう… ふと、ジュリアスの視線を感じて顔を上げる。 目を閉じると途端に少年くさくなるオスカーの寝顔と、ゆるくその髪を梳きながら唇に僅かに苦笑を刷いたクラヴィスを眺めて、ジュリアスは小さく笑った。 「……おかしなものだ」 訝しげに見返してくるクラヴィスの顔は常よりも僅かに赤いが、まったく酔いを感じさせない。 そして、オスカーと自分は泥酔の一歩手前という体たらくだ。 「今日のこの日に、こんなふうに三人で酒を飲んでいるとはな」 ……今日。最終通告をもらう筈の日。 クラヴィスの誕生日の前夜である今、こんなふうに三人で心地よい酒を酌み交わしているなど。 「これでは、どちらか選べなどとても聞けぬな」 「この状況で誰をどう選べと?」 クラヴィスは、クスクスと可笑しそうに笑い声を上げる。 正直…助かったとの思いが強い。 どちらの想いも痛いほど真剣で…だが私はまだ選ぶ事ができないでいた。 どちらかを選ぶにしろ…どちらも選ばないにしろ……傲慢かもしれぬがいま少しこの奇妙な関係を続けたい… 二人には、申し訳ないが今とても居心地がいい。 「ジュリアス…明日オスカーと二人で私邸へ来ぬか?私は、おまえ達と共に過ごしたい…」 クラヴィスは、少し照れくさそうな笑みを浮かべた。 NEXT |