永遠のはじまり −side Oscar− 8



 オスカーとクラヴィスは、ジュリアスの執務室の前にいた。
 ジュリアスは、今日中にまた聖地を離れる。その前に、告げなければならない。
 クラヴィスが、オスカーの想いを受け止めてくれたことを。
 ジュリアスが自らと同じ想いを抱いていた以上、彼を傷つけるのは目に見えている。想いの深さがわ
かるだけに、ひどく胸が痛んだ。
 けれど。
 どれだけ、彼を傷つけたとしても。
 譲れないのは、最初からわかりきっていたのだから。
 ならばせめて、目を逸らさずにいたい。
 自らの手で…自らの言葉で、終止符を打ちたい。
 鼓動がにわかに速まり、手のひらにしっとりと汗が滲んだ。こんな緊張を強いられるのは、いったい
いつ以来だろうか。
 ふと隣を見ると、クラヴィスが何か言いたげに自分を見ている。
「…あなたは、ここで待っていてください」
 緩やかに笑んで告げると、オスカーは執務室の扉を叩いた。

 僅かに切羽詰ったような響きのノックの音の後、オスカーが姿を見せた。
 緊張した面持ち。
 だが眼差しは真剣すぎるほどで、まっすぐにこちらを見据えてくる。
 よほど言い難い用があるらしい……。そこまで考えて、ジュリアスは心の中で密かに嘆息した。
 オスカーの持つ雰囲気が変わっている。
 ただ、一晩で。
 常にどこか凍るように冷たさを残していた瞳の色が、一点の曇りのない蒼に。
 自分の前に立ち、何かを言おうと動きながら一度だけ言い難そうに結ばれた唇。
 真直ぐなその視線で、全てを悟った。
 手を伸ばして、軽くオスカーの胸の間を小突く。
「……解った」
 驚いたように直視してくる瞳に、かるく笑ってみせる。
「この世の全てより幸せにしてやれ……」
 ……本当は、それは自分がもたらすものでありたかったけれど。
 けれど、あの者が選んだのかお前であるというのなら。
 お前となら、幸せになれるとあの者が言うのなら、……それが全てだから。

 傍にいたかった。
 傍にいて欲しかった。
 そしてこの世の誰よりも幸せにしたかった。
 だけど、それでも。
 そなたが幸せであるのなら、それでいい。
 誰よりも幸福であって欲しいと……そう願うから。
 ジュリアスは心の内に溢れる思いを全て押し隠し、軽く笑ってみせる。
 そしてオスカーの瞳を真正面から見つめた。
「それから、お前も幸せになれ。……誰よりも。お前が不幸だとあの者が悲しむ」
 そこまで言って、ジュリアスは自分の台詞に可笑しくなる。
「……もっとも、今地上の幸福の全てを集めたより幸福だろうが」

「……幸せです。何よりも…誰よりも…」
 だから、どうか。
 幸せに。
 いつか、あなたも。
 胸の内に湧いた言葉はあまりにもわがままで、口にするには至らなかった。
 代わりに、オスカーは微笑いかける。
 今はそれで十分な気がしたのは、自分の思い上がりだろうか。
 ゆっくりと、肩の力が抜ける。
 その時になってようやく、自らの恐れを知った。
 この世で最も敬愛する人…ジュリアスを失うことを、どれほどまでに恐れていたか。
 虫の好い話だ。
 けれど。
 それもまた真実。
 偽らざる、貪欲な心。

 硬く閉められた扉の前で、クラヴィスは、不安気に立ち竦む。
 スカーは…待っていろと言ったが……答えを伝えるべきは私のはず…
 ジュリアスの想いの真剣さを考えれば…私の口からも伝えたい。
 私は、オスカーを選んだ…と。そして、幸せだと。
 緊張の面持ちでクラヴィスは、扉に手をかけるとゆっくりと押し開いた。
 張り詰めた空気の中に、何処か穏やかささえが漂う室内に足を踏み入れる。
 クラヴィスは、驚いたように自分を見つめるオスカーの脇を通り過ぎ、真っ直ぐにジュリアスの元へ
向う。
「…ジュリアス……私は…選んだ。オスカーと共に生きたい」
 事実だけを淡々と告げる。
 すまないと思う気持ちはあるが言葉にはせぬ。
 同情や慰めの言葉は、ジュリアスを侮辱するも同じことだ。
 第一そのような言葉は、ジュリアスも望まぬであろう。
 だが、ジュリアスの真摯な想いを嬉しく思ったのも事実。
 だから…
 クラヴィスは、ジュリアスの頬に軽く口づけると、やわらかな笑みを浮かべた。
「おまえの想いをありがとう」

 頬にふれた唇の温度。
 綺麗な、笑顔。
 きっと今まで見せたどんな笑顔の中よりも、ずっとずっと綺麗な、紫の瞳。
 真直ぐに自分を見詰め、柔らかな光を湛えた……焦がれて止まなかったその瞳が告げる思い。
 そなたは、幸せなのだな…そんなにも。
 ジュリアスは心の一部を焼くような痛みをそっと堪えて、その瞳に笑ってみせる。
「そなたが幸せなら、…それでいい」
 今この行き場を失った思いが痛くても、この言葉だけが真実だから。
 幸せでいて欲しい。
 この世界中のだれよりも。
 そなたが幸せでいてくれるなら、自分も幸せでいられる。
 たとえ、その隣の場所が自分のものではないとしても。
 この思いが届くことがないと解った今でも、見守ることは許してくれるだろうか。
 ただ、見守り続けたい、そなたたちが誰よりも幸福であるように……。
「そろそろ行かねばならぬ時間だ」
 思いを断ち切るように、書類に手を伸ばす。
「オスカー、留守を頼む」
 常と何も変わらぬような口調で後を託すと、二人に背を向ける。
 陳腐極まりないが、きっとこの痛みは時間と、それから執務が忘れさせてくれるだろうと思いながら。

 去り行くジュリアスの背を、黙ってオスカーは見送った。
 かけるべき言葉はない。あれほどまでに、潔く去ってゆくのなら。
 彼が自分に託したもの。
 その、至宝を抱き寄せた。
 決して離さない。
 自らの特権として、永遠に守り続けるから。

 オスカーに抱き寄せられながらクラヴィスは、ジュリアスの背を見つめる。
 おまえの想いに応えられなかったが...私は必ず幸せであり続けよう。
 そうすることで、おまえの想いを無にしないと信じて。

「……少しだけ、妬けますね」
 いつまでもジュリアスの背を追い続けるクラヴィスに、苦笑しながら告げる。
「もっとその瞳に、俺を映して…」
 絡めた視線はどこまでも甘く、誘うように揺らめいて。
「……俺を、感じてください……」
 ためらいがちに開かれた唇に、自らのそれを重ねる。
 深く、熱く、交わされる口づけ。
 存在を確かめるように、何度も何度も繰り返す。
 彼と出会って恋をするため、自分は生まれてきたのだから。
 その存在を失えば、生きる意味のすべてを失うことになるのだろう。
 だから。
 何よりも、感謝を。
 彼がこの世に生を受けたことに。
 そして、願わずにはいられない。
 時間が、距離が、死が、二人を隔てることがあったとしても。
 この想いが、永遠であるように…。



Fin


B a c k

T o p



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