■永遠のはじまり■

― 6 ―


視察のため聖地を離れていたジュリアスが、戻ってきた。
その知らせを聞いたオスカーの胸に、小さな嵐が起こる。
恋敵の帰還に焦りを覚えるほどに、自分は卑小な男ではないつもりだ。
けれど。
相手は、あのジュリアスである。
多忙な執務の中、この希少なチャンスに何らかのアクションを起こさずにいるはずが無い。
彼は…もう、クラヴィスに会ったのだろうか。
くだらない思考ばかりが脳裏に浮かび、オスカーは小さく舌打ちした。
いつから、こんなに余裕の無い男になったのだろう、自分は。
苛立ちばかりがつのり、そのたびに自己嫌悪が増してゆく。
見慣れた扉の前で、オスカーはそっと自嘲の笑みを唇に刷いた。
会いたい…けれど会いたくない。
こんなにも、荒んだ心では。


水晶球を眺めていたクラヴィスは、ふと扉の向こうに馴染んだ気配を感じた。
だが、この違和感は……いつものような強さ熱さが色褪せている。
何かあったのか…私が気に病む事でもなかろうが…
それにしても…何をしている?何がしたいのだ?
すぐに開かれるはずの扉は、いつまで立っても音を立てず、かと言って立ち去る気配もない。
クラヴィスは、扉の向こうに苛立ったように声を掛けた。
「…オスカー…入る気がなくば立ち去るがいい」

クラヴィスの声に、はっとしたようにオスカーは顔を上げた。
気配に敏い方だ。気付かれぬと考える方がおかしいのだろう。
「あなたに会いたい…けれど、今日は会えません」
扉の向こうにいる愛しい人に、声をかける。
彼は、どのような表情で自分の言葉を聞いているのだろうか。
「会えば、きっと傷つけてしまいます」
心の中で、吹き荒れる嵐は収まることを知らず。
強暴な衝動が、彼を傷つけるのがなによりも恐い。
分厚い扉に拳を打ちつけて、オスカーは泣き笑いのような表情を浮かべた。
「こんなにも…優しくしたいのに」
自らの荒々しい所作に、自己嫌悪が増した。
もとより、感情をコントロールできるなどと思い上がったことを考えてはいないが、これでは癇癪を起こした子供と同じではないか。
クラヴィスも、さぞや呆れていることだろう。
会わす顔がない。
微かな自嘲を浮かべて、オスカーは扉の前を後にした。
かたく閉ざされた扉に…その内側に在るものに、未練を見せることで惨めさを自覚せぬよう、決して振り向かずに。
胸の嵐が晴れるまで…もう、ここへは来ない。


扉が打ち付けられられた音に、クラヴィスの身体が一瞬ビクリと震える。
その音が、まるでオスカーの悲鳴のようで。
だが、自分には何もできない。掛ける言葉さえ思い浮かばない。
かと言って、この扉を開ける気もないのだが。
オスカーも今の自分の姿を見られたくなかろう。
どうすればよいのかと思案しているうちに、オスカーの気配が遠ざかる。
クラヴィスは、知らず詰めていた息を安堵と共に吐き出した。



早朝特有の静けさに満ちた森をいく。
わずかに露を含みはじめた風が頬を撫でて通り過ぎ、僅かに冷たさを残した。
執務に時間を取られすぎていたためこうして乗馬するのもずいぶん久しぶりの事で、このところのらしからぬ憂慮から解き放たれて、心が晴れていくようだ。
もっとも、すぐにまた聖地を離れなければならないのだが。
そこまで考えて、ジュリアスは大きく溜息を吐き出した。

……そなたが選べ。
そう、告げた。
ずっと見つめていた、ずっと愛していた人。

……その日までに決めておく。
不快に感じていることを隠しもせずに、答えたクラヴィス。

……その日。
もう数日後に迫った、クラヴィスの誕生日。
それなのに自分は傍にいることすら出来ない。
全てを投げ出して傍にいたいとさえ願うけれど、決してそうは出来ない自分を知っている。
もういちど知らず溜息が零れ落ちた後に、ジュリアスはどうにもならない己の頑固さに苦笑した。

館に戻ろうと馬首を巡らせた瞬間、今までに目にも留めていなかった朝日に濡れる木々が目に入った。
あるかなきかの風に揺れる梢に、朝露が日の光を集めてきらめく。
そしてその枝に、零れるように咲き誇る白い小さな花。
清雅でしかし薫り高く咲くその花に、常に心にある想い人の姿が重なる。
指を伸ばして、手に余るほどにその花を摘んだ。

未だ時間が早い為か人気の全く感じられない聖殿に出仕すると、留守にする為に滞るであろう書類に一通り目を通す。
思いのほか早く全ての書類を確認し終わると、シャトルが出発するまでの時間を持て余してジュリアスは朝日が差し込む窓の外をただ眺めた。
やがて思い直したように立ち上がると、決して主の居るはずのない闇の守護聖の部屋を訪れた。
いつも心にありながら言葉としては現われ出ない思いを込めてただ一言、メッセージを残す。

・・・・・・・そなたが生まれない日に。

ただそう走り書きした紙片。

たとえば、特別な日でも、そうでなくても。
ただそなたが此処に存在していてくれることが嬉しいのだと。
心から溢れ出しそうな想いを、その一言に込めて。

ジュリアスが静かに去った後、闇の守護聖の机の上には無造作にくくられただけの小さな花束と、それに添えられた紙片だけが残された。



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