■永遠のはじまり■

― 7 ―



クラヴィスは、執務室の扉を開けた瞬間、ほのかな甘い香りに気付いた。
訝しげに眉をひそめながら花の香りを辿り机に近付くと、薄暗い室内に不似合いな小さな白い花束。
残された紙片を手に取り、目を走らせるうちに小さく微笑みが浮かぶ。
ジュリアスか…らしくもない……
私の生まれない日に……か。
この一言におまえの想いが込められているのだな。
花束などらしくないと思ったが…逆にいかにも不器用なおまえらしいかもしれぬ……
クラヴィスは、花束を手に取ると楽しむように香りを嗅ぐ。
そして、香りと共にあたたかい何かが内に流れ込んでくるのを感じた。
押し付けがましくない…私の歩みに合わせるような速度でゆっくりとゆるやかに心を包み込む甘い感情。
熱さでなく、溶け込むようなあたたかさ。
窓辺へ寄るとクラヴィスは、ジュリアスが飛び立った惑星へと視線を向ける。
……この花の枯れぬうちに戻って来い……
この感情が何なのかを確かめたい…おまえに会えばわかるだろうか?
クラヴィスは、淡い笑みを湛えたまま一点を見つめ続けた。



ジュリアスが視察の現地に降りると、推測していた以上に事態は逼迫していた。
それでも、そうした執務の合間のふとした瞬間に思い起こすのは、ただひとりの人の面影。

漸く事態を収束させる事に成功し、久しぶりに戻った主星の空気は極度の緊張から開放してくれる。
すでに日が落ち、人影もまばらになった聖殿に帰り着くと、ジュリアスは真っ先に闇の守護聖の執務室に向かう。すでに大半が家路につくこの時間に求める人がいるとは思えなかったが、自然に足が向かってしまっていた。

随分、長い時間会っていないような気がする。
孤独の中にただ一人棲む、もどかしいほどに儚い、ずっと見つめ続けていた想い人。
ただ、ひとめ会いたいと思った。
会えないまでも、彼の持つ安らぎに満ちたあの部屋に残された……その存在を感じたいと。
……どうして。
もう随分長い間、同じ場所で、同じ時間を過ごしてきたというのに。
……僅かに離れていただけで、その存在が消えてしまうのではないかとさえ思うのだろう。
己の考えに浸ったまま、ジュリアスはノックもなしに扉を開けた。


執務を終えても何故か帰る気になれず、クラヴィスは窓辺から瞬き出した星々を眺めていた。
誕生日の前夜だと言うのにジュリアスは、いまだ戻らない。
答えを出すのは、今夜までなのだぞ。
この状況でどう選べというのか……自分の想いを確かめもできぬ。
オスカーは、毎日のように訪れ愛を囁き想いを告げた。
だが、その言葉を聞きながら私の心にあったのは……
クラヴィスは、夜空から室内へとゆっくり視線を転じる。
視線の先には、常に薄暗い室内に不似合いな花瓶が置かれた机。
そう…心にあったのは…目についたのは…白い花。
今はもう色褪せ…面影はないけれど…
いつまでも白いまま……甘い香りが心に残る。
それ故…捨てられずいた……ジュリアスの想いまでを捨て去るようで……
机に近付き萎れた花を慈しむようにそっと手を触れた同時に、前触れもなく扉が開けられた。
反射的に振り返ったクラヴィスの瞳が驚きに見開く。
「…ジュリアス……」

名を呼ばれて、ジュリアスはやっと我に返る。
常に変わらぬ薄闇と、安らぎに満ちた部屋。
「……会えると思わなかった」
心の中に常に有る想い人の姿を見出して、ジュリアスは珍しく率直な笑みを浮かべた。


ついさっきまで思い浮かべた人物の登場に、クラヴィスは言葉を失ったように呆然と立ち尽くした。
言いたい事、言わねばならない言葉はある。
だが、咄嗟に言葉にならない。
ジュリアスを見つめていたがクラヴィスは、ハッと気付いたように花に置いた手を外し、背に隠すように身体を向けた。
色褪せた花を置いていた気恥ずかしさに、思わず視線も逸らしてしまう。

「クラヴィス?」
不自然に背に隠された手と、逸らされた視線を追って、ジュリアスは机の上にあの白い花を見つける。
すでに退色し、かなり痛んでしまったその花弁に、あの美しさの名残はどこにもない。
「……もうすこし、気の利いたものを贈るべきなのであろうな」
己のどうにもならない不器用さを自嘲するように、ジュリアスは軽く笑った。
「乗馬をしていて見つけたのだ。その花は……」
自分を見ない瞳を見つめて、ジュリアスは呟くように言う。
「朝露に濡れて綺麗だった。綺麗で、そなたを思いだしたのだ。……だからそなたにも見せたかった」

ジュリアスの言葉にクラヴィスは、苦笑を洩らした。
能率よく的確に執務を行う様と違って…不器用な想いの伝え方。
それでも…懸命に想いを伝えようとしてくれる誠実で真摯なジュリアス。
クラヴィスは、視線をジュリアスに戻すと真っ直ぐに見つめる。
自分の感情など確かめるまでもないか。
「ああ。綺麗な花だった…ありがとう」
ジュリアスの元へ歩むと少しはにかんだ笑みを見せた。
「……他に言う事は?」

不意に、常に感情を閉じ込めて昏い紫の瞳が、柔らかく綻んだ。
逸らされてしまいがちな眼差しが、真直ぐに自分を見つめるのを感じてジュリアスは少し驚いたようにその瞳を見返す。
そして、その唇が思いがけない言葉を紡ぐ。
信じられない思いのまま、真直ぐにその瞳を覗きこむと聊かはにかんだような綺麗な笑みを見せる。

「……もう、少し時期が遅いかも知れないが……」
吐息が触れるほどに近くクラヴィスの傍に寄り、ずっと形にならなかった言葉を心の内に探しながら、ジュリアスは云う。
「そなたと一緒に、あの花を見に行きたい。できれば、ずっとこれから花の咲く季節には」
「それは楽しみだ…さぞ美しい光景であろうな」
私の答えをはっきりと聞きたければ…もっと明確に言えばよいものを…
そこが…ジュリアスか……
私の答えをおまえは、どのように受け止める?
遠まわしな言い方に…合わせたつもりだが……
おまえに伝わったであろうか…

そっと、手を伸ばす。
直ぐ傍にあるクラヴィスの頬に触れ、視線を合わせた。
「私の左側を、永遠にそなたの為に開けておくから……」
伸ばした指先の下で初めて触れた膚が冷たい。
「そなたの右側の席を私にくれないか?」

ジュリアスに触れられた頬だけが、熱を帯びたように熱い…けれど温かい。
クラヴィスは、ジュリアスの手の甲に自らの手を重ねた。
「よかろう。右の席は、いつもおまえのために……」

……ずっと望んでいた言葉。
クラヴィスの細い指が、自分の手に重ねられ僅かに熱が伝わる。
そしてそれ以上の確かな熱さが心の内に満ちるのを感じて、ジュリアスはやっと言うべき言葉を見いだす。

ただ求めていた、その存在のすべてを。
見つめていた、ずっとずっと長いことただ見つめていた。
自分の全てだった……想い人。
伝えたかった、だだひとつの言葉。
「クラヴィス……そなたを愛している」

「…知っている」
望んでいた…聞きたかった言葉にクラヴィスは、満面の笑みをジュリアスに向けた。
「私も…愛している」

きっと今まで見た中で、一番綺麗な笑顔が自分に向けられる。
ジュリアスはもう片方の手も伸ばしてクラヴィスの頬をそっと包み込む。
答えをくれた唇に、かるく触れるだけの口付け。
「愛している」
今度は耳に直接囁きかける。
ずっと……言葉にできなかった思いを。
ずっと言いたくて、でも形になってくれなかったひとつの言葉が、今度は堰をきったように溢れ出して、何度でも繰り返した。
口付けを交わしながら、幾度も。



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