心の声


 誰かが俺を呼んでいる…魅惑的で優しい声で。
 だが、哀しみに覆われている。泣いているのか?
 泣かないで下さい。俺は、ここにいますから…
 いつでも…いつまでも、あなたのお傍にいますから。
 俺の…

※ ※ ※

「オスカー! 気が付いたのか!?」

 目が覚めた俺の視界に飛び込んで来たのは、黄金の髪と蒼い瞳の厳格そうな青年。
 肌に触れるシーツの感触に、ベッドに寝かされているらしい事がわかった。しかし、オスカーってのは、誰だ?

「まっーたく、あんたってば散々心配掛けて、何、ドジをやらかしてるのさ!」

 声の方向を見ると、派手な色合いの化粧と衣装に身を包んでいる…男だよな? 趣味の悪い奴…

「オリヴィエ。オスカーは、目覚めたばかりなのだ。そう責めるな」
「でもさ、ジュリアス。クラヴィスの事を思うと腹が立つじゃない!」

 二人の会話から、黄金の髪がジュリアス、派手なのがオリヴィエだとわかったが… また、オスカーか。誰なんだ?
 会話に出てきたクラヴィスってのも、見当たらないな。 思わず、周囲を見渡した。
 白基調の壁、消毒液の匂いに、ここが病室らしき事に気付く。

「何をキョロキョロしてるの? どうせクラヴィスを探してたんでしょう? お生憎様! 今は、いないわよ」

 俺に向かって、オリヴィエが憎たらしく楽しそうに言うが、俺とクラヴィスって奴が何だと言うんだ? それよりも…

「おまえ達、誰だ?」

 俺の台詞に二人が固まった。驚愕に目を見開き、絶句している。そんなに、妙な事を聞いたか?

「おい! 人の質問くらい、答えたらどうだ?」
「…オスカー?」

 ジュリアスが震える声で、俺に声を掛ける。俺は、オスカーじゃない! 俺の名前は…
 俺の名前は……思い出せない!? 俺は、誰だ!? 何故、思い出せないんだ!?

「俺は、誰だ?」

 誰に問い掛けるでなく呟いた。頭の中が真っ白だ。名前だけじゃない、何もかもが思い出せない。
 俺の生きてきたすべてが無に還っていた。

「冗談でしょう?ねっ!? あんた…タチが悪すぎるわよ」
「オスカー…真に、我らも己も分からぬのか?」
「わからない…」

 二人の言葉に、呆然と答える。俺は、一体どうしたと言うんだ?

「オリヴィエ、医師を呼んでくれ。精密な検査が必要であろう」
「わかった!」

 オリヴィエが部屋を出ようと歩き出した時、扉が静かに開かれた。

 現れたのは、床にまで届きどうな長い漆黒の髪に、紫水晶の瞳、彫像めいた美貌の青年。一瞬、その姿に目を奪われた。
 黒絹の長衣につつまれた体躯は、身長のわりに、細く、気品に満ちて、端整だ。月のように清廉な空気を漂わせ、不思議な穏やかさに包まれている。 なんと言うか…見事だな。彼の周りだけ空気が違うぜ。

「クラヴィス!」

 二人が同時に、慌てたように名前を呼ぶ。彼がクラヴィスなのか。

「そのような声を出して、どうした?」

 クラヴィスが二人に声を掛ける。独特の響きをもったなめらかな声、この声…どこかで聞いた事がある。どこでだ?

「オスカーが大変なのよ!」
「オスカーが?」

 オリヴィエの言葉にクラヴィスが俺に視線を移す。お互いの視線が絡むと、柔らかに微笑んだ。その微笑に俺の心臓が早鐘を打つ。綺麗だと言っても男に、ときめいてどうするんだ! 情けない…

「オスカー、目が覚めたのか。よかった…」

 クラヴィスが微笑みながら、近付いてくる。間直に見る美貌に圧倒され、言葉が出ない。 不意に、クラヴィスの顔色の悪さに気付いた。元々、白いのかもしれないがこの白さは、病的だ。 瞳が赤く、目の下も微かに黒ずんでいる。寝てない証拠だ。せっかくの美貌が台無しじゃないか…勿体無い。

「オスカー? 気分が優れぬか?」

 クラヴィスが言葉のない俺を労わってくれるが、おまえの方が病人みたいだぜ。

「おまえ、俺の事より自分の心配をしたらどうなんだ? その顔は、寝てないだろう? もう少し、自分を労わってやったらどうなんだ?」

 クラヴィスの微笑が消え去り、表情を無くした。信じられないものを見るように、俺を凝視する。 何なんだその態度は!俺は、心配して言ってやったのに。そして、助けを求めるように二人を振り返った。
 ジュリアスが神妙な顔で、クラヴィスの視線を受け止める。

「オスカーは、記憶を失っているようだ。至急、医師の診察を受けさせるゆえ、案ずるな」
「クラヴィス! 気をしっかり持つのよ! この馬鹿の事だから、頭を二、三発殴れば元に戻るわよ!」

 このオリヴィエってのは、何て事を言うんだ!? 一応、病人らしい俺を殴るだと!

「記憶を…失った?」

 クラヴィスは、呆然としながらも、何かを考え込んでいるようだ。憂いに満ちた表情が哀しい。その顔をさせたのは、俺なのか?

「ああ!もう!そんな顔しないの!こっちまで哀しくなっちゃうじゃない!」

 オリヴィエは、クラヴィスの側に寄ると、その細い肩を抱き寄せた。

「大丈夫だから!ねっ?」

 オリヴィエが慰めているのはわかるが、無性に腹が立つのは、何故だ!? 気安く触るな! と言いたいが、これじゃあまるで嫉妬してるみたいじゃないか…男相手に馬鹿馬鹿しい。

「第一!クラヴィスの美貌が損なわれたのは、あんたのせいでしょう!この一週間、ずっとあんたの看病して、寝てなかったんだから!」

 オリヴィエが俺を睨みつけ、怒鳴る。クラヴィスが俺の看病を?

「俺達は、親しかったのか?」

 クラヴィスに問い掛けてみたが、答えがない。言い淀んだように、瞳を伏せてしまった。

「あんたね。親しいも何も」
「オリヴィエ!言うな!」

 代わりに説明しようとしたオリヴィエを、クラヴィスが激しい口調で制止する。驚いたな。静かな奴だと思っていたのに…

「それよりも、医師を呼びに行くのであろう?」
「でもさあ」
「クラヴィスの意志を尊重してやるがよい。焦る事もあるまい」
「わかった…まずは、お医者さんね。行って来る」

 オリヴィエは、尚も言い募ろうとしたが、ジュリアスに諭され肩をすくめると、部屋を後にした。

「クラヴィス、オリヴィエには、あのように申したが、本当によいのだな? いづれは、分かる事だが」
「…かまわぬ」

 ジュリアスとクラヴィス。この二人の会話は、秘密めいている。さっきのオリヴィエも何を言おうとしたのか?
 俺が何者で、この連中との関係は? 記憶を失った理由は? 分からない事ばかりだ。
 何よりも、俺は、知りたい…クラヴィスの関係を。何故、彼が隠そうとしたのか?
 クラヴィス…俺にとっておまえは、どんな存在だったんだ?
 俺がおまえに惹かれるのは、何故なんだ? 教えてくれ…




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