心の声


 オリヴィエが医師を連れて戻ると、簡単な診察の後、精密検査を受ける為、オスカーは部屋を出た。
 付き添うジュリアスが『一緒に行くか?』と視線で促したが、首を振った。付き添った所で何になる? 何も出来ない自分の無力さを、痛感するだけではないか。

「クラヴィス、どうしてオスカーに恋人だって言わないのさ?」

 同じく部屋に残ったオリヴィエが、問い掛ける。

「記憶のない者に言った所で、無意味であろう?」
「そんな事ないと思うけど。だってさ、オスカーがあんたに言った台詞。言葉使いの差はあるけど、食事に睡眠、いつもあいつが言ってる事じゃない?」

 オリヴィエの台詞に苦笑してしまう。

 オスカーは、口癖のように『食事は、きちんとお取りください』『いつまでも、星を眺めずにおやすみ下さい』と強要していた。
 それを煩わしく感じる事もあったが、私を心配する真摯な瞳に抗う事など出来なかった。
 オリヴィエの言うように記憶を失ったはずの彼が、以前と同じように、私の身体を心配してはくれたが…記憶はないのだ。
 記憶のない者に、恋人である事を告げても戸惑わせるばかりではないか?自分自身すら分かっていないのに、余計な負担は、かけたくない。
 それに…視線を交わしたオスカーの瞳は、見知らぬ者を見る他人だった。私に安らぎを与えてくれた温かさは…ない。

「いっそのこと、言っちゃった方が早いと思うんけど?」
「駄目だ」

 オリヴィエの提案を即座に退けると、滅多に見せる事のない真面目な顔で私を覗き込む。

「無意味じゃないと思うけど。何を怖がってるの? 言ってごらんよ」

 確かに恐れている事はあるが言えぬ。視線を避けるように、目を伏せた。

「当ててあげようか? あんたが怖がってるのは、恋人であることを否定される事。違う?」
「…違わぬ」

 目を伏せたまま答えた。この者は、本当に人の気持ちに聡い。
 もし、オスカーに話して…私を否定されたらどうすればよいのかわからぬ。否定されるくらいなら、言わずにこのままである方が…

「本当にあんたってば、恋愛に関しては臆病ね。でもさあ、オスカーは、悲しむわよ? 『何故、信じてくれなかったのか?』って」

 そうかも知れぬ。ただし、記憶を取り戻した後にな。今のオスカーには、言えぬ。

「それに! わたしがあんたを慰めてる時のオスカー! 嫉妬に燃えてたわよ! 本当に、記憶がないのか疑っちゃう! あの馬鹿の細胞一つ一つに、あんたへの想いがインプットされてるんじゃない?」

 オリヴィエは、大袈裟な身振り手振りで、オスカーの態度に憤慨して見せているが…私の気分を引き立てようとする心遣いであろう。
 私は、周囲の者に心配ばかり掛けているのだな。

 自分の思考にはまり込み、オリヴィエに呼ばれている事に、しばらく気付かなかった。何度目かの呼びかけに、顔を上げた。

「すまぬ。考え事をしていた」
「そんなの見ればわかるけど。どうせ、後ろ向きなろくでもないことでしょう?」

 オリヴィエは、少し不機嫌な顔つきで、私をじっと見つめると、無言で私の手を引き、私が使っていた(眠れは、しなかったが)付き添い用のベッドに、無理矢理押し込めた。

「人が後ろ向きになる時は、疲れてるときが多いんだってさ。この一週間、殆ど寝てないんでしょう? あんたは、疲れてるんだからさ…眠りなよ。考えるのは、それからにしよう。いいね?」

 オリヴィエの手が光を遮るように、私の瞼に優しく置かれた。
 しかし、眠れと言われても後から後から…最悪な事を思い浮かべてしまう。眠れたところで、悪夢をみそうなのだ。

「いい夢をみせてあげるから、おやすみ」

 私の気持ちを汲み取ったかのような、オリヴィエの言葉、優しく温かいサクリアに包まれ、やがて眠りに誘われた。


 オスカー…おまえは、いつになれば私を思い出してくれるのか?
 おまえと共にあった時間が、遥か昔に思えてならぬ。
 もし、おまえが記憶を取り戻せなかったら…どうすればいい?
 もう二度と…独りになりたくない…




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