「そなたの職務怠慢は、目に余る!」
光の守護聖ジュリアスは、闇の守護聖の執務室にノックもせず、扉を開けるなり怒鳴り込む。全身から不機嫌さを漂わせながら、険しい表情でクラヴィスに近付いた。
「聞いているのか!?」 「…聞こえている」
クラヴィスは、寝椅子に横になったまま起き上がろうともせず、正面に立ち自分を睨み付けるジュリアスを無表情に見上げる。
「昨日、執務を休んだばかりか、今朝も遅刻とは! そなたは、守護聖としての自覚が足りぬ!」 「ああ…そうだな」
クラヴィスは、いつもの小言をいつものようにうるさげに瞳を閉じて聞き流し、適当に返事を返していた。
「クラヴィス!返事は!?」
いつしか言葉を返さなくなったクラヴィスをジュリアスが不審気に見遣ると、いつの間にか眠りの世界へと誘われている。
「人の話の途中で寝入るとは! そなたは、話すら満足に聞けぬのか!」
聞こえていない相手にしばらくブツブツと文句を言っていたが、それも虚しくなるとジュリアスは、ため息を吐きながら向かいのソファーに深々と腰掛けた。
「そなたとは、まともな会話ができぬな」
ジュリアスは、クラヴィスを見つめながら二度目のため息を吐く。 そう言えば、この者の寝顔をじっくりと見るのは、初めてだ。 誰もが認めずにはおれない秀麗な美貌には、いつも孤独で厭世的で人を寄せ付けない空気に覆われている。
以前は、これほど虚無的ではなかったはず。 あの日、私が彼女の伝言を正確に伝えておけば、この者を深く沈んだ闇に落とさずに済んだのであろうか? 我々は、もっと近しい間柄に成れたのであろうか? 何故、あの時伝えてやらなかったのか、彼女が女王候補ゆえか? 彼女の伝言を伝えた後に、自分の意見を言えばよかった。
しかし、悔やんだところで時間を戻す事はできぬ。一度狂った歯車は、狂い続けながら回るしかないのであろうか。
紫水晶の美しいが…人を映そうとしない凍ったような瞳は、閉じられている。穏やかなどこかあどけなさすら感じる表情、瞳を閉じるだけでこれほど印象が違うものなのか。
「髪が…」
ジュリアスは、長い髪が顔にかかっているの事に気付くと、上半身を屈めながら手を伸ばし、手櫛で軽く整えた。ふと、クラヴィスの吐息が頬を掠める。すぐ間近に赤く薄い唇が目に入った瞬間、誘われるように自分の唇を重ねていた。
不意にクラヴィスが微かに身じろぐと、弾かれたように我に返り飛び離れると逃げ出すように部屋を出た。と同時に、紫水晶の瞳が開く。 クラヴィスは、身体を起こし片膝を立てるとその膝に額を乗せ、肩を震わせ笑いを堪えた。
彼は、ジュリアスがソファーに座った頃から目覚めていたが、再び小言が始まるのが煩わしくて眠ったふりをしていたのだ。 髪が整えられる優しい指の動きに次いで、唇に何かの感触を感じた時、まさかと思いながらも薄目を開け確かめ、その事実に驚きのあまり身体が動いてしまった。が、ジュリアスの狼狽ぶりを思い返すと、驚愕よりも笑いがこみ上げるのを止められない。
「まるで子供のくちづけだな」
クラヴィスは、苦笑を浮かべ温かさの残る唇に指を這わせた。同性にしかも、ジュリアスに唇を奪われたというのに、不思議と嫌悪感はなかった。
小言相手が寝入ってから、一人物思いに耽るおまえが、何を考えていたか容易に想像できる。 あの日の事をいまだに気に病んでいるようだな。おまえが悪いわけではないのに… 私にしろ彼女にしろ、実際に会ってお互いの気持ちを確認しようとしなかったのだから。 彼女は、至高の座を選び…私は、止めなかった。 もう過去のこと。淡い思い出にすぎない。
私がこのような存在になったのは、本来の性格にすぎぬ。守護聖も職務もやりたくないものだし、人と関わるのも苦手だ。長い付き合いなのにそれすら分からぬとはな。 人の感情に疎いおまえに分れと言う方が無理か…私も話す気もない事だが。
おまえは人の感情に疎いばかりか、自分の感情すら気付かない。 彼女の伝言を伝えなかった事、今、私に口づけた理由がいまだに分かっていないようだな。おまえが私を見る瞳は、無意識の行動は、正直なのに。 尤もおまえにとっては、気付かない方が良いのかも知れぬ。 自分の感情を持て余すだけだろう。まさか同性にしかも私に惹かれているなどとは、認めたくもなかろう。 当人は気付かず、想われている方だけが知っているのも奇妙なものだ。
今度、小言を始めたら「おまえに口づけされる夢をみた」とでも言ってみるか。すぐにでも、止めるかもしれぬな。 クラヴィスは、人の悪い笑みを浮かべた。
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