風見舞


 あの悪夢の一夜から一ヶ月が過ぎた。
 クラヴィス様は、何事もなかったかのように、普段と変わらない生活を送られている。
 変わった事は、側近のリュミエールが側を離れた事。
 周囲の者は、怪訝さを隠せず理由を求めたが、当事者達は固く口を閉ざし、何も語らなかった。

 守護聖である以上、クラヴィス様とリュミエールが、顔を合わさずにいられる筈もなく、俺は、クラヴィス様から目を離せなかった。奴が二度と暴挙にでない保証はない。
 あの方を二度とあんな惨い目に合わせたくない! 守りきれなかった自分の無力感、屈辱を味わうのは一度で十分だ!

 一見、落ち着いているように見えるクラヴィス様だが眠ると時々、苦しそうに夢の中でも耐えていらっしゃるのか、声も出さずにうなされておいでだ。
 見かねて、お起こしすると「すまぬ」と淡い笑みを浮かべられるだけ。
 決して弱音は、吐かず一人で乗り越えようとされる。
 そんなクラヴィス様が痛々しくて、愛しくて「俺がいますから」と抱きしめるだけ。
 あの日から俺は、一度もクラヴィス様を抱いていない。
 接吻にすら、一瞬見せる怯えの表情、隠し切れない身体の震え。
 だから、俺は、躊躇してしまう。

 リュミエールの付けた傷は、あまりにも大きい。
 近頃は、抱きしめても抱く事が出来ない事がつらく、夜は自分の館に帰る事も考え始めた。だが、悪夢にうなされるクラヴィス様を一人にも出来ず、自分の忍耐力を最大限まで引き出すしかなかったが、自制心を保つのもそろそろ限界に近付きつつあった。


 執務が終わり、クラヴィス様を迎えに行く途中、オリヴィエに呼び止められた。

「極楽鳥か。何だ? 用件は手短に願おう」
「機嫌悪そうだね。さては、欲求不満かな?」
「おまえには、関係ない!」

 オリヴィエの冗談か、本気で言っているのか、分からない口調で核心をつかれ、 思わず声が荒くなる。オリヴィエは、動じた様子もなく軽く肩をすくめた。

「ふ〜ん、図星か。あんた、あれからクラヴィスを抱いてないの?」
「何のことだ?」

 オリヴィエの言う「あれから」が何を指して、言っているのか分かったが、迂闊に返事は出来ない。

「ある日を境に、クラヴィスとリュミエールがお互いに視線すら合わさなくなって、あんたは、親の敵みたいにリュミちゃんを睨みつけるし。あんた達に何があったかなんて分かりすぎるよ」

 オリヴィエは、一瞬の躊躇の後、痛まし気な表情で話す。さすがに、勘がいい。だが…

「放っておいてもらおうか。俺達の問題だ」
「そうしたいのは、やまやまなんだけど。クラヴィスが見てらんなくてさ。あんたがついてる割には、顔色も悪いし痩せたし」
「それは…」

 オリヴィエの言う事は、気にしていたがあんな事があっては仕方ないと、食事をいつものように強く勧めることが出来ずにいた。

「あんた恋人のくせに、何を遠慮してるのさ!支えるべきあんたが、いつまでも腫れ物に触るような態度を、取ってたら、忘れられるものも忘れられないじゃない!抱きたきゃ抱けばいいじゃない!」

 事情を察したオリヴィエに、真剣な表情で一喝され、つい弱気になる。

「簡単に言ってくれるがな、あんなに怯えた目で見られると」
「後遺症か。じゃ尚更抱いてあげなよ」
「ご本人が嫌がってるのにか? 俺は、リュミエールじゃない! 無理強いなんぞできるか!?」

 無理矢理抱く事は、クラヴィス様にあの夜を思い出せてしまう。そんな酷い真似ができるか! これ以上、苦しめたくない。

「あんたとリュミエールじゃ立場が違うでしょう?恋人のあんたがクラヴィスを抱くのに、なんで今更、遠慮するのさ?第一クラヴィス本人が拒否したわけじゃないんでしょう?」

 確かにクラヴィス様の口から、拒否された事はないが。

「怯えた態度を見ればわかるさ」
「あんたとのSEXだけを怯えてるとも限らないじゃない?クラヴィスはさあ、あんたが以前と同じように自分を抱けるのか、あんた以外に抱かれた体を同じように 愛せるのか、不安に思ってるかも知れないじゃない?」


オリヴィエの意外な指摘に呆然となる。そんなもの、決まりきってるじゃないか。

「馬鹿馬鹿しい。そんな風に思えるなら欲求不満なんぞになるか!」
「だから、それを証明するためにも、抱いてあげなよ。クラヴィスが思い出して怖がったとしても、そんなものは、あんたお得意の愛でなんとかしなさいよ! いつまでも、求められないんじゃ逆に、クラヴィスが不安に思ったとしても、無理ないんじゃない? 何なら変わってあげようか?」
「オリヴィエ! おまえ殺されたいか!?」
「あんた、マジで言ってるでしょう?冗談の分かんない男ね〜」

 俺が真剣に怒るのを見て、オリヴィエは、大笑いしているが冗談に聞こえなかったぞ! 助言には、とりあえず感謝するがこいつも要注意人物か? 俺の視線を感じたのか、オリヴィエは、笑いを止めるとニヤリとする。

「久しぶりだからって、クラヴィスを壊さないでよね!」
「約束できないのが残念だ」
「あんたね…」

 呆れたようにため息を吐くオリヴィエに礼を言うと、クラヴィス様が待つ執務室へと向かった。



「クラヴィス様! お迎えに参りました!」

 俺が執務室を開けるとクラヴィス様は、まだ書類の整理をされていた。

「まだ、終わらぬ。先に帰るがいい」
「いえ、待ちます!」

 先に帰るなんて真似ができるはずがない。悪夢の再現などごめんだ!
 俺は、行儀悪く机に腰掛け待つことにした。
 視界に新しい寝椅子が目に入る。以前のは、翌日に俺が捨て新しいのを贈ったものの、いまだに使用された形跡はない。
 この部屋で寝椅子は、思い出さずにはおられまい。本当ならこの部屋からも移動させて差し上げたかったが、さすがに無理だった。

 クラヴィス様がペンを止め、俺を見ているのに気付く。

「何か?」
「私を気遣ってくれるのは、ありがたいが、おまえの館の者も心配するであろう? 帰ってはどうだ?」

 クラヴィス様は、表情を変えることなく、淡々と言い放つ。
 この方は急に、何を言い出すんだ!
 あなたを置いて帰れるはずがないでしょう?

「館は、執事に任せてありますし昼間に顔を出していますから」
「では、たまには下界にでも行って来たらどうだ?」
「何故です?」
「以前は、よく行っていたであろう?」

 今日のクラヴィス様は、普段と違う。
 館へ帰れに、下界に行けか。
 なんだか俺を遠ざけようとしていないか? 何故だ?
 俺は、クラヴィス様を恋人にしてから一度も下界へ遊びに行っていない。
 遊びに行くというより、一夜の恋人を求めていたようなものだったからな。
 本物ができれば用はない。それは、クラヴィス様もご存知のはずだ。
 まさか、女遊びをして来いって事か?

「俺が邪魔ですか?」
「いや、そうでは」
「クラヴィス様、はっきりおっしゃってください!」

 俺の語気が少し荒くなる。
 あなたを抱こうと決めた日に、そのような事を言わなくても。
 クラヴィス様は、俺から視線を外しため息を吐く。
 この方が、こういう態度を取る時は、何かを言いよどんでいる時だ。
 何を躊躇っているのかは、分からないが恋人に浮気を勧めるのは、酷すぎませんか?

「あなたは、平気なんですか? 俺が別の誰かを抱いてもかまわないと?」
「…かまわぬ」

 俺は、机から降りるとクラヴィス様の側に移動した。俺の視線を避けるように、再びペンを取り書類を見つめる。

「本当に?」
「かまわぬと言っている」
「なら、俺の目を見て言って下さい」

 クラヴィス様は、書類を見つめたままで、答えようとしない。ペン先が微かに震えている。唇を噛みしめ何かを耐える表情。

「俺に酷い事を言っている自覚は、おありのようで安心しましたよ」
「おまえは、健康な男だ」

 クラヴィス様が、躊躇いがちに話される。要するに、俺の欲求不満がばれていたって事か情けない話だ。それで浮気を勧めるこの方もこの方だが、どうせならあなたを差し出して下さればいいのに。

「なら、あなたを抱いてもいいですか?」

 俺は、クラヴィス様の髪を一房手に取り、誘うように口づける。

「無理をする必要はない」
「何故、あなたを抱くのに無理をする必要がありますか? 抱きたくて我慢している今の方が、よほど無理をしていますよ」
「私は、おまえを拒絶した事などない」

 オリヴィエの言った通りだ。この方の不安は、俺が抱かない事をどんな思いで…

「あなたが怯えるのを無理強いできませんでした」
「おまえは、あれではなかろう?」

 怯えても拒絶しなかった事がこの方の意思表示だったのか。俺を欲しくても、言葉に出して言って下さる方では、なかったな。
 クラヴィス様は、顔を背けたままだ。クラヴィス様の顎に手を掛け、自分に向かせると、唇を舐めるように口づけた。

「今すぐあなたが欲しい。いいですね?」
「オスカー…ここは嫌だ」

 執務室。ここでクラヴィス様は、奴に陵辱された。だからこそ、この場所がいい。悪夢も奴の痕跡もすべて消し去ってやる!

「あなたを抱くのは、俺です。それでも?」
「私は、思い出すのが怖い」
「思い出す暇など与えませんよ」

 俺は、クラヴィス様を抱き上げると、寝椅子に運び横たえた。




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