本当は、断りたかった。
を病院の前で待ち伏せしていた沢木と言う男の言葉を。
自分の主人が、再びと会いたがっているので会って欲しいと、沢木は言った。
断ろうと口を開く直前に、が来なければ自分が酷く叱られてしまうので、助けると思ってついてきて欲しいとまで言われた。
としては、沢木を助ける理由など何処にもなく、いや、むしろ昨日はこの男のせいで、仕事を遅刻する羽目になってしまって、恨みはあっても恩はない。
とはいえ、はどうも人の良い性格である為に、そこまで言われると断りづらくなってしまう。
自分の人の良さに、自己嫌悪を覚えたのはの心中だけの話。
再び訪れる事になってしまった、その屋敷。
早く話を終わらせてしまおうと、はその屋敷の門をくぐりながら思った。
昨日と同じリビングらしき場所に案内された。
やはり、昨日と同じ中年夫婦がを待ちうけていた。
リビング中央に据え付けられているソファーに座らされ、高級そうな菓子やお茶が振舞われるけれど、それに興味はわいてこない。
「一体なんのようですか?」と、先制の言葉を目の前に座する中年の夫婦、夫妻に向ける。
「まあ、お茶でも飲んで落ち着いてから話そう」
気持ち悪いほど親切そうな言葉を放つのは夫の方の修一。
「夜からは仕事があります。昨日の様に遅刻する訳にはいきませんので、話は手短にお願いします」
しかし、にそんな言葉でぴしゃりと言い放たれると、のんびりと話をするという訳にはいかなくなったらしく、修一は表情を変えてを見やった。
「君に、娘の代わりをやってもらいたい」
修一の言葉に、やはりなという心の声が、
の脳裏に響いた。
鋭い視線をに向けて言う修一。
も、その視線に負ける事無く見詰め返す。
「お断りします」と、一刀で切り捨てるような即答をする。
しかし、それすら修一の想定範囲内だったらしい。
「成功報酬は200万」
それは、を釣る為の言葉。
修一達は、の身辺を調べ上げていた。
両親が居らず、家族は妹だけ。
保護者であった叔母夫婦から逃げ出したという事も、妹のが急性リンパ性白血病に侵され入院中であるという事も。
「前報酬で100万払おう。成功すればトータルで300万。失敗しても100万は手に入る……。悪い話ではないはずだ」
修一の言葉に、確かにと思ってしまった。
しかし、頭を振ってそんな考えを振り払う。
「どんなにお金を積まれても、そんな事出来ません。だいいち、なんで私が貴方達の娘さんの代わりをしなきゃならないんですか?」
目の前の夫婦が、お金を払ってまで何故自分を娘の代わりにしたいのか、訳が解らない。
「娘のは、数ヵ月後に結婚する予定になっているの」
の問いに、答え始めたのは修一の隣に座っていた妻の深雪だった。
「来月には、その方と新居で暮らし始める予定なのよ。でも、は突然 姿をくらましてしまって……」
深雪の言葉を聞いて、は理由がなんとなく解ってくる。
「つまり、さんが見つかるまで、私がさんの振りをして、結婚相手を騙せと…それが成功したならばお金を払うと…そう仰るのですね?」
要点だけをかいつまんで、は夫妻に言い放つ。
すると二人はそうだと頷いた。
「ならば、なおさらお断りします。人を騙すなんて、そんなの犯罪みたいじゃないですか。私には出来ません」
はそう言って頭を振る。
「ただ、が見つかるまでの間、目くらましになってくれればそれで良いんだ。が見つかれば、入れ替わって今までどおりの生活に戻ればいい」
修一は、に懇願するかのように言葉を向ける。
「さんが見つかるまで…って……、一体どれだけ時間がかかるんです?」
はそんな問いを掛けてみた。
「それは…解らない。ここ数週間探しているのだが……」
歯切れの悪い返答が、修一から返ってきた。
「なら、お話になりませんね。二月三月くらいなら、ボロを出さずに騙せるかもしれませんが、それ以上となると無理が出るでしょうし」
それは、の考えた夫妻を諦めさせる言葉だった。
しかし、その発言が思わぬ事態に発展する。
「二月、三月なら……やれるの?」と、深雪がそんな問いをにかけた。
「え…」と、思わず困惑する。
「二月三月なら、騙せるかもって…貴方自分で言ったじゃない。その期間でいいわ、娘の代わりをやって頂戴」
もしかしたら、夫の方より妻の方がしっかりしているのかもしれない。
の紡いだ言葉の一片を聞き逃さず、しかも更にそんな都合の良い言葉まで交えて言ってくるのだから。
「ちょ…ちょっと待って下さい。それはただの言葉の文で……」
慌てては言葉を訂正するが、効果をなさないようで。
「三ヶ月、三ヶ月で良いわ。あの子が正式に結婚するまでの準備期間の間だけ。騙しとおせたら、300万にするわ。前報酬は150万にしてあげる。トータルで450万……語呂が悪いわね、成功報酬は350万にして、500万。もちろん、期間中に
が見つかっても、言った額の報酬を払うわ」
次々と深雪の口から放たれる言葉に、
は困惑気味で。
「たった三ヶ月、一人の男のご機嫌伺いをするだけで500万も手に入るのよ?こんな楽な話はないと思うけど?」
まるで誘惑のように、深雪は
に言い放つ。
しかし、
は乗る気が全くしない。
人を騙すなどと、そのような事、ポリシーとしてやりたくはないのだ。
なにより、楽して大金を稼ごうなどと言う甘い考えなど、
は微塵も持ちたくない。
だが、そんなポリシーを曲げてしまうような一言が、深雪の口から吐き出される。
そう、
が一番言われて弱いその言葉。
「妹さんの為にも、沢山のお金が必要なんじゃないの?」と……。
その言葉は、の心を揺さぶるのに十分すぎるものだった。
深雪から向けられる視線に耐え切れず、は俯く。
すると、深雪はソファーから立ち上がり、ゆっくりとのもとへとやってくる。
の隣に座り、その肩を抱き寄せて耳元で囁く深雪。
「お金さえあれば、ちゃんはもっともっと良い治療が受けられるのよ……。最新の治療が受けられる病院に転院だってさせられる……」
深雪の言葉はあまりに甘い誘惑。
「なんだったら、白血病治療の権威と呼ばれるお医者様を紹介してあげましょうか?」
の心を次々と揺さぶる深雪。
「貴方が今ここで頷くだけで150万。成功すれば更に350万と、腕の良いお医者様……。どうする……?」
次から次に、深雪から放たれる言葉は、毒のようにの心を蝕んで。
気が付けば、は首を縦に振り、「わかりました…」と言葉を返していた。
夜から仕事があるという事なので、詳しくは後日と、を帰してやる事にした夫妻。
二人きりのリビングで、最初に口を開いたのは夫の修一だった。
「まさか、あれほどうまくいくとは…思わなかったな……」
苦笑交じりの修一の言葉。
「あの娘が単純で助かったわ」と深雪も口元を緩める。
最初から、この二人は演技をしていた。
突然大きな突拍子もない事を言った後、いくらか譲歩したように条件を変える。
そうする事で、自分たちの都合の良い条件を、に頷かせたのだ。
最初から、には三ヶ月間の間だけ、跡部財閥の御曹司を騙してもらえればよかった。
一番隠して居たかった事を隠す為に……。
彼等が、一番隠して居たかった事。
それは、が恋人との子を身篭っているという事実。
跡部財閥の会長から、彼の息子ととの結婚を持ちかけられた時、もうとっくにには末を誓った男が居た。
しかし、跡部財閥という巨大な権力を持つ家と親類関係を持てるチャンス。
それを逃す手などあろう筈もない。
修一は、一も二もなく頷いた。
と恋人は別れさせようと、そう思いながら。
結婚の日程まで全て整え、その話をに持ちかけた。
がそれを拒絶しないわけがない。
だが、全て整ってしまった結婚への日程。
家の為に…と、そう泣き落としまで加えれば、娘は折れてくれると……そう思っていた。
実際、も一度は頷いたのだ。
しかし、事態は一気に急転した。
が妊娠していた事が発覚したからだ。
結婚前に、しかも他人の子を身篭っているなどと、そのような事態が許される筈もない。
ばれればどれだけ醜聞になるだろうか……
夫妻は娘の児を堕胎させる事を考えた。
はそれを拒んだ。
愛する男性の児を、堕ろす事など出来ないと。
そして、堕胎を拒んだ挙句、は姿をくらました。
夫妻があせったのは当然だろう。
大財閥、跡部家の嫁入りが決まっていると言うのに。
同棲期間があるため、その期間を何かの理由をつけて短くするという事も考えたが、は身篭っている。
早く探し出して堕胎させなければ、胎児が大きくなりすぎては堕胎が許されなってしまうのだ。
しかし、方々探しても見つからない。
そんな時、見つけたのがだった。
娘に瓜二つの少女。
娘の振りをして、跡部家の御曹司と暮らさせ、その後突然姿をくらましたように見せかける。
そうやって、相手方にも非があったかのように見せかければ、家だけの不祥事だとは思われないだろう。
何より、の妊娠騒ぎだけは完全に隠し通せる。
そんな綿密な計画に基づき、夫妻はの首を縦に振らせる芝居までした。
後は…、が三ヶ月という期間、として跡部の御曹司と暮らしているだけでいい。
どうせ先方はがどんな性格であるのかすら知らないのだ。
顔だけは、写真を送ってあるのでどうしようもないが、瓜二つのなら問題はない。
自分たちの失墜のダメージを減らすのが、をの替え玉に使う目的。
がボロさえ出さなければ、その計画に失敗はないだろう。
夫妻はそう考えた。
そして、計画は実行に移されるのだった。
<あとがき>
やーっぱ、出ないよ。
跡部が出ないよ。
次でやっと出てこれそうだよ。
跡部夢なのに、跡部一言も台詞喋ってないのよね。
にしても、説明臭い文ばっかで申し訳ない(´Д⊂
ちゅーか、最初から最終防衛策に入っている石油王夫婦・・・。
へたれすぎだね、この夫婦w
でなきゃ、話にならんのだけどw
……無理ばかりが出てきてる気がする・・・orz
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