初夏、梅雨入り前の晴れた日のこと。
景吾様のお屋敷で、ガーデンパーティを開く事になった。
景吾様が学生時代から仲良くしているお友達を集めて催すパーティで、学生時代はしょっちゅう開いてたんだって。
社会に出てからは、忙しくなった事もあって、年に一度か二度と位しか出来なくなっちゃったらしいけど……。
景吾様にとっては、お友達一緒に過ごす事ができる大切な時間。
パーティの用意に気合いを入れてる沢木さんご夫妻。
いつも仕事でお忙しい景吾様だものね。
お友達との時間をめいっぱい楽しんで頂かなきゃ。
私も、沢木さんご夫妻同様、気合いを入れて朝からパーティの準備に勤んだ。

それにしても、景吾様のお友達って、どんな人達なんだろう。
一緒にテニスを楽しんだ仲なのだそうだけど…。
そう、景吾様って、読書の他にテニスという趣味があるらしいの。
学生時代はプロへの道も期待されてたとか…。
凄いよね、景吾様って。

あ、そう言えば、忍足先生もテニスやってたんだって聞いたな。
「天才って呼ばれとったんやで」
なんて、言ってたんだよねぇ。
景吾様は忍足先生の事、知ってるかしら?
景吾様と忍足先生って同年代だった筈だし……。
今度 聞いてみよう。

そんなこんなで時間は過ぎて、パーティの時間。
私は、清音さんと一緒に、パーティの開かれるテラスでお友達を待つ景吾様の後ろに控える。
沢木さんは、景吾様のお友達を、このテラスに案内する為に玄関にいるの。

パーティの時間きっかりに、やって来たのは、二人の男性。
綺麗な銀の髪で、とても身長が高い男性と、綺麗な茶色の髪のどちらかといえば小柄な身長の男性。
銀髪の人が鳳長太郎さんで、茶髪の人が日吉若さん。
景吾様からみて、一つ下の後輩なんだって。
それからすぐ、鳳さんより大きな身長の黒髪の男性もやって来た。
樺地崇弘さんという方で、景吾様が小学校の頃から仲良くしてるお友達らしいの。
それから、パーティに来るお友達は更に増えた。
赤茶色の髪をした身長が少し低めの男性、名前は向日岳人さん。
日吉さんと同じく茶髪だけど、どことなくミステリアスな雰囲気の男性、滝萩之介さん。
そして、金色のふわふわした髪の毛をした男性、芥川慈郎さんと、続々と景吾様のお友達がテラスへとやって来る。
しかも皆さん、とっても格好良い、美形な人ばかり。
格好良い景吾様のお友達だからかな?
だって、類は友を呼ぶって言うでしょ。
パーティの給仕をしながらそんな事を考えてた。

と、そんな時。
「あ、そうだ、跡部。 侑士なんだけど、仕事の都合で少し遅れるってさ」
向日さんが景吾様にそんな事を言った。

ユウシ……?
忍足先生と同じ名前だなぁ。
どんな人なんだろ?

その時は、そんな事を考えて深く考えなかった。
皆さんに色々と話かけられてたし…。

皆さん、15歳で働いている私に興味があるみたいなの。
特に芥川さんが私にかまいたいみたいで。
給仕の仕事の途中の私を何度も引き留めて話しかけてきた。
けど、仕事の邪魔するなって景吾様に言われて、芥川さんは残念そうな顔をしたけど、その後、私を引き留めるような事は少なくなった。

それでも、このパーティの話題の中心は私の事ばかり。
この年頃で、学校にも行かずに働いてるんだもん。
珍しいんだろうね。

それから暫くした頃、一人の男性がテラスに現れた。
見覚えのある黒髪黒目にフレーム無しの丸眼鏡で、背の高い男性。
「遅いぞ、侑士。お前の分の料理まで食っちおうと思ったくらいだぜ」
と、向日さんが彼に声を掛ける。
「食いもんの怨みは怖いで、岳人」
聞き覚えのある独特な低音ヴォイスの関西弁。
「忍足先生!」
私は思わずその男性の名前を呼んだ。
彼は、忍足侑士先生。
私が中学校二年生の時にお世話になった、保健の先生。
私を救ってくれた人………。
こんな所でまた逢えるなんて…。
「縁やな」って、忍足先生は言った。
私もそうだと思った。

嬉しいな…。
忍足先生に逢えて。
実は、忍足先生って、私の初恋の人だったんだよね…。
格好良くて優しい先生だもん、憧れてもおかしくないでしょ。
あ、でも、先生には可愛い彼女さんがいたから、初恋は失恋だったんだけど。
今は結婚してるのかな?
婚約してたらしいから、きっとそうよね。
ただの憧れが強かったから、失恋してもそれほど気落ちはしなかったの。

それから私は、忍足先生と少しお喋り。
向日さんや芥川さん、鳳さんが私がここで働いている理由を忍足先生に教えた。
すべて、景吾様が言った言葉だったんだけど…。
の為に高校行かずに働いてるって事を知った忍足先生は、「しっかり働きや」って応援してくれたの。

うん!
しっかり働いて、を大学に行かせなきゃね!
一通り忍足先生と話し終えた私は、給仕の仕事へ戻るのだった。
 

それから、時間は過ぎて、パーティはお開きになった。
帰ってゆく、忍足先生やお友達を、景吾様や沢木さんご夫妻と一緒に玄関でお見送り。

その時、私は忍足先生に呼ばれた。
、携帯持ってるか?」
忍足先生の言葉に、私は戸惑いながらも頷く。
お仕事用に借りてる携帯を、私は持っているの。
お使い中の呼び出しとかに使うから。
このお屋敷で働きだしてから、与えられたもの。
でも、仕事だけじゃなくて、プライベートでも使って良いって言われてる。
電話代を定額の使い放題にしているから、どれだけ電話を使っても払う料金は同じらしい。
お言葉に甘えて、私はよく、に電話してるんだ。
忍足先生は、私の携帯番号と、メールアドレスを聞いてきた。
……実は私、電話機能は使うけど、メール機能は使ったことないんだよね……。
その事を伝えたら、なら番号だけで良いって忍足先生は言ってくれた。
そして、私は忍足先生と携帯番号を交換。
でも、それを見た芥川さんが、自分のとも交換してって言い出したのには、驚いたなぁ。
「忍足ばっかりズルイ!ちゃん、俺とも交換しよ!」
芥川さんは私に言う。
その手に携帯を持って。
それを見た忍足先生は眉をしかめた。
「慈郎……、俺は理由があってと番号交換したんや。自分みたいに、遊び半分とちゃうんやで」
芥川さんをたしなめるような口調で、忍足先生は言う。
「理由って?」
芥川さんが、そう問いながら忍足先生に視線を向ける。
「それは、俺と二人だけの話やから、教えられへん」
忍足先生はそうきっぱりと言い放った。
すると芥川さんはつまらなそうな顔をしたけど、それ以上は突っ込まなかった。
「ま、いーや。 携帯番号は、また今度ね」
そういってあっさりと引き下がってくれたの。
芥川さんには悪いけど、ほっとしちゃった。
携帯番号を教えなくてすんだ事じゃなくて、忍足先生の言う理由について突っ込まれなかった事が。

忍足先生の言った理由。
それは、私の過去に関する事。
忍足先生はまだ、私の事を心配してくれてるんだ…。
優しい忍足先生。
私が今ここに居られるのも、忍足先生のおかげ。
私が、今の私で居られるのも、忍足先生のおかげ。
忍足先生が居なかったら、きっと…今でも私はあの闇の中に居たに違いない。

忍足先生は私を、を救ってくれた。
あの人から………。
私の身にふりかかった事を、忍足先生は知ってるんだ。
だから、心配してくれてるんだと思うの。
あれから、二年。
もう二年なのか、まだ二年なのかは……、正直解らない。
ただ一つだけ解るのは、私の心の中には、まだ、癒えてない傷が残ったままだということだけ……。

 

 

*
 

ずっとずっと時間を遡る。
私が10歳、小学校五年生の時、両親が事故で亡くなった。
交通事故だった。

両親の葬儀の夜。
親戚のおじさん、おばさん達はもめにもめた。
まだ幼い私たち姉妹をどうするのかで……。
経済力とか、家庭環境とか、個々それぞれ違うもの。
親戚の皆には家族が居て、その家族と暮らすのが精一杯。
私たち姉妹を引き取る余裕なんてない。
それは、仕方がない事だと思う。
そんな言い争いの中で、一人の女性が口を開いた。
その女性は、今までおじさん達の言い争いを黙って見つめていた人。

は、あたしが引き取るわ。それで、あんたたちは満足なんでしょ?」
酷く苛立った口調で、そう言ったのは、私達姉妹の叔母さん。
お母さんの、少し歳の離れた妹。当時、まだ二十代前半。
結局、その一言で私とは叔母に引き取られる事になった。
当時、私は地方に住んでいたのだけれど、叔母に引き取られた為に、叔母の住む都心へと引っ越す事に。

叔母には、夫がいた。
式を挙げずに籍だけ入れた夫婦。
売れない作家で、定職にもついていない人。

叔母に引き取られ、この人と出会ったのが、私の苦しみの始まりだった。
 

叔母は、若いことも手伝って、感情の起伏が激しい人だった。
機嫌が悪い時に、私やが何か気に入らない事をすれば、殴れてしまう。
私がをかばおうとしても無駄で、連帯責任と言っても殴られる。
反面、機嫌が良いと、気前よく外食に連れていってくれたり、洋服を買ってくれたりもする人で。
私の煎れるコーヒーを誉めてくれて、学校を卒業したら喫茶店を開いたらいい、開業資金は自分が貸してやるから、と言ってくれたりもした。
だから叔母との生活に苦しいと感じた事はない。
叔母から、愛情を感じる事もあったから…。
 

けれど………。
 

叔母はホステスという仕事柄、夕方から朝まで、家に居ないことが当たり前で。
夜は叔父とと三人で過ごした。

叔父は引きこもりのような人。
創作活動だと、書斎だという部屋に籠って何かをしている。
口数は少なく、まともに叔父と会話なんて、する事なんてなかった。
こちらから、話しかけても、会話が止まってしまうの。
最初の頃は、仲良くなる努力をした。
会話の数が増える事はなかったけど。
それでも、叔母との仲は良いみたい。
叔母が叔父に寄り添っているのを、よく見かけた。

叔父は、家事仕事を全くしない。
二人で暮らしている時は、総て叔母がしていたらしい。
私たちが引き取られた後は、家事は私たちの仕事になったけど、家事手伝いは小さい頃から当たり前のようにやってたから苦なんてなかった。
むしろ、そのくらいはやって当たり前の事だと思って、 と二人で頑張った。
 

引き取られて、一月程だっただろうか。
とある日の夜遅く、と一緒にベッドに寝ていた私は、喉の渇きを感じて目を醒ました。
その時間、叔母は帰ってきていない。
台所で水を飲んでいたら、叔父がやって来た。
叔父も、喉が渇いたのだろうかと思い、そう問うてみたけど、答えは否。
なので私は眠ろうと、台所をでてゆこうとした。
が、そんな私の腕を叔父が掴んで引き留めた。
不思議に思い、見上げた叔父の目に、得体の知れない光が見える。
初めてその目をみた時は、その光が何なのか解らなかった。
子供だったから、知らなかったの。
叔父の目に宿った光が欲望を象徴していただなんて。

私は、自分の状況がのみこめなかった。
そういう知識をまったく知らなかったから余計に。
叔父に何をされるのか解らず、ただ叔父が自分を押し倒し、おおい被さるその圧迫感がひどく怖かった。
脅えすくむ私の体を叔父がなでまわしはじめる。
そればかりか、服を脱がそうとまで……。
もちろん私は抵抗した。
男の人に肌をさらすなんて、幼い私でも恥ずかしかったもの。
けれど、子供の私の抵抗なんて、大人の叔父には効く筈もない。

抵抗も虚しく、私は叔父にこの上ない苦しい仕打を受けることになった。
本来なら、愛する人と愛を確かめ合う行為のそれ。
―――そうだと知ったのは、その後に保健体育で性教育を受けてからだったけれど……―――
私には苦痛しかもたらさない行為。

叔父は叔母の目を盗んでその行為を続けた。
もちろん、抵抗した。
けれど、叔父はその度にを引き合いに出した。
時には、みせしめとばかりにに暴力をふるう事も。
何も知らない頃のは、突然の暴力に驚いたと思う。
叔母に話したら、誰かに話したら、を殺すとまで脅されたなら、私は黙って叔父に自分の体を差し出すほかに選択肢なんてなかった。
だから、私は一人で耐えたの。
私が我慢していれば、にはなにもされない。
実際にそうだったから。

ずっと続くかもしれないと、そう思っていた苦しみから、救い出されたのは、それから三年後の事だった。
中学校二年生の時。
新任の保健医として、忍足先生の手によって……。
 

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<コメント>
ごめんなさい、長いので二話構成にします;

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