Another Love Story



時よ止まれ。お前は美しい―――。



一目惚れ、言葉にするならそれが一番相応しいだろう。
彼女を一目見た瞬間、思わず心の中で叫んでいた。
Oh, my god!

肩で切りそろえられた漆黒の闇を溶かし込んだような艶やかな黒髪
白磁のような白い肌に少年とも少女ともつかぬ中性的な風貌
意志の強そうな黒い切れ長の瞳にどこか憂いすら感じさせているのが最高だ。

自分の理想が頭の中から抜け出して動いているのだろうか、そう思いたくなるほどにその姿は美しかった。
「…あそこにいるのは?」
「ああ、彼女ですか。彼女は九条昴。この欧州星組の一人ですよ」
「へぇ…九条昴、か…」
その時の昴は戦闘演習を終えた直後だったのか、霊子甲冑からすっと降りるとラチェットや他の隊員と話していた。
いずれ紐育にも魔と戦う部隊を、と視察に訪れた先での思わぬ収穫に思わず笑みがこぼれる。
自分を見つめる視線に気付いたのだろうか。
ガラス越しに上から見下ろすボクを昴が見上げる。
その瞳に見つめられるだけで、心臓を掴まれているような気さえした。
だが、昴は一瞥しただけですぐに視線を落とす。
どうやら興味を持ってもらえなかったらしい。まぁ、無理もない。
肩を竦めながら、その場を後にする。
だが、九条昴という名とその姿は心に焼き付いて離れなかった。
それが全ての始まり。


「ボクの所へ来ないかい?九条昴。紐育がキミを待っているよ」
彼女についてはそれからありとあらゆる手を使って調べた。
日本の公家の血を引く出身であること、ありとあらゆることに対して天才的な頭脳の持ち主であること
…そして、彼女が霊力維持の為に密かに投薬や手術を受けたことも。
彼女を紐育に誘う機会に恵まれた時には神に感謝すらした。
「…ボクはサニーサイド。いずれは紐育に星組のような華撃団を作ろうと思っていてね。キミにも手伝って欲しいんだ」
「……別に。場所が何処であろうと戦えるのならば、構わない」
初めて聞いた昴の声は、予想通り少年とも少女ともつかぬ容貌にぴったりの落ち着いたハスキーな声だった。
事務的に会話は進み、昴はあっさりと承諾する。
だが、真の目的は別にあった。
「…ところで、昴。キミはラチェットと同い年くらいだったと思ったが…とてもそうは見えないね」
「…何が言いたい」
顔色こそ変えなかったが、眉がぴくりと動く。
「時よ、止まれ。お前は美しい…そういう言葉がぴったりだね。東洋の神秘かな」
もっとも、自分にとっては昴の存在そのものが奇跡のようにすら感じるが。
「言いたいことがあるのならばはっきり言えばいい。回りくどいのは、鬱陶しいだけだ」
「霊力維持の為とはいえ、自分自身が女性であることすら捨てるなんて健気だねぇ」
昴の顔色がさっと変わる。当たり前だがボクが知っているとは思ってはいなかったようだ。
ボクに噛み付きそうな表情で鉄扇を突きつける。
怒った姿も美しい。ますます、自分のものにしたくなった。
そう、真の目的は華撃団に誘うことなどではない。
九条昴を自分のものにすること…それこそが望み。
「手術やら投薬やら、色々されちゃったって聞いたけど」
挑発しているのはわざとだった。
「ああでも、自分の意思で望んだからされちゃったっていうのはおかしいか」
多分、昴の中でのボクの印象は最悪だろう。ある意味賭けみたいなものだ。
良くも悪くも印象に残らないような男では彼女の関心をひくことなど出来はしない。彼女は天才なのだから。
出会いなんて最悪な方がいい。運命の相手などと思って幻滅するより、最初が最悪ならばそれ以上、下はないのだ。
それが侮蔑だろうが憎しみだろうが、興味を持ってもらえないよりずっといい。
「ボクが援助しようか?紐育で最高のホテルのロイヤルスイートの部屋を用意しよう。お金も好きなだけ使っていいよ」
まぁ、自由の女神像が買えるくらい使われたら流石に困るが昴がそんなことをするようにも見えなかった。
「…何が望みだ。慈善事業でロイヤルスイートを哀れな僕に与えて優越感に浸ることでもしたいのかい?」
「察しがいいね。流石天才と呼ばれるだけはある。一つ、交換条件があるんだけど」
「…聞くだけ聞いてやる」
「ありがとう、嬉しいよ。ボクの人形にならないかい?昴」
そろそろ頃合いか、と本題を引き出す。
その後は真実と嘘を絡めつつ…飴と鞭は使いようとはよく言ったものだ。
最初の反応で確信したが、昴は性別を捨てたことを思ったより気にしているらしい。
そこを突く度に苦悶の表情を浮かべるのに背筋がぞくぞくする。
「…わかった。貴様の条件を呑もう、サニーサイド」
長い間の沈黙の末に、昴は深いため息を吐いて、そう言った。
「そうか、嬉しいよ。これからよろしく頼むよ、昴」
昴は握手には応じてくれなかった。だが、彼女の心中を察すれば無理もない。
「ふぅー……」
昴の去った部屋で、長く長く息を吐く。
手にはじっとりと汗をかいているのに、喉はカラカラだった。


昴が紐育にやってきて一週間後、昴をシアターの支配人室に呼び出した。
「…何の用だ」
「紐育の生活には慣れたかい?昴」
「…ああ」
「部屋は気に入ってくれた?」
「そうだね…悪くは無い」
ロイヤルスイートを「悪くない」と評する昴に思わず苦笑する。
普通の女性ならば感激して抱きついてくるところだろう。流石は昴と言うべきか。
だが、それがいい。ボクが望んでやっていることであって余計な恩を売る気もないし、当然という顔をされたほうが気が楽だ。
やはり自分の目に狂いはなかったと嬉しくなる。
その日は当たり障りのない話だけをして昴を部屋に帰した。
あせらずとも時間はたっぷりあるのだ。性急に彼女をどうこうするつもりは毛頭無い。
昴。せっかく手に入れた大切な大切な人形。
神の与えたもうた奇跡に感謝しつつ、二度目に呼び出したときには抱きしめてみた。
華奢な身体がかすかに震えたが拒絶されることは無かった。
三度目には唇を重ねた。
やはり拒まれることはなかったが、抱きしめる昴の身体が石化したかのように強張っている。
前よりも明らかに動揺したその仕草に、思わず言葉が出た。
「……はじめてだったのかい?」
「………どうでもいいだろう。そんなこと…」
目を逸らすように伏せられた睫毛に落とされた翳が、答えずともそれが図星であったことを物語っていた。
ほんの少しの罪悪感とそれ以上の至福。
まぁ、ちょっと考えれば当たり前か。
欧州星組は少女だけの部隊のはずだし、幼くしてそこに入った昴が男と触れ合う機会などあろうはずもない。
成熟した天才の顔を持ちながら、その裏側に隠された女どころか少女と呼ぶにもあまりにも未熟な昴。
その裏の顔を知っているのが自分だけというのにたまらなく優越感を感じた。
「ああ、昴。君は最高の人形だ」
そう言って抱きしめるボクを汚らわしいものでも見るかのように睨む昴も美しかった。

四度目からの逢瀬は昴の住むホテルの一室を使うことにした。
関係を公にするつもりがない以上、考えた末にそこで会うことにしたのだ。
そこならば人目を気にすることもなくゆっくり二人でいられる。
「…ふぅ」
バスルームから出てきてタオルで髪を拭く昴をひょいと抱えあげてベッドへ連れて行く。
「な…なにを…!!」
驚いた昴が手足をじたばたさせてもがくが、別にこのままベッドインするつもりなど無い。
「別に心配しなくてもいいよ。ちょっとしてみたいことがあるだけだから」
「……」
昴の目は半信半疑だったが、ベッドに降ろした後に黙々と丁寧にブラッシングする姿にようやく納得してくれたらしい。
「…してみたいことって、それかい?」
呆れたように呟く。
「ああ、そうだよ。迷惑かい?」
「別に…好きにすればいい。昴には…どうでもいい」
昴はある意味自分に無頓着な性格というか、自分が本気で気に触る事以外なら割とどうでもいいらしい。
それが天才ゆえなのか昴だからなのかはわからないが。
昴の髪に触れるのは好きだった。初めて見たときにも艶やかだと思ったが、触ってみると予想以上にしっとりしている。
確か日本だとカラスの濡れ羽色、と表現するというのを何処かで聞いたことがあるが、正にその通りかもしれない。
「じゃあ、そろそろ寝ようか」
「……」
その言葉に昴が切れ長の瞳を見開き、息を呑むのが分かる。
自分の信用のなさに笑いそうになったが、まぁ出会いが出会いなだけにおいそれと信用しろと言っても無理な話だろう。
「キミの考えているような事はする気が無いからそんなに驚かないでくれよ、昴」
出来るだけ優しい表情を作り、昴の髪を撫でる。
「ただ、抱きしめて眠らせて欲しいだけだよ。それ以上は何もしないさ、約束する」
何なら指きりでもするかい?と言うと
「…わかった」
昴はそれだけ言うとボクへと身体を預けてきた。
猫のように縮こまっている姿が愛らしい。
いきなり約束を破る気もしたがこれくらいならいいだろう、と軽くキスをしてベッドに横になった。
昴の小さな身体は本当に人形のようで、けれど首に感じる息遣いやバスローブ越しに感じる体温が人間なのだと感じさせる。
このまま時が止まってもいいくらいに幸せだった。
自分が人間として最低な事をしていることなどはどうでもいい。
人生はエンターテイメント。楽しまなければ損。
後悔などは死ぬときにまとめてすればいいのだ、地獄に落ちるならそれも構わない。死後になど興味は無い。
生きて、人生を楽しまずに何を持って生きているというのか。
昴。愛しい愛しいボクの人形。
神に愛されし頭脳を持ちながら神に背いた身体を持つ彼女との日々がこうして始まった。



「…もう、サニーったら、こんな所で…あ…」
「いいじゃないか、誰も見てやしないよ」
ラチェットの甘くしなだれた声とサニーの愉快そうな声がドア越しに聞こえて、昴は露骨に眉をしかめる。
もう帰ろうとしていたところを支配人室に呼ばれたと思ったら、こんな場面に出くわすとは。
中を見なくても二人が何をしているのかは容易に想像がつく。
サニーもラチェットもれっきとした大人の男女。
二人の仲をとやかく言う気はないが、せめて自分の目の着かないところでやって欲しいと昴はため息をつく。
いっそ、帰ってしまおうか。体調が優れなかったとか適当な理由をつけて明日にでも来ればいい。
そう決めて踵を返し、エレベーターに向かおうとした矢先、バツの悪いことに支配人室のドアが開く。
中から出てきたのはラチェット。
「あ…昴。い、いたの?」
顔が赤い。
せわしなくイヤリングを指で触れるのはラチェットが動揺している時の癖だ。本人は気付いていないようだが。
「ああ、サニーサイドに呼ばれたからね。ラチェットはもう帰るのかい?」
「え、ええ。おやすみなさい、昴」
「おやすみ、ラチェット」
手入れのされた爪を唇に当てながらそそくさとラチェットは去っていく。
昴はそれを見送ると不機嫌な表情のままノックすらせずに無造作に支配人室のドアを開けた。
「来たか、昴。イラッシャーイ」
ラチェットと対照的にサニーはいつものように不敵な笑みを浮かべた表情で昴を出迎える。
「見え透いた態度はやめてくれないか。用がないなら僕は失礼する」
鋭く睨みつけてもサニーは顔色を変えるどころか嬉しそうに言う。
「…あ、やっぱり聞こえた?」
「わざと聞かせてたんだろう。随分と悪趣味な事だな」
「おやおや、人聞きが悪いなぁ。ボクがそんな事をするわけないじゃないか」
「どんな趣味があろうと構わないが、今度は僕の聞こえないところでやってくれ。それじゃあ失礼する」
「昴」
その場を去ろうとした昴の腕をいつの間に立ち上がったのかサニーの手が掴む。
「妬いているのかい?」
そのまま背後から抱き寄せられても、昴は拒むでもなくただ鬱陶しそうにサニーの顔を見上げ
「僕が妬くだって?馬鹿らしい」
吐き捨てるように、言う。
実際、妬く気持ちなど微塵もない。ただ、わざわざ見せ付けるかのような事をされたのが不愉快なだけだ。
「ん〜その表情、たまらないね。ゾクゾクする」
昴の髪に指を絡めて弄ぶサニーに
「変態が」
蔑んだように冷たく言い放つ。
しかしそれすらもサニーにとっては誉め言葉にしか過ぎない。
にっこりと微笑むと昴を離し、再びチェアに腰掛けて囁いた。
「おいで、昴」


人生はエンターテイメント。
それが口癖で表では財政界にも顔の利くリトルリップシアターのオーナー。
裏では紐育華撃団の司令でもあるサニーサイドの本当の裏の顔は非常に倒錯した性癖の持ち主だった。


「昴は本当に美しいねぇ…ボクも日本人形はいくつか持っているが昴の美しさには敵わないな」
サニーは支配人室のチェアにゆったりともたれかかり
自分の上に昴を横抱きにするような形で座らせながらうっとりと呟いた。
片手で昴の背中を支えながらつややかな髪を撫で、片手ですらりと伸びた足を撫でながら。
「昴は言った…僕は人形じゃない。比べる相手が間違っている…と」
退屈そうに視線を遠くへ向けたまま昴は呟く。
サニーサイドの言葉も、行為も別に今に始まったことではない。
こうしてじっとしていればいずれサニーサイドが満足して解放される。
それまでただ、人形のようにしていればいいのだ。
「まぁ、人形だったらこんな事をされて可愛く喘いだりしないからね」
サニーは昴の耳にかかっていた髪をかきあげて、ふぅっと息を吹きかける。
「…っ…!サニーサイド!」
背筋にぞくりと走る悪寒とも快感ともつかぬ感覚に、昴は抗議の声を上げるが、サニーは気にする様子もなく、笑うだけ。
「ああ…やっぱりいいなぁ!キミは最高の人形だよ、昴。ボクは幸せだ」
昴の声に興奮を隠し切れず、やや昂った調子のサニーはそのまま顎を掴んで上を向かせ、昴の唇を奪う。
(汚らわしい)
ラチェットとキスをしたばかりで自分ともキスを出来る目の前の男の神経がわからなかったが、昴は抗うでもなく目を閉じる。
サニーの舌が口内に入ってきても自分から舌を絡めたりはしない。
その気もないし、サニーサイドはそんな事を望んではいないのだから。

彼が望むのは人形。
淋しいときに、気が向いたときにただ抱きしめてキスして自分を落ち着かせる存在。
それが生身でしかも日本人なら最高だ、と彼は言った。
金持ちの金持ちであるがゆえに満たされすぎた男の歪んだ愛情。
…咎める気はない。
キス以上の性的行為は求めてこないし、公私混同はしないのは助かっている。
何よりも、彼の援助があって今の生活が出来るのだから。
猫がじゃれついてるとでも思えばいい。
適当に目を瞑って相手の好きにさせていればそのうち終わる。
そんなことをいちいち気にする心など持ち合わせては居ない。
(僕は九条昴…それ以上でもそれ以下でもない)
「……っふ…」
うっすらと目を開ける。
昴の口内を堪能したのかようやく顔を上げたサニーサイドと目が合った。
その顔は笑っていたが瞳は笑っておらず、まるで底のない、海のようだと昴は思った。


「ボクの所へ来ないかい?九条昴。紐育が君を待っているよ」
サニーサイドと会ったのはいつだったかよく覚えていない。
自分がここに居るという事は当然承諾したのだろうが交わした会話内容もあいまいだ。
だが、最後の方に交わした言葉だけはやけにはっきり覚えている。
「…ところで、昴。キミはラチェットと同い年くらいだったと思ったが…とてもそうは見えないね」
「…何が言いたい」
「時よ、止まれ。お前は美しい…そういう言葉がぴったりだね。東洋の神秘かな」
「言いたいことがあるのならばはっきり言えばいい。回りくどいのは、鬱陶しいだけだ」
「霊力維持の為とはいえ、自分自身が女性であることすら捨てるなんて健気だねぇ」
「!!」
鉄扇を喉元につきつけてもサニーサイドは顔色一つ変えなかった。
「…何をわけのわからないことを言っている」
「行動と言動が一致していないよ、昴。美人に睨まれるのは歓迎だが、物騒なものはしまってくれないか」
「貴様がへらず口を叩かないと約束するのならばすぐにでもしまうさ」
「うーん…だって本当の事だろう?手術やら投薬やら、色々されちゃったって聞いたけど」
ああでも、とサニーサイドは付け加える。
「自分の意思で望んだからされちゃったっていうのはおかしいか」
「…だったらどうしたって言うんだ」
「実家にも勘当されちゃったんでしょ?それがばれて」
今すぐ目の前の男を八つ裂きにしてやったらどんなにすっきりするだろう、と昴は思う。
…無論、するはずはないが。
「ボクが援助しようか?紐育で最高のホテルのロイヤルスイートの部屋を用意しよう。お金も好きなだけ使っていいよ」
ボクは金持ちだからキミ一人養うくらいなんてことないしね、とサニーサイドは言い放つ。
「…何が望みだ。慈善事業でロイヤルスイートを哀れな僕に与えて優越感に浸ることでもしたいのかい?」
たっぷりの嫌味を込めて言っても全く関せずににこやかに微笑む。
「察しがいいね。流石天才と呼ばれるだけはある。一つ、交換条件があるんだけど」
「…聞くだけ聞いてやる」
「ありがとう、嬉しいよ。ボクの人形にならないかい?昴」
悪い冗談か馬鹿にされているのかと思ったが、サニーサイドは真顔だ。
「ボクは金持ちの家に生まれて何不自由なく暮らしてたんだけど、不自由なさすぎたのかなぁ」
女にも不自由しなかったから飽きちゃったんだよ、とさらりと言う。
「あんまりに寄ってくるものだからうんざりしてね。あれが欲しい、これが欲しいとせがまれるのにも辟易さ」
「…貴様のそんな話に付き合う気はない」
「まぁまぁ、話は最後まで聞いてくれよ。で、普通の女性に興味なくなっちゃってね。あ、誤解しないでくれよ。
別に男が好きなわけじゃないから。淋しいときに、気が向いたときにただ抱き締めてキスして自分を落ち着かせる存在。
欲しいのはそれなんだよ。それが生身でしかも日本人なら最高だ。ボクは日本びいきだからね」
ぺらぺらと好き勝手な事を言う。
「……言いたいことはそれだけか。断る、貴様には付き合ってられない」
聞くだけ時間の無駄だったと思った。
「昴」
おどけた口調が急に真面目になる。
「…それでキミに行くところなんてあるのかい?」
「……例え何処でも貴様の所よりマシだ」
喉元につきつけたままの鉄扇にぐっと力を込める。
「で、行く先々で男性でも女性でもない自分に苛まれるわけか」
「…っ!!」
「ボクの所へ来れば悪いようにはしないよ。キミが男だろうが女だろうが関係ない。紐育はそういう街だし」
きっとキミも気に入ると思うんだけどな、とサニーサイドは言う。
「キミの秘密も厳守するよ。ああ、それと言ったとおりに人形が欲しいだけなんで別にセックスは必要ない」
「……貴様の言葉を信じろと?」
「破ったらその鉄扇でボクを好きにすればいいじゃないか。ボクは戦闘能力ないんだし」
それは嘘ではないのはわかる。サニーサイドからはたいした霊力は感じられない。
「公家の血を引く九条家の人間が一般人と同じ生活なんて出来るのかい?キミにはそれ相応の生活が相応しい」
…別にその言葉になびいたわけじゃない。
ただ、サニーサイドと話しているうちにだんだんどうでもよくなっていた。
人として、女としての成長を止めた自然の摂理に背いた自分の身体。
全てを捨てて全てを手に入れた九条昴という存在。
それにこんなにも執着を見せるこの男に興味が湧いたのかもしれない。
大きくため息をついて
「…わかった。貴様の条件を呑もう、サニーサイド」
すっと鉄扇を喉元から離す。
「そうか、嬉しいよ。これからよろしく頼むよ、昴」
握手を求められたがそれには応じなかった。
「…失礼する」

それがサニーサイドとの最低で最悪の出会い。
そして九条昴はサニーサイドの生ける人形となった。


「新入隊員?」
「うん、正確にはちょっと違うんだけど、まぁ似たようなものかな」
風呂上りの昴の髪を丁寧にブラッシングしながらサニーは呟く。
洗いたての髪を乾かしながらブラッシングするのは、昴の髪に触れるのが好きなサニーの中でも大のお気に入りらしい。
いつもバスルームから出てくるなり昴をひょいと抱えてベッドの上に座らせると
それはそれは時間をかけて丁寧にブラッシングをしている。
以前に一度、一緒に風呂に入ってもいいかと言われたが
「…入ったら鉄扇で切り裂いてやろうか?」
と本気で怒りをあらわにしたら「それはごめんだね」と引き下がった。
まぁ、あっさり引き下がったところを見ると、本気で言っていたわけではないみたいだが。

ここは昴の滞在するホテルの一室。
支配人室以外でサニーが昴と会うのは決まってこの部屋だった。
自分の家に呼ぶような馬鹿な真似はしない。
昴の部屋も然り。
あくまで二人の関係は「秘密」
その点、ホテルの別室ならば、例え誰かに見られても同時に居る所さえ見られなければ双方なんとでも説明がつく。
ウォルターをはじめ、一部の人間は知っているのだろう。
サニーが昴を呼び出すときはウォルターが直々にやってきて
「九条様。ルームサービスでございます」
と部屋の鍵を置いていく。
その部屋に行くとサニーが居るという寸法だ。
(手の込んだことだ)
昴の滞在するロイヤルスイートほどではないが、それなりの部屋を密会用にキープとは。

「キミの祖国でもある日本の帝国華撃団や巴里華撃団でも隊長を務めた大神一郎…彼に来てもらおうと思ってね」
「必要ない」
バスローブ姿の昴はにべもなく答える。
「取り付く島もないなぁ。興味ないの?」
「ない」
「昴は冷たいなぁ。同じ日本人じゃないか」
「…そんなものに価値などない」
確かに生まれた国だが既に捨てた国でもある日本にも日本人であることにも愛着などない。
「ラチェットも帝国華撃団にちょっと行ってきただけで随分変わったじゃないか。案外凄い人物かもしれないよ?」
「……」
確かに、日本の帝国華撃団・花組に臨時入隊して帰ってきたラチェットは別人のようにかわっていた。
特技だったナイフのように鋭かった彼女の変わった姿に昴も驚いた覚えがある。
ラチェットによると、同じ星組であったレニと織姫も随分と変わったらしい。
だが、昴には特に関心がなかった。
帝都と巴里を防衛した功績自体には評価しているし、一度くらいなら会ってみるのも良いかもしれない。
しかし、新入隊員となると話は別だ。
「僕とサジータとラチェットに不満があるのか?サニーサイド」
「いやいや、そういうわけじゃないよ」
ブラッシングを終えたらしいサニーは昴に睨みつけられて慌てて両手を振った。
「ただ、紐育華撃団は出来たてだしね。ほら、盆栽を形作るには針金が必要じゃない」
そのまま、手を前に回し、後ろから昴を抱き締める。昴の髪に顔を埋めて。
「んーサラサラで気持ちいいなぁ。いい香りもするし。本当はボクが洗ってあげたいけど」
「…断る。髪くらい自分で洗える」
髪越しに感じるサニーの鼻息がくすぐったくて昴は顔をしかめて身をよじる。
「まぁ、昴が嫌がってももう決めちゃったから。初夏には来る予定だからそのつもりで。これは司令命令」
サニーはその仕草すら楽しんでいる様子で、昴の白いうなじに口付けながら言う。
「……イエッサー」
そう言われてしまえば隊員である昴に拒否権はない。
否、最初から拒否権などありはしないのだ。

「じゃあ、そろそろ寝ようか」
「…ああ」
サニーはさきにベッドに横になると手を広げて昴を誘う。
「おいで、昴」
昴は、ぎこちなくサニーの腕の中に自分の身を任す。
何もしてこないのはわかっているとはいえ、何度やってもこの時だけは身が強張る。
本来なら、腕に身を任すどころか人と一緒の部屋で寝ることすら逃げ出したいほど嫌いなのだから。
「おやすみ、昴」
「…おやすみ、サニーサイド」
軽くキスをするとぎゅうっと昴を抱き、サニーは目を閉じる。
昴より頭一つ分以上背の高いサニーに抱き締められると、昴はその腕の中にすっぽり入ってしまう。
まさに抱き枕状態と言うべきか。
ちらりと顔を上げて、サニーを見る。
羨ましいくらいに寝つきのいいサニーは既に寝息を立てている。
殴りたくなるくらい幸せそうな表情だ。
(…これが恋人同士とか言うのならば、これも正常な図なんだろうな)
男女が仲良く抱き合って眠る。
自分達の事を全く知らない人間が今の自分達を見たらどう思うのだろう、と昴は想像して、すぐに止めた。
考えても仕方のないことだ。
自分達は恋人同士でもなければ色々な意味で正常な男女でもないのだから。
金持ちで変態な男と女であることを捨てた人形。
それでいい。
昴はそこで思考を切って目を閉じる。
自分のおかれている状況を全て割り切ってしまえば人肌のぬくもりが心地よく感じないこともない。
明けない夜はない以上、こうしている時間は無限ではないのだから。


「ん?どうしたんだい昴。ボクに見惚れて」
サニーの瞳を見つめながら、過去を思い出していた昴はその声で我に帰った。
すばやくあたりを見回し、ここが支配人室であることを確認する。
「…見惚れていたわけじゃない。考え事をしていた」
「明日来る大神の事でも考えていたのかい?酷いなぁ、ボクという男がありながら他の男の事を考えるなんて」
昴の背中と膝の裏に手を回して抱き寄せながらサニーは大げさに悲しんでみせる。
「戯言を…」
「大神一郎には人を惹きつける魅力があるそうだから。惚れてボクを捨てないでくれよ?」
「…そんなことはありえない」
自分が誰かを好きになる姿など想像出来なかった。
ましてこんな自分を好きになる人間などいようはずもない。
目の前の、この変態はともかく。
「さて、悪かったね。もう帰っていいよ」
そう言ってサニーは昴を解放する。
やっとか、と軽くため息をつき身だしなみを整え、昴はサニーに背を向けた。

「昴」
その背中にサニーの声が響く。
「何だ」
「彼が君に何かをもたらす事を祈ってるよ」
「…?失礼する」
意味がわからず、しかし問い返すのも面倒で昴はそのまま支配人室を後にする。

その言葉の意味を知るのは、ずっとあと。






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