「九条様」
「ウォルター。何だ」
「夜分遅く失礼します。ルームサービスをお持ちいたしました」
「……」
反射的に時計を見る。
既に0時をまわっている。
(こんな時間にご指名とは…やれやれ)
「わかった」
ウォルターから鍵を受け取り、部屋に向かう。
カチャ、と鍵を開けて部屋に入り
「失礼する」
と声をかけるが中からは何の返事もない。
「…いないのか?」
寝てしまったのだろうか、とベッドルームへ向かおうとした瞬間
「!!」
「昴〜ああもう聞いてくれよ!」
「……何の真似だ」
壁の影から現れたサニーが背後から抱きついてきた。
思わず反射的に鉄扇を突きつけてしまったのはご愛嬌か。
「いや〜キミを驚かせてみようかと思ったんだけど」
「…もう少しでその鼻を削ぎ落とす所だったんでやめてくれないか」
「おお、怖い怖い」
肩を竦めてサニーは昴を解放する。
「悪いね、夜遅くに呼び出して。色々あって落ち着いたのがこの時間でさ」
「…ご苦労なことだ。例の新入隊員のことか」
「ああ…そうだよ」
「…昴も聞きたい。その辺の事情とやらをな」
「うん、説明はするさ。とりあえず、ボクも眠いしキミも眠いだろうから着替えようか」
「…わかった」
そう言ってバスルームに向かおうとする昴の手を掴んでサニーは言った。
「実はボクの用意した衣装があるんで、それを着てくれないかい?」
たまにサニーはこんな事を言ってくる。
昴を人形のように着せ替えするのもサニーにとっては楽しみらしい。
「浴衣姿の昴に膝枕されるってのを一度やってみたかったんだよねぇ」
「これでいいのか?」
サニーの用意したいかにも日本旅館にありそうな浴衣に身を包み、昴が訊ねると
「ああ、ダメダメ!」
同じように浴衣を着たサニーのダメだしが出る。
「そんなにがっちり着込んだら色気がないでしょう!…帝国華撃団の神崎すみれ、知ってるかい?」
「?名前くらいは。それが何か…」
「彼女くらいはだけて着てくれないと」
言うなりサニーは昴の浴衣の肩の部分を掴んでがばっとはだけさせる。
「ちょ…っ…サニーサイド!」
白い肩があらわになるくらい襟をはだけさせられて昴は抗議するが、サニーは満足そうにうんうんと頷いた。
「じゃあ膝枕してくれるかい?昴」
「……」
昴はため息をつきながらベッドの上に少しだけ足を崩した姿勢で座ると
「ああ、ダメダメ!」
再びサニーのダメだしを食らう。
「もっと浴衣の裾をはだけさせてくれないと」
「…好きにしてくれ」
今日は随分と注文が多い。
付き合うのがに面倒になってきた昴がそう言い放つと、サニーは嬉しそうにうきうきと
足の角度から浴衣の裾から自分の好きなようにして、やがて望みどおりの姿勢にになったのか昴の膝に頭を預けた。
…浴衣の意味があるのだろうかと思えるほど裾を広げられてふくらはぎもふともももあらわにされたが。
「それで…あれは一体どういうことだ?」
「おおまかな事はラチェットから聞いてるだろう?その通りさ」
日本から海を越えてやってきた新入隊員。
しかしそれは大神一郎ではなかった。
彼の甥だという大河新次郎。
大神の推薦状つきとはいえ、戦闘経験すらない素人がやってきたのだ。
それにはサニーもラチェットも驚き、当然大神が来ると思っていた華撃団としても色々な変更を余技なくされた。
その対応に追われていたのだろう。
昴は屋上であった大河の事を思い出す。
華撃団に日本人が居るとは思ってはいなかったのか
「同じ日本人同士仲良くしてくださいね!」
と嬉しそうに話しかけてきたのをあっさりあしらった記憶が思い出される。
その後、童顔の大河を労働法違反だとサジータがサニーに捻じ込みに行ったり、確かに色々あった一日だった。
夜にあった出撃に出てきたらどうしようかと思ったが、流石にそれはなくて安心したけれど。
「も〜…全く勘弁して欲しいよ。あっちにこっちに事情を説明してまわるだけで疲れた」
昴のふとももに顔をすりつけながらサニーは言う。
かすかに伸びた髭がちくちくしたが、我慢した。
サニーが何事も大げさに言うのはいつものことだが今回は本当に参っているらしい。
これほど愚痴をこぼすなんて、珍しい。
「大河をどうする気だ?」
「日本に帰したいけど、わざわざ海を渡って来てくれたのをあっさり帰すのも悪いしねぇ」
まぁ、どうせすぐに向こうが帰りたいと言い出すでしょ、とサニーは呟く。
確かに、と昴も思う。
今の大河に出来るのはせいぜい雑用。
どうせすぐに音を上げるだろう。
そうしたらそれを理由に今度こそ大神を呼べばいいのだ。
「あー…明日は明日で仕事が山積みだ。想像もしたくない」
「……」
目を閉じたままため息をつくサニーの横顔は心なしか、少しやつれている。
だから、というわけではないが。
「そろそろ寝たほうがいい。明日も早いのだろう」
囁きながら昴はサニーの髪を優しく撫でる。
「昴…」
「…!」
撫でてからはっとする。
(僕は今、何をした…?)
サニーが自分の髪を撫でることはあっても、逆は今まで一度もなかった。
人形であることを要求されていた昴にはそんな行動は考え付きもしなかったのだから。
だが、身体が勝手に動いていた。
「……」
唇を噛む。
こんなのは、自分らしくない。
昴の行動にサニーも驚いたらしい。
驚きの表情を隠さずに昴を見上げると
「驚いたな、昴がボクを慰めてくれるなんて」
と意地悪くにやにや笑う。
「別に…そういうわけじゃない」
サニーを慰めようなんて考えは微塵もなかった。
ただ、無意識に身体が動いただけ。
…たまたま行動が慰めようとしただけだ、と自分に言い聞かせる。
「ああ、もう昴は可愛いなぁ!ちょっと襲いたくなっちゃうじゃないか」
「…はぁ!?」
言うが早いか、サニーは身を起こして昴の手首を掴むとベッドに押し倒す。
「膝枕もいいけど、こうやって今から襲います、みたいなのもいいねぇ。浴衣がはだけてるのが何とも言えないな」
「……」
既に襲ってるじゃないか、という言葉が喉元まで出かかったが口に出すことはしない。
そんな事を言ったら何をされるやら。
「昴…」
「ちょ…っ…サニーサイド…」
顔が近づいてきたかと思うと耳に熱い息が吹きかけられ、舌でくすぐられた。
輪郭をなぞったり、奥を先で突かれたり。
「やめ…っ…ん…」
抗議の声も虚しく吐息に変わる。
耳は本当に弱いのだ。
「…ぁ…んっ…!」
そのまま舌は首筋を通って鎖骨に降りてくる。
火照って痺れるような感覚が全身を駆け巡って、漏れる甘い声。
普段とは全然違うその声に自分自身で驚く。
しかし、心の何処かでそんな自分を見つめる冷静な自分も居る。
(このままサニーサイドが「その気」になられたらどうするべきか…)
とりあえず股間を蹴り上げてサイドボードの上の鉄扇を取ってくるか…などと考えていると
「はい、おしまい」
サニーはにっこりと笑って呟く。
「……満足したのか」
安堵しつつも、何だか微妙な気分になりながら昴は目の前のサニーを見上げる。
サニーは満足そうに頷いた。
「うん。昴の可愛い声も聞けたし、大満足だよ」
「…前から思っていたんだが、僕に人形になれ、と言う割には言動に関してはうるさくないな」
思わず前々からの疑問が口をついて出る。
行動についてはよく口を挟まれるが言動についてはまず何も言わない。
「ん?別に昴の口が悪いのは前からだしねぇ。話すのも楽しんでるからそれは構わないよ。喘ぎ声も可愛いし」
「…悪かったな…口が悪くて。…喘ぎ声は余計だ」
昴が苦しくないようにやや身体をずらして、サニーはベッドに身を横たえる。
そのまま昴の背中に腕を入れて、抱き寄せた。
「ちょっとドキドキしたかい?このまま襲われたらどうしようとか」
「その場合は契約違反だから遠慮なく殴るなり好きにしていいはずだったが」
「怖いなぁ。ちょっと優しいかと思ったら、これだ」
「眠い。もう寝る」
その話題を蒸し返されたくなくて、会話を打ち切るように一方的に宣言して昴は目を閉じる。
「はいはい、ボクも寝ますかね。おやすみ、昴」
「おやすみ…サニーサイド」
網膜の裏にうっすらと大河の顔が浮かぶ。
大河新次郎。
彼は紐育初めての夜をどんな気分で過ごしているのだろう。
ぼんやりとそんな事を考えながら、昴は眠りに落ちた。
「みなさんのお役に立ちたいんです!雑用だって、欠かせない仕事ですから」
翌日、そう言った大河の顔は虚勢ではなく本当に吹っ切れた様子だった。
(へぇ…思ったより根性はあるのか)
素直に感心する。
しかしそれ以上に感心したのは彼の行動力か。
テラスに居れば話しかけられ、図書館に本を返しにくれば何故か会う。
ホテルに帰って部屋で一休みをしようとしたら呼び止められて部屋にまでついてきそうになる。
子犬にでも懐かれた気分だ。
……いまいち思考回路がわからない。
(僕の事を知って何になると言うんだ)
サニーサイド、ラチェット、サジータ。
それぞれに大人で過干渉はしない紐育華撃団の今までの常識を破るようにして突如現れた新星。
未熟ではあるが、何事にも一生懸命なのは悪いことではないのだろう。
ジェミニが落としてしまった電源を必死に駆けずり回って修理した手際も、思ったより良かった。
しかしまさかラチェットが出撃を許可するとは思わなかったが。
(面白い)
「昴は応じる…大勢に影響はない」
サジータは不服だったようだが、さらりと承諾する。
どうせ実戦になれば緊張で手も足も出ないだろう。
まぁ、もしも少しでも役に立つのならばそれで良し、足手まといになるならば撤退させれば良いだけの事。
最初から期待などしていないのだ、どうでもいい。
搭乗した自分の霊子甲冑、ランダムスターの中で、しばしうっとりと目を閉じ、ゆっくりと開ける。
「九条昴…参る!」
スターに乗り、霊力を馴染ませる瞬間…この世で一番、九条昴という存在が「生きている」ことを感じる。
…戦いの前に全身を突き抜ける、痺れるような高揚感。この感覚は何度味わっても心地良いものだ。
例え戦闘が雑魚相手の退屈な戦いでも、この瞬間だけは何物にも変えがたい。
(ふふ…ある意味セックスで達するというのもこんな感覚なのかもしれないな)
自分には経験がないが、セックスで昇りつめるという感じは案外こんなものなのかもしれない、と場違いな事を思う。
戦うために、女性という「性」を捨て去った自分には、永久に縁のないことだが。
「昴、今日の出撃もご苦労だったね。色々あって疲れただろう」
今日も夜に例の部屋に呼び出され、昴はまたかと思いつつ訪れる。
シャワーも浴びて、何故かまた浴衣姿でベッドに横になりつつ話題になるのは当然今日の戦闘の事だった。
「昴は言った…僕には問題ない。むしろラチェットは大丈夫なのか…と」
「ああ、大丈夫だよ。今日は一応大事をとって病院に入院させたけどね」
「そうか…それなら良かった」
…戦闘自体はたいしたことがなかったのに色々な事がありすぎて、やたら長く感じた戦闘だった。
戦闘中に霊力の尽きたラチェット、それを庇った大河、そしてラチェットから大河への指揮権の委譲…。
「で、キミから見て大河君はどうだい?」
昴の髪を弄びながらサニーは言う。
「何が?指揮かい?」
「それも含めて全体的に」
昴は少し考えて、素直に思ったままを口にした。
「…はじめての割にはいいんじゃないか。動きに無駄が多すぎるけど」
「まぁ、実戦すらはじめてだったしねぇ」
「それを差し引くならよくやった方だろう。…ラチェットを救ったのも含め」
無茶と勇気が紙一重な部分はあるけどね、と付け足す。
「そうか…ふむふむ、なるほどね…」
何やら考えた様子のままサニーは答える。
「こんな感じでいいかい?」
「ありがとう、参考になったよ」
「じゃ、仕事の話は終わり!」
サニーはそう言ってぱん、と手の平を叩く。
「じゃあそろそろ寝…」
昴の言葉は最後まで言う前にサニーに遮られる。
「そうだ、昴。背中の五輪の痣を見せてくれないか」
「…何を急に」
怪訝な顔で見ても、サニーは笑うだけ。
「いやぁ、ちょっと見たくなっただけだよ。いいじゃないか、減るものじゃないし」
「…変な事をするなよ」
昨日の例があるのでやや身構えつつも、上体を起こし浴衣の紐を軽くゆるめて左肩を露出させる。
自身では直接見ることが出来ないが、痣があるのは肩甲骨の下辺りのはず。
「…見えたか?」
「うーん…もうちょいかな」
背中にサニーの視線を感じつつ、もう少しだけ浴衣をずらす。
「これでいいか?」
「あ、あったあった」
言うなりサニーは昴の背中に口付ける。というよりかは、痣に。
「…サ…サニーサイド!」
思わずびくんと身体が跳ねた。
そこに触れられるのは、耳以上に弱い。まるで体中の神経が全て集まっているかのように、感じてしまう。
「生まれながらに魔と戦うことを宿命づけられし戦士の証。いつ見ても感慨深いねぇ」
慌てて襟を正そうとするが、サニーに襟ごと肩を掴まれて、阻まれてしまう。
「昴のこの細い肩に紐育の未来がかかってるんだからなぁ…スターを駆って戦うってどんな気持ちがするんだい?怖い?」
サニーの手が昴の肩を撫でるように動き、吐息を背中に感じてこそばゆい。
軽く身を縮めながら昴は答える。
「…まさか。戦いは僕の全てだ。怖いどころか、この世で一番、生きている気がする」
「はっはっは…昴らしい答えだね」
「…んっ…」
もう一度、痣の辺りにサニーの唇が触れる感触がして、ぴくりと身体が震える。
今度は、長く、吸い付くようなキス。
「…ん〜…よし出来た。ここならキスマークをつけても服の下に隠れるから誰かに見られることもないな」
「なっ…!」
やたら時間をかけていたと思ったらそんなことをしていたのか、と昴は振り向いてサニーを睨みつける。
「いやぁ、何か昴が大河君の事を誉めるからさ、ちょっと嫉妬しちゃってついつけてみたくなってね」
誤魔化すように抱きしめてくるサニーをなおも鋭く睨む。
「…別に誉めてなどいない。思ったままを言っただけだし、聞いたのはそっちだろう」
「キスマークってちょっと所有者の気分を味わえるよね。戦士の痣の上につけるって、何だか背徳的な感じがするけど」
だがそれがいいんだよね、とサニーは上機嫌だ。
なるほど、そういうことか…と昴は理解する。
理解はしても納得は出来ないが。
「昴は肌が白いからつけ甲斐ありそうだなぁ。このへんとかも」
浴衣の裾から手を入れられて太ももを撫でられる。
「でもこの辺だと人に見られちゃうね」
「…蹴られたいのか?」
「うーん、ちょっとそれもいいかなとか思っちゃったけど後の楽しみにしておくよ。あ、あとさ」
お代官様〜あ〜れ〜って言いながら帯をくるくるするっていうのをやってみたいんだけど、と言うサニーに
昴は今度こそ遠慮なく蹴りを叩き込んだ。
大河新次郎、彼が紐育に来て早5ヶ月。
正式に星組の隊員となった彼は持ち前の前向きさで、人々を変えてゆく。
法律こそ正義、と信じていたサジータに
大切な人を失ったが故に、失敗を恐れていたリカリッタに
余命を宣告され、生きることに絶望していたダイアナに
心の革命を起こしてしまう。
…いや、結局はそれぞれの心の問題。
彼女達が変わったのは彼女達が目を背けていた自分自身と向き合ったから。
大河はその背中を優しく押しただけ。
しかしそれがどんなに困難な事かも理解できる。
だから、怖い。
最初こそ、出来の悪い後輩でも持って見守っている気分でいたのに最近は話しかけられるのも鬱陶しい。
「昴さん、ぼくの指揮はどうですか?」
そのまっすぐな瞳で心の中まで見透かされそうで、落ち着かない。
変わりたくない。
変わりたくなどない。
時を止めた自分…完成された存在であることが自分の存在意義。
それこそが生きる意味なのだから。
「最近は随分ご機嫌斜めだねぇ…昴。昨日もサジータたちとぶつかったと思ったら今日は大河君と決闘したんだって?」
「…だったらどうしたっていうんだ。サニーサイドには関係ないだろう」
殊更に嫌味ったらしくため息をつき、昴は自分を横抱きにするサニーにそっけなく言う。
話の流れから大河と決闘をする羽目になり、それはもちろん勝って大河に負けを認めさせたのだが
シアターの露天風呂で汗を流そうと戻ったところをサニーに支配人室に呼ばれたのだ。
当然、機嫌も最悪で言葉もきつくなる。
「まぁ、結果は聞くまでもないけど…ああ、だから少し汗の匂いがするのか」
服に顔を押し付けられて自分の匂いを嗅がれ、昴は眉を顰める。
「汗臭いのが嫌ならとっとと解放してくれないか」
「いや、別にこれはこれでいいけど」
「……」
あっさりと言われて辟易する。
変態の趣味は自分にはわからない。
「風呂上りの香りもいいけど、たまにはこういうのもいいねぇ。体臭って異性を興奮させる効果があるらしいし」
言葉の通り、興奮したように強引に唇が重なって舌を差し込まれる。
だが、今日はサニー以上に昴の方が興奮していた。
最近いつも感じている苛立ち。
大河との決闘での高揚。
そしてサニーとの口付けが、昴の心にいつもとは違う火をつけた。
「……」
自分の口内で蠢くサニーの舌に自分の舌を絡め、薄く目を開けて、サニーのネクタイを掴むと、する…と引き抜く。
そのまま、シャツのボタンに手をかける。
「…昴?」
その行為に驚いたのか、サニーは唇を離す。
「どうしたんだい、一体」
「……別に。僕が興奮しちゃいけないのかい?」
手を止めず、シャツのボタンを外しながら片手でサニーの下半身を弄る。
…知識でしかない行為だったのでそれはひどくぎこちなかったが、仕方ない。
ここがシアターの支配人室だということは既に頭の中にはなかった。
自分でも抑えようのないギラギラした感情だけが頭を支配する。
別にサニーサイドに欲情しているわけではなかった。
誰でもいい、このイライラが吹っ切れるのならば何でもいい。
手っ取り早い行為として選んだだけ。
だが。
「昴」
険しい顔つきのサニーに両腕を掴まれた。
「…欲情するのは勝手だけど、相手が欲しいなら他を当たってくれないか」
冷たい声が、昴を貫く。
「メスネコみたいに目をギラギラさせてボクに迫られても、困るんだよね」
「……!」
さぁっと顔から血の気が引く。
だがサニーは更に容赦のない台詞を続ける。
「誰でもいいからやりたいのならば紹介くらいはするよ?キミが見ず知らずの男とやって病気でもうつされたら困るし」
身体が小刻みに震えるが、それが怒りなのかそれとも他の何かなのかわからない。
目の前が、見えているのに真っ暗で。
「でもボクは応えられない。昴、言っただろう?ボクが欲しいのは人形で、セックスなんて必要ないと」
「…っ!!」
そこまで聞くのが限界だった。
サニーの腕を強引に払いのけ、地に降り立つとそのまま逃げるようにして支配人室から飛び出した。
「…はぁ…はっ…」
テラスまで来て、支柱に片手をつき、息を整える。
震えはまだ止まらない。
頭の中を、サニーの言葉が反芻する。
『誰でもいいからやりたいのならば紹介くらいはするよ?キミが見ず知らずの男とやって病気でもうつされたら困るし』
冷たい目。
「…っ…!!」
力任せに支柱を殴る。
いっそ、本当に行きずりの男に身を任せてしまおうか…
そんな考えが浮かんだが、すぐにそんな事を考える自分に可笑しくなって声をあげて笑う。
「くっ…くっくっくっ…あはははは!」
出来るわけがない。
自分のプライドの高さは自分が一番よくわかっている。
そんなことをするくらいなら、死んだ方がましだ。
(サニーサイドは僕の性格をよくわかってるじゃないか…)
おそらく本心も入っているだろうが、わざとああ言う事で頭を冷やさせようとしたのだろう。
そして、ひとしきり笑った所為か、サニーの狙い通りにさっきまでが嘘のように頭がすっきりしていた。
(だが、この屈辱は忘れない…)
黒い瞳に静かな怒りの炎をたたえて、きつく唇を噛む。
サニーに「もう人形になるのはご免だ」と言えば良いのだろう。
昔とは違い、今はシアターでダンサーとして働いているのだから一人で暮らすくらいなんとでもなる。
しかし、こんな形でそんな事を言ったらサニーはきっと意地の悪い笑みを浮かべてこう言うだろう。
『そんなにボクに抱いて欲しかった?断られてショックだったのかい?』
このままでは終わりたくない。
人形がお望みならその通りに振舞おう。
元々、それに異存はなかったのだ。
ただ、ほんの少しだけ偽りのぬくもりに慣れてしまったのと、大河の出現で少し苛立って本来の自分を見失っていただけ。
それだけのことなのだから。
(大河新次郎…そう、例えば僕と彼が恋人同士になったらどんな顔をするだろうか)
お気に入りの人形を他の男に取られたら。
あっさりと興味を無くすかもしれない。
それとも…あの男でも嫉妬するのだろうか。
「…馬鹿馬鹿しい」
そう呟きながらも一度心に芽生えた思いは消えない。
むしろ、考え出すとそれはひどく楽しそうに思えてきた。
いかにも恋愛事には疎そうな大河。
彼と表でおままごとのような恋愛を何食わぬ顔をして育みながら裏で金持ちで変態の人形を演じる。
脚本としては三流だが、一時の激情で見知らぬ男に身を任せるより、よほど面白いかもしれない。
上手くいけば、変態の吠え面を見れるかもしれないのだし。
「まぁ、大河が僕に惚れてくれなきゃ無理だけどね」
自分の都合の良い想像に苦笑しながら露天風呂へ向かう。
忘れていたが、そもそもその為に来たのだから。
「ふぅ…すっきりする…」
広い湯船に肩まで浸かり、思い切り手足を伸ばす。
サニーが日本かぶれで作った露天風呂だが、泳げるほどの広さがあるのは昴も気に入っていた。
自分の住むロイヤルスイートにも昴のため、とバスタブがないわけではなかったがやはり広いほうが落ち着く。
この辺の感覚はやはり日本人と言うべきなのか。
「やぁ、昴。キミも入っていたのかい?」
そこへ、聞きたくも無い声が聞こえてきて、思わず振り返る。
「サニーサイド…!」
キミも、などとよく言えたものだ。脱衣所に昴の衣服があるのを知った上で入ってきたに違いないのに。
「さっきは悪かったね。キミを傷つけるつもりはなかったんだけど、ああいうのはしっかり言っておかないとね」
ちっとも悪いなどとは思っていない明るい口調に、再び怒りが湧きかけたがあえて冷静なフリをする。
「……失礼する」
「おや、もう上がるのかい?」
無言のまま湯船からあがろうとする昴の腕を掴んでサニーはにやりと笑う。
「…今は行かない方がキミのためだよ」
「……何を言って」
その腕を振りほどこうとした瞬間、柵の向こうから別の声が聞こえてきた。
「サニー!露天風呂にいるの?」
(ラチェット…!!)
咄嗟にサニーの顔を見る。
その顔は「ね?言ったでしょ」と言わんばかりだ。
「ああそうだよ、ラチェット」
言いながらも、サニーは言葉を発するどころか身動きすら出来ない昴を背後から抱きしめるようにして湯船につかる。
「……!」
逃げたいが、下手に声を出したり動いたらラチェットに気づかれてしまう。
昴に出来るのは、愉快そうなサニーを睨みつけるだけ。
しかし、サニーはこの事態を楽しんでいるのか、指先で昴の肌を愛撫するかのように触れる。
頬に、首に、鎖骨に。
「もう…用事があるって呼び出したくせに、支配人室に居ないと思ったら露天風呂だなんて優雅ね」
拗ねたようなラチェットの声。
予想通りとはいえ、やはり仕組まれたらしい。
「ごめんごめんラチェット。…何なら一緒に入るかい?」
「……っ…」
その台詞にぎょっとして息を呑む。
「ばか…何、言ってるのよ」
ラチェットも驚いたのか声が上ずっている。
「はっはっは…いいじゃないか。誰も見てやしないんだし」
まるで昴に言い聞かせるようにサニーは呟く。
実際、そうなのだろう。
嬉しそうに笑うサニーの指先は膨らんでもいない昴の胸の突起を弄んでいる。
「……!」
怒りと羞恥がないまぜになって、耐え切れず目を瞑る。
「そ、そういう問題じゃないでしょ!もしも誰かに見られたらなんて説明するのよ」
(早く…早く去ってくれ…ラチェット!)
心の中で必死に叫ぶ。
こんな自分をラチェットに、いや誰にも見られたくない。
「その時はその時だろう。人生はエンターテイメント、楽しまなきゃ損だしね」
だが、自分のそんな意思をお構いなしに、サニーの指先は更に下へ伸びていく。
「!!」
無意識に逃げようと身体が動き、ぱしゃんと水音が立った。
なんとか声を出すのは抑えたが。
「…貴方は楽しそうでいいわね。で、用事って何なの?」
ラチェットの呆れたような声にため息が重なる。
「んー、ほら今日は大河君と昴の決闘があったじゃない?結果はどうだったんだい?」
しかし逃げようとした身体はやすやすと引き戻され、耳元でこう囁かれる。
「…ラチェットにばれてもいいのかい?ボクは構わないけど」