「…っ…」
言葉の最後に、軽く耳朶を噛まれたのは逃げようとした事に対する罰の意味でも込めたのか。
「それは…私は見に行かなかったら…結果はわからないわ。多分、昴の勝ちでしょうけどね…」
「まぁ、昴が負けるとは考えられないからねぇ」
「そうね…」
(ラ…チェット…早く…早く…)
サニーの指先が昴の太ももを撫でるように動き、やがてだんだんと中心へ向かっていく。
その先にあるのは、誰も触れたことの無い幼いながらも昴が女性である証。
「どの道、明日になればわかるしね。すまなかったねラチェット。呼び出して」
「いえ…じゃあ私は先に帰るわね。おやすみなさい、サニー」
「おやすみ、ラチェット」
ハイヒールの足音が遠ざかり、やがて遥か遠くでエレベーターの閉まる音が聞こえてきたのを確認して息を吐いた。
サニーはそこに触れるか触れないかの所で手を止めたので、直接触れられることはなかったが。
「……!!」
即座に振り向き、サニーに平手打ちを食らわせる。
ぱあん、と小気味良い音が露天風呂に響く。
「まぁ、予想はしていたけど痛いな、昴。せっかくの男前が台無しじゃないか」
勿論手加減はした。
本当は鉄扇で殴りたいくらいだが。
「どういうつもりだ…!」
「決まってるだろう?キミへのお仕置きだよ。二度とさっきみたいな事がないようにね」
「……ふざけた真似を…ラチェットにばれたらどうするつもりだったんだ」
「ばれなかったんだからいいじゃないか」
流石にちょっとボクもドキドキしたけどね、と嬉しそうに笑う。
「ボクに愛想が尽きたかい?辞めたいなら辞めてもいいけど、そうしたら昴の秘密をばらしちゃうかもしれないなぁ」
「…!」
昴の秘密は、この紐育華撃団ではサニーしか知らない。
ラチェットは、昴の外見が昔と変わらない事でうすうすは感づいているかもしれないが真実を話そうと思ったことも無い。
それが皆の知るところになるのだなどと、想像もしたくなかった。
「…キミが大人しく居てくれればそんな真似はしないよ。キミはボクの大切な人形だからね、昴」
「わかった…。別に愛想が尽きるも何も僕は貴様など最初から好きでも何でもない」
精一杯の虚勢を張って、呟く。
「だが、辞める気などない。心配しなくていい…今日はどうかしてただけだ。もう、あんなことはしない」
だからもうこんな真似をするのは金輪際やめてくれ、と鋭く睨みつける。
「はいはい、わかってるよ。怖いなぁ、でも出会った頃のキミみたいで、そんな姿も好きだけどね」
「…失礼する」
それだけ言うと、背後を振り向かずに脱衣所に向かう。
「あ、キミの服はボクの服の下に隠してあるから」
…念入りな事だ、とため息をつき昴はサニーの服の下から自分の服を取り出して着替える。
露天風呂の外に出ると、ひんやりとした夜風が気持ちよい。
思いもかけず長風呂になったせいで、少し身体がのぼせ気味だった。
エレベーターを降りて、出口のドアに手をかけた時
「あら…昴?居たの?」
背後から声をかけられて、手が止まる。
(何故…帰ったんじゃなかったのか)
「ラチェット…君こそ、まだ居たのかい?」
心の動揺とは裏腹に、平然と振り向く。
楽屋から出てきたラチェットがこちらに近づいてくる。
「ええ、ちょっと用事があって。昴はどうしたの?大河君との決闘じゃなかったの?」
「決闘はとっくに終わったよ。もちろん僕の勝ちでね」
「そう…やっぱり」
「ああ、そうだ。舞台には僕の代わりに大河が出ることになったから。じゃあ、おやすみ」
「ちょっと…昴。待っ」
ラチェットはまだ何か言いたそうだったが、それだけ言い残してシアターを出る。
夜空を見上げると、北極星が嘲笑うかのように輝いていた。
大河新次郎。
彼は夜空に輝く星のようにただそこに在るだけなのに、心が乱されていく。
(…僕は変わろうとしているのか…)
(変わりたくない、僕は九条昴。それ以上でもそれ以下でもない)
相反する二つの思いが自分の中でせめぎ合う。
苦しい。
「昴」
あんな事があった後だというのに、何故かサニーサイドに会うと落ち着く自分が居る。
「もう来てくれないかと思ったよ」
「…別に。言っただろう、辞める気はないと」
抱き寄せられて、目を閉じる。
今まで感じたことのない奇妙な安堵感。
それが心を満たす。
「ありがとう、昴。キミはやっぱり最高の人形だ」
優しく髪を撫でられて、唇が重なるのを感じながらぼんやりと思う。
人形。
人間の形をした心無きもの。
その身にもその心にも、変化などありはしない。
(ああ…そうか)
なんとなく、理解する。
変わろうとする自分が大河に吸い寄せられるように
変わりたくない自分はサニーサイドに吸い寄せられているのかもしれない。
彼は変化を望まない。
ただ、人形であれと言う。
人形に心など必要ないから。
だから…あのような仕打ちをしたのか。
(本当に、人形のように心が無ければ…どんなにいいか)
せめて、大河とサニーサイドの前に居るときだけでも。
無意識に僕の心を乱し、変えようとする大河。
僕に不変の人形であることを望むサニーサイド。
「昴さん」
「昴」
いっそ身を引き裂かれた方が楽だろう。
こんな思いは知らない。
こんな事で苦しむ自分は知らない。
だが、どんなに抗おうとしても、僕にも革命は起こる。
止まっていた時間が、動き出す。
大河…彼の…序破急を受けて。
「昴さん!!」
「心配いらない…これも計算のうちだ」
肩で息をしながら何故か心は満たされていた。
自分の髪の焦げる匂いも気にならないほど。
「昴は確かめたかった…自分の中に生まれた…僕にもわからない心の流れを…」
だから、囮になった。
自分では勝てない敵。
でも、人のために人一倍の力を出せる大河ならば…そう信じる心が自分の中に生まれていた。
「今なら…素直に認められる…この…心の流れが…僕の心が…君の心の序破急を受けて、乱されていったんだ…」
例えこの場で死んでも大河とならば構わない、と思うほどに。
「いつなのかは、わからない。だが…僕は変わっていった。君という存在を認めた時から…」
そっと頬に触れる。
「大河新次郎…君は僕にとって…何者にも勝る存在になった…」
の、かもしれない、と付け足す。
「昴さん…」
まるで愛の告白だ。
鈍い大河は気付かないだろうが。
そしてまた少し、僕は変わる。
「だったら…通信ぐらいしろ!!もう…ダメだと思ったじゃないか!」
僕の流した涙は何だったんだ!と心の中で思いながら叫ぶ。
「なんだよ、あたしたちのこと、心配してたのか?お前が?」
お前が?の部分をことさら強調しながらサジータが言う。
「そうだよ!!石のままだったら…どうしようかと思ったさ!」
サジータにも、リカにも、ダイアナにも会えないと思って涙まで流した自分が馬鹿みたいだ。
「へぇ…昴、お前がねぇ…」
通信画面越しのサジータはまるで珍獣でも見るかのように僕を見ている。
「悪いか…」
それが気に食わなくて、ぷいと顔を背けた。
涙の後なんか見つけられた日には、一生からかわれるに違いない。
「いいんじゃないの?あたしは…今のあんたの方が好きだよ」
「リカもーっ!!」
「ふふふ…これでみんな仲よしさんですね」
サジータの言葉に、リカとダイアナが追従する。
「まったく…ダイアナは、すぐそういうことを言う…恥ずかしくないのか?」
でも、多分僕もそう思っているのだろう。
以前、ラチェットが霊力が尽きたとき、僕は身を挺してまで庇おうとは思わなかった。
でも、今は違う。
今ならば。
きっとあの時のラチェットを、僕は救おうとするだろう。
プラムを、杏里を、サジータを、リカを、ダイアナを救おうとしたように。
「ははははは…昴さん…」
今まで、にこにこと微笑むだけだった大河が口を開く。
「ぼくも今の昴さん、好きですよ。なんだか…身近に感じます」
その言葉に他意がないのは分かっていても、好きと言われると照れる。
「だから…そういうことは、思ってても、口に出すんじゃない」
「へへへへ…いいじゃないですか、昴さん。みんなうれしいんですから」
大河新次郎。
不思議な人間。
だが、彼をもっと知りたいと思った。
彼が何を考えているのか。
彼がどう思って行動しているのか。
gravity…
太陽の引力によって地球が引き寄せられたように。
僕も、自分では抗えない何かによって彼に引き寄せられてしまった。
…けれど、地球が引き寄せられるのは太陽だけではない。
夜空を見上げる。
輝く星々の中で、ひときわ輝く月にも引き寄せられているのだ。
太陽とは違う引力によって。
「昴は変わったねぇ…」
何故か嬉しそうに、サニーは呟く。
「…気付いただけだよ。変わらないのは完璧ではなく停滞だと…」
サニーの手を取りゆったりとしたワルツを踊りながら、答える。
ビバ!ハーレムの打ち上げのあと、サニーに呼び出されたと思ったら何故かドレス姿で来いという。
その通りにしたら待っていたのはタキシード姿のサニーで
「お嬢さん、一曲踊っていただけますか」
と、恭しく礼をされて申し込まれたのだ。
そんな事を言われたのは今までになかったのでやや驚きはしたものの、断る理由もないので応じる。
「はっはっはっ…停滞か。そうだね、そうかもしれない」
ワルツが終わった。
「さて、ワルツが終わったね。じゃあ部屋に帰っていいよ」
「え…」
今度こそ驚く。
サニーがこの部屋に呼び出すのは自分を抱き枕代わりに寝るためのはずだ。
少なくとも、今まではそうだった。
「ん?どうしたんだい?まさかワルツだけを踊って帰されるとは思ってなかった?」
「……ああ」
「まぁ、ボクにだってたまにはそんな日もあるさ。じゃあ、おやすみ昴」
「…おやすみ、サニーサイド」
違和感を拭えないまま、部屋を後にする。
部屋を出た瞬間に後ろでカチャリと鍵がかかるのがまるで拒絶の証のようで
そしてそれに少しだけ動揺している自分を認めたくなくて、足早にその場を後にした。
「ああ…誇りを持って生きられないのならば…誇りを持って死のうと思います」
滔滔とマダム・バタフライの台詞を読み上げる。
ついこの間までは馬鹿な女の馬鹿な話だと思っていた。
騙されていることも知らず、男の帰りを待ち続ける一途で哀れな女…。
だが、今なら少しだけバタフライの気持ちが分かる。
…ような気がする。
「昴」
楽屋を出たところをラチェットに呼び止められる。
「ラチェット」
「お疲れ様、バタフライは大好評ね」
「ああ、ありがとう」
「ところで…大河くんとはどうなの?」
声を少しだけ潜めながらそんな事を言われ、思わず振り返るとラチェットはにこにこと微笑んでいた。
「どう…って…」
「サジータから聞いたわよ。この間の戦いでなんかいい感じだったみたいじゃない?」
(サジータ…)
心の中で舌打ちをする。
よりにもよってラチェットに言うとは。
「別に…特になにもないよ」
心の動揺を隠し、さらりと言う。
「ふーん…だったら、私が貰っちゃおうかな」
「……!」
思いもかけない言葉に振り向くと、ラチェットは悪戯っぽく笑う。
「最近の大河くん、凄いしっかりしてきて頼りがいもありそうだし」
「…ラチェットらしくもないな。大河は君には釣り合わないと思うけど」
眉を顰める。
だがそれは言葉とは裏腹にラチェットが本気で言っていたら…と思っているなどとは言えない。
ハニーブロンドの艶やかな髪。豊満で女性らしい肢体。大人の女の色香漂う美貌…そして知性。
ラチェットに誘惑されたら大河なんか一発でコロリといってしまいそうだ。
「…サニーもね」
「…!!」
そんな事を考えていた矢先に出てきた名前にドキリとする。
以前、ラチェットにサニーとの関係をばれそうになったせいか、本当は知っているんじゃないかと疑ってしまう。
「今はあんなだけれど、昔は大河くんみたいだったのよ。ふふふ、そのせいかしら…昔のサニーを見ているようで」
「…サニーサイドが?」
ついつい怪訝な表情と声が出る。
大河みたいなサニーサイド…何だか予想もつかないが、付き合いの長いラチェットがそう言うならそうだったのだろうか…。
「そう。…意外だった?」
「そりゃあ…似ても似つかない気がするからね」
「まぁ、大河くんがサニーみたいにならないように頑張ってね、昴。そうしないと、本当にとっちゃうわよ?」
じゃあ私は仕事があるから、とラチェットはさっさとエレベーターに乗って屋上へ行ってしまう。
…何だか言いたいことだけ言われて去られた気がする。
「まったく…」
ラチェットと大河が並んだら自分より絵になるだろうと想像してみて、すぐに止めた。
「ダイアナから聞いたけど…大河君とデートしてたんだって?」
サニーに呼び出されるのは久しぶりだった。
ワルツを踊ってすぐに帰らされた日以来だ。
てっきり自分に飽きたのかと思っていたが、今日はまた一段と念入りに洗いたての髪をブラッシングしている。
…大河の思考回路もよくわからないがこの男の思考回路もよくわからない。
「…まぁね」
「でもなんでプチミント姿だったんだい?男の大河君じゃなくて」
「それじゃあつまらないじゃないか」
しれっと答える。それは嘘じゃない。
「まー…それもそうだね。彼はからかい甲斐があるしねぇ」
「君が言うと洒落に聞こえないな…」
「そうかい?ボクは時に優しく時に厳しい理想の上司じゃないか!!」
バスローブ姿にブラシを握りしめたまま力説するサニーを冷ややかに見つめる。
「……気が済んだかい?」
「…昴は冷たいなぁ。そこは頷くところだろう!?」
「昴は思う…君を理想の上司と呼ぶくらいなら大河を理想の隊長を呼ぶほうがましだ…と」
「そこまで言わなくてもいいじゃないか…」
昴の肩に両腕を持たれかけながらサニーはがっくりと肩を落とす。
「僕は事実を言っただけだよ」
その腕をするりと払いながら呟く。
「まぁ、上司なんてのは部下に理解されないのが常だからね。あえて憎まれ役でいて部下同士の連携を高めるために…」
「君の理想の上司像はわかったよ。サニーサイド司令」
「…最後まで聞いてくれてもいいじゃないか…」
最後まで聞かずに遮った昴を恨めしそうに見るサニーを眺めていると、失笑がこぼれる。
(なるほど…言われてみると、どことなく似ているかもしれないな)
大河とサニーサイド。
人種も顔形も背の高さも性格も何もかもが違うが。
デートの最後にこんな自分は嫌いかい?と大河に聞いたときの
「ぼくだって怒るんですからね!」
と頬を膨らませていた大河と通じるものはあるかもしれない。
「はぁ…昴みたいな部下を持てて僕は幸せだよ…と、まぁ仕事の話はそれくらいにして」
仕事の話だったのか?と問いただしたくなったが流石にこれ以上いじめるのも悪い気がして黙っておく。
「今日はちょっと変わったことをしてみようかと思うんだけど」
サニーの顔が一転、何かをたくらんでいるときの顔になる。
「…一体何をするつもりだ」
どうせロクな事じゃないんだろうな、と思いながら問うとサニーはよくぞ聞いてくれましたとばかりにうきうきで言う。
「いや、ほら、いつもと逆?今日はボクが昴の人形になろうかと思ってさ。たまにはそういうのも楽しそうじゃない?」
「……は?」
一瞬、意味が分からず頭の中で言葉を思い返してみる。
(ボクが昴の人形…?)
「だから、今日は昴がボクを好きにしていいってことさ。キスするなり抱きしめるなりじゃんじゃんしてくれていいよ!」
「…帰ってもいいかい?」
本音が口をついて出た。
「うーん…放置プレイは切ないなぁ」
「好きにしてくれと言われても…」
ベッドの上に胡坐をかいて座って両手を広げた状態のサニーを眺めつつ一応考えてみる。
…そう言われても困ってしまう。
サニーも本気で困っているのを察したのか、こんな事を言い出した。
「何なら、ボクを大河君と思ってくれてもいいし。デートの続きだとでも思って。あ、セックスだけは勘弁ね」
「なっ…!」
あっさりとそんな事を言うサニーに呆然とする。
「昴と大河君じゃあどう見ても昴の方がリードしそうだしねぇ」
「…だから、何でそういう話になるんだ…っ…」
手元にあった枕をサニーにぶつける。だが、サニーは避けもせず笑うだけ。
「おいおい、昴。もうちょっと優しくしてくれよ。ボクだっていつも優しくしてるじゃないか」
「…わかったよ。僕の好きにしていいんだね。じゃあそうさせてもらう…」
ふぅと息を吐き、目を閉じる。
『サニーもね、昔は大河くんみたいだったのよ』
ラチェットの言葉が浮かぶ。
(目の前にいるのが大河だったら…)
目を開けて、サニーを見つめる。
「……」
とりあえず、サングラスをとってみると青みがかった瞳があらわになった。
大河はかけていないが、なんとなくとってみたくなったのだ。
次に、髪を撫でてみた。
何度か触れたことがあるが、大河の髪は昴以上にさらさらしていた記憶が蘇る。
「………」
そっと肩に寄りかかってみても、サニーは全く動かずにされるがままだ。
大河よりも更に20cmは高いサニーとでは比較のしようもないが、大河に寄りかかってもやっぱりこんな感じなのだろうか…
と瞳を閉じながら思いを馳せる。
「……」
しばしその感覚を楽しんで、やがて瞼を開けると自分を見下ろすサニーと目が合った。
どちらともなく目を閉じ、唇が重なり合う。
少しかさついた唇の感触。
大河の唇はもっと柔らかいのだろうか…などと再び閉じた瞼の奥で思う。
いつもならサニーの舌が入ってくるのに今日は人形になると言ったとおりに何もしてこない。
むしろそれがまるで大河の唇であるかのような錯覚すら感じさせた。
(大河…)
自分の頬が火照っていくのを感じる。
「…ん…」
唇を離して目を開けると、いつから目を開けていたのかさきほどのようにサニーが見下ろしていた。
表情の読み取れない、あいまいな笑みを浮かべて。
急激に、現実に戻される。
そして、ジェミニも真っ青の自分の妄想に今更ながら恥ずかしくなる。
こんな事が大河に知られたらどう思われるだろう。
はしたない人間だと思われるだろうか。
「……っ…」
頭を振って考えを振り払う。
そんな事は考えても仕方の無いことだ。
「ん?どうしたんだい、昴」
「もういい…十分だ」
これ以上、続ける気になれずサニーの胸に顔を埋めて呟く。
「もういいのかい?少しは楽しめたかな?」
「……ああ。もうやりたいとは思わないけどね」
自分の淫靡な妄想に耽ることでこんな気分になれるとは思わなかった。
蕩けるような恍惚感。スターに乗る以外で感じたのは、初めてだ。
だが同時に苛まれるような罪悪感も感じる。
自分のやったことは、サニーサイドも、大河も、侮辱するような行為なのだから。
「それってやっぱりボクにされる方がいいってこと?いやぁ、感激だなぁ」
「ち、違う…っ!!」
背中に手を回し、抱きしめてくるサニーの胸を必死に押し返す。
「恥ずかしがらなくてもいいのに。昴は可愛いなぁ」
サニーの手がバスローブの隙間から背中に入り、五輪の痣の辺りをさする。
「…やめっ…あ…」
どうしてもそこは弱い。体中の力が抜けてしまう。
「…そういえば、大河君はこの痣を見たことがあるようだけど、実はもうやっちゃったりしてる?」
「そ…そんなわけないだろう!単にドレスのジッパーをあげるのを手伝ってもらったときに見られただけだ!!」
「ああ…キミが飛び出して大河君が追ったあの時か。へ〜…青少年にそんなことをさせたのか…」
昴も罪作りな女だねぇ、とサニーは喉の奥でくくっと笑う。
「別に…他意はない。や…」
「さて、昴も楽しめたようだし、今度はボクが楽しませてもらおうかな」
嬉しそうに笑うサニーに、少しでも罪悪感を感じた自分が馬鹿だったと思いながら、昴はため息をつく。
九条昴がサニーサイドの人形である理由は、変わりつつあった。
鉄骨に響く足音で誰かが登って来ているのは知っていた。
だが、登ってきたのは予想外の人物だった。
「やぁ、昴。星を見ていたのかい?」
「サニーサイド…」
「へぇ、昴のお気に入りの場所だけあって確かに星が良く見えるな」
言いながらサニーは昴の隣に腰を下ろす。
「…スーツが汚れるぞ」
「あーいいのいいの。固いことは言いっこなし」
最近様子のおかしいジェミニの家に皆で見舞いに行った帰り、ふと気がついたら工事現場にと足が向いていた。
ジェミニは心配だが大河に傍についているように言っておいたから大丈夫だろう。
一人、鉄骨の頂上で大空に輝く星々に、その先にある宇宙に思いを馳せていると全ての事が些細な事に思えてくる。
昔から星を眺めるのは好きだった。部屋には天体望遠鏡もあるのでそれを使うときもある。
紐育は夜でもネオンが明るく星が綺麗に見えないのが不満だったので、ここが出来たときには素直に喜んだものだ。
「どういう風の吹き回しだ…?君に星空を眺めるような趣味があるとも思えないけど」
「酷いなぁ。ボクにだって星を眺めたくなる時くらいあるよ。まぁ、今日は違う用で来たんだけどね」
「こんな所に…」
何の用が、と言い終わる前に抱き寄せられて口付けられる。
「…んっ…サニーサイド!!」
引き剥がそうとする前に唇は離れるが身体は抱きしめられたままだ。
鋭く睨みつける。
「こういう用だったら帰ってくれないか。それとも僕が帰ればいいのか」
「そんなに怒らないでくれよ。たまにはキミと外でゆっくりするのもいいかと思っただけさ」
「…誰かに見られたらどうする気だ…」
「誰もいないよ。それくらいの確認はしてるし。…そうだね」
見ているとしたら月と星くらいかな、とサニーは言う。
「…そんなことはどうでもいい。それより、ジェミニ・サンライズの事だが」
丁度いい。昨日大河と話したときからサニーには聞きたいことがあったのだ。
「ジェミニくんがどうかしたのかい?」
きょとんとした表情のサニーに更に詰め寄る。
「とぼけるな。仮面の剣士…ジェミニ…そして姉のこと…君は知っているんだろう?」
「……昴。知っているかい。月が輝いているのは夜だけではない。見えないだけで昼にも月はあるんだよ」
サニーは答えずに輝く満月を指差してそんなことを言う。
「?…話を逸らさないでくれ」
「人はいくつもの顔を持っている、見えないだけでね。それはキミもボクも…ジェミニくんだって一緒さ」
「……」
「例えばこうしてボクと居る時のキミ…キミと居る時のボクは二人しか知らない」
昴を抱きしめるサニーの手がすっと伸びて昴の顎を愛おしそうに撫でる。
くすぐったいような、鳥肌の立つような感覚に身体の力が抜けてしまう。
「だったらジェミニくんにもジェミニくんにしか知らない顔があって当然じゃないか?それだけのことだよ」
「…っ…サニーサイド……」
サニーの手がスーツの内側に入り込んでくるのを感じ、慌ててその手を遮ろうとするが力が入らない。
「ヒントをあげたんだからこれくらいのご褒美は欲しいな?」
「…そんなこと…して…何が楽しい…っ」
シャツ越しに平らな胸をさすられる。
逃げようと思うのに、逆に身体はサニーに身を任せるように前かがみになってしまう。
サニーはそれに気を良くしたのか、嬉しそうに囁く。
「楽しいよ?月明かりの下で見るキミも綺麗だ、昴。君には月がよく似合う…」
月には人を狂わせる魔力があるという。
ならばサニーサイドも今夜の満月に狂わされた人間なのだろうか。
(そして僕も……)
「……敵はどこだ?はやく教えろ」
激昂したジェミニ。いや、ジェミニではない『もう一人のジェミニ』
「二重人格…そういうことか」
ちらりとサニーを横目で見る。なるほど、『ジェミニしか知らない顔』とはよく言ったものだ。
だが全て合点がいく。全ては…サニーの計算どおりというわけか。
『人はいくつもの顔を持っている、見えないだけでね。それはキミもボクも…ジェミニくんだって一緒さ』
サニーサイドの言葉が脳裏をかすめる。
見えない顔。
サニーサイドの見えない顔は今も僕を笑顔の裏側で見下ろしているのかもしれない。
真昼の月のように。
「ぼく、隊長になれるんです!!サニーサイドさんが、隊長にならないかって!」
はしゃいだ声で、大河が言う。
「やっぱり、その話か…大河の功績から考えれば、当然だと思う。肩書きに、特に意味はないかもしれないけど…」
それでも、と呟く。
「おめでとう」
「ありがとうございます!ぼく、がんばります!!」
大河が喜ぶ顔を見るのは好きだった。彼の笑顔はこちらまで幸せな気持ちにしてしまう。
(大河が隊長か…)
彼が紐育に来てもう半年以上。色々な事があった。
その一つ一つが大切な思い出で、かけがえのない記憶だ。
ずっと彼と一緒に居たい。
星組のみんなと、一緒に居たい。
僕らを隔てるものなど…何もないと、思っていた。