明日はもうクリスマスだ。
一日限りの特別公演の為に準備は進んでいく。
お互いに忙しいせいか、サニーサイドからの呼び出しはない。
今日はラチェットがくれた休日だ。
…勇気を出して、大河を誘ってみた。
「さて……座ろうか。ベーグルとコーヒーが冷えてしまう」
「あ、はい。そこでいいですよね?」
朝のセントラルパーク。凛とした空気に、隣には…大河。
クリスマスのはじまりとしては、最高の気分だった。
「はぁぁぁぁ…このベーグル、あったかくておいしいですね」
至福といった表情を浮かべて大河が呟く。
その表情を見るだけで嬉しくなる。
「ありがとう。ほら……大河、口の横についてるぞ」
指先でそっと大河の頬についたベーグルの欠片を払う。
「あ……」
ベーグルを食べていた大河の手が止まり、僕の指を見つめる。
「フッ……大河は子どもだな」
「昴さん……なんだか、母さんって感じがする」
苦笑しながら払っていると、ぽつりと大河がそんな事を言う。
「え……!?」
予想もしない言葉に思わずまじまじと大河を見つめる。
僕の何処をどうすればそんな言葉が出てくるというのか。
「あ、すみません!!な……なんとなく、そんな感じがしただけで……」
別に昴さんが、ぼくの母さんに似ているとか、そういうことじゃなくて…と大河はしどろもどろになりながら弁明する。
「母親の感じか…そう言われるのは…初めてだな。どう答えていいか…わからないよ」
「すみません……変なこと言っちゃって…」
「いや…いいんだ。僕にもわからないが…なぜか…うれしい」
とうの昔に女性としての「性」を捨てた自分。そんな自分が母親みたいだと言われたら、きっと昔なら一笑に付しただろう。
だが今は素直に嬉しかった。大河のそういう存在になれたことに。
「さ……中に入ってくれ」
「は……はい。おじゃまします」
予定は最初から決めていた。誰にも邪魔をされず、二人で過ごしたかった。
「ぼくはこの花好きですよ!色もきれいだし、心がなごむというか…」
うろうろと部屋を歩き回っていた大河が僕の飾ったチューリップを眺めながら言う。
「…チューリップの花言葉、大河は知っているかい?」
永遠の愛とも、実らぬ愛とも言われるチューリップの花言葉に大河は首を傾げる。
「ん?永遠の愛なのに実らないだなんて、矛盾してませんか?」
そんな大河を見ながら、ふふと笑う。
「そうかな?僕は、片思いこそ、永遠に続く愛情だと思うけど」
「そんな…」
顔を曇らせる大河を安心させるように微笑む。
「片思いも、いいものだよ。少なくとも…僕は、楽しんでいるけどね」
「えっ?昴さん、それって…」
「さぁ?どういうことだろうね?」
曖昧にはぐらかすと彼に向かってテレビをつけてくれないか?と話題を変える。
ちょうど活動写真がはじまったところだ。
「よしっ!そこだっ!!撃て撃てーっ!!」
子どもみたいに画面に向かって手を上げる大河。
いくら見ていても見飽きない。
(ふふ…大河は、どうするかな?)
画面に夢中な大河の肩にそっと寄りかかる。
…サニーサイドよりは華奢だが見た目よりもがっしりとしていた。
大河の肩の感触、大河の匂い、それらを感じながら目を閉じる。
本物の大河は、妄想なんか足元にも及ばないほどの心地よさを僕にくれる。
幸せだった。
「あ、あのー。最後の戦いですよー。見なくていいんですか?」
ちょっと上ずった大河の声が聞こえる。
もちろん、寝たふりをしたまま答えない。
「どうしよう……ええと、ええと、こういうときは……」
おそるおそる、大河の腕が伸びてきて、肩に回る。まるで、壊れ物でも扱っているかのように。
大河が大切に思ってくれている気持ちが伝わってきて、心の隅々まで満たされていく。
そのまま、しばらく動かなかった大河の吐息を顔に感じた瞬間…
コンコン、とノックがしてウォルターの声がした。
「わひゃあっ!?」
間抜けな大河の声が部屋に響く。
「ありがとう、ウォルター。そこに置いておいてくれ。あとは僕がやるから」
ぱちりと目を開き、ドアの外のウォルターに声をかける。
「す、昴さん!?」
当たり前だが、大河は唖然として僕を見ていた。
「昴は言った……君にしては、なかなか大胆だった、と」
余計な邪魔は入ってしまったが、大河の行動を思い出し、ほんのり頬が染まる。
子どもだと思っていた大河も、やっぱり男だったというべきなのか。
…不安な気持ちがなかったわけじゃない。こんな僕相手じゃ、何もしてくれないのではないかと。
でも、そんな心配はいらなかったようだ。
「フフフ……」
寝たふりじゃないかと問う大河の質問をさらりとかわして笑う。
(少しだけ…ほんの少しだけ自惚れてもいいんだろうか。君が…僕を好きかもしれないと)
大河と二人で湯豆腐を食べて、彼を帰す。明日は早い。
そして部屋で彼と過ごした一日を振り返っていると、サニーに呼び出された。
「……メリークリスマス、昴。大河君とのデートは楽しかったかい?」
「ああ…」
それは良かった、と言いながら抱き寄せられる。
いつもならなんとも思わないことなのに、何故か今日だけは喉の奥から吐き気にも似た思いがせりあがってくる。
…かすかに感じる、香水のせいかもしれない。
「君も…ラチェットと過ごしていたんじゃないのかい?」
「何故そう思うんだい?」
「ラチェットの使っている…香水の香りがする…」
「ははは…これは失敬。じゃあ非礼のお詫びに今日は素直に帰す事にするよ、顔が見たかっただけだし」
ワインの味がする口付けをしてサニーは微笑む。
「明日はよろしく頼むよ、昴」
「…わかっている、おやすみ、サニーサイド」
「おやすみ、昴」
部屋に帰り、ベッドではなくソファに倒れこむ。
大河の残り香に包まれながら、僕は静かに目を閉じた…。
「メリー・クリスマス!昴」
「…さっきも言っただろう」
少し酔っているのか、酒臭いサニーに背後から抱きしめられて耳元で叫ばれるのに閉口しながら言い返す。
「さっきはさっき。今は今。いやぁ、舞台も大成功で良かった良かった」
「サニーサイド!…ワインがこぼれる…!!」
昴に寄りかかりながら片手でグラスを弄んでいたサニーの手が傾いて中のワインが揺れる。
「ん〜…?」
「まったく…酔っ払っているのならとっとと寝てくれないか。ほら、グラスを貸してくれ」
手を伸ばしてサニーからグラスを取り上げようとすると、さっとグラスを高く上げて阻まれてしまう。
「…昴も飲みたいのかい?何なら口移しで飲ませてあげようか?」
「……寝言は寝てから言ってくれ」
さっきからこの調子で埒が明かない。
「そういえば…昴はボクにはプレゼントはくれないのかい?楽しみにしてたんだけど」
「…プレゼントならさっき交換会をしただろう」
「それとは別にボクの為に用意してくれてると信じていたのに…昴は冷たいなぁ」
ふぅ、とため息をつく。いつまで酔っ払いに付き合えばいいのやら。
「そうだな…なんなら昴自身でもいいよ?クリスマスケーキのかわりに私を食べて…って」
「……いい加減にしないと無理やりにでも寝かしつけるぞ…!!」
「おお、怖い怖い。ボクは薄情な昴と違って、キミの為にちゃーんとプレゼントを用意してたっていうのに」
「…君が?僕に?」
それは予想していなかった。自分も適当にでも何か用意するべきだったかとちょっと後悔の気持ちがおこる。
「うん。バスルームにあるから着てみてくれないか。きっとキミに似合うと思って特注したんだけど」
「……わかった」
サニーの酒臭い息から解放されることにせいせいしつつバスルームに向かう。
「……これを、僕に着ろと言うのか……」
丁寧に包装された袋の中の衣装を見て、思わず全身が凍りつく。
初めて見たわけじゃない。むしろ近しい衣装を着ている人間はシアターにもいる。
だが、まさか自分が着る羽目になるとは夢にも思わなかった。
背中を嫌な汗が流れる。
着たくない…着たくない…が。一応クリスマスプレゼントなのを無碍にするのも悪いと思ってしまう。
「…落ち着くんだ。舞台衣装だとでも思えばいい…サニーサイド一人相手のな…」
そう呟いて無理やりに自分自身を納得させてその衣装に着替える。
むかつくほどにサイズがぴったりなそれを着て、やたらに気合の入った小道具の類もしぶしぶ身につけると出来上がりだ。
…鏡の中にうつる自分に眩暈がしたが、いつまでも出ないわけにもいかず気力を振り絞ってサニーの前に姿を晒す。
「…サニーサイド…これでいいのか…」
「いやぁ、最高だよ昴!思ったとおりよく似合うねぇ」
うんうん、と頷き大げさな拍手をするサニーを睨みつける。
「よく似合う…じゃないだろう!何でこんな格好なんだ!何でこんな……っ」
サニーの用意した衣装は…俗に言う『メイド服』だった。
プラムの着ているのとおおまかな形は似ているが、形はそれよりもやたらひらひらしていて色も黒と白が基調だ。
もっと腹立たしいのはカチューシャにカフスにパニエに加えて…
ガーターベルトにストッキングにサンダルのようなハイヒールまで用意されていたことだろう。
(何でこんなに手が込んでいるんだ…!!)
「いや、何でって言われても着てもらいたかったからに決まってるだろう」
サニーはあっさりと言う。
「……僕にこんな格好をさせて…何が楽しいんだ」
スカートの裾を握りつつがっくりと肩を落とす。
「楽しいよ。男の浪漫だからね。昴に似合いそうなのを一生懸命選んだんだけど、そうしていると本物みたいに見えるねぇ」
あと、メイド服の昴に『ご主人様』とか言われたくて用意したんだよね、と言われて
「ご…ご主人様って…」
無意識に後ずさる。まさか…そんな事を言わせるためにこんな格好をさせたというのか。
「昴…」
期待に満ちた眼差しが向けられる。
「そ…そんな事…言えるわけがないだろう…」
尚も後ずさる昴に、サニーはすっと立ち上がるとすたすたと近づいてきて手を握ってくる。
「何で?恥ずかしい?」
「当たり前だ…」
そのまま抱きしめられても、抱きしめられることより自分の格好の方がよっぽど恥ずかしい。
サニーは鼻歌まじりでカチューシャやらカフスやら襟のリボンやらを興味深げに触っている。
…本当に嬉しいらしい。何がいいのか全くわからないが。
「うーん、残念だなぁ。じゃあ『サニーサイド様』でいいよ。杏里みたいに。それくらいならいいだろう?」
「………」
嫌な事には違いは無いが、ご主人様と呼ばされるよりは遥かにマシだ。
「わかった……サニー…サイド…様……これでいいんだろう」
顔を逸らしたまま消え入りそうな声で呟く。
「ん?聞こえないなぁ」
「…っ…サニーサイド様!」
言いながら顔を近づけてくるサニーに向かって自棄になって叫ぶ。
「おいおい…もうちょっと優しく呼んでくれよ。せっかくの衣装が泣いているじゃないか」
(泣きたいのはこっちだ…)
心の中で反論する。
抱きしめてくるのもキスされるのも慣れたしそれくらいなら許そう。だが、こんな事までする必要があるのか。
「まぁ昴も慣れない格好で緊張してるだろうし、そうだな…ワインでもついで貰おうか。そうすれば肩の力も抜けるだろうしね」
問題の論点がずれているのに嘆息を漏らしつつ、サニーから差し出されたワインを受け取る。
「じゃあついでくれるかい?あ、もちろん台詞は『サニーサイド様、どうぞ』ね。笑顔でよろしく頼むよ、昴」
やたら細かい注文に眉間に皺が寄りそうになったが、それを隠しつつ笑顔を浮かべて精一杯優しく囁く。
「……サニーサイド様、どうぞ」
「ありがとう、昴」
注ぎながら、ベッドに腰掛けているサニーの足をサンダルのヒールで踏む。
あくまで、さりげないフリをして。
「…す、昴!痛い痛い!!足っ…」
「ああ…すまない。慣れないヒールだからつい足元がふらついてしまってね…」
最後にぐりぐりと踵に力を込める。これくらいの逆襲は、してもいいだろう。
「さて、気もすんだかい?僕はそろそろ着替えたいんだけど」
くるりと踵を返し、サイドボードにワインを置く。
こんな格好とは一刻も早く解放されたい。
「…まさか。これからが本番に決まってるじゃないか」
「…えっ…」
腰に腕を回されてそのままベッドの方へ引き寄せられる。
ベッドのスプリングが盛大に跳ねて、思わず衝撃に閉じた目を開けると自分を見下ろすサニーと目が合った。
「男が女に服を贈る意味を知らないわけじゃないだろう?」
サニーの指がリボンをしばし弄び、するりと解く。
…もちろんそれくらいは知っている。
「…こんなプレゼントならいらない」
「その割にはばっちり着こなしてくれたみたいだけど。…正直、ここまでしてくれるとは思わなかったな」
「……好きで身に着けたわけじゃない!」
手が太股をさすり、スカートの中のガーターベルトに伸びてきて、反射的に抗議の声を上げる。
「まぁ、ほらね…日本のことわざにもあるじゃないか。『いやよいやよも好きのうち』って」
「勝手な解釈をするな……!?」
唐突に背筋を走るぞくりとした悪寒。
(何…何かが…来る!)
「サニーサイド!放せ!!」
言いながらサニーを振り払って窓の外を見る。
「あれは……」
マンハッタンの上空に、奇妙な城のようなモノが浮かんでいた。
こんな遠くからでも…恐ろしいくらいの妖力を感じる。
「サニーサイド!」
振り向くと既にサニーは部屋にいなかった。
すぐさま自分も服を着替えてシアターへと駆け出す。
…平和だった日常は終わりを告げ、僕の未来を飲み込む運命の歯車が音を立てて回りだした。
「サニーサイド司令!あ…あれは、なんなんですか!?紐育の真ん中に…」
作戦司令室に行くと既に自分以外の全員が揃っていた。…急いだつもりだが着替えに手間取ったせいか最後になったらしい。
さっきまでの姿はどこへやら、サニーは大河の問いに厳しい表情で答える。
「…やはり信長だったか。ならば、あの城は…魔城…安土」
信長…織田信長。自らを第六天魔王と名乗り天下統一を目前にして散った戦国の武将。安土は彼が建てた城の名前だったはずだ。
「サニーサイド、アンタ…このことを知っていたのかい!?」
サジータはサニーに詰め寄るがサニーはさらりとかわす。
(やはり…サニーサイドは敵の正体を概ね知っていたか)
東日流火の件、そしてジェミニの件である程度予想はついていた。
あえて問いただそうとしなかったのは、聞いても答えるはずがないのと彼には彼なりの算段があるのをわかっていたからだ。
…私人としてのサニーはともかく公人としてのサニーの能力を決して低く評価するつもりは無い。
「紐育華撃団・星組……イッツ・ショーターイム!」
五輪曼陀羅を使い、信長を封印する。
その時は、それがさほど難しいとも思わなかったしサニーの言う通り、今の星組でも倒せると思っていた。
だが、運命の皮肉というべきか。
…人は万能ではない。
その限られた生の中で人が知ることが出来る事など、砂漠の中のほんの一握りの砂粒のようなもの。
僕にも、大河にも、サニーサイドにも予想の出来ないことは起こる。
祗園精舎の鐘の音、諸行無常の響き有り。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す。
おごれるものは久しからず、ただ、春の夜の夢の如し…
…今思えば、この言葉の通り、僕は驕っていたのかもしれない。
相手の力を見誤り、自分の力を過信した結果が……あのような事態を招いたのだ。
「しんじろぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
ジェミニの悲鳴が胸に刺さるようだった。
僕は声すら上げることが出来ず、大河の姿を呆然と見つめていた。
夢ならば覚めてほしい。
誰か、嘘だと言ってくれ。
「大河……」
ガラス越しに、手術中の大河を見つめる。
ジェミニは、しゃくりあげるように泣いていた。リカも今にも泣きそうだ。
無慈悲に響くブザーの音。
ここに居る、と言うジェミニやリカを諭しながらちらりと大河を振り返る。
「今は…ゆっくりと寝ているんだ…君が必要とされるまで…昴は…信じている。大河新次郎…君なら必ず目を覚ます…と」
大河の居ない戦闘は予想以上に苦しいものだった。
だが負けられない。大河の分まで…僕が…戦わなければならない。
大…河…君は…そこまでなのか…
ちがうだろう…君は…これからだろう…僕を置いて…行くな…
君に置いていかれたら…僕は…。
「…というわけで、五輪曼陀羅には六人の戦士が…いや、五人と一人の戦士の命が必要なんだ」
ボクも大河君から聞くまで知らなかったんだけどね…とサニーは言う。
目覚めた大河がサニーサイドに話したいことがある…と言ったのはそれだったのか。
「君たちには辛い事を言っているのはわかっている…紐育の為に死ねと言うのだからね」
支配人室に僕たち5人を集め、ラチェットすら呼ばずにサニーが語ったのは、そんな内容だった。
ジェミニ達が息を呑む。無理もない、自分達の誰かが死ねば紐育は救える、そう言われたのだから。
「ボクだってそんな選択をしたくない…だが、他の方法がない以上は…」
そう言うサニーの視線は真っ直ぐに僕を見ていた。
…なるほど、全ては茶番か。
「ボクが…ボクがなります!」
「いや…アタシがなるよ」
「みんなが悲しむのはやだ…リカ…リカがなる!」
「私はあと半年の命です、なるなら私がなります!」
みんなが口々に言う。
一人だけ何も言わないのもおかしいので僕も言った。
「昴は言った…その役目は、僕がやる…と」
(これでいいんだろう?サニーサイド)
「みんな…」
驚いたようなサニーの顔。
「…君たちの気持ちはわかったよ。だが、誰がなるかは…大河君に決めてもらおうと思う」
予想通りだ。
「彼にも辛い思いをさせてしまうが…絶対に失敗は出来ない。彼が一番信頼するパートナーを選んで貰って…」
もちろん、彼が選ぶのはきっとキミさ、昴。サニーの目がそう言っている。
安心した。人形としての僕を手放したくなくて余計な情など挟まれたらどうしようかと思っていた。
サニーの意見は正しい。絶対に失敗出来ないのだ。だったら、僕が一番適任だ。
…もしも、大河が僕を選ばなかったら…その可能性もあるが、その時はどんな手段を使っても選ばせるつもりだった。
死ぬことを怖いとは思わない。生きていれば必ず死は訪れる。それは自然の摂理。
むしろ、自然の摂理に背いた自分の命がこんな形で役に立つのならば…僕の選択も意味があったのかもしれない。
残される人々も、多少は悲しむかもしれないがいずれ思いは全て風化する。
大河も…いずれ新しい人を見つけて幸せになるだろうし…サニーサイドにはラチェットがいる。心配は要らない。
(クリスマスがサニーサイドと過ごした最後の夜になるとはな…)
クリスマスの冗談のような夜が甦って唇にだけ笑みをこぼす。
(こうなると知っていれば…最後くらい彼の道楽に付き合って『ご主人様』とでも呼んであげるべきだったか)
そう考えて、ふとあることを思いつく。
すっ、と他の星組のみんなから一歩下がり、他の人間から自分の顔が見えないようにしてサニーを見つめる。
彼も僕の視線に気付いたのか視線を絡めてきた。
言葉を発せず、唇の動きだけで囁く。
愛の言葉のように甘く、別れの言葉のように残酷に。
『さ・よ・う・な・ら』
サニーに読唇術の心得があるかわからないので、一字一句をゆっくりと。
『ご・主・人・様』
後半は半ば嫌味に近いが、人形としての別れの言葉にはある意味相応しいのかもしれない。
「……」
意味は伝わったらしい。
サニーは顔色こそ変えなかったが、サングラスの奥の瞳に動揺が走った。僕にだけしかわからないほどではあるが。
満足だった。
最後の最後で彼にささやかな復讐も果たせたのだ。
「…じゃあ、話は終わりだね。あとは、大河が誰を選ぶかだ…」
そう言って踵を返すと振り向きもせずに支配人室を後にする。
出会いは最悪だった。
初対面の人間にいきなり人形になれと言う頭のおかしい人間…それが第一印象。
「君は最高の人形だ、昴」
そう言いながら僕を抱きしめてキスをするのが好きな変態。
いろいろな事があった。喧嘩もしたし、何度も…関係を清算しようと思ったこともある。
だが、それをしなかったのは…心のどこかで少なからず今の関係を心地よいと思っていたからだ。
大河が僕の能面を剥いだ人間ならば、サニーサイドは能面をつけたままの僕を…形はどうであれ必要としてくれていた。
(…心地よい…僕が?)
自分の思考に思わず苦笑を浮かべる。
こんな弱気な事を考えるなどとは、本当は死ぬことが怖いのだろうか。
そんなことはない、と自分に言い聞かせる。
「生きるべきか…死ぬべきか…それが問題だ」
ハムレットの台詞を口ずさむ。
ほんの少しだけ、心が落ち着く気がした。
「昴さん…一緒に来てくれますか?」
大河が自分を選んでくれたときには、ほっとした。
一番信頼できるパートナー。例えその意味がどうであろうと、選んでくれるのは、嬉しい。
だが…。
「それが貴方のやり方かっ……!!」
止める間もなかった。
殴りかかる大河とそれを避けようともしないサニーサイド。
一瞬の事なのに、まるでスローモーションのようで、僕もラチェット達もそれを呆然と見ていた。
吹っ飛びながらもにやりと笑うサニー。
必死に頭の中で目の前で起こっていることを整理する。
(どういうことだ…大河は…知らなかったのか!?)
「大河……待つんだ!僕の話も聞け!!」
飛び出した大河を追いかける。
サニーにも聞きたい事はあったが、今はそれよりも大河の方が気にかかった。
「大河……」
舞台の上の大河に声をかける。努めて、優しく。
大河は泣いていた。その肩に手をおいて、慰める。
けれど、どんな言葉で説得しようとしても、彼は納得してくれない。
あげくには『簡単にあきらめるなよっ!』と言い返されてしまった。
「もっと早く、君に出会えていたら、今とはちがう僕に……なれたのかもしれないのにね」
今とはちがう自分。
女性であることを捨てなかったかもしれない。
サニーの人形になることもなかったかもしれない。
でも、それは結局想像でしかないのだ。
「……選ぶんだ、紐育の未来を。星組の隊長として……選ばなければならない」
「できない……」
「え……」
昴さんが来るまでずっと考えていた、と大河は言う。
「絶対に……昴さんを死なせはしない!!ぼくが……絶対に守る!」
「大河……君ってやつは……」
その言葉に確証なんてない。
僕が犠牲になるのが紐育にとって最善の方法。
でも、それでも…。
「わかった……よろしく頼む……僕の命は……大河に預ける。大河がいらなくなるまで……持っていてくれ」
「……はい!」
いつの間に居たのか、星組のみんなが、僕たちを見つめていた。
「みんな……ありがとう……みんなと一緒に戦えて……僕は誇りに思う」
犠牲になることを完璧に諦めたわけじゃない。
けれど、出来る事ならもう少しだけ、生きてみたい。
彼と、みんなと共に。
作戦指令室に帰ると、ラチェットとサニーが待っていた。
「サニーさん、さきほどはすみませんでした」
「……なにがだい?」
さらりととぼけるサニーに、大河が殴ったことへの謝罪と自分の考えを述べる。
「すまない……サニーサイド。あの時、犠牲になると言ったのは、ウソじゃない……」
目線を合わせて、呟く。
「でも……みんなの心が……大河の心が……僕の流れを変えた。みんなと一緒に生きたい……と」
僕の言葉を聞くサニーはいつものように、表情の読み取れない笑みを浮かべていた。
「……勝てるかい?」
「勝ちます!」
サニーの問いに言い切る大河。
その時、ブザーが鳴った。
すぐに出撃するべく駆け出そうとする僕たちをサニーの言葉が止める。
「大河新次郎少尉……キミを、紐育華撃団・星組の隊長に任命する」
「え!?……でも」
「おめでとう。ボクの最終試験に合格したってことだよ」
「それじゃ……?」
「最高の答えをくれたじゃないか。みんなで生きて帰ることを決めたっていうさ」
咄嗟に、サニーを見上げる。
サニーは決して僕には視線を合わそうとはせず、大河だけを見つめていた。
(最終試験……じゃあ、あれは…全部演技だったというのか?)
わからない。
だが、もしかしたら。
僕はサニーサイドの事をわかったつもりでいて、全くわかっていないのかもしれない。
そんな考えが、頭をよぎった。
長くて苦しい戦いだった。
…自分自身の心の闇も見せられた。
でも、迷う心など…もう、ない。
大河が、みんながいるから。
守るべきものがあるから。
……信長の信念自体は嫌いじゃない。
それも考えの一つだと思う。
だが、死者は死者の世界へ還るべき存在。
この世にあってはならないのだ。
「…終わった。信長は、ぼくの心の中にいる」
そう言って振り向く大河に微笑みかける。
戦いは終わった。
年明けはサニーの船上パーティでだった。
大河と共に。
花火が打ち上がり、年が明ける。
「大河……ハッピーニューイヤー……」
「ハッピーニューイヤー……昴さん……」
ダンスを踊っていた手を止めて、見つめ合う。
「新次郎……」
「あ、あの…」
「昴は求める……もう、なにも言うな……と」
目を閉じる。
ぎゅっと手を握られて、おそるおそる、唇が重なった。
ほんの少し触れ合うだけの、ぎこちないキス。
何故だか胸が締め付けられた。
「……す、昴さん!」
「え……?」
目を開けた新次郎が慌てる。
「…す、すいません。……嫌でした?」
「何故……?」
「だって…昴さん、泣いてるじゃないですか」
「僕が…?」
そう言われて頬に手を当てると、確かに涙が流れていた。
自分でも全く無意識に。
「ご、ごめんなさい……」
「違うよ新次郎……嫌なわけじゃない」
新次郎の胸に顔を埋める。
「でも…」
「嬉しかっただけだよ…だから、少しだけこのままでいさせてくれ…」
それはほんの少しだけウソだった。
本当は…キスなど何度もしているのに、あんなにも純粋なキスをしたのが初めてな自分にいたたまれなくなっただけだ。
…僕にはあんなキスは出来ない。
僕は大河みたいなキスは……もう出来ない。
『もっと早く、君に出会えていたら、今とはちがう僕に……なれたのかもしれないのにね』
自分の言葉が甦る。
もっと早く彼に会いたかった。
今までで一番強く、そう思った。
それから数日して、新次郎と一緒に買い物に行った。
…僕の服を真剣に選ぶ新次郎はおもしろい。
男物と女物をいったりきたりしては悩んだりにやけたり。
未だに性別を教えてないせいか、コートを差し出されたりワンピースを差し出されたり。
「あぁ〜どっちも捨てがたい〜」
真剣に悩む新次郎を見て笑う。
新次郎が好きだ。
だから、あることを決めていた。
彼が好きだから。
笑う彼を目に焼き付けておきたい。
いつまで経っても忘れないように。