※注意点

この話はディナーショウ前提で日本に向かう途中の話として書いておりますが
ディナーショウそのものが原作と矛盾するので 「あくまでディナーショウを基にしたパラレル」としてお読みいただければ幸いです。
一応、五話以降七話前くらいの設定で書いております。


DEC. 紐育発…

「じゃ、ボクの部屋はこっちだから。キミ達の部屋は隣だよ」
日本へ向かう船に乗り込み、部屋を確認するなりあっけらかんとそう言うサニーに我が目を疑う。
指差された部屋は一つしかない。
というか、キミ『達』だと?
「…サニーサイド、これはどういうことだ。部屋が一つしかないのはどういう…」
「ん?見れば分かるだろう。これから一ヶ月、大河くんと昴は同じ部屋で過ごしてもらうから」
そのあまりにも軽いノリに一瞬そうかと納得しかけてすぐにはっとする。
一ヶ月?同じ部屋?大河と?
「な……!」
「い、いけませんです!そんなこと許されませんです!」
僕が舌打ちしながらサニーに抗議するより先に裏返った声でそう叫んだのは隣に居た大河だった。
「一ヶ月も同じ部屋で過ごすなんて…そんな、そんなの…」
馬鹿、大河。
何故そこで君が赤くなる。
「なんで?昴と同じ部屋が嫌なわけ?心配しないでもベッドは二つあるよ」
「違います!そうじゃなくて…その……」
俯きながらもじもじする大河を放置してサニーに向き直る。
「昴は思った…好き嫌いの問題ではなくプライバシーの侵害だ。僕は誰とも同室になる気はない、と」
「そうは言ってもねぇ〜スイートルームって高い上に数が少ないんだよ。やっととれたのがこの二部屋だけなんだけど」
「だったら君と大河が同室になればいいだろう」
「えー。やだよ、ただでさえ狭い船室で男と同室なんて。ボクだってプライバシーの侵害をされたくないし」
事も無げに言うサニーにため息をつく。
この司令の自分勝手は今に始まった事ではないが、この男に配慮などという言葉を求めようとする方が間違っているのか。
「とにかく。僕は同室なんて真っ平ごめんだ。大河はそっちの部屋へ行け」
「は、はい……」
「大河くん、キミの部屋はあっち。司令の命令が聞けないのかな?」
「うぅ…」
埒があかない。
「サニーサイド、権力を楯にした横暴は上に立つ者としてどうかと思うよ」
「職権乱用だと言いたいのかい。だが船の手配をしたのはボクで、キミは同室が嫌などと一言も聞いた覚えはないけれど?」
「……」
心の中でサニーに手配を任せたことを悔やんだが後の祭りだ。
「それとも昴は女性なのかい?だったら嫌なのもわかるけどね。大河くんも男だからねぇ、うっかり狼になるかもしれないし」
「サニーさん!何言ってるんですか!……ぼくは」
サニーは冗談で言ったのだろうが、大河は真に受けたのか更に真っ赤になっている。
…全く、そういう態度が更にサニーを悦ばせるというのに。
「あ、それとも昴がボクと同室になる?大河くんとは嫌だけどキミとならいいよ。一ヶ月も一緒に居れば性別もわかって面白そうだしねぇ」
「サニーサイド……君には躾が必要なようだな」
「あ、あの!」
サニーと僕の間に飛び散る火花に居た堪れなくなったのか。
間の大河が割って入った。
「ぼく、こんな立派な個室じゃなくてもいいですし…その、他に空いてる部屋がないか聞いてきますね!」
言うなり袴の裾をひるがえし、ぱたぱたと大河は駆け出していく。
「大河…!」
慌てて止めたが遅い。
大河は疾風の如き速さで既に廊下の端を曲がるところだった。
「あ〜あ、行っちゃった。まぁいいや。空いてるとしても…まともな部屋じゃないと思うけど大河くんなら平気でしょ」
ボクは育ちがいいからうるさいと眠れないんだよねぇ、と肩を竦めながらサニーは船室に消える。
大河の事は気になったが、とりあえずは荷物を置こうと部屋に入ると部屋は予想以上に広くて綺麗だった。
サニーサイドが『高い上に数が少ない』と言ったのも頷ける。
ベッドの数を見ると一応は二人用のようだが、室内は広々としていて大海原を臨める専用のテラスまであった。
僕の泊まるロイヤルスイートほどではないが、そこらのホテルの部屋よりよほど豪奢で贅沢な部屋だ。
しかし、一緒に過ごすとなると話は別。
広いとはいえそこは一個室。
密室で日がな一日一緒に過ごすなどとてもじゃないが耐え切れない。
…大河には悪いが、他の船室を見つけて貰うしかないだろう。
あのサニーサイドが気が変わって大河と同室になってもいいなどと言い出すことは……まずないだろうし。
「ふぅ…」
トランクをベッドの足元に置くと横になる。
もっと固いと思ったが思ったよりも寝心地は悪くはない、これなら長い船旅の日々でもぐっすり寝れるだろうか。

「…僕としたことが、早まったかな」
つい二人きりなのが心配で、大河とサニーについてはきたものの。
我ながら思い切ったことをしたものだと思う。
しかも、旅の当初からこれだ、先が思いやられる…。
額に手を当てながらこれからの事をとりとめもなく考えていると、ゆるやかな船の揺れが心地良かったせいだろうか。
いつの間にか寝入っていたらしい。
「昴、夕食の時間だよ」
ノックの音とサニーの声ではっと目を覚ますと既に外は暗くなっていた。
「今行く」
ベッドの脇のテーブルランプを灯すと起き上がりさっと身支度を整える。
レースのカーテンのみの窓の外は暗く、ここが海の上なのだと今更ながらに実感させられた。
「……待たせたね、大河は?」
ドアを開けると立っていたのはサニー一人で大河の姿が見えない。
「大河くんの船室は遠いから先にレストランに行ってもらったよ」
「そうか…」
とりあえず、大河の船室が見つかったことにほっとする。
あとで場所の確認を兼ねて訪ねてみるか、と思いながらレストランに着くと。
「お待たせ、大河くん。じゃあ食事にしようか」
何故か荷物を椅子の横に置いた大河が待っていた。
「大河…何故、荷物を持ってきているんだ?部屋に置いてこなかったのか。もしかして…」
まさか部屋が見つかったというのは嘘なんじゃないだろうかと心配になる。
だが、大河は微笑んだまま首を振った。
「あ、これですか。ぼくは開放寝台なので荷物を持ち歩かないと危険だと船の人に言われたんですよ」
「空いてたのは二段ベッドの開放寝台だけなんだとさ。まぁ、二段ベッドにカーテンの区切りだけだから物騒だしねぇ」
わざとらしくサニーが続ける。
絶対に、僕に聞かせるために違いない。
「でも、寝れる所を確保出来ただけ良かったですよ。ちょっと移動の度に荷物を持ち歩くのは面倒ですけど」
「まぁ何があるかわらからないからね。気をつけてくれよ」
「大丈夫ですよ、一ヶ月の辛抱ですし」
えへへ…と大河は笑う。
彼の素直で前向きな所は長所だと思うが。
僕とサニーがスイートルームなのに、自分だけが開放寝台でも文句一つ言わない大河に哀れを通り越してため息が出た。
…君はでっかい男だよ、大河。同じ事を僕に出来るかと言われたら、絶対に耐えられないだろうから。
「昴さん?」
「…あとで君の部屋を見せてくれるかい?大河」
半ば覚悟を決めつつもそう言うと。
「いいですよ、部屋…っていうほどのスペースもありませんけど」
屈託なく笑う大河に、僕は戦わずして敗北したのを悟った。

「……ここが、君のベッドかい?」
「はい、そうですよ」
「……」
思わず聞き返したくなるほど、そこは狭かった。
人、一人が寝れる分くらいのスペースはある。
だが、それだけだ。
上下二段に分かれたベッドにはカーテンのしきりがあるだけで、まさに『寝るだけの』ベッド。
大河のベッドは下だった。上の人間が動けば振動は伝わるし、話し声も聞こえるだろう。
まさにプライバシーも何もあったものじゃない。
しかも。驚いたことに大河のベッドの反対側に居たのは女性だった。
既に知り合いになったのか、彼は女性と親しげに話している。
「じゃあ、ここじゃ何ですからエントランスロビーで話しましょうか。あ、それとも船の中を散策しますか?」
大河は船内に興味津々なのだろう、目を輝かせながら僕に向かってそんな事を言う。
だが、僕にはどちらに行く気もなかった。
「断る。昴は疲れた…部屋に戻る」
「そうですか…じゃあ、部屋の前まで送りますよ」
「それも断る」
少しがっかりした様子の大河の手を掴むと、そのまま無言で歩き出す。
「え…?昴さん、どうしたんですか」
「……僕の着替えや入浴の時は部屋の外に出てもらうからな」
「え?え?」
歩きながら、ぼそりと呟くと混乱したように大河が聞き返してきた。
…相変わらず、鈍感というか。
「君を、一ヶ月もあそこに寝かせるわけにはいかないだろう。…仕方ない、僕が我慢するよ」
深々とため息をつくと鈍い大河にもようやく理解できたらしい。
ばっと掴んでいた手を振り払われた。
「そ、そんな…ダメです!」
「大河」
振り向くと、大河は立ち止まって困ったように僕を見ていた。
「だ、大丈夫ですよ。一ヶ月くらい、なんてことないですから。昴さんは一人でゆっくり…」
「そうはいかない。君は星組の隊長だ、あんな所でもし何かあったら困るだろう」
「でも…昴さんはぼくと同室なんて嫌でしょう?」
きっ、と睨みつけると大河は叱られた子供のようにしゅんとしてしまう。
彼らしいといえば彼らしいが、今にも泣き出しそうだ。
「まぁ…あまり良い気分じゃないけど、僕はサニーサイドと違って君をあそこに置いて平然と寝れるほど冷たくはないよ」
あやすように大河の頬に触れながら微笑むと、大河の戸惑ったような瞳が僕をじっと見た。
どうしようかと、悩んでいる顔つきで。
「昴さん…」
「元はと言えば、君の旅行に着いて行くと言ったのは僕だしね。だから、僕の部屋においで、大河」
大河はあちこち視線を彷徨わせた末に、やがて観念したのかこくりと頷いた。
「ごめんなさい、昴さん。でも、そう言ってくれて、凄く嬉しいです……」
「馬鹿だな、君が謝る必要なんてないのに」
彼の柔らかい髪に指を絡ませると、優しく髪を撫ぜる。
だが、ふと視線を感じて辺りを見回すと寝台から何事かと僕たちを見る視線がいくつもある事に気付き。
急に恥ずかしくなって大河の手を引くと、急ぎ足で開放寝台のある階を後にした。

「…じゃあ、中へどうぞ。大河」
「は、はい。お邪魔します」
まるで初めて僕の部屋へ来た時の様に、背筋をぴんと伸ばしながら礼儀正しく入ってくる大河に笑みがこぼれる。
「わぁ…広い部屋ですね。昴さんの部屋みたいです」
案の定、大河は部屋の広さと豪華さに感激したらしい。
手近にあったソファに身を沈めると感触を楽しんでいる。
「まぁ、思っていたよりいい部屋みたいだね。二人でも、普通に過ごす分には問題ないだろう」
「うわ〜凄い、テレビやテラスまである。昴さん、これ外に出てもいいんですかね」
「……やれやれ、君は子供だな」
予想通りの行動に苦笑つつも、大河がいるだけで部屋の中が温かくなった気がするのは僕の気のせいだろうか。
船内も船室も適温に保たれているから、暑さも寒さも感じなどしないけれど。
僕のポーラースター。君はそこに居るだけなのに、やっぱり僕に影響を及ぼす、不思議な人間。
「あ、ごめんなさい。前に乗った時にはこんな豪華な部屋じゃなかったので、つい……」
自分を見つめる僕の視線に気付いたのか、大河は照れくさそうに頭を掻いた。
「まぁ、これから一ヶ月過ごすわけだから快適な部屋に越した事はないしね」
「……あ。そうだ、忘れてました」
大河は思い出したかのように襟を正し、僕に向かって手を差し伸べた。
「……?」
「これから一ヶ月、よろしくお願いします。昴さん」
訝しげに大河を見上げると、彼はにこにこと微笑んでいた。
「君は律儀だな…まぁいい。一ヶ月よろしく、大河」
彼の手を握り返すと、軽く握手を交わす。
と、ノックをする音がした。
「はい?」
「ボクだよ」
開けるとそこに居たのはサニーサイド。
「何?やっぱり同室にすることにしたわけ?」
室内にいる大河を見てサニーはにやりと笑う。
「…帰りの船はくれぐれも別室で取ってくれ!」
サニーを鋭く睨みつけながらそれだけ言い残し、乱暴にドアを閉める。
かくして摩天楼の紐育を脱出して、クリスマスの帝都を目指す大河と僕とサニーサイドの旅が始まった。

「おはよう…大河。朝早くから鍛錬かい」
「あ、おはようございます昴さん。はい、船上にいる間もしないと身体がなまっちゃいますから」
同じ部屋に大河が寝ているという緊張で夜明けまで寝付けなかったせいだろうか。
僕が目を覚ましたときには既に大河の姿は部屋になかった。
そのうち帰ってくるだろうと部屋でくつろいでいるとサニーサイドに朝食の時間だから大河を呼んできてくれと言われ。
大方、鍛錬でもしているのだろうと甲板に出てみると、予想通り真面目な顔で素振りをする彼の姿があったというわけだ。
「昴さん」
大河は僕の姿を見つけると、素振りを止めて僕に近づいてくる。
欠伸を噛み殺しながら彼の行動を見ていると間近でじぃっと覗き込まれた。
「た、大河?」
「……昴さん、あまり寝れませんでしたか?少し、目が赤いです」
心配そうな瞳が、揺れる。
ここは否定しておかないと大河は『やっぱりぼくは…』などと言い出しかねない。
「それは…流石に久しぶりの船旅だしね。君はぐっすり眠れたかい?大河」
曖昧にはぐらかしながら話題を摩り替える。
「え…あ、はい。ぼくは…」
「じゃあいい。それじゃ、もうすぐ朝食の時間だから戻ろうか」
「はい、わざわざ呼びに来てもらっちゃってすいませんでした」

「遅いよ〜。大河くん、昴」
「……わざわざ揃って食事を取らなくてもいいぞ、サニーサイド」
レストランに着くと、既に居たサニーは大げさに顔をしかめてみせた。
…朝からそんなハイテンションでしゃべれる元気が羨ましい。
各々、好きに食べればいいと思うのだが何故かサニーは食事の時間になると呼びに来る。
「ダメだよ。食事は大事なコミュニケーションの時間だからね。こういう時こそ一緒にとらないと」
やれやれ、ラチェットにでも言われたのだろうか。
憧れの異国、日本に行けるのが楽しみで仕方ないようでコミュニケーションも何もしゃべるのはほとんどサニーだった。
僕は黙って適当に受け流しているが、大河は律儀に反応を返している。
ご苦労な事だ。

朝食を終え、僕は大河と共に部屋に戻る。
……並んで同じ部屋に帰るというのは何だか物凄い違和感だ。
「昴さんは、これからどうしますか?」
部屋に帰ると、大河がそう聞いてくる。
「僕は、部屋でゆっくりしてるよ。大河は?」
「じゃあぼくは…船内を散策してきますね」
僕にはそんな元気もない。
紐育から持ってきた本に手に、窓の外に目をやる。
日本は、まだ遠い。

そんなこんなで僕と大河の同室生活が始まったわけだが…。

いかにシアターで毎日のように顔を合わせているとはいえ、大河との共同生活は僕の神経をすり減らす日々だった。
…僕は彼に自分の性別を教えていない。
その為に細心の注意をはらう僕と対照的に、大河は大河なりに気を使っているとしても生活していくうちにぼろも出る。
そもそも、性別不明を通しながら他人と生活するなど無理があることは自分でもわかってはいたが。
「…ん」
「わひゃ…昴さん!」
彼は毎日朝早く鍛錬に出かけるわけだが、ごそごそと動く音に目を覚ましてうっかり彼のほうを向いたのがまずかった。
「……」
彼は着替えの真っ最中だった。
…別に全身をくまなく見たわけではないが、流石に何を言えばいいか、悩む。
「…すまなかったね」
悩んだ末にそれだけ言うとくるりと背を向ける。
「す、すいません…今度から脱衣所で着替えますから」
泣きそうな声でそんな事を言われると僕の方が悪い事をしている気分になってくる。
それだけではない。
風呂上りにタオル一枚の大河に出くわしたり…明け方に肌蹴た布団をかけなおそうとしたら立派にそびえ立つモノを見せられたり。
まぁ、後者は不可抗力と言えば不可抗力なので大河には言ってはいないが。
逆に僕の方が着替え中に入ってこられて性別をばれそうになることもしばしばで、その度に大河は縮こまって恐縮するばかり。

「……ふぅ」
頬杖をつきながら、ソファにもたれかかる。
航行自体は順調で、あと半月もすれば日本に着く。
だが、その前に僕の身がもたないんじゃないだろうかと思うほど僕はぐったりしていた。
船内は近づくクリスマスを祝って日に日に盛り上がっているようだが僕はそれどころではない。
大河は僕を気遣ってか、寝ている間以外は極力部屋にいないようにしてくれていたので僕は遠慮なく部屋で休む日々が続いていた。
諸悪の根源、サニーサイドは寝不足の僕を見て
『大河くん、同室だから仕方ないとはいえ毎日のように昴が寝不足になるような事をしちゃダメだよ』
と下品な想像をしていたようなのでとりあえず黙らせておいた。
「あと、半月か……」
大河は、事あるごとに自分は開放寝台に行くからと言って聞かない。
…僕個人の精神安静上はその方がいいのは、自分でもわかっているのだが。
何故、僕は大河と同じ部屋で生活するのを受諾しているのだろう。
考えれば、すぐにその答えは見つかるかもしれないけれど。
考えるのも億劫で僕は重い瞼を閉じ、束の間の眠りに落ちる事にした。

「……っ…」
かすかな気配を感じ、うっすらと目を開ける。
黒髪が目の端に見えたと思ったら身体の上に感じる温かい重み。
かすかに指を動かすと、自分の上に毛布がかけられていた。
(大河……?)
言葉を囁くより先に、熱い吐息が近づいてきて…。
柔らかい唇が、重なった。
「…!!」
ぼんやりとしていた意識が、瞬時に覚醒する。
咄嗟にそれ以上何かしたら躾けるつもりで毛布の下の手を襟元に忍ばせようとする前に。
大河はすっと身体を離し、身を翻して部屋を出て行ってしまった。

「……」
一人、部屋に残された僕は目を開けると呆然としながら唇に触れる。
ほんの一瞬だったけれど。
紛れもない、唇の感触。
冗談とか気まぐれでそんな事をする人間には到底思えない。
じゃあ…と思い当たるのは。
「まさか……」
顔が熱くなる。
大河が、僕を?

けれど、夜に部屋に帰ってきた大河はいつもの彼だった。
僕にあんな事をしておきながらいつもと態度は変わらない。
「昴さん、食欲ないんですか?全然手をつけてませんけど」
馬鹿、大河。
誰のせいだと思っているんだ。
「別に…大河には関係ないだろう」
むっとしながら大河を睨みつけても大河は心配そうに眉をひそめるだけ。
気に食わない。
「おやおや、喧嘩かい?そういえばニホンには『夫婦喧嘩は犬も食わない』という言葉があるけどあれってどういう…」
「……ご馳走様。僕は先に部屋に帰る」
いろいろな意味で食事をする気分ではなくなったので、サニーを無視して立ち上がるとそのまま振り返りもせずに部屋に帰る。
さっさと着替えると手元の明かりだけを残し、ベッドに入った。
…眠くなどないが、他に良い方法が思いつかない。
もやもやした気分が、晴れない。
「昴さん?」
ほどなくして帰ってきた大河は、部屋が暗いのを知ると一応声をかけてきたが僕の反応がないと知ると静かになった。
眠れないまま、彼の動きを音で窺う。
大河の様子に変わったところは見られない。
…なんだかムカムカする。
何で、僕だけがこんなに彼を気にしなければならないのだ。

どれくらいそうして布団に丸まっていただろう。
隣の大河は既にベッドに入って寝息を立てている。
くるり、と振り向くとまっすぐ前に大河の顔が見えてぎょっとした。
意識せずとも、どうしてもその唇に目が行く。
あの唇と……。
ふいに、日中の口付けが思い出されて顔が赤くなる。
僕の意思ではない、一方的で一瞬で感触を確かめる暇もない口付けだったけれど。

ドクン、と心臓が音を立てて跳ねる。

彼は、どんな気持ちで僕にそんな事をしたのか。
同じ事をすれば、僕にもその気持ちがわかるのだろうか―――――。

そんな衝動に駆られ、身体はそっとベッドを抜け出すと彼の傍にひざまずく。
間近で見る大河の寝顔は安らかで、ただでさえあどけない印象を与える彼を更に幼く見せていた。
…思えば、こうして誰かの寝顔を間近で見ることなど今までどれほどあっただろう。
リカを馴染ませる為に星組全員で同じ部屋に泊まったときはなるべく誰にも近づかないようにしていたし。
誰かの寝顔を見たいなど、思ったこともなかった。
だがこうして見る人の寝顔とはこんなにも無防備なものなのか、と大河の寝顔を見ながらそんな事を思う。
……逆に言えば、僕も同じような顔を彼に見せていたという事になるが。

ドクン、と心臓が音を立てて跳ねる。

ただ、寝顔を見ているだけなのにどうしてこんなに緊張するのだろう。
そして、唇から目が離せないのだろう。
大河も……こんな気分になったのだろうか。

身体の奥から突き動かされるような、気持ちが。

僕を、支配する。


「……昴さん……」
「!!」
かすかに唇を合わせたあと顔をあげて閉じた瞼を開くと、大河の瞳は驚きで見開かれていた。
起きていたのか、それとも起こしてしまったのかという疑問は頭になかった。
人間、本当に驚いたときには声も出なくなるらしい。
心臓は止まるかと思ったが、不思議と声は出なかった。
呆然としたまま、見つめあう僕と大河。
だが、呆けているわけにもいかない。

「…昼間、君が僕にしたことと同じことをしただけだよ」

動揺を隠してそう呟くと大河は魚みたいに口をぱくぱくさせた。
それこそ、僕が気づいていないとでも思っていたのか。
「す…昴さ……起きて…たんですか……!?」
「だから、僕も同じ事をしただけだ。何か文句が?」
「い、いえ……文句はありませんけど」
鋭く睨みつけると大河はぶんぶんと首を横に振った。
途端に、彼の顔が真っ赤になって視線がおろおろと彷徨う。
悪戯を見つかった子供みたいだ。
「す……すいません、ぼく…」
「大河」
そのまま今にも逃げ出しそうな彼の腕を掴むと、大河の身体がびくんと跳ねた。
「昴さんが、風邪を引いたらいけないなと思って…毛布だけをかけて出て行くつもりだったんですけど…」
聞いてもいないのに、彼は素直に白状する。
僕に腕を掴まれたのを咎められていると思ったらしい。
「寝顔…見ていたら、つい……。ごめんなさい、不意打ちみたいなこと、しちゃって…その」
大河は傍目にもわかるほど狼狽して、言葉がしどろもどろになっている。
「や、やっぱりぼく、出て行きます!…は、離して下さい。昴さん」
大河はそう言って 掴まれた腕をぶんぶん振ったが、僕は離さなかった。
まだ、理由を聞いていない。
「…大河は、誰にでもこんな事をするのかい?」
射抜くようにまっすぐに瞳をとらえると、問いかける。
彼の唇が触れた場所を、指でなぞりながら。
「違います!」
「じゃあ何故?」
「それは……その」
ごくりと唾を飲み込んだ大河が、意を決したように叫ぶ。
「昴さんが好きだからです!」
だが言ってから恥ずかしくなったのか、その後は消え入りそうな声だった。
「だから…寝顔を見ていたら…悪いと思ったんですけど、でも……」
「ふぅん……」
耳まで真っ赤になって俯く大河の襟を捕まえる。
「だから寝込みを襲ったというわけか。いい度胸だね……君には躾が必要だ、大河」
「ど、どうぞ。覚悟していますから」
大河がぎゅっと目を閉じる。
小刻みに震えながら肩を竦めるその姿を見ると、何だか僕が彼をいじめているみたいだ。
ふぅ、とため息をつく。
彼は僕を好きだと言う。
僕は…どうなのだろう。
いつも一生懸命で、ひたむきすぎて、放っておけない存在。
だけど、放っておけないからという理由だけでわざわざ日本まで着いていくだろうか。
自分の性別がばれるリスクを冒してまで一緒の部屋で寝泊りするだろうか。
…そう考えると、おのずと答えは見つかった。
「大河」
彼の耳元で、そっと囁く。
「君は僕にとって……何者にも勝る存在だよ」
「え…それって…どういう……」
「君は本当に鈍いな。僕にはっきり言わせないと気がすまないのかい?」
「……はっきり言ってくれないと、期待しちゃいますよ、ぼく」
やれやれ、疑い深い事だ。
ジト目で見つめてくる大河に苦笑しながら、その頬に軽く口付けを落とす。
「…これでわかってもらえるかい?」
こくこくと頷く大河の頬が、夜目にもわかるほど朱に染まるのが面白い。
寝ている僕にはするくせに、自分がされるとここまであたふたするとは。
やっぱり僕にとって彼以上の存在などいないのかもしれない。
こんなにも、僕を惹きつけてやまない存在。
僕の、ポーラースター。


「……でも、やっぱりぼくはこの部屋に居ない方がいいと思うんです」
しばらくして落ち着いたのか、大河は開口一番そんな事を言った。
「何故?」
理由が分からない。僕も彼も同じ気持ちなら、問題などない気がするが。
「だって…その。一緒の部屋に居たら……意識しちゃうっていうか、やましい気持ちになるっていうか…」
もじもじと恥らう姿は乙女のようだが、会話内容は大河も男だったと言うべきか。
「君も…ちゃんと男なんだね。僕に欲情するんだ。…たとえば僕が、男でも?」
おかしくなってついそう言うと。
「そ、そんなの関係ありません!昴さんだから…今までだって、ええと…必死に我慢してたんですよ」
驚いた。
彼は彼なりに苦労していたという事か。
「…昴さんが嫌がる事はしたくないですから、だからお互いの為にもやっぱりぼくは…」
彼の言い分もわかる。
これまで彼が必死に僕の部屋から移ろう移ろうとしていたのはそれも理由なのだろう。
しかし、今更大河が開放寝台にうつったらそれこそサニーにどんな誤解をされないとも限らない。
…自分の貞操は大事だが、あのサニーに格好のネタを与えてやるのも癪だ。
「僕はいいよ…同じ部屋でも。君が不埒な行動をしたら、遠慮なく躾ければいいだけだし」
「昴さん…」
別に鉄扇さえあれば、彼に負けるとは思っていない。いざとなればその時に叩きだせばいい。
僕は割と気楽に考えていた。
それに。
…大河の寝顔を他の人間に見せたくないなんて、口が裂けても言えないけれど。






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