Farewell My Love



『……ありがとう。
あなたに出会えて……
あなたに愛されて……
私は……
とても幸せでした……
時の輪廻が続くのならば……
もう一度……あなたと……』


そこで彼女の意識が途切れる。
そして僕の意識が目覚める。
…何度同じ夢を見たかわからない。
繰り返し、繰り返し。
もう一ヶ月以上だ。
「いい加減にしてくれ…」
夢の中の彼女に向かって呟く。
僕に何をして欲しい。
僕に何を求める。
前世、僕は女性だった。
神に生涯を捧げる修道女であり、九条家出身の五輪の戦士の一人であり、大河の前世である高野聖に想いを寄せていた。
だが、それが何だって言うんだ。
前世は前世、現世は現世。
未来は過去を償う為にもやり直す為にもあるわけじゃない。
僕には僕の人生がある。
彼女が例え僕の前世であっても僕の現世にまで何かを求めるのは筋違いだ。
『何か』
その意味は分かっていた。
分かっているからこそ鬱陶しい。
毎日のように繰り返し同じ夢を見させられれば気にするなというのが無理というもの。
次第に自分の感情が夢に侵蝕されていくのがわかる。
彼女の感情は僕の感情なのか。
僕の感情は彼女の感情なのか。
境界の曖昧なアンバランスな感情。
向かう先はただ一人。
彼女が前世で愛し、僕が現世で慕う人間。
大河新次郎。
彼を想うのは前世の彼女か?現世の僕か?
…わからない。

いや、僕が女性であったならここまで悩まなかったかもしれない。
…現世での僕は前世と違い、男性として生まれついた。
それが偶然なのか、彼女が望んだのかは分からない。
ただ、僕は男性でありながら非常に特殊な性に生まれついた。
まずは生まれつきの霊力の高さ。
元々、霊力が高い人間には女性が多い。
ところが、僕は霊力が高いとされる女性をも凌ぐほどの霊力を持って生まれた。
…来るべき時に魔を滅するという五輪の戦士を筆頭に、霊力が高い人間を何人も輩出した九条家が扱いに困るほど。
そんな僕を生んだせいだろうか、母は僕を産んですぐ身罷った。
父も、僕が幼い頃に後を追うように亡くなった。
自分でも制御できないほどの高い霊力。
霊力のない人間が近づけば息が出来ないほどの力。
…僕の扱いを考えあぐねた九条家が、唯一の跡取りでありながら僕を欧州星組に入れた気分はよくわかる。
星組の人間達も選ばれた人間であったが、自分のそれは彼女達を遥かに上回っていた。
…感慨は沸かなかった。
どうせ、家にいても幽閉同然の生活だったのだ。
それから解放されることに喜びすらした。
だが、九条家が僕を星組に入れたのは霊力の高さだけではない。
星組に入る前後。
僕はあまりにも高すぎる霊力のせいだろうか、身体の成長が10歳前後にして著しく遅くなった。
専門家と呼ばれる人種によれば『霊力により成長が妨げられている恐れがある』らしい。
ダイアナがその霊力ゆえに寿命を縮めたように、僕は霊力ゆえに成長を阻害されたというところか。
もちろん原因究明、治療の為に密かに様々な事を試されたが一向に効果はなく、星組の解散と共にその事実は闇に葬られた。
僕は欧州星組で霊力を制御する術を身につけた。
与えられる演習も任務も過酷だったが、僕は顔色一つ変えずそれをやってのけた。
霊力だけではない。僕は才能も天から与えられていた。
天はニ物を与えず、という言葉があるが僕にはそれが与えられたわけだ。
だがこの身体では人並みの幸せなど得られる事は出来ない。
僕の外見は10年経っても変わらなかった。
人が羨むほどの能力を持ちながら、人並みに成長する事さえ適わない自分がおかしかった。
全てを捨てて全てを手に入れた、九条昴という存在。
それで良かった。
霊力を操り戦うことも、持てる才能を活かして舞台に上がることも好きだった。
それを与えられた自分は幸せだと思っていた。
大河新次郎、彼に会うまでは。


「おはようございます、昴さん」
「おはよう…大河」
いつもと同じような朝。
いつもと同じ彼。
変わらない毎日が始まる。
…ように見える。
実際は違う。
日々…人は変わりゆく。
彼も、僕も。
「昴さん。よかったら、今日…ぼくの部屋に来ませんか。母から手紙と一緒に新茶が届いたんです」
女の子のようにほんのり頬を染めて呟く大河。
公演が終わってから彼の部屋に行くとなるとそれなりに遅い時間になる。
…ということは、彼の中には『そういう期待』が多少なりともあるのだろう。
彼と知り合って、打ち解けて、心を通わすようになって大分経つ。
しかし、僕は彼に自分の性別を教えてはいない。教える気もない。
大河は好きだ。多分、友人以上の感情を僕は彼に抱いていると思う。
けれど、それ以上の関係になる気はない。
……自分の性別がわからないのを良い事に中途半端に期待をさせて、それを利用している自覚はあった。
きっと、知られれば彼に愛想を尽かされるだろう。
彼が僕以上に僕に好意を抱いているのは知っている。
時折、彼が僕を見つめる目が熱っぽく期待を込めた眼差しであることを知っている。
彼が僕に何を求めているか、知っている。
言葉だけでは超えられない壁。
もっと相手を知りたい。
相手の全てを知りたい。
好きな人と一つになりたい。
…正常な男子の正常な感情だ。
けれど、それを自分に向けられるのは鬱陶しい以外の何者でもなかった。
僕は彼の想いに応えられない。
僕は女ではない、まして男ですらない。
こんな身体で、どうやって彼の想いに応えろと?
自問自答しても答えは出なかった。
だが、大河を手放すことは出来なかった。
僕が見つけた僕だけのポーラースター。
彼が好きだ、例えその感情が彼が僕に向ける感情と違っているとしても。
性別なんて関係ない。
彼が好きで、好きでたまらない。
理由なんてわからない。
いつの間にか彼が自分の中で大きな存在になり、かけがえのない存在になっていた。
「…わかった。じゃあ、公演が終わったら君の部屋へ行くよ」
アルカイックスマイルを浮かべ、彼を見る。
嬉しそうに顔を輝かせる大河。
大河、大河。
僕は卑怯な人間だ。
君の優しさに甘えて自分自身と向き合うことが出来ない。
あの夢は自分の弱さが見せているのかもしれない。
大河。
僕は君が好きだ。
けれど、その感情が自分のものなのかわからなくなってきた。
前世の僕は五輪の戦士の運命ゆえにこの命をかけて君を、未来を守った。
そして、今生では君の強い意思でその運命を避けることが出来た。
だが、この運命は何処まで続いていくのだろう。
終わりなき宿命。
君の前世である高野聖を愛しながら、その想いを遂げる事も出来ずに死んだ僕の前世の彼女はさぞ無念だったことだろう。
二人はキスすらすることもなかった清い関係であった。
だが、むしろ僕にはそれが羨ましい。
どうして、同じようにはいられないのだろう。
僕が運命を退ける事が出来たのはたまたまにしかすぎない。
今生で君と結ばれる事など、出来ない。
ならば僕はまた生まれ変わって君に会いたいと願うのだろうか。
今度こそ、君と結ばれたいと想うのだろうか。
永遠に続く輪廻。
何故、僕は女に生まれなかったのだろう。
女であったなら、君を普通に愛して結ばれる事も可能であったのに。
あるかもわからない来世に願いをかけることなど馬鹿げている。
僕の想いは僕だけのものだ。
けれど、決して結ばれることのない想いを抱えて僕は何処まで大河を騙し続けられるのだろう。
一生隠し通す事など不可能だ。
僕はどうすればいい?大河。

「やぁ、こんばんは。お邪魔するよ、大河」
「どうぞ、昴さん。散らかってますけど、くつろいでください」
言葉とは裏腹に大河の部屋は片付いている。
「今、お茶を淹れますね」
そう言ってキッチンに消える大河を横目に見ながら椅子に腰掛けるとため息をつく。
さて、今日はどうやって彼をかわすべきか。
いい加減にキスの一つでも許すべきなのだろうか。
しかし、それとて後で僕が男だと知ったらショックを受けるだけの気もする。
第一、うっかりそんな事をしたら大河が止まらなくなる可能性もあるのだ。
…こんな事を考える自分は、本当に大河が好きなのだろうか。
彼のように純粋に彼を想えない。
好きだから一緒に居たい。
けれど、好きだから知られたくない。
自分の本当の姿を。
擬似恋愛でもいい。
僕を想像の中で如何様にしてくれても構わない。
だから、どうか僕に触れないでくれ。
君が大切だから、失いたくない。
この気持ちが前世の僕のものなのか現世の僕のものなのかわからぬまま、君の想いになど応えられない。
相反する二つの感情がひしめき合う。
心が引き裂かれるように痛んだが、この痛みは自業自得だということもわかっていた。
「昴さん、お待たせしました」
大河が湯気の立つ湯のみと茶菓子を持って現れる。
わざわざ湯のみまで用意しているところが凄いというか何と言うか。
「ありがとう、大河。良い香りだね」
「えへへ、ですよね。味も美味しいんですよ」
微笑む大河。
だが、落ち着かないのはやはり僕が居るせいか。
湯のみを持ち、手を添えて頂く僕を大河の視線が射抜く。
まるで、僕の一挙一動を監視されている気分だ。
…彼には自覚がないのだろうが。
「味はどうですか?昴さんのお口に合いますか?」
「ああ、とても美味しいよ。…大河は飲まないのかい?」
「え、ああ…はい。じゃあぼくもいただきます」
くすりと笑う。
「変な大河だな…僕に見惚れていたのかい?」
彼を挑発するような言葉を呟くのが火に油を注ぐようなものだとわかっていても。
それでも彼を見ていると、ついからかいたくなる。
こればっかりは性分なのかもしれない。
「え、ええと………ちょっと」
消え入りそうな声で彼は言う。
もじもじと下を向きながら湯のみを撫で回す仕草がおかしかった。
「僕の顔なんて見飽きているだろうに。毎日見てるんだから」
「そんなことないです!昴さんは…毎日見ていても見飽きません」
即座に否定されて驚く。
彼の熱っぽい瞳が、僕を見つめていた。
「ぼくは…昴さんだったら、ずっと見つめていたいと思ってます。…一生でも」
「……」
その言葉の切れ端に込められた想いが胸に刺さる。
彼は先へ、先へと望む。
僕は、後ろへ逃げるばかり。
細いピアノ線で成り立っているかのような感情。
脆く、傷つきやすいようでいて、触れれば傷つくのは自分。
触れてはいけない。
そんなことは頭では理解している。
わかっているのだ…この想いに行き場などない事は。
なのに、抑えられない。
張り詰めた緊張の糸の上で保たれていた均衡が…破れる。
視線が絡まり、顔が近づいた。
どちらともなく目を閉じ、唇が重なり合う。
…意思とは関係なく、身体が勝手に動いていた。
感情が理性を押し込めて、身体が精神を支配した瞬間。
全てがどうでもよくなって、意識は遥か遠くへ飛んでいってしまった。
彼の唇から、想いが伝わってくる。
愛情、欲情、熱情、激情…。
狂おしいほどの、僕への渇望。
自分のしている事を理解したのは、彼の手が僕の手首を掴んだ時だった。
「……!」
はっとして目を開ける。
目の前には瞼を閉じた大河の顔。
頭を殴られるような衝撃が全身を駆け抜けた。
「…いやだっ……!」
咄嗟に大河を力一杯突き飛ばす。
その勢いで、テーブルの上の湯のみが傾き、中身がこぼれた。
それでやっと大河も我に帰ったらしい。
「昴さん…」
「……」
身体が小刻みに震えて、どんなに止めようとしても止まらなかった。
両手を自分の身体に回し、落ち着けるようにきつく抱きしめても効果はない。
「昴さん、ぼくは…」
テーブルに広がる染みも無視して大河が近づいてくる。
「近寄るな!」
僕の叫び声に、大河の動きが止まった。
その瞬間を逃さず一目散に部屋から飛び出す。
「……っ!」
ひたすら走りながら未だに感触の残る唇を手で覆う。
自分のした事が信じられなかった。
何で、僕はあんな真似を…。
これは『僕』が望んだ事なのか?それとも僕の中の『彼女』が望んだ事なのか?
わからない。
拳で乱暴に唇を拭う。
だが、どんなに拭っても大河の唇の感触は消えなかった。


翌日、気乗りのしないままシアターに向かおうとホテルを出た僕を大河がホテルの前で待っていた。
「…何か用かい?」
「昨日はすいませんでした。昴さんの気持ちも考えずに…」
眉を顰める。
僕の気持ち、だって?
彼に僕の何がわかるというのだ。
大河を無視し、そそくさとシアターに向かう。
「昴さん!」
「すまない…今日は君の顔を見たくないんだ」
そう吐き捨てるように言うと、大河は追ってこなかった。
目を閉じる。
今日もまたあの夢を見た。
彼女は愛しい男の姿を目に焼き付けて、手を組み祈りを捧げながら最期を迎える。
来世で彼に会えることを祈って。
だが、会ってどうしたかったのかまではわからない。
会って、また愛して結ばれたかったのか?
それともただ会えるだけで良かったのか?
…誰か教えてくれ。

翌日も、その翌日も同じ夢を見た。
「…いい加減にしろ!僕に何を…昴に何を求める!」
虚空に向かって叫んでも答えなど返ってくるはずもない。
頭が痛い。
五輪の戦士であるというだけで何故ここまで苦しまねばならないのだ。
好きで生まれたわけではない。
好んだわけでもない運命に翻弄されて今を自分の意思で生きられないなら死んだほうがましだ。
…だが、こんな事で死ぬのも馬鹿げている。
どうすればいい。
答えは出ない。
限界が近づいていた。
このまま我慢し続けていればいずれ僕の精神が壊れてしまう。
理性で押し留めるのにも限度がある。
もう、楽になってしまおうか。
一時の苦しみを得ても、心の平安を取り戻す為に。

「大河」
「あ…昴さん」
大河とは、例の一件以来ぎくしゃくしたままだった。
僕に声をかけられて、一瞬嬉しそうに緩んだ顔をすぐに引き締めて大河が俯く。
「この間は…本当にすいませんでした」
「いいよ、気にしなくて。僕はもう気にしていない」
嘘だ。
だが、そう言わねばならない。
「…この間はゆっくりお茶を味わえなかったから、また君の部屋に行ってご馳走になってもいいかい?」
あくまでにこやかに微笑む。
「昴さん……」
予想外の言葉だったのだろう。大河の瞳がみるみる見開かれる。
「君が迷惑じゃなかったら、だけど」
そうは言いつつも大河が断るわけなどないのはお見通しだ。
「今日の夜に。だめかな?」
「いえ…昴さんがよければ、ぼくは構いません」
「じゃあ夜に伺うよ」
大河。
大河。
大河…
僕のポーラースター。

「こんばんは、大河。お邪魔するよ」
「こんばんは。どうぞ…昴さん」
以前のように、大河の部屋に入る。
「じゃあ、お茶淹れてきますね…」
大河がキッチンに消え、そしてお茶と茶菓子を手に戻ってくる。
繰り返される同じ時。
「お味はいかがですか?」
「ああ、美味しいよ。ありがとう、大河」
大河は、やや縮こまって僕を見ようとしない。
…無理もない。
「ねぇ、大河。君は前世の五輪の戦士…高野聖だった時の記憶があるんだよね?」
僕が大河に前世についてまともに尋ねるのは初めてだった。
封印された過去に触れれば彼を刺激する事を分かっていても。
聞かないわけにはいかない。
…その為にここに来たのだから。
「え?あ、はい…多少ですけど、あります」
「じゃあ前世の僕の記憶もあるんだ?」
「はい…もちろんです」
「どんな女性だった?聞きたいな、君がどう思っていたのか」
『君が』
嫌味な台詞だ。
「ぼくの前世であった高野聖は…昴さんの前世であった女性を愛していました。とても…」
大河はぽつりと呟く。
「彼女は聡明で優しくて素敵な女性で…聖は僧侶である事も忘れて彼女に惹かれていきました。
僧侶が修道女に恋をするなど許されないとわかっていても…抑え切れなくて、彼女に思いを告げました」
…大河の記憶は僕より鮮明らしい。
そんなことは、僕は知らなかった。
「彼女は、驚いた後に『私も…』と頷いてくれて、嬉しかった…。幸せでした。辛い旅も、苦にならないほど。
だから、彼女を失ったときには悲しんで…もう二度とこんな事を繰り返したくないと願って……」
ごくり、と彼が唾を飲む。
切なげな瞳が、ちらりと僕を見た。
「もう二度と五輪の戦士になど生まれたくないと思いながら、この世を去りました」
大河が目を閉じる。
それとも、それは大河の姿をした高野聖だろうか?
「ぼくがみなさんと違って生まれつきの五輪の戦士じゃなかったのは、きっと聖がそう思っていたからかもしれませんね」
大河が目を開けてはにかんだように微笑む。
「生まれたくないと思っていた、か…。けど、結局は信長によって五輪の戦士に覚醒させられてその信長は君の中にいる。皮肉なものだね」
嘲るような笑みを浮かべて呟くと、大河が悲しそうな目で僕を見た。
「昴さんも、五輪の戦士に生まれたくなかったんですか?」
「……!」
心臓を鷲掴みにされるような台詞に瞬間、世界が止まる。
何故、気付かれたのだ。
驚きを隠せずに大河の目を見つめると彼は揺れる瞳で僕を見つめていた。
「昴さんの前世の女性は五輪曼陀羅の犠牲となって、この世を去りました。きっと、愛していると言ったのに犠牲にした聖の事も信長の事も憎んだでしょうね」
自嘲気味に大河は言う。
違う。
違う。
違うんだ、大河。
「何で守ってくれなかったんだ、と罵られても仕方ない。聖はそう思っていました。自分が代わりに犠牲になれば良かったと悔やんで悔やんで…一生、悔やみ続けました」
そんなことない。
彼女は自分の意思で、犠牲になった。
本当に守りたかったのは世界じゃない。
ただ一人、愛する人だけを。
…だが、本当にそうか?
もしかしたら心の何処かで聖を恨んでいたのだろうか。
だから、その生まれ変わりである大河に惹かれる僕を詰るようにあんな夢を見せるのだろうか。
私を守れなかった男と幸せになる事など許さない、と。
……だから、男に生まれたがった?
そうなのか?
「昴さんにも、前世の記憶はあるんですよね?」
「…あるよ。君よりも曖昧だけど」
「じゃあ、時々不思議な気分になりませんか」
「……?」
大河の手が伸びてきて、僕の手を握る。
「…大河…っ!」
振り払おうとしても強い力で握られて振りほどけない。
「ここに居るのは誰なのか。この魂は誰のものなのか。この想いは誰のものなのか」
真摯な瞳が僕を真っ直ぐに貫く。
…大河も、僕と同じような思いをしている?
自分が自分でないような感覚。
確かに自分の身体も心もここにあるのに、誰かに、誰かの想いに支配されているのではないかという不安。
時の輪廻。
それが続く限り再び会う運命。
果たしてそれは幸福なのか?
……命を落とすかもしれないという恐怖をも超えるほどの甘美な想いなのだろうか。
「…僕は僕だ。それ以外の何者でもない」
内心を悟られないように、努めて冷静に呟く。
「そうですね、変な事を言ってごめんなさい。もしかしたら、昴さんも同じような気分になることがあるんじゃないかなぁって…えへへ」
照れくさそうに大河が笑う。
同じような気分どころではない。
僕はもう、それに支配されかけているのだ。
大河の手がそっと離れる。
ふと、淋しい気がした。
…気のせいだ。
「大河」
「はい」
彼の名を呼ぶ。
首を傾げ、答える彼。
「僕が好きか?」
真顔で問う。
「…好きです」
大河は、その問いにいささか驚いたようだがすぐに顔を正して答える。
「それは誰の想い?」
「昴さん…?」
「君はさっき言っただろう。ここに居るのが、魂が、想いが誰のものなのかわからなくなると」
「それは……でもぼくは」
「もうやめよう」
はっきりと、僕は言った。
「昴さん…!!」
大河が思わず立ち上がる。
そんな彼を見つめながら、僕は今まで隠し通してきた秘密を口にした。
「昴は言った…僕は男だ。前世とは違う。君の気持ちには応えられない、と」
「……昴さん…」
「僕の前世である修道女は確かに君の前世である聖を好きだった。時の輪廻が続くのならば、もう一度生まれ変わっても会いたいと思っていた」
驚きで目を見開いたままの大河を見つめながら呟く。
「だが、それは前世の記憶だ。前世は前世。現世は現世。例え過去がどうであっても、僕は過去に縛られるつもりはない」
大河の顔が歪み、切ない瞳が僕を見る。
そんな顔で見ないでくれ。
せっかくした決心が鈍ってしまうじゃないか。
「過去、結ばれなかったとしても現世でその想いを叶える道理もない。もうよそう。叶えられなかった想いに、お互いひきずられるのは」
「昴さんは、ぼくたちの想いが…過去にひきずられただけだと、そう言いたいんですか?」
「違うのか?前世、悲劇的に引き裂かれた恋人同士。それが現世で出会い、前世の悲願を果たすべく惹かれあってもおかしいことじゃないだろう」
ただ、と更に言葉を紡ぐ。
「残念ながら、今生では僕は男に生まれたから悲願を果たす事は不可能だけどね。…それに僕の前世は本当に君を恨んでいたのかもしれないよ?」
鉄扇を手に婉然と微笑みながら彼を挑発する。
僕を憎め、大河。
失望して嫌いになってくれ。
お願いだから。
「愛してると言いながら守ってくれなかった男と結ばれるのは嫌だと思って現世では男に生まれたのかもしれない、どう思う?大河」
「……」
大河は答えない。
「君にずっと性別を隠していたのは謝るよ。余計な期待を持たせたなら悪かったね。君は多分、僕を女だと思っていたんだろうし」
大河は無言のまま僕を見ていた。
表情を窺い知る事ができないほど凍りついたまま。
「君と一緒に居るのは楽しかったよ。これからも良き友人としていてくれないか。…勝手な願いだけどね」
そう言い終えて椅子から立ち上がる。
言うべき事は言った。
しばらくは口も聞いてもらえないかもしれないが、これでいいのだ。
これがお互いの為。
彼には僕と違って未来があるのだ。
僕に縛り付けるのはもう止めよう。
それが彼のため。
…いや違う、自分のエゴのためにすぎない。
自分の身勝手さに唾棄したい気分だった。

「…昴さん」
「何だい」
ドアに向かおうとした僕の背に抑揚のない声が投げかけられる。
「あなたは、ぼくに言いましたよね。『僕が男であるとか女であるとかそういう事はどうでもいい。一人の人間として付き合っていきたい』と。あれは嘘だったんですか」
「……」
唇を噛む。
嘘じゃない、嘘じゃなかった。
少なくとも、夢に纏わりつかれる前は本気でそう思っていた。
拳を握りしめる。
昔のように能面を被ればいい。
そうすれば、どんなに心に思っていない台詞でも吐ける。
「…そう、思っていたよ。君を翻弄するのは楽しかった。僕の思うがままで……実に興味深い存在だった」
まるで、最初から君の事など本気で思ってなかった、という意味合いを込めて囁く。
「だが、君の想いに応えられないのに君に求められるのにいい加減疲れたよ。君が僕を抱きたいと思っているのは知っている。…けど、鬱陶しいんだよ、そういうの」
飽きた玩具を捨てるみたいに。
冷ややかな視線で彼を見る。
僕はもう君なんか必要じゃないんだよと。
…心とは裏腹の事を言う。
本当の事などどうして言えよう。
言えば君を苦しめるだけなのに。
「……君に預けた僕の命は、返してもらう」
それが、最後の宣告だった。
「昴さん…」
「わかってくれたかい?じゃあ失礼するよ」
「そんなの、わかりませんよ!!」
強い力で腕を引っ張られる。
手加減も遠慮もないその力に身体が彼のほうへ引き摺られた。
…彼の力は、こんなに強かっただろうか。
「…大河!何をする!」
よろめき、倒れそうになるのを必死に堪えて大河を睨みつける。
「昴さんは…ぼくの気持ちなんてこれっぽっちもわかってなかったんですね」
大河が暗い瞳で僕を見下ろす。
それは、以前対峙した彼のダークに似ていて…ぞっとした。
「ぼくは昴さんが男でも女でも関係ない。本気で、そう思っていたのに」
「…それはお生憎様だったね。でも僕にはそういう趣味はないんだよ。離してくれないか、大河」
虚勢を張って彼に歪んだ笑みを向ける。
「……離しません」
「何だと…、っ!」
もう一方の手を掴まれたと思ったらそのまま無造作に壁に叩きつけられた。
衝撃に息が詰まる。
反射的に閉じた目を開くと、目の前には僕の両手を片手で掴んで頭上に高く掲げさせ、微笑む大河がいた。
「昴さん、好きですよ。貴方が男であっても…女であっても。好きだから、こうしたいと思っていました」
いつものように優しく微笑む彼。
…いつもと違うのは、彼の手が、僕の身体を滑るように撫でた事。
「な…何をする!離せっ」
「ぼくがどんな思いで我慢していたかなんて、昴さんは知らないでしょう」
大河はふっと笑うと僕のスーツのボタンを外す。
「いつもいつも昴さんに触れたいと思って、想像の中で、あなたをこうしていました」
僕のネクタイを解いた大河はそれに口付けるとするりと抜き去り、無造作に床へと落とす。
はらはらと桜のように舞ったネクタイが蛇のようにとぐろを巻いて地面に渦を描いた。
「馬鹿…!やめろ!やめろ、大河!」
じたばたともがいても有無を言わせぬ力で押さえつけられる。
指すら動かせぬほどの強い力で手首を戒められていて鉄扇を取り出すことすら出来ない。
「ああ、夢みたいだな…本物の昴さんに、こうして触れられるなんて…」
彼の指が僕の首筋に触れ、そのままシャツのボタンを外していく。
あらわになる素肌。
鳥肌が立った。
大河は本気だ。
本気で僕を…。
「大河…!離せ!僕は男だ!こんな事をして…ただじゃおかない!」
強がってみても彼には全く効果がない。
指は止まるどころか僕の素肌を撫で、うっとりとした表情を浮かべている。
「わかっていますよ、昴さんが男なことも…こんなことをしたら、あとで躾けられることも」
「だったら…離せ!今ならまだ何もなかったことにしてやる!これ以上何かしたら…」
「これ以上…例えば、こんなことですか?」
大河の指が、僕の胸の突起をぎゅっとつまんだ。
「…う、ぁっ…!」
痛みと羞恥に身を捩る。
「いいなぁ…昴さんの声。普段と違ってちょっと裏返るんですね。知らなかったです」
「大河、いい加減にしろ!冗談もほどほどに…」
「…昴さん。まさか、本気でぼくが冗談でこんな事してるんだと思ってます?」
きょとんとした顔で彼が言う。
「そんなわけないでしょう。ぼくは本気ですよ。本気で昴さんが好きです」
「だったら…こんな事はやめろ!僕は嫌だ!」
頭を振って必死に抵抗しても、押さえつけられた身体はびくともしない。
そろそろ手首の感覚がなくなってきた。
「…ごめんなさい、昴さん。でも、ぼくをこうさせたのは昴さんですよ」
「僕が…何故……」
「ぼくの気持ちを踏みにじったから。ぼくはただ、あなたと居られれば良かったのに」

身体中を衝撃が走る。

共に居られればいい。
それは僕だって同じだ。
「違う…僕は…大河、僕は……」
気持ちが言葉にならない。
違うと言いたいのに。
僕だってそうだと言いたいのに。
「昴さんが望まないなら…ずっと我慢しようと思っていました。けど、昴さんはぼくの気持ちを弄んだだけだったんですね」
「違う…!違うんだ大河!」
「それでも好きですよ、昴さん。前世?現世?そんなもの関係なく、あなたが好きでたまらないんです…」
大河の唇が重なり、押し込むようにして舌が差し込まれる。
口内を犯す大河の舌を何とか押し戻そうとしても、大河の舌は右へ左へ逃れ、僕の舌に絡みつく。
「…っ……」
その間にも僕の肌をまさぐる手は下へ下へと伸びて、僕のベルトに手をかけた。
「…やめろっ……!!」
「怖い、ですか?」
くすりと彼が笑う。
…これは誰だ。
本当に大河なのか。
「ぼくは昴さんの全てが知りたいんです…ね、大好きな昴さん」
「いやだ…っ!」
ベルトが外され、ズボンのファスナーが下げられる。
大河は下着ごと乱暴に僕のズボンを掴むと、引き摺りおろした。
「……っ!!」
目を瞑り、顔を背ける。
とてもじゃないが直視できない。
「…本当だ。昴さんは男性だったんですね」
感心したように大河が呟く。
「これで、わかっただろう…!だから、離せ!!」
「離したら、抵抗しないって約束してくれます?」
「ふざけるな!」
きっと顔をあげ、大河を睨む。
「約束してくれないなら、ダメです。本当は、こんなに乱暴にしたくないですけど、仕方ないですよね。昴さん、素直じゃないし」
彼の指が、そっと僕に触れる。
「…んっ!やめ、ろ…!!」
「昴さんがちっちゃいから当たり前なんですけど、ここも小さいですね。…良かった、実はぼくより大きかったらどうしようとか思ってて」
愛しいものに触れるように、優しく撫でられて背筋に悪寒が走った。
何で、彼はこんなに平然としているのだ。
他人のなど触って何が楽しい。
大河は、呆然とする僕を見つめて嬉しそうに言った。
「ここも、昴さんの一部ですもんね。たっぷり、可愛がってあげないと」
言うなり、陰茎を掴まれて扱かれる。
「は、ぁっ!…よせ…やめろ…」
「昴さんの姿……すっごくいやらしいですね。男の人でもこれだけいやらしいのなら、女の人だったらもっといやらしかったのかな」
耳元で囁く大河の息遣いも興奮しているのか、少し荒い。
「いやだ…こんな事……僕は…」
「ぼくも、男の人にこんな事するのはじめてですけど、昴さんだからかな。何か、楽しくて仕方ないです…」
「僕は楽しくない!」
首を振る。
ひらひら舞う髪が大河の顔を撫ぜて、大河はくすぐったそうに目を細めた。
「せっかくなら昴さんも楽しみましょうよ。ね、その方がいいですよ」
「大河…」
何故この状況でそんな事を言えるのか、彼の頭が理解出来ない。
彼はおかしくなってしまったのだろうか。
「昴さん、ほら…昴さんの身体だって、楽しみたいって言ってますよ」
僕に見せ付けるように、勃ち上がる僕自身を手を添えて囁く。
「違う…!そんな事、思ってない!」
「ねぇ、昴さん。ぼくにプチミントの格好をさせて楽しんでいたのは、ぼくが本当の女の子だったら嬉しかったからですか?」
「……」
大河の言葉が理解出来ない。
どうしてそんな話になるというのだ。
「ぼくが女の子に生まれれば丁度良かったのに。世の中、上手くいかないものですね。でも、男同士でも気にしませんから、ぼく」
拷問のような手淫は続く。
…男というのは悲しい生き物だ。
自分の気持ちとは裏腹に、刺激されれば勃ちあがってしまうのだから。
男としても未成熟な自分でもそんな反応をするのは知らなかった。
初めて与えられる刺激。
身体中がざわつく。
羞恥と気持ち良さの混じる、甘い責め苦。
「…っ…たい、が…やめろ…」
奥歯を噛みしめて湧き上がる射精感に耐える。
「…我慢しなくてもいいですよ。ぼくは、平気ですから」
「っ……」
僕は平気じゃない、と言おうとしてやめた。
まるで、自分の限界が近い事を教えるような気がしたから。
「昴さん、凄い綺麗…ぼく、ドキドキしちゃいます。昴さんがイク時の表情はどんなだろう、って考えると」
「……ふざける、な…!」
怒りに任せて彼に向かって蹴りを放とうとしても中途半端に膝の辺りまでおろされたズボンが絡まり、上手く足が上がらない。
大河はやすやすと蹴りをかわす。
「おっ、と…昴さん、怖いなぁ。でも怒った昴さんもやっぱり綺麗です」
「大河…許さない……僕にこんな事をして…ただで済むと思うな!」
「その台詞はさっき聞きましたよ」
大河が子供をあやすような笑みを浮かべる。
「でも、まだそんなに抵抗する元気が残っていたんですね。さすがは昴さんだなぁ。…ちょっと、『躾が必要』ですね」
「……やっ!…いやだ…!!」
手の動きが早まる。
「あ、あっ…よせ…大河…いやだ、嫌…!!」






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