そのまま夕食も食べずにただ毛布に包まれたままその日を過ごし、翌日の授業も無断欠席した。
…無断欠席などするのは初めてだ。
そもそも、欠席すらしたことがなかったのに。
でも、今日だけは昴にも担任にも会いたくなかった。
どちらの顔もまともに見れる自信がない。
夕方、ドアをノックする音がしても答える気力もなくベッドの上でぼんやりしていたら。
「……大河。いるんだろう、ここを開けろ」
「!」
外から昴の声が聞こえてきた。
「昴さん…」
一昨日までの自分なら。
昴が訪ねてきてくれたことに一も二もなく喜び、ドアを開けただろう。
だが、今の自分は昴に会うのが怖かった。
…すぐにでも開けたい衝動を抑えながら、室内から言葉だけを返す。
「…何の用ですか」
「……君が無断欠席したのを誤魔化して、配られたプリントまで持ってきてあげたというのにご挨拶だね」
自分の冷たい声にも昴は気を悪くした様子もせずに、苦笑するような声が返ってくる。
「まぁ、開ける気がないなら構わない。プリントは部屋の前に置いておくよ」
「あ…」
気付いたときには身体が勝手に動いてドアを開けていた。
自分の部屋の鍵を開けようとしていた昴はそんな自分を見て、こちらへやってくる。
「……入ってもいいかい?」
天使のように優雅で優しい笑み。
自分が、それに逆らえるはずもなかった。
「…全く、昨日からそのままだったのか。制服が皺だらけだ」
「……」
すたすたと部屋に入ってきた昴は、くくっと喉の奥で笑う。
言われて気づいたが、昨日部屋に帰ってきてから着替えもせずにずっとベッドの上にいたので。
モスグリーンの上着はあちこち皺が寄っていた。赤いネクタイも解けかけている。
同じ制服姿でも完璧に着こなしている昴と比べると大違いだ。
「へぇ、君の部屋も間取りは変わらないんだね。…大河らしい、整頓された部屋だな」
昴は興味深げに辺りを見回しながらプリントを机に置く。
自分はただ黙ってそんな昴を入り口近くに立って見つめるだけ。
「…今日はどうしたんだい。そんなに衝撃的だった?昨日の光景が」
ふと、しなやかな指が机の上にあったロザリオを手に取った。
くるりと振り向くと目線が合う。
窓から差し込む夕陽を背にした昴は昨日の光景を思い出させて胸が痛んだ。
形の良い唇にどうしても目が行く。
あの唇に…。
「……昴さんは、先生が好きなんですか」
自分にそんな事を言う権利ないとわかっていても、疑問が口をついて出る。
『Je te veux』
あの曲を弾いていた昴は担任教師を想って弾いていたのだろうか。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。
醜い感情が自分の中を支配して、全身が黒く塗りつぶされているような気分だった。
「僕が……?ははっ、なるほど。大河はそう考えるんだ…まぁ、あんなことをしていればそれもそうか」
昴はその言葉がさも愉快とばかりに笑い声をあげる。
「だとしたらどうなんだい?男同士でそんな事をしたらいけないと説教でもされるのかな」
手の中の十字架をひらひらと弄びながら昴は呟く。
神が許さないとでも?と言いたげに。
「す、昴さんが、誰を好きになろうと昴さんの自由です。でも…あんな事をして誰かに見られたら……」
昴に説教をする資格など自分にはない。
自分だって、男同士だというのに昴に恋焦がれているのだから。
でも、他の人間は違うだろう。
教義では同性同士の恋愛は禁忌。
見つかったら神に背いた者として重い罰を受ける。
神に愛されたかのごとき美貌と才能を持つ昴がそんな目に合うのは嫌だった。
…違う。
そんな昴を見たくなかった。
「ああ、僕を心配してくれるのかい。大丈夫だよ、見たのは君だけだ。君が黙っていてくれればいい。…黙っててくれるよね?」
「……!」
それはお願いではなく、命令だった。
自然と俯いていた顔をあげると、昴は婉然と微笑んでいる。
「…約束してくれるかい?」
昴はそう言うと、手の中の十字架を咥えた。
思わず目を見開く。
十字架を咥えるなど、神父が見たら卒倒するだろう。
「大河」
神への冒涜的な行為をしながら、昴は自分に向かって手を差し伸べる。
「約束してくれるまでこれは返してあげないよ。…返して欲しかったら取り返してご覧。君の口でね」
全身の血液が逆流するような感覚がする。
目の前の昴は…倒錯的で、背徳的で、それなのにこれ以上ないほど美しかった。
抗いがたい魅力を放つその姿に。
逆らうことなど、出来はなしない。
吸い込まれるような黒い瞳に見つめられながら、おそるおそるその手を握る。
血液の通ってないような冷たい手。
ぐっ、と引き寄せられるともう自分の理性は限界だった。
「昴さん……」
昴がかすかに唇を震わせると、十字架が光を反射して輝く。
「ぼくは…」
光を浴びて輝く十字架の一片を咥えると、目を閉じる。
十字架を通して、昴と自分は今、一つだった。
ああ。
とうとう自分も神に背いてしまった。
なのに何故こんなにも身体中を痺れさせるほど幸せなのだろう。
道徳、モラル、何もかもがどうでもいい気分だった。
堕ちていく自分を自覚しながら、それでも止められない。
昴の手を自分からぐっと握りしめる。
このまま。
このまま昴とずっとこうしていたい。
時が止まればいい。
永遠にこうしていたかった。
だが、無情にも時が止まることなどありはしない。
絡められた手がすっと離れ、十字架が傾くのに気付いて目を開けると、そこにはいつもと変わらない昴が居た。
「…約束してくれるんだね。嬉しいよ、大河」
自分に向かって微笑むその姿は一瞬前までの行為など微塵も気にしていないようだ。
…自分は夢を見ていたのかとすら思いそうになったが。
「これで君と僕は秘密を共有する友人だ。…これからも仲良くしよう、ずっと、ね」
昴のその言葉が現実だったと実感させる。
秘密。
甘くて残酷な言葉を吐いた昴は、そのまま横をすり抜けるとさっさと自分の部屋に帰って行ってしまう。
自分が、利用されている事は心のどこかではわかっていた。
昴は自分の気持ちを知っていてそれを利用しているだけだ。
自分の事などなんとも思っていない。
でも、それでも。
この恋心を止められない。
唇の力を抜いた拍子に、未だ咥えたままだった十字架が床に落ちた。
地に落ちた神をぼんやりと見つめる。
もう神は自分に微笑む事はない。
神よりも美しくて残酷な悪魔に魅入られた自分は。
堕ちていくしかないのだから。
それからの昴は、『友人』の言葉通りに今までよりも親しく接してくれた。
自分から近づかずとも朝食を隣の席で食べてくれて、休日はお互いの部屋で過ごしたりもした。
…担任も昴もあんなことがあったというのに、どちらも全く様子は変わらない。
昴との秘密を共有しているのが自分だけではないことには激しく胸が痛んだが、考えない事にした。
たとえ二人が好きあっているとして、自分には何も言う権利などないのだ。
ただ、昴と友人でいられればいい。
それでいいのだ、と思い込む事にした。
だが、そんな自分の想いはすぐに打ち砕かれた。
他でもない、昴によって。
ふと、目が覚めた。
隣の部屋から話し声が聞こえる気がして。
その日は早寝をしていたので正確な時間は分からないが、もう夜中に近いはずだ。
…誰かが昴の部屋に来て話し込んでいるのだろうか。
昴が部屋に人を入れる所は見たことがないが、自分が知らないだけかもしれない。
だが、こんな夜中に…というのに胸騒ぎがした。
小声で話しているのか、会話の端々しか聞こえないが何故だか胸がざわつく。
昴の声が、どことなく甘みを帯びているように感じるせいだろうか。
いつもの癖で、壁に聞き耳を立てるともう一人の人間の声が聞こえた。
耳を澄ます。
……想像通りで、聞きたくない声だった。
「…いいだろう?」
「ダメだよ。隣には大河がいる。…聞こえたらどうするんだい?」
そんな会話が聞こえて、竦みあがる。
「聞こえやしないさ。もう寝てる」
「…あっ……」
ベッドが、ぎしりと動く音がした。
混乱した頭の中で、必死に思考を巡らせる。
何が。
一体何が。
昴に何が起こっているのだ。
「ぁ…っ……ダメ…そこは…んぅ……」
かすれたような声。
昴の声が聞こえるたびに、ベッドがぎしぎしと音を立てる。
担任の声は聞こえない。
「あぁ……んっ…イヤ……だ…」
自分の瞳が零れそうなほど見開かれて、充血しているのがわかる。
頭に全身の血液がのぼってしまった気がして、手足は小刻みに震えていた。
眠気はとうに吹き飛んで、その場を動く事もできない。
瞬きすら忘れて、自分は昴の声に聞き入っていた。
以前聞いたときよりも、更に甘くてすすり泣くような声。
イヤ、というその声は何処か誘うような潤みを帯びている。
いつもの涼しげで鈴を鳴らすような声が、今は息苦しさに喘ぐような声に変わっていた。
「あぁん…やっ……んんっ…ぅ…」
それでも、必死に声を押し殺そうとしているのはわかる。
時折、声が大きくなりそうになると抑えるようにくぐもった声に変わるのだから。
聞いてはいけない、と心が警鐘を鳴らす。
何も聞かなかったことにして、今すぐ布団を被って耳を塞ぐべきだと。
昴の嬌声は止まない。
むしろ、喘ぐ感覚がだんだん短くなっていく。昴の興奮を示すように。
「やっ…やぁ…っ……あぁ…そん、な…深く…くぅっ………」
混乱していた頭は、少しずつ冷静になってきていた。
そして、それと同時に昴が何をしているのかも理解していた。
…自分にだって、そういう知識が全くないわけじゃない。
男同士の場合がどうするのかは全く分からなかったが世の中にはそういう性癖の人間も居る以上、出来ない事はないのだろう。
ただそれを聞いているだけの自分の息が荒くなっているのに気付く。
昴はまるで虐められて泣いているかのような声で、とてもいつもの毅然としたあの昴と同一人物とは思えない。
だが、それに自分の血が滾っているのが嫌でもわかった。
「……」
暗がりの中で下半身に目をやると、はちきれんばかりに昂っている。
ぼんやりと取り出すと、目を閉じてそれをゆるやかに扱く。
こんな事はしたことがなかったが、何故か無意識にそうしていた。
「……っや…や……あぁ…ぁん……あ、うぅ…」
瞼の裏に自分の上で喘ぐ昴を思い浮かべる。
本来なら男の姿をしているべきなのだろうが、昴の肌をまともに見たことがないせいだろうか。
そして喘ぐ昴の声が女性のようでも、女性の裸など小さい頃に母親を見たきりだからだろうか。
…目の奥に浮かんだ昴は男性でもなく、女性でもなかった。
さながら天使のように性別のない肢体。でも、それこそ昴らしいと思いつつ。
「…んっ…んぁ……はぅっ…は、はっ…はぁっ……」
壁越しの昴の声を聞きながら、それに合わせて瞼の裏の昴を組み敷き責めたてる。
細い肢体が、人形のように揺さぶられながら自分の名前を呼び、絡みつくのを想像して。
あられもない声をあげる昴をむちゃくちゃにする自分を想像する。
それは儚い妄想ではあったが、この上なく甘美な気持ちに全身が包まれた。
恍惚とした気分に満たされるのを感じながら手の動きを早めていく。その先にある『何か』を求めて。
「…はぁ…昴さん……昴さん…」
昴の名を呼ぶ自分の声も、いつもとは違う野生的で荒々しい声だった。
こんな声をする自分など知らない。
自分の想いは、もっと純粋なものだと思っていた。
昴が欲しいと想っていてもそれは心であって肉体ではないと。
だから、昴にキスされそうになったときにも拒んだのだと思っていた。
たとえこの恋が禁忌だとしても。
想いは神聖なものだと思っていた。
至高の愛、至高の恋。
男同士という許されない恋であっても、それだからこそ想いは美しいのだと。
……そんなのは嘘だ。
自分は肉欲の伴った想いを昴に抱いている。
昴を自分のものにしたい。
この想いを遂げたい。
昴を、穢してしまいたい。
「昴さん……、っ!」
「はぁ……あっ、あっ…あぁぁぁ……っっ!!」
昴の一際長い悲鳴のような声と共に、自分の限界を感じて手に欲望の証をぶちまける。
それまでの甘い声が止んだところをみると、昴も達したらしい。
「はぁっ……はぁっ……はぁ…」
荒い呼吸を整えようと肩で息をしているのは、自分なのかそれとも昴なのか。
頭の中では、あの曲が流れている。
『Je te veux』
あなたが欲しい―――――。
悲しくて、切なくて、そして虚しくて涙が流れた。
昴を純粋に好きでいたかった。
例え悪魔のように残酷な人だとわかっていても、神のように崇めていたかった。
もう、何もかも遅い。
許されぬ恋は後戻りの出来ぬ所まで来てしまった。
昴が無垢な天使ではなかったように、自分ももう純粋ではないのだ。
心の痛みと共に、何故人に肉体があるのかその意味を知った日。
子供だった自分の少年時代は終わりを告げ、過ぎ去った日々を惜しんでただ泣いた。
涙が枯れ果てるまで。
……暗闇に閉ざされた瞳の奥では、いつまでも昴の弾くピアノが流れ続けていた。
結局、その後は一睡すらすることは出来なかった。
目覚まし時計の鳴る音がぼんやりと聞こえる。
いつの間にか、朝になっていたらしい。
よろよろとそれを止めて、ふと机の上の鏡を見ると酷い顔だった。
目の下には真っ黒な隈が出来て、髪はぼさぼさだ。
……今日が休日で良かった。
こんな状態で誰にも会いたくない。
だが。
こんこん、とノックする音が聞こえて身体がびくっと震えた。
「大河、昨日借りた本を返しに来た。開けてくれないか」
「……」
「大河、いるんだろう」
いつもと変わらぬ昴の声。
開ける気などなかったのに。
つい表情もいつもと変わらないのか確かめたくなって、気がついたらドアを開けていた。
「…大河、おはよう……って」
「おはようございます、昴さん」
さんざん泣いたせいだろうか、声が少し掠れていた。
自分を見た昴はそのぼろぼろさにだろうか、目を丸くしている。
どう思われても構わないと思いつつ、本を受け取るとドアを閉めようとしたが。
「本、もう読んだんですね。じゃあ……」
「大河」
昴の手がドアを掴んだ。
そして、すっと細くしなやかな指が顔に伸びてくる。
目を縁取るようにして、指先が触れた。
「目が真っ赤だ…寝不足かい?」
「……なんでもありません」
その手をはらい、自分の部屋へと逃げるように戻る。
そのまま鍵をかければいいのに、心の何処かで昴が自分を心配して入ってきてくれるとでも思っていたのだろうか。
…そしてその通りになった。
「…以前にも似たような事があったね」
後ろ手にカチャリと鍵をかけたのも、予想通りの行動だった。
昴ならきっとそうするだろう。
そう思っていた。
「…何のことですか」
立っているのも億劫で、ベッドに腰掛けると昴が近づいてくる。
「……声は抑えたつもりだったんだけど、聞こえてしまったかい?」
見下ろすようにして自分の前に立つ昴を見上げると、昴は妖艶に微笑んでいた。
「…ぼくに、聞かせるつもりだったんじゃないんですか」
考えるより先に、嫌味が口をついて出た。
その顔があまりにも余裕しゃくしゃくだったから、つい苛立った。
「僕が、君に?ははっ、何故そんな必要がある?君に聞かせてどうするというんだい?」
昴はさも愉快げに声を立てて笑うと身体を屈め、耳元でこう囁いた。
「でも、君も興奮してくれたみたいだね。……換気はきちんとした方がいい。匂いが残っている。あと証拠も」
「!!」
反射的に昴の顔を見ると口元だけが笑っている。
「…何なら、君の相手もしてあげようか。僕は構わないよ」
天使の顔をした悪魔が自分を見て微笑んでいた。
「……っ……!」
そのまま口元に降りてきた温かい唇を、今度は拒む事ができなかった。
脳の芯が蕩けそうなほど、柔らかくて甘い香りを放つ口付け。
昴は軽く一度唇を重ね合わせると、何度か啄ばむようにして唇を重ね合わせてくる。
その凶悪的な誘惑に我を失いそうになるのを拳を握りしめて耐えてはいるが。
寝間着のボタンを外されて、素肌を露にされるのを止めることができない。
…何だか、自分が抱かれるみたいだ。
そんな事を霞がかった頭で思う。
昴は慣れた手つきでボタンを全て外してしまうと、服の中に指を滑り込ませながら舌を首筋に這わせてくる。
「…!すば、る…さ……」
「……君は何もしないのか。それとも、僕に抱かれたい?」
くすくすと鈴を転がすような笑い声が室内に響く。
昴の指は一本一本が生き物のように艶かしく動きながら自分の身体をまさぐる。
熱い吐息が自分の口から吐き出されると、昴は満足そうだった。
黒い瞳が妖しく光って、細められる。
「す…ば…る……さんは、誰とでも…こんな事…っ……する…んですか」
聞いても詮無き事なのに。
あまりにも躊躇のないその仕草に自然に言葉が漏れた。
昨日の夜は他人とこんな事をしていて今日は自分と。
その神経が信じられない。
昴には罪の意識や道徳観というものが全くないのだろうか。
「……だったらどうだっていうんだい」
だが、昴は自分の問いが不快だというように眉を顰めただけで手を止める事はなかった。
長い指が、心臓を掴むようにすぅっと置かれ、そのまま力をかけられただけで自分の身体は簡単に傾いだ。
ベッドがぎしりと音を立て、倒された身体の上に、昴が乗りかかってくる。
「毎日が退屈なんだ」
「っ!!」
刺激されて立ち上がった胸の先端を、爪でぎゅっと摘まれた。
抑えた悲鳴が自分の喉から出ても、昴は更に力を込めて握りつぶしてくる。
まるで、お仕置きだとでも言わんばかりに。
「…こんな所に閉じ込められて、気が狂いそうになる。神と聖母を崇めながら清らかな学生生活を送る?……反吐が出る」
本当に唾でも吐きかけない様子で、昴は眉間に皺を寄せた。
苦々しい表情が、それが本音なのだとわかる。
こんなに激昂した昴は始めて見た。
「ここはまるで監獄だ」
昴は言った。
「檻に入れられた哀れな小鳥なんだよ、君も、僕もね。息抜きくらいしないとやってられない」
自嘲気味に笑うその姿も美しいと思ってしまうから。
ぐっ、と馬乗りになられ下半身をすりつけられて自分が勃ち上がっているのに気付いた。
こんな状況なのに、身体は正直だ。
期待に膨らむ自分の股間が解放を求めて身動ぎするのに気付いた昴が天使のように微笑む。
「……ねぇ、大河。君は他人と肌を重ねた事はあるかい?…こんな風に」
いつの間にか自らのシャツも肌蹴させた昴が上半身を倒して、身体を重ね合わせてくる。
なめらかな肌が直に触れて、その温かさに意識が飛びそうだった。
自分の身体を包む柔らかくて心地よい温もり。
…もちろん自分には初めての経験だったが、生々しい人肌の感覚に頭が痺れた。
同じ男性とは思えないほど昴の肌はすべすべしていて、絹のようだ。
「……っ」
無意識に、手が空中を彷徨う。
その華奢な肩を抱きしめてしまいたかった。
理性と本能のせめぎ合いがしばし繰り返され。
…ほんの数秒後に理性は本能に負けて、ありったけの力を込めて昴を抱きしめていた。
「…大河」
昴は自分の行動にやや驚いたのか、肩を小さく震わせたが逃げようとはしなかった。
むしろ嬉しそうに顔だけを上げると、瞳が悪戯な笑みを浮かべる。
「その気になってくれたのは嬉しいけど、ちょっと苦しいよ。…焦らなくてもいい。今の僕は君のものだ」
君のもの。
その言葉を聞いて、自分の中で何かが弾けた。
初めて自分からせがむように昴の唇を奪うと、熱い舌が滑り込んでくる。
いつもの自分ならそんな事をされたら驚くはずなのに。
その舌を絡めとるように自らも舌を伸ばした自分は、もう自分ではなくなってしまったのかもしれないと。
心の何処かで思った。
ソドムの罪。
禁断の恋。
それらの言葉が頭の端に浮かんでは、すぐに消えた。
「……っ…ふ…はぁ…っ…」
舌を絡めあう深いキスをしながらもお互いの手は止まらない。
自分の手は昴の素肌をまさぐって、時折胸の突起に触れてはそれをくりくりと弄ぶ。
その度に昴の唇の端から甘い吐息が漏れるのが脳を刺激して、更に興奮を煽られていく。
壁越しに聞く声よりも耳元で喘がれる声はリアルで、どうすればもっと昴が喘いでくれるのか、感じる場所を探してしまう。
昴の行動はもっと大胆で、下半身に伸びてきたと思ったら服の中から勃ち上がった陰茎を取り出されて扱かれた。
自分でするよりも繊細だが容赦のない動きにあっという間に限界が近づく。
「すば……昴さ…ん…離して……ぼく、もう……」
「…イきそうなのかい?いいよ、手に出しても。……僕が、受け止めてあげるから」
手の動きを早められると、自分の口からは吐息と喘ぎ声が絶えず漏れた。
昴に自分のそんな声を聞かれるのを恥ずかしいと思う辺り、弾け飛んだと思っていた理性も少しは残っているのだろうか。
手で刺激されるほど意識は一点に集中し、解放に向かってのぼりつめていく。
昴の唇が、指が、肌が悩ましい動きで欲情をそそり、我慢など出来はしなかった。
「………昴さ、んっ!」
目を閉じ、何もかもを忘れて放出の快楽に身を任せる。
昨日より段違いに気持ち良いと思うのは、昴の温かい肌の温もりを感じるせいだろうか。
何度かぴくぴくと蠢いた自分の分身が精を吐き終えたのを確認して、目を開ける。
昴の白い手は自分のどろどろした液体で汚されていた。
「……昴さん…すいません、手、汚しちゃって…」
「別に構わない。でも、手に収まらないかと思ってちょっと焦ったな」
からかうように笑う昴に顔が赤くなる。
昴は平然とそれを始末すると、身支度を整え始めた。
「…じゃあ、僕は帰るから。気が向いたら、また相手をしてあげるよ」
「え……」
まさか、これで終わりだとは思っていなかった。
自分はまだ昴に何もしていない。
…いや、厳密には何もしていないわけではないがこれでは自分が一方的に達せられただけだ。
物足りない。
「…嫌です」
気が付いたときには身体が勝手に動いて昴を引き寄せていた。
「大河」
自分とも思えないギラギラとした欲望が、全身に沸いてくる。
昴の肌を味わい足りない。
もっと喘がせたい。
昴の全てを自分のものにしてしまいたい。
取り戻したと思った理性は目先の欲望に再び押さえ込まれてしまったのだろうか。
昴が男だとかそういう事は頭になく、ただ自分のものにしたいという欲求に頭は支配されていた。
「まだ、昴さんが……」
言い訳じみた事を言いながら首筋にキスを落とし、再び服の下の素肌に触れようとしたら。
「僕はいい」
冷たい声と共にするりと身をかわされた。
「でも」
尚も言いすがるときっ、と睨みつけられる。
「勘違いしないでくれないか。そこまで許すと言った覚えはない……調子に乗るな」
心を切り裂くような抑揚のない声が、発せられた。
そのままくるりと去ろうとする昴の身体を今度はもっと強く引き寄せる。
「大河!」
苛立った声で名前を呼ばれても気にならなかった。
昨日の夜、そしてさきほどと昴によって火をつけられた性的興奮は、我慢できないほど高まっていて。
再び勃ち上がった昂りで昴を征することしか頭に無かった。
…男同士の性的行為のやり方などわからなかったが。
「大河、やめろ…っ!」
腕の中でじたばたともがく昴を羽交い絞めにし、なめらかな肌をまさぐる。
体躯の違いもあって、本気を出せば昴が逃げる事は出来ない。
こんな強引なやり方は本来好きではないが、既に頭に血がのぼっていて正常な思考は停止していた。
昴は本気で嫌がっているのか、表面にはぷつぷつと鳥肌が立っていたが止まろうとは思わなかった。
小柄な身体を力ずくで押さえつけ、蝶の羽を毟り取るようにしてシャツを肘まで抜くと、白い背中があらわになる。
「昴さん…」
「……っ。大河…よせ」
その背中に頬ずりをするようにして口付けながら、ズボンに手をかけると昴が大きく身を震わせた。
「…やめろっ!」
昴の声は、もう耳に入っていない。
手を爪が食い込むほど強く掴まれても、それは弱々しい抵抗でしかなかった。
「昴さん……たとえソドムの罪を犯しても…ぼくはあなたを……」
もう一度、名前を呼びながらズボンの中に手を入れると昴の口からくぐもった悲鳴があがった。
「……?」
自分と同じ場所に同じものがついていると思ったのに。
何故か昴の恥部はつるつるしている。
思わずそれを探して更に無遠慮に手を突っ込ませると、わずかに湿った茂みに触れた。
「……え?」
「…んっ!痛っ!」
驚きと混乱のあまり、指を動かした拍子に爪で茂みの周辺を軽く引っ掻いてしまったらしい。
昴が身を捩り、苦痛の声をあげた。
その声ではっと我に帰る。
あきらかに男ではない身体。
一瞬、昨日の想像の中のように昴には性別がないのかと本気で思った。
だがすぐにそんなわけがないと思い当たる。
自分を振り向き、うっすらと涙を滲ませて睨みつける昴は恥辱に唇を震わせていた。
華奢な身体、男性とも思えない美貌。
「大河……許さない…よくも…」
聖書によれば神はこの世にアダムを作り、アダムの肋からイヴが生まれたという。
そして、この世にそれ以外の人間は居ない。
つまり……。
そこまで考えた所で、今まで頭にのぼっていた血がすぅーっと下がるのを感じてそのまま意識が闇に溶けた。