それからも、昴は折りを見てピアノを教えてくれる。
あくまで勉強に差しさわりのないようにと短時間ではあるが。
だが、浮かれてばかりはいられない。
未だに、時折…昴の部屋からは担任の声がする。
外で一緒に居る姿も見る。
「……」
その度に、わざとらしく物音を立てて自分が居る事をアピールするくらいしか出来ない自分が情けない。
本当は、言及したい所だが下手に事を荒立てて昴に累が及ぶのが怖い。
昴の性別がばれれば、ここには居られないのだ。
向こうもそれがわかっているのだろう。
昴はともかく、担任も慌てる素振り一つ見せずしないのが気に食わなかった。
流石に、聞き耳を立てられながら事に及ぶ気はないのは助かったが。
『好き、という感情は相手を自分の意のままにしなければ気が済まないのか。そんなに、自分の望む相手で居て欲しいのか』
昴の言葉が甦る。
自分は、昴にどうあって欲しいのだろう。
…自分にだけ微笑みかけて欲しい。自分だけの昴でいて欲しい。
そういう気持ちは、間違いなくある。
だけど、好きだから幸せでいて欲しいとも思っているのだ。
昴が、何故女性の身でありながらここに居るのかはわからないけれど。
それでもここに居たいと思っているのならばそれを手助けするべきなのだ。
わかっている。
わかっているのに…。


「大河くん」
そんなある日、音楽室に向かおうとしてふと廊下ですれ違った担任に声をかけられた。
俯いたまま、ぴたりと足が止まる。
「キミも魅入られたのかい?あの天使のような顔をした悪魔に」
「……何のことですか」
ぽん、と肩を叩かれる。
名前を出さなくても誰の事を言っているのかは明白だった。
「随分、ご執心のようだね…まぁ、あの悪魔に誘惑されたら大抵の人間は骨抜きにされるだろうねぇ。特にキミなんかは」
「…!!」
「けど、気をつけるんだよ。悪魔に魅入られた人間の行き着く先は…破滅しかないのだから」
わざと勘に障る笑いを浮かべながら、そう呟かれる。
睨みつけるとおどけたように降参のポーズを取られた。
「怖いな、そんなに嫌わないでくれよ。秘密を共有する者同士、仲良くしようじゃないか」
せっかく神聖な天使の園に舞い降りた悪魔と戯れる権利を得たんだからさ…と囁くとそのまま去っていく。
「……っ」
自分の中の一番醜くて黒い部分が心の中でとぐろを巻く。
昏い、沼の底に沈むような感覚。
けれど、こんな感情は昴には見せられない。
「大河?遅かったね」
先に音楽室で待っていた昴を見るとほっとする。
自分の醜い感情が、全て昴によって洗い流されていく気がする。
「昴さん…」
無性に昴に触れたくなって、足早に近づきその手を握りしめると気持ちがだんだん落ち着いていく。
「どうしたんだい、手なんか握って」
昴が困ったように笑う。
「…いいえ、なんでもないです。遅れてすいません」
この恋は誰にも言えない、報われる事のない、辛くて苦しい恋だけれど。
心の喜びも、痛みも、全て昴がくれたもの。
他の誰でもない、昴だけが自分を支配する感情。

恋は、もっと美しいものだと思っていた。
けれど、美しいだけではないから人は恋をするのだろうか。
自分の醜い部分を見せ付けられても。
叶わないとわかっていても。
それでも相手の傍に居たいと願ってしまうほどの想いだから。


「……弾けた!」
自分の心を打ち消すようにピアノにうちこみ、簡単な曲が両手で弾けたときには思わず嬉しさで叫んでしまった。
「昴さん、間違えずに弾けましたよ!」
隣の昴を振り返るとぱちぱちと拍手をしながらこちらを見て微笑んでいる。
「おめでとう。どうだい、気分がいいだろう?」
「はい、とても。…なんだか、成し遂げたって気がします」
何度もあとちょっと、という所で間違ったり左手だけ遅れたり。
その度に気ばかりが焦って尚更間違える箇所が増えたりしていただけに感慨もひとしおだった。
壮大な曲じゃなくても、演奏じゃなくても、弾けたという事実が嬉しい。
弾いている瞬間は、何もかも忘れ自分が音の世界にとけたような気がする…と言った昴の気持ちが少しだけわかった気がする。
「じゃあ、一曲弾けたところで年明けまでしばらくお休みだね」
「え…」
「もうすぐクリスマスで生誕祭の準備で忙しいし、それが過ぎれば大河も実家に帰るのだろう」
「そ、そうですね…」
昴が窓の外に目を向ける。
外には粉雪がちらついていた。
もうすぐ一年に一度だけ、家に帰ることを許される年末年始だ。
本来なら、久しぶりに家族に会える楽しみな日のはずなのに昴と離れると思うと気乗りがしない。
「昴さんも…帰るんですよね」
「いや、僕は帰らないよ」
さらりと昴は言う。
「え?帰らないんですか」
「…まぁ、色々あってね」
あまり言いたくないらしい。
昴はそれきり帰らない事情については教えてくれなかった。
そして、クリスマス当日。
ミッションスクールにおいて、一年で一番の盛大な行事であるクリスマス。
主なる神の生誕を祝う儀式。
生徒や教員全員で聖歌を歌い、遠方より呼び寄せた神父の講演やミサが行われ、最後にはキャンドルサービスも行われる。
特に一人ひとりが持つ蝋燭に火が灯され、暗闇の中でそれが浮かび上がる姿はそれは見事だったのだけれど。
本来なら、厳かな気持ちで臨まねばならぬそれらも昴の事しか頭になかった。
大人数の中でも昴の透き通った声が聞こえてはドキドキし、暗闇の中でキャンドルに淡く照らされる昴の横顔に顔が熱くなる。
じっと見ていたのに気付かれたらしい。
ふと、こちらを見た昴は「退屈だね」と言わんばかりに微笑んだ。
「……」
口を開きかけて、思い留まる。
厳粛なミサで私語は厳禁。
出かけた言葉はため息となり、空気に溶けた。
見上げれば、ステンドグラスに描かれた聖母と主が自分を見下ろしている。
こんな醜い自分はいつか罰を下されるのかもしれない―――――。
でも、出来れば罰を受けるのは自分だけで。
昴には罰がくだらないようにと、祈りを捧げた。


そして、生徒が家に帰る日。
「いっておいで、大河。久しぶりの外の空気だ、楽しんでくるといい」
昴はそう言ってコートについた埃をはらってくれた。
「昴さん…」
「ほら、いい加減にしないと乗り遅れるよ」
急かされるようにして、馬車に乗り込む。
ぐずぐずしていたせいで、自分が一番最後になってしまったようだ。
「あ、あの……昴さんも身体に気をつけて」
窓にぴったりと張り付き、次第に遠くなっていく姿を見つめる。
「……やっぱり、止めてください!」
5分もしないうちに、御者に向かって叫ぶと御者は慌てたようだがどうでもいい。
無理やり止めさせると、駅までの金を握らせて自分は一目散に学校に向かって走る。
やっぱり、昴を置いてなど帰れない。
「昴さん!」
「大河……?なんで、君が」
昴は、思ったとおり音楽室に居た。
無我夢中でその身体を抱きしめると、昴はびくっと肩を震わせたが突き飛ばされる事はなかった。
「えっと…その、ごめんなさい。昴さんに、もっと…ピアノを教えて欲しくて」
下手な言い訳だ。
「本当に?」
黒い瞳に覗き込まれて、戸惑う。
「………昴さんの傍に居たくて」
「馬鹿だな、君は……」
素直に白状すると、呆れられたようにため息をつかれる。
やっぱり、迷惑だよな…と昴の身体を離そうとしたら逆にしがみつかれた。
「昴さん?」
「君は、馬鹿だ。でも、僕も馬鹿だな。ほんの少しだけ…こうなるような気がしていたのだから」
「昴さん……」

結局、実家には一人前の自覚が出来るまで帰らないというような苦しい言い訳をして。
学校側にも謝り倒して冬休みの間もここに居れる事になった。
てっきり帰ってくるとばかり思っていた母は落胆していたようだが、父は自分の言い訳を信じたのか。
それなら来年も帰ってこなくていいと言われてしまった。
大切な家族に、嘘をつくことに罪悪感がないと言ったら嘘になる。
けれど。
「大河」
自分の傍に彼の人が居てくれるなら。
何もかも、どうでもいい。

朝から晩まで昴と過ごす夢のような日々が続き、やがて大晦日の日。
「…せっかくだから、一緒に過ごそうか」
あれだけ盛大だったクリスマスと比べると、生徒がほとんど帰宅している分、大晦日は静かだった。
数少ない残った生徒は談話室で過ごす者も居れば、一人で静かに過ごす者もいる。
でも、自分は…。

「…いいよ、入っておいで」
昴にそう言われて扉を開けると、室内は暗く、昴がクリスマスの時のようにキャンドルを手にベッドの上に座っていた。
「暗いから、気をつけて。…隣へどうぞ、大河」
蝋燭の灯りに照らされた昴が、背中に被っていた毛布を広げて自分を誘う。
一緒に過ごそう、とは言われたがまさかこんな形でとは思いもしなかった。
何だか、頭がくらくらして足元がおぼつかない。
本当に夢のような光景だ。
否、これは夢なのかもしれない。

自分が昴の隣で。
一枚の毛布にくるまって。
揺らめくキャンドルの灯りを見つめているなど。

「余っていたようだから、一本くすねてきたんだよ。…本当なら、一人で過ごす予定だったんだけどね」
だけど、もしかしてこれは…と蝋燭をじっと見つめていたら昴が笑いながらそう説明する。
いつの間に…と思ったが、悪戯っぽく笑う昴の横顔も綺麗だった。
「まぁ、君と過ごすのも悪くないかもしれない」
所在なさげにベッドの上に放り出していた手に、昴の手が重なる。
そうして、昴と一緒にキャンドルを持たされた。
「こういうのも、悪くないだろう?クリスマスの時のように大人数だと鬱陶しいけどね」
僕は静かに過ごす方が好きだから、と昴は呟く。
「はい…何だか、夢みたいです」
それが素直な感想だった。
それから、言葉少なめに時間を過ごし。
「ああ、もうすぐ年明けだな」
ふと時計を見ると、0時になるまで数分だった。
蝋燭も、大分小さくなっている。
そして。
きっと巷では盛り上がっているのだろうが。
驚くほど静かに、年が明けた。
「あけましておめでとう…大河」
「あけましておめでとうございます…昴さん」
ふっ、とキャンドルの灯りが消えた。
昴が吹き消したのだろうか。
蝋燭の灯りが消えると辺りは静寂の闇に包まれる。
「昴さ……」
暗闇の中で、昴の動く気配を感じた次の瞬間には。
柔らかくて温かいものが、唇に触れた感触がした。
わずかに開いた唇に、吐息がかかる。
嬉しい、と思うのに胸が痛むのは何故だろう。
目を閉じる。
心臓は早鐘を打っていたが、不思議と昴を抱きたいとかそういう気持ちにはならなかった。
そのままもつれあうようにしてベッドに横たわる。
「……大河、僕は」
まどろむ意識の中で、そう囁く昴の声が聞こえた気がしたが。
その先を聞くことは出来なかった。
言葉もなく、ただ抱き合う。
それだけなのに。
今までで一番昴の心に近づけた気がするのは―――――。
きっと、気のせいだと思うことにした。



昴と心行くまで過ごせた正月期間が終わり、いつもの日常が戻ってくる。
もうすぐ、進級。
クラスが変われば、昴とは別のクラスになるかもしれない。
けれど、昴があの担任と離れられるかもしれないと思うと心は複雑だ。
そんなある日。

「失礼します」
放課後、校長室に来るようにと言われ、昴との約束の時間までに終わるだろうかと思いつつ訪れると。
「久しぶりだな、新次郎」
「一郎叔父!」
そこには、久しぶりに会う叔父の姿があった。
校長の姿はない。どうやら、叔父が自分に会うための口実だったようだ。
「元気そうで良かった。姉さんが泣いていたぞ、会えると思ったのに、と」
「すいません……」
そう言われると会わせる顔がなくて、思わず俯く。
「学校生活は順調かい?友人とは上手くやっているのか?」
「はい、問題ありません」
嘘だ。
だが、逸る鼓動を悟られないようにぐっと拳を握りしめながら丁寧に答える。
わざわざ叔父がやってきたのだ、もしかしたら何か…。
嫌な予感がした。
「そうか、それは良かった。ところで―――――」
微笑んでいた、叔父の目がすっと細められる。
「俺の気のせいならいいんだが、良からぬ噂を耳にしてね」
校長室に居るのは二人きりだが、まるで聞かれたくない話をするように、叔父は声のトーンを落とす。
「お前が、特定の人物と友人の域を超えて親密なんじゃないか、と…」
「!!」
叫びそうになったのを、ぐっとこらえる。
予感はしていた。
友人にも冗談まじりで冷やかされることもある。
その度に内心の動揺を隠して同じく冗談で返してはいたのだが。
まさか、叔父の耳に入るほどの噂になっていたとは…。
「そういう連絡を受けてね、お前に限ってそんな事はないと思っているが、念の為に様子を見に来たんだ」
「……」
落ち着け。
落ち着け。
必死に自分に言い聞かせる。
悟られてはいけない。
そんな事はないと、冷静に言わなければならない。
汗ばむ掌を握りしめながら、顔をあげる。
「…だ、誰がそんな事を?ぼくは別に……」
「失礼します」
凛とした声が、背後から聞こえてきた。

「やぁ、よく来てくれたね」
叔父が、自分の背後の昴に声をかける。
さきほどまでとはうってかわった、いつもの明るい声で。
「どうぞ、中へ入ってくれ。九条…昴くん」
「……失礼します」
昴はやや遠慮気味に中へ入り、自分の背後で立ち止まる。
「…何の御用でしょう。取り込み中でしたら時間をずらしますが」
冷静な口調。
昴はこの状況をおかしいと思わないのだろうか。
それとも、態度に出ていないだけだろうか。
「いや、その必要はないよ。ああ、自己紹介が遅れたね。俺は大神一郎。この学校の理事長をしている」
「存じています。わざわざ理事長が僕に御用とは一体なんでしょうか。それに…」
昴はそこで一旦言葉を切り、一呼吸おいてから続ける。
「何故、大河もここに?」
昴の疑問はもっともだ。
自分は何故昴が自分と一緒にここに呼ばれたかわかっているが、昴は聞かされているわけがないのだ。
「ああ、新次郎は俺の甥でね。君が来るまで世間話をしていたんだよ、君の事とか」
「……なるほど」
一見、普通の会話が交わされているかのように見えるが。
自分にとっては一句一句が居た堪れなく、生きた気がしない。
…自分が理事長の甥であることは、昴には言っていなかった。
昴は、それを知ってどう思っただろう。
身体が竦んで言葉すら挟めない自分を情けないと思いつつそんな事を考える。
「君の噂は聞いているよ。学校始まって以来の天才だと。お目にかかれて光栄だよ」
叔父の差し出した手に、昴は手を差し伸べると二人は軽く握手を交わす。
「新次郎とも友人として仲良くしてくれているみたいだしね。不束な甥だけど、君に迷惑をかけたりはしていないかい?」
「一郎叔父!ぼくは…」
「新次郎は俺の姉の一人息子で一人っ子なせいかどうも頼りない所があってここへ入れたんだが、俺は新次郎の教育も任されているものでね」
馬鹿な叔父だと思われるかもしれないけど心配なんだよ、と叔父は笑う。
「…大河はしっかりしていますよ。僕も、途中から編入してわからないことばかりだったのを彼に助けてもらいましたから」
氷のような美貌に優雅な微笑を浮かべて、穏やかにそう言い返す昴の口調には全く澱みがない。
「そうか。それなら良かった。これからも、新次郎と仲良くしてやってくれないか、学生時代の友人は、貴重だからね」
「僕の方こそ。大河は大切な友人ですから」
友人、友人。
繰り返されるその言葉にぐさぐさと心を抉られるのが自分だけとわかっていても。
どんよりと心は重く沈んだまま、いつの間にか二人の話は終わって昴はその場から去っていた。

「新次郎」
叔父が自分の肩に手を置く。
「わかっているな、くれぐれも間違いなど起こさないように、勉学に励むんだぞ」
叔父のそんな言葉も、全く耳に入らなかった。


「……」
「おや、来たのかい。てっきり来ないかと思っていたよ。叔父上に何か言われたんじゃ?」
いつものように、昴はピアノを弾きながら音楽室に居た。
「…さっきは、すいません」
「何が?」
昴はさらりと言い返す。
「僕はただ理事長に挨拶をされて君の事を頼まれただけだ。君が謝る事など何もないだろう」
「……そうです、けど」
「まぁ、君が理事長の甥だとは知らなかったな。…そんな甥に、間違いでもあったら困るという叔父心というやつか」
「昴さん!」
昴の弾くピアノの音が、美しいけれど何処となく悲しげな旋律を奏でる。
胸を締め付けられるような、甘く切ないメロディー。
「…何だか、悲しげな曲ですね」
「まぁね。……強いて名前をつけるなら別れの曲、という所だから」
「……!」
クスリと笑う昴に絶句する。
「君が何を言われたかは大体想像がつくよ。あんな事までしたんだ、親は心配するだろう」
あんな事、とは年末年始の事だろうか。
昴の傍にいたかったとはいえ、代償は高くついた。
自分の思っていたよりも、はるかに。
「昴さん、ぼくは…」
物悲しいメロディーがだんだん早くなり、しまいには心に突き刺さるような鋭い旋律に変わる。
わざとかと思ったが、どうやら曲自体がそうなようだ。
やがてさざ波が引くように元の旋律に戻り、悲しげな余韻を残して昴は曲を弾き終えた。
別れの曲を。

「大河も、もう一人でも簡単なのは弾けるだろう。僕がわざわざ毎日のように教える必要も無い」
「昴さん…」
予想はしていたが、いざ言葉に出されるとショックだった。
「すまなかったね、僕につき合わせて。これからは、普通の友人として仲良くしよう、大河」
昴は、パタンとピアノの蓋を閉じる。
「僕も気をつけるよ。君が、あらぬ誤解を受けるのは申し訳ないからね」
それが、距離を置くという意思表示なのは遠まわしでもわかった。
友人、友人、友人。
その言葉ばかりが鬱陶しいほど頭を掠める。
そう、友人。
友人で居ると約束したはずなのに。
少しずつ近づきつつあった昴との距離が、はっきりと遠ざかったのがわかって。
「……」
ぼんやりと外を見ると、礼拝堂の頭上に夕陽を浴びて輝く十字架が目に入る。
これが、神が自分に下した罰なのかもしれないと。
そんな事を思った。


それから。
昴は「気をつける」の言葉通り何処となく自分とは距離を置くようになった。
休日を一緒に過ごすこともなければ、放課後にピアノを教えてくれることもない。
友人、という立場でならば別に避けられているというほどではないのだ。
教室に居る間は普通に話すし、食事を隣で食べたりもする。
でも、確実に何かが変わった。
少なくとも、自分にとっては。
昴が、言葉に出さずとも態度で拒絶をしているのがわかる。
少しずつ、心を開いてくれた気がしていたのが嘘のように心を閉ざしているような。
…気のせいかもしれない。
自分の思い込みかもしれない。
「大河」
自分に向かって微笑みかけるその姿に変わりはない。
でも、一緒に過ごす時間が減り、自然と会話も減る。
淋しい。
最近ではずっと一緒に居るのが当たり前のようになっていた分、淋しくてたまらなかった。
昴以外の友人と話していても、気は晴れない。
あれ以来、ピアノには触れていない。
昴が隣にいないのなら、弾きたいという気も全くおきなかった。

まるで禁断症状のように。
日ごとに昴への想いが募っていく。

普通に友人でも。
普通にクラスメートでも。
普通に隣人でも。
それだけじゃ、足りない。
尽きぬ泉のように昴への想いが溢れて、止まらない。
けれど、表に出してはならない。
彼の人に、迷惑がかかるから。
自分のせいで昴に迷惑がかかるようなことがあってはならない。


想いを振り払うかのように、叔父の言うとおり勉強に打ち込んだ。
昴とピアノを弾く代わりに誰もいない教室で、陽の落ちるまでひたすら机に向かう。
自分の部屋でないのは隣に昴がいるかと思うと落ち着かないからだった。
静かな教室で、黙々と勉学に励む。
その間だけは集中して昴の事も考えずに済む。
大きなステンドグラスから夕陽の差し込む静かな教室で次々に問題を解いているうちに。
よほど集中していたのだろうか。
「……大河。そこ、間違ってるよ」
ふと、肩に重みを感じたと思ったら囁くような声が頭上から降ってきた。
「え、何処ですか?」
あまりにも自然なその態度に。
何故昴がここに居るのだとかそういう疑問の前に思わず口をついて出たのはそんな言葉だった。
「ここさ…」
「あ……」
ちらりと横を見ると昴の細くてしなやかな指が頤に伸びてきて、ついと上向かせられる。
微笑む昴と、目があった。
吸い込まれそうなほど深い闇をたたえた瞳が自分を見つめている。
「……」
何かを言おうと震えながら開いた口は、熱い昴の唇に言葉を封じ込められた。
さらりと零れた黒髪が目の前にかかって、髪の間から尚も黒い瞳がじっと自分を見つめるのをぼんやりと見返す。
握っていた鉛筆がぽとりとノートの上に落ちる音は、下校を促す鐘の音にかき消された。


昴はそれ以上自分を脱がせるわけでもなく、猫がじゃれつくように戯れにキスをしたり舐めたり、軽くひっかいたりする。
性的な刺激や興奮を煽るというよりも、触れるたびに声を殺しながら耐える自分の姿を見て楽しんでいるようだ。
「……っ……ぅ」
ブレザーを着たままの昴の肩を掴むと、昴が顔を上げて目線が合う。
こんな事をしているというのに潤んでもいなければ欲情すら窺えない退屈そうな色が浮かんでいる。
そんな瞳を薄く細めて目だけで笑うと昴はこう言った。
「僕に何もしないのかい?……される方が好きならそれでもいいけど」
「……」
確かに自分は昴の服には一切手をかけていない。
前半身が肌蹴た自分と対照的に昴はネクタイすら結んだままだ。
脱がせるのは、容易い。
でも昴の肌を見たら、触れたら、そのまま何処までも行ってしまいそうで怖くて触れることが出来なかった。
今ならまだ昴がこの行為に飽きてくれれば終わらせられる。
かなり拷問に等しい行為だけれど、それも叔父の事で迷惑をかけた昴への贖罪だと思えば我慢できる。
ここしばらく二人きりになることさえ避けていた昴の突然の行動に戸惑いがないわけじゃないが。
これもきっと昴の気まぐれ―――――そうに違いない。
だから昴の気の済むまで好きにさせようと、そう思っていた。
けれど、昴は黙ったままなのが気に障ったらしい。
急に美しい眉を吊り上げて、鋭い目線で睨みつけられた。
「……随分、余裕そうだね。拒む度胸はなくても、僕がこんな所でこれ以上するはずはないだろうとタカをくくっているのかい?」
余裕なわけではないが腹の内をさぐり当てられてギクリとする。
確かに教室という誰かに見られてもおかしくない状況では昴がこれ以上の事をすることはないだろうという気持ちはあった。
だから好きにさせていたという部分もある。
「……」
答えられずに目線を逸らしたのが肯定の意だと捉えられたらしい。
「甘いよ。大河、君には……躾が必要だ」
勝ち誇ったように微笑む昴の瞳は、獲物を見つけた狩人のような輝きを放っていた。





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