ACT 1
電車に揺られ、その駅で降りたのは単なる気まぐれだった。
そこは光己にとって初めて降り立った街。
光己はこれから暮らしていく場所を探していた。
つい数日前までは元・恋人に養って貰っていたが、自分からそこを出たのだ。
光己に親はいない。
母親は光己が小さい時に家を出ていた。
父親は妻の家出後殆ど家におらず、時たま金を置いていくだけの存在になっていた。
そんな父親とは1年前に死別していた。
母親も4年前に死亡したと聞かされていた。
光己は天涯孤独の身の上なのだ。
街をぶらぶらと歩き、光己は目にとまったカフェに入る事にした。
店に入ると、すぐに黒髪ショートヘアーのウェイトレスが席に案内してくれた。
ドリンクを提供するカウンターの前を通りながら、中の男があまりに長身なのに驚く。
顔も整っていて、どこか品がいい雰囲気が漂っている。
メニューを渡し、ウェイトレスが去っていく。
居心地がよく、落ち着いた店内の雰囲気に光己は自然と肩の力がぬけた。
メニューを見て、少し悩んでから人生の門出に一番高いコーヒーに決める。
光己がウエイトレスに注文すると、近くの席の人たちが急にソワソワし始めた。
訳が分からないまま、カウンターの中の長身のバリスタに視線を向ける。
バリスタは豆をブレンドし、手作業でひき始めた。
普通、珈琲専門店でもないかぎり、すでにブレンドを済ませ機械でひいた物を
使う店が多いが、この店では豆からブレンドもするらしい。
興味しんしんに光己は見入った。
バリスタはひき終わった豆と水を、ガラスのサイフォンにセットすると
アルコールランプに火を入れた。
コポコポと軽い音が響く。
しばらくすると、コーヒーの芳醇な香りが辺りに広がりはじめた。
こんなに香りのいいコーヒーは初めてかもしれない。
あの人にも飲ませたいなぁ。
今でも自然にそう思えてしまう。
でも自分は彼の元から出てきてしまったのだ。
5年間寝食を共にし、3年間は恋人として幸せに過ごせた。
5年という歳月は二人の人生に分岐をもたらす事も含まれていたのだが。
彼には彼の道があるように、自分の道を見つけようと決めて出てきたのだ。
光己は寂しいような気持ちにとらわれていた。
「失礼します。」
静かに声がかかる。
ふと顔を向けると、バリスタみずからコーヒーをテーブルに置いてくれた。
やっぱり凄いイイ男だったな。
光己は自分のカンが当たったことに内心ガッツポーズをとる。
20代後半くらいだろう外見、顔は少し日本人離れした整い方をしている。
身長も190センチ近いはずだから、異国の血が入っているのかもしれない。
整いすぎた容姿と長身からうける威圧的な印象を、イイ意味で裏切るのが優しい瞳だった。
光己に精神的余裕があったなら恋に落ちていたかもしれない。
だが生憎、当分恋はしたくないと思っている光己には何も感じ取れなかった。
バリスタはコーヒーの飲み方の説明が終わると、カウンターに戻っていった。
光己はバリスタに言われた通り、最初の一口は何も入れずに口に含んだ。
この珈琲独特のイイ香りが鼻に通り、なんとも幸せな気分になる。
味は苦すぎず、酸味もないので癖がないシンプルさだが、虜になるような味だった。
砂糖やミルクを入れて飲むのが勿体無いと、結局最後までブラックで楽しむほど
この珈琲は美味かったのだ。
光己はすっかりこの店の珈琲の虜になり、この街に住む決心をした。
不動産屋にまわるべく会計を済ませた光己に、ウエイトレスはそっと耳打ちしてきた。
「あの珈琲にはジンクスがあって、頼んだ人が飲み終わるまで立ち会った人には
幸福が訪れるんです。」
そう言うウエイトレスの笑顔はどこか誇らしげだった。
光己は自分も幸せな気分になるくらい美味しかったと告げると店を後にした。
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やっと始まりました。カフェシリーズ。
サイトの看板作品にするはずが…;