4人で揃って4階へ。
上がってみると・・・何か、雰囲気が違った。
今までの階のように、埃まみれになっていない。かび臭くもない・・・むしろ、綺麗すぎた。
長年使っていた校舎のはずなのに、まるで新品のような綺麗さだ。
「うわー・・・」「ピッカピカー・・・」
妹たちが感心したようにつぶやく。
葉月はむしろ、不審に感じたらしい。
「ねえ・・・なんでここだけ綺麗になってるの?」
「さあ?誰かが掃除に来てるとか?」
階段の上がり口は廊下の端。
廊下に沿って教室が窓の反対側にずらりと並び・・・
突き当たりが・・・見えない。
見えない。窓からまだ十分に日の光が射しているのに
まるで永遠に廊下が続いているかのように、突き当たりが見えない。
「・・・行くぞ」
皆に、そして自分に言い聞かせて、廊下へ踏み出した。
いくつの教室の前を通り過ぎただろう。
このまっすぐな廊下を何m進んだだろう。
通り過ぎる教室には、札が出ていない。
普通なら、「3−A」とか「2−C」とか「視聴覚室」とか出ているはずの札が
この階の教室には、ない。何もない。
冷や汗が止まらない。何度も引き返そうと思うんだが、何故か足が廊下の奥にと進む。
ただひたすら、静かな廊下を・・・
ぽぉん
「ひっ!?」
皆が息を飲む。
それはピアノの音。
ぽぉん
誰かが、ピアノを弾く音。
今まで見えなかった廊下の突き当たりに不意に現れた音楽室の向こうで
誰かが、ピアノを、弾いている。
ぽぉん
「い・・・いやあぁっ!」
葉月が悲鳴をあげる。その叫びを皮切りに
「もっ・・・戻ろう、お兄ちゃん!」「こ・・・ここ、普通じゃないですっ!」
3人が、俺にしがみつくようにして戻ろうとする。
だけど
ぽぉん
ピアノが鳴って
ぽぉん
その度に、俺の足が
ぽぉん、ぽぉん、ぽぉん、ぽぉん・・・
勝手に、どんどん進んでいく。俺の意志に反して進んでいく。
「とっ・・・止まらねえんだよ!足が勝手に・・・!」
目の前は、もうドア。
見上げれば、札が出ている。
「音楽室」
ぽぉん
「だ・・・ダメッ!あ、開けちゃダメッ!」
ああ、別に俺だって開けたくはないんだよ葉月。勝手に手が動くだけなんだ。
ぽぉん
ドアが開く。
真っ白。真っ白い部屋。壁も天井も真っ白。机や椅子はない。ただ真っ白な部屋。
音楽室って、こんなんだったか?
思い出す。現実の音楽室を、校舎を、学校を。
フラッシュバックする記憶。一瞬、来るときに見上げた旧校舎のイメージが頭に蘇る。
1階。2階。3階。
そう・・・この校舎は、3階建てだった。
ないはずの4階の、ありえない音楽室で、ピアノの音が鳴り響く。
ぽぉん
真っ白い部屋の奥に、真っ黒のピアノ。
その前に座る、真っ白な長い髪の真っ白な制服を着た真っ白な肌の少女が
俺を見て、ニッコリと・・・笑った。
ぽぉん
またピアノが鳴って
また俺は歩き出す。彼女の方へ。真っ白な彼女が真っ黒なピアノを弾いて
ぽぉん
俺を呼ぶ。呼んでいる。
呼ばれたことで、彼女の思考が俺に流れ込み
俺は一瞬で理解した。
彼女はずっと待っている。ずっとここで待っている。
恋人を。愛する人を。おそらくは、すでに失ってしまったであろう人を。
失ったことも忘れて。その面影も忘れて。
ただ、ここで待っている。
ピアノを弾けば、彼がやってくると信じて
彼女のピアノの音に惹かれて、やってくる男の子が彼女の恋人なのだと信じて
ピアノを弾いて、待っている。
ぽぉん
俺を、待っている・・・
「お兄ちゃん!」「達也さんっ!」
俺の背後で、二人が叫ぶ。
叫びながら、それぞれが俺の手を・・・握った。
途端に、二人のテレパシーのリンクに俺も取り込まれる。
そして二人の俺への「想い」が流れ込み、そのせいか、ピアノの少女からの束縛が弱まる。
少女が怪訝な顔で俺達を見る。
「違うのっ!」「この人は違うのっ!」
二人が前に進み出る。俺と少女の間に立ちはだかるように。
葉月が俺を後ろから抱き留める。
これ以上進ませはしないとでもいうように。
3人が俺を取り囲むように抱きすくめ
今は葉月もテレパシーの輪に加わっている。
3人の声がハモる。
「この人は、渡さないっ!」
やがて、少女は悲しげな顔を見せ
ぽぉん、と寂しげな音を一つ残して、ピアノと共に消えていった・・・
不意に周囲の様子が一変する。
真っ白な部屋も。長い廊下も。並んだ教室も。全てが消えて・・・
俺たちは、屋根の上に立っていた。
「うわぁっ!?」「ひっ・・・」「あわわわわっ!?」
幅は3mぐらいしかない、屋根の上の平らな部分で
ちょっと横に逸れれば屋根の斜面を転げ落ちてしまうだろう。
そして、ピアノのあった場所は・・・
屋根すら、ない。
あのまま、ピアノの音に惹かれて前に歩いていたら・・・
考えるだけでぞっとする。
「・・・戻るぞ」
俺がカラカラに干からびた喉から声を絞り出したのを合図に
そろそろと4人で屋根の天辺を戻っていく。
小さな吹き出しに開いた扉をくぐり
またギシギシときしむ階段にたどりつくと。
俺達は3階まで一気に駆け下りた。
誰も喋らない。
皆真っ青な顔で震えている中で
俺もまだ震えが治まらないけれど
ただ、やり残したことが気になっていた。
「・・・ここでちょっと待っててくれ」
「え・・・?」「どこに・・・」「行くの・・・?」
「もう一回、上に行って来る」
しばらく、意味がわからなかったのか黙っていた葉月が、いきなり破裂した。
「な・・・何言ってんの!?気は確か!?ま、また・・・上がるですってぇ!?」
「いや、俺一人でいいから」
「よけい悪いわよっ!」
妹二人のほうが、まだ冷静だった。
「どうして・・・?」「まだ、何か・・・?」
「ん・・・何かってほどでもないんだけどさ」
3人を見回して、俺は言う。
「可哀想だろ、あの子」
「か・・・可哀想ってねえ!あなた、アレに・・・殺されかけたのよ!?」
葉月は破裂しまくっている。
もはや恐怖よりも怒りの方が強そうだ。
「いや、まあ・・・そうかもしんないけどさ」
妹たちは不安そうだ。
「また上がったら・・・」「今度は、引き返せないかもしれないよ?」
「いや、たぶん・・・もう大丈夫。もう迷わされないよ」
特に根拠はないが。そんな気がする。
「そんな危ない橋を渡って、いったい何がしたいのよ!」
「いや、だから・・・可哀想だから、何か言ってやろうかな、って・・・」
ホントそれだけ。ただの自己満足かもしれないんだけど。
「バ・・・バッカじゃないの!何か言ってやる!?それで・・・アレがどうなるっての!?」
「どうもなんねえだろうけどさ・・・ま、すぐ済むからちょっと待ってて」
階段を上がりかける俺に声が飛んでくる。
「あ、コラ!ま、待ちなさいよっ!」
「なんだよ・・・まだなんかあんのか?」
「あーもう!行くわよ!行けばいいんでしょ行けば!」
・・・別に頼んでないのに、葉月が怒りながらついてくる。
「アタシも・・・行くよ」「私も・・・一緒に行きます」
妹二人も追加。
「いや、俺一人でいいって・・・」
「アンタ一人で行かせて!何かあったら・・・その・・・困るでしょ!?」
何かあったら・・・そりゃ困るなぁ、俺も。
「・・・アタシも、あの人の気持ち」「わかっちゃったから・・・」
そうか・・・二人のテレパシーは、あの子の気持ちも読みとってたのか。
「わかった。皆で行こう。落ちないように気をつけろよ」
4人でまた、階段を上がり
扉を開けると・・・まだ、屋根だった。
「おーい・・・まだいるのかー?」
・・・間抜けな気もするが、いなくちゃ話にならないので呼んでみる。
と、屋根はそのままだったが
屋根の端、宙に浮いた形で、真っ黒なピアノと・・・真っ白なあの子が現れた。
少女はもうピアノは弾いていなくて、ただ悲しげに、うつむいていた。
「ゴメンな、俺・・・違うんだ。俺じゃないだろ、待ってたのは」
少女がフルフルと首を横に振る。
何が言いたいのかはよくわからない。
「あのね・・・いくらここで待ってても・・・」「いくらピアノを弾いても・・・もう、来ないと思うよ」
少女が天を仰ぎ、目をつぶる。
その目から、つ、と涙が流れ・・・またピアノに手をかける。
それしかできないから。待つことしかできないから。
ここでピアノを弾くしかできないから・・・
本当にそうか?
彼女は、自分で自分をここに縛り付けている。
こんなとこにいたって、もうしょうがないじゃないか。
彼女だってそれはわかってるはずだ。
何かきっかけが必要なら・・・俺がそれをあげられるなら・・・
こんなんできっかけになるのかはわかんないが、とりあえず言ってみる。
「そこ、寒いだろ?・・・こっち来いよ」
少女が驚いたような顔で俺を見る。
「そこに・・・いなきゃなんないわけでもないんだろ?」
また、首を横に。
「大丈夫だって・・・来いよ、こっちに」
まだ、首を横に。
堂々巡りだな、これじゃ・・・
さっき流れ込んできた彼女の記憶を、もう一度思い出してみる。
もう薄れかけたその記憶の中から、俺は必死にある物を探し出す。
そして、見つけた。
「澪・・・こっちにおいで」
そのとたん、パンッと乾いた音を立てて、彼女の周りで、何かが弾けた。
真っ白だった少女が、急速に色を取り戻していく。
髪も、肌も、制服も・・・少し透けているけれど、もう真っ白じゃなかった。
次第に薄く透けていく少女が、ポロポロと涙をこぼしながら
それでも微笑んで、歩いてくる。俺の方へ。
そして、深々と頭を下げると・・・俺の目の前で、消えていった。
はぁ〜っと4人が揃ってため息を付く。
「・・・終わったの?」
「もう・・・いないですね、ここには」「多分・・・行くべきところに行ったんだよ」
「あー・・・今更なんだが、思い出した、全部」
「・・・何を?」
「この旧校舎、屋根から落っこちて大怪我するヤツが続出したことがあったらしくてさ」
入り口とかが厳重に施錠されてたのはそのせいだったのだ。
「うわー・・・」「あの人の・・・仕業だったんですねー」
「まあ、幸い死人は出なかったらしいんだけどね」
・・・皆、無いはずの4階の、無いはずの音楽室に迷い込んだんだろうな。
「今更思い出しても何の役にも立たないわよ・・・」
「でも・・・今、お兄ちゃんが救ってあげたから」「もう、事故は起きないでしょうね」
「まったく・・・変に優しいんだから。お節介ですぐに無茶するし・・・」
ぼやく葉月の肩をぽんと叩く。
「惚れなおしたか?」
「バカ言ってないで、帰るわよ!もう!」
それから出口へ向かう間は、誰も喋らなかった。
皆が何を考えているのかは、今はもうわからない。
だけど、あの4人で抱き合っている間は
ずっと、テレパシーで心が直に触れあっていた。
幸い、俺も葉月も、普段そういう意識がないせいか
二人が本当の妹じゃないことは気づかれなかったが
3人がそれぞれが俺のことを・・・どう、思っているのかが
俺にも、そして他の子にもわかってしまって
なんて言うか、三竦みみたいな感じになっている。
そして、いちばん肝心な俺自身の気持ちは・・・
俺ですら、まだわかっていなかった。
不意に、葉月が伸びをして
「あ〜あ、心が繋がってるって便利かと思ってたけど・・・そうでもないわね」
「そうだね・・・隠しておきたいこととか・・・」「言葉で伝えたいこともあるもんね・・・」
なんだか、女の子のヒミツを盗み見してしまったようで
申し訳ないと思う反面・・・ちょっとドキドキしていた。
旧校舎を出る頃にはすっかり日も暮れていた。
例によって葉月が案内するヒミツの出口から学校を出て、疲れ切って家路をたどる。
「はあ・・・なんかいろんな事ありすぎて疲れたー」
「ホントだねー」「もうコリゴリだねー」
そういう割には、妙に楽しそうにも見える。
「そういえば・・・由良、あのとき・・・達也のこと、渡さない、とか言わなかった?」
「それは・・・お姉ちゃんが言ったんじゃない?」
「あ、アタシは・・・そんなこと言わないわよ。由真ちゃんが言ったの?」
「わ、私だって言わないよぅ」
もめる3人。誰も言わなかったのか。じゃ俺が聞いたのは空耳か。
「ま、俺は誰の物でもないからな。渡すとか渡さないとか以前の問題だ」
「えーーーっ!?」
「そーんなこと言うなら、あの子に渡しちゃえばよかったかなー?」
「イヤそれは困る」
由真がぴょん、と俺の前に出て、鼻っつらに指を突きつける。
「だったら・・・さっさと誰かの物になっちゃいなさい、お兄ちゃん♪」
(6に続く) (Seena◆Rion/soCysさん 作)