「手を繋いで」 第2節

美保に掴まるようにして公園から離れる。
不思議と、その場を離れただけで悪寒は消え失せた。
まだ軽く頭痛がするが、さっきのような頭が割れそうな痛みはない。
「どうしたの、いったい?」
「・・・わかんない・・・急に・・・頭痛と寒気がして・・・風邪かな」
「もう・・・おどかさないでよ。ちょっとそこの喫茶店でも入る?」
「うん・・・ごめんね」
喫茶店で、さっきの事を思い出す。
あの公園を見ても、特に何か思い出したわけではない。
ただ、体が震えひどく頭が痛んだのも確かだ。
何か・・・私の記憶喪失と関係があるのだろうか。
それともただの偶然なのか。
もう一度、あの公園に行けば・・・それがわかるかもしれない。
だけど・・・心の奥底で何かが囁く。

コウエン ニ イッテハ イケナイ・・・

「ねえ・・・さっきの公園を通らないで帰る道ってないのかな」
「え?・・・んー、ちょっと戻れば行けると思うけど」
「じゃあ、その道で帰ろう」
怪訝な顔をする美保に
「あそこは・・・あの公園は、多分、通らなかったと思う」
「え?何か思い出した?」
「そうじゃないけど・・・夜10時過ぎに、一人であの公園を抜けて行こうとは思わないんじゃないかな」
「あー・・・そう言われればそうかなー。絵美は臆病だしねー」
そんなんじゃない。でも、理由を説明するのも難しそうなのでそういうことにしておく。
「もう落ち着いた?」
「うん。ごめんね、面倒ばかりで」
「いいって・・・ああ、でもお勘定はワリカンだからね?」
「・・・はいはい」
喫茶店を出て、さっきの道を少し戻ると、公園があった道とは逆の方向に曲がる。
また知らない道に出たが
もう悪寒も頭痛も感じることはなかった。

喫茶店を出て、来た道を引き返してしばらくしてから、美保がすっと体を寄せてくる。
「ちょっと・・・回り道してもいいかな」
「いいけど・・・何?買い物かなにか?」
突然、美保の声のトーンが下がる。
「ん・・・今から何を言っても振り向いちゃダメよ?いい?」
「何よ・・・どうかしたの?」
「私たち、尾行されてるかも」
「・・・え?」
思わず振り向きそうになる。
「前を見て。前だけを見て」
「・・・どういう・・・こと?なんで・・・尾行されてるって・・・?」
「わからないわ。気のせいかもしれない。ただ・・・ああ、そっか、忘れてるんだっけ」
美保が苦笑いを浮かべる。
「忘れてるって・・・何を?」
「去年、あたしストーカーにつきまとわれてさ・・・その手の気配にはそれから敏感なのよ」
美保の顔が、今まで見せなかった表情になっていた。

「・・・尾行してるのって・・・どんな人?」
「はっきり見るわけにいかないから、確かにはあれだけど・・・ひょろっとした、背広着た銀縁眼鏡」
考えてみれば、何も覚えていないのだから人相風体を聞いても仕方がなかった。
「ど・・・どうするの・・・」
「尾行は、まけると思う。とにく、私から離れないで」
それから、あまり喋ることもなく二人でうろうろと歩き回る。
「・・・まだ、いるの?」
「・・・突き当たりの、ショーウィンドウ見て」
気が付けばT字路で、突き当たりは洋品店の大きなショーウィンドウ。
そこに、私たちの後ろを歩いている背広姿の男の人が映っていた。
「・・・あ・・・」
「いい?次、左に曲がって・・・確か花屋さんがあるからそこで立ち止まって」
「・・・どうして?」
「そこは行き止まりなの。もしそれでも、ついてきていたら・・・」
ついてきていたら、どうするのだろうか。
あまり考えたくはなかった。

T字路を左に曲がる。確かに花屋がある。
店先で立ち止まる。花を眺める・・・振りをする。
右の方を、見ないようにしながら、意識だけを向ける。
どれくらい時間がたっただろうか。
「・・・来ないな」
美保が、ぼそっとつぶやく。
あの距離からすれば、もう曲がり角を曲がって私たちの後ろにいてもいい頃合いだ。
「ここにいて」
美保がゆっくりとT字路の方に戻っていき
こちらに向かって頭を下げ、パン、と両手を合わせる。
「・・・ごめん、気のせいだった!」
緊張感とともに、力が抜けていく。
思わず、その場に座り込んだ。
「脅かさないでよ・・・ただでさえ混乱してるんだから・・・」
「ゴッメーン!いやー、こういう感じ、はずしたことないんだけどさー」
美保の気のせい。その場は、それですんだ。

アパートに戻る。そのまま美保も一緒にいることになった。
「一人にしておくと心配だし」
私としても、一人っきりでいるのは耐えられそうになかった。
だけど、何を話せばいいのかわからない。
ただ黙って、とりあえずつけたTVを眺めていた。
美保のほうから話し始める。
「あーあ、記憶がなくなってなければお兄さんのこと色々聞くのになー」
「聞きたいのは私のほうよ・・・いつも、どんな風に兄さんのこと話してたの?」
「いやー、いいのかなー、言っちゃっても」
美保はニヤニヤと笑うだけでなかなか教えてくれなかったが
「曰く、理想の男性はお兄様。結婚するならお兄様みたいな人」
「そ・・・そんなこと・・・言ってたの?」
「まだまだあるわよー?聞きたい?」
「・・・もう、いい」
恥ずかしくて聞いていられなかった。
・・・兄さんが帰ってきたとき、まともに顔を見られそうになかった。

ゴトン
玄関から何か物音が聞こえた。
「ん?・・・なんだろ?郵便受け?」
美保が立ち上がり、部屋を出る。
すぐに新聞を持って戻ってきた。
いつの間にか、もう夕刊のくる時刻になっていたらしい。
「いやー、新聞とってるんだねー」
「兄さんがいるんだし、新聞くらいとるでしょ」
特に興味はないが新聞を見る。
新聞に出ているような政治家や有名人のことは覚えているのが不思議だった。
パラ、パラとめくっていく。
三面記事に行き当たったところで手が止まる。
止まった手が震え出していた。
私の様子に気づいたのか、美保が寄ってくる。
「・・・どしたの?何か・・・思い出した?」
何も思い出してはいない。体の震えだけが、何かを訴えていた。

「・・・美保・・・この公園って・・・さっき・・・通りかかった公園って・・・ここ?」
美保に小さく載った記事を指し示す。
{公園に刺殺体・暴力団同士の抗争か}
「え・・・どれ」
美保が新聞記事を指で追う。
「あ・・・うん・・・これ、さっきの公園だわ・・・」
美保の表情が硬くなる。
「ねえ・・・記憶喪失ってさ・・・例えば、強く頭を打ったとか」
「・・・そんな感じは・・・しないけど・・・頭、痛くないし」
「うん。それ以外だと・・・何か強いショックを受けるとなるらしい・・・のよね」
「強い・・・ショック?」
「ひょっとして・・・ひょっとしてよ?あの晩・・・あなた、あの公園で・・・何か見たんじゃない?」
そうだろうか。私は、あそこで何か見たのだろうか?
記憶を失うほどの、何かを。
思い悩むうちに、何故か・・・
兄さんの顔を、思い出していた。

「・・・絵美?」
しばらく思考の迷路に迷い込んでいたが、美保に呼びかけられて我に返る。
「ああ、ええ・・・わからないけど・・・そうかもしれない」
「もう一度、行ってみる?・・・怖かったら、いつでも引き返せばいいんだから」
「う・・・ん・・・」
虚ろな返事をしながら、何か、公園に行かないでもいい理由を探している自分がいる。
「・・・もう時間も遅いから・・・明日にしよう」
「ありゃ、もう6時か・・・晩御飯、どうするの?」
「いつも、どうしてたのかな」
「料理は得意、って言ってたから、絵美が作ってたんじゃないの」
「朝御飯は兄さんが作ってたよ?」
「アンタ低血圧だから」
「そっか・・・今から買い物じゃ遅いかな」
立ち上がってキッチンに向かい、冷蔵庫を開ける。
中身から、作れそうなメニューを頭の中で思い描く。
・・・なんとかなりそうだった。

お米を研いで、お鍋に水を張って、お野菜を洗って・・・
「・・・美保・・・帰らないの?」
「うわ、晩御飯作り始めたところでその台詞は酷いな」
「・・・食べてくのね」
「悪いわねー」
全然、そう思っているようには見えない。
ため息をつきながら材料を三人分に修正。
「なんていうかさー・・・慣れてるよねー」
「そりゃまあ・・・たぶん、毎日こうやってたんだと思う」
「いや、それもそうだけどさ。動きに迷いがないじゃん?」
言われてみれば
お米がどこかとか調味料がどことか、特に考えることもなく動いている。
それに、携帯電話の使い方も、何も迷わなかった。
「・・・こんなことだけ・・・」
大事な人のことは、何一つ覚えていないのに。
なんとなく、悲しくなった。

夕飯の支度が終わりかけた頃、兄さんが帰ってきた。
「ただいま」
いそいそと玄関まで出迎える。
「おかえりなさい。ご飯、もうすぐだよ」
「作ったのか?無理しないでもよかったのに」
「大丈夫よ・・・結構、覚えてたし」
「そうか」
こうして玄関でやりとりをしていると、あるものを連想する。
自分で連想したものに、頬が熱くなる。
「・・・どうした?顔、赤いぞ?」
「えっとね・・・なんか、新婚家庭みたいだな、って」
「・・・新婚さんなら、帰ってきたらお帰りなさいのチューだよな」
兄さんが少し笑いながら・・・私の肩に両手を置く。
何も考えず、目をつぶった。少し顎を上げる。
そうするのが、当たり前のように。
兄さんの手が一瞬止まり・・・ゆっくり、私を引き寄せ始める・・・

「絵美ー?お兄さん帰ってきたのー?」
びく、と兄さんの手が震える。
・・・そうだった。美保がいたんだった。なんてお約束な。
目を開ける。兄さんはまだ肩に手をおいたまま、私を見つめていた。
「・・・晩飯は、なんだ?」
「・・・キャベツとソーセージ炒めて、鰺の干物焼いて、あとネギと油揚げのお味噌汁」
なにか、ぶちこわしになった気がした、いろいろと。
「じゃ、冷めないうちに食うか。せっかく絵美が作ったんだもんな」
「・・・うん」
そう言って、兄さんが・・・私の肩を抱き寄せる。
「・・・あ」
抱き寄せられたまま、寄り添ってキッチンへ向かった。
「お帰りなさ・・・い?」
「ただいま。三浦さん、いてくれたんだね、ありがとう・・・お世話になりました」
「えーと・・・邪魔?私って、邪魔ですか?」
ごめん、美保。正直、邪魔としか思えない・・・

さすがにハッキリ邪魔だと美保に言えるわけもなく
三人で夕食を囲むことになった。
「それで・・・どうだったんだ?何か思い出したことは?」
「んー・・・何か、きっかけになりそうなことはあったんですけどねー」
「そうか・・・まあ食ったらゆっくり聞くよ」
しばらく黙々と食べていた。
兄さんが不意に口を開く。
「・・・また絵美はソーセージばっか食べてる。キャベツも食え、キャベツも」
「・・・え?私?」
「お前、昔っから混ざってるとこからソーセージばっか食うよな」
「・・・そんなことないもん。キャベツも食べてるもん」
「いやー、あたしの見たところキャベツ1に対してソーセージ3は食べてるね」
むむ。そんなはずは・・・あるのかしら。
「お前、この混合比率でそれはソーセージ食い過ぎだろ。見ろ、殆ど残ってねえ」
言われてみれば、確かに。
偏食気味だったのかな、私・・・

多少賑やかな夕食が終わり、食後のお茶を飲んで
お風呂を沸かしている間に、今日の出来事を兄さんに話し始めた。
・・・尾行されてたと勘違いしたことは話さなかったが。
「・・・それで、ひょっとしたら・・・公園で私・・・何かあったの・・・かも」
「・・・うーん・・・」
兄さんは腕組みをして考え込んでいる。
「それで、また明日・・・行ってみようと思うの、公園」
協力を期待する私に兄さんから返ってきた答えは、意外なものだった。
「それは・・・どうかな」
「え・・・どうして?」
「お前が公園怖いのってさ、子供の頃大きな犬に噛まれて怪我してからだぞ?」
「え?・・・そうなの?」
「ああ。大人になってなくなったみたいだけど、こういう状況でそれが戻ってきたんじゃないか?」
「ああ、幼少時のトラウマってやつねー・・・なんだ、心配することなかったのかな?」
そう・・・なのだろうか。
幼少時も何も覚えていない私には、否定のしようがなかった。

「多分、お前、事件を目撃しちゃったんじゃないかって、心配なんだろ?」
「う・・・うん・・・もしそんな物見ちゃったら・・・ショックだろうし・・・」
「まあ、そりゃそうだが・・・もし仮に、公園で事件を目撃していたとしてだ。
 何故すぐに警察に通報しない?それどころか、家に帰って、寝ちゃったわけだろ?」
それは・・・考えなかった。
「そういえば・・・絵美の性格からしたら・・・すぐに交番に駆け込むなりしてるわよね・・・」
「でも、そうはしていない。ちょっとその夕刊見せて」
美保が兄さんに夕刊を手渡す。
「・・・ほら、事件は夜起こったみたいだけど、死体が見つかったのは、今朝だ。
 つまり、昨晩の時点では誰も事件を通報していないんだよ」
「ってことは・・・絵美は公園には行ってない・・・のかな」
兄さんの言うとおりかもしれない。
公園が怖い理由が別にあるのなら・・・むしろ、公園は通っていない可能性の方が高い。
ただ、そうだとすると・・・
「じゃあ・・・私は何で記憶喪失になっちゃったの?」
二人とも、何も答えてはくれなかった。

「・・・時間がたてば治るのかな、こういうの」
治ってしまえば理由もわかるかもしれないし
理由がわからなくても治ってくれればいい。再発しなければ。
「まあ・・・焦ってもしょうがないだろ。特に困ることも・・・ないよな?」
「どうなのかな・・・対人関係で、困るんじゃないかな」
「あー、学校でのその辺はあたしがサポートするわよ」
「そうだね・・・三浦さん、その辺はよろしくお願いします」
兄さんがぺこ、と頭を下げる。
「学校に行って、授業内容とかちゃんと理解できるのかな」
「あー、そうねー・・・マメにノートとってたけど、ちょっと予習復習とかしてみる?」
「うん・・・あ、でも・・・もう結構遅いよ?」
「え?あ、ヤダ、もうこんな時間?・・・んじゃ、悪いけど明日かなー」
「ううん、気にしないで。助けてもらうのは、私なんだから」
兄さんが送っていこうかと申し出たが、大丈夫だからと笑いながら美保が帰っていった・・・
と思ったらすぐにまた玄関に飛び込んできた。青ざめながら。
「いる!いるよ、昼間の銀縁眼鏡!」

(第3節へ続く)

(Seena◆Rion/soCysさん 作)

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