二本の一方通行路(中編) 1「おっ、このトマト美味いなぁ」 「さきほどここに尋ねてこられたオウキーニさんから頂いたんですよ」 「ヤダこのフライも美味しい~!アタシハマッちゃうかも!」 夕食時、自分たちで作った食事にオウキーニの差し入れが加わり、テーブルは賑わいを見せていた。 だが皆が嬉々として食している間、ソノラだけが食べ物には手をつけず、座り込んでいた。 スカーレルは隣りに座る彼女を、フライを頬張りながら横目で見る。 カイルはスカーレルの罰ゲームだという言葉を信じたのか、ソノラの事をまったく気に止めていない様子で、談笑しながらヤードに強引に酒を注いでいる。 ヘタに意識されるよりは気が楽なのは確かだ。だが、これほどまでに自分を意識されていないのかと思うと、さすがのソノラも気が滅入る。 「――ソノラッ。はいっ、アタシのエビあげる」 ふいにソノラの皿にエビがいくつか乗せられる。横を見ると、頬杖をついたスカーレルが笑みを浮かべ、ソノラを覗き込んでいた。 「ちゃんと食べないと大きくなれないわよ?」 「えっ、あ……うん」 驚いた。さっきまではあんなに不機嫌だったスカーレルは、すっかりいつもの彼へと戻っている。 よかった……。ソノラは心の中で安堵の息をつき、礼を言うとエビをフォークに刺した。 その時ふいに目の前のアティが自分に向けて視線を投げかけていることに気づく。 ソノラは一瞬だけ躊躇したが、あえて意識はせずに自然に顔を向けた。 「どうしたの?先生。あたしの顔になんかついてる?」 「……あ、ううん。何でもないです」 ソノラの言葉にアティは慌てて首を振り、笑顔を作る。 彼女の様子に違和感を感じたが、ソノラはあえて気にせずエビを口に入れた。大好物のエビに顔を緩ませるソノラを眺めながらスカーレルは優しく目を細める。 それと同時に、スカーレルはさきほどアティが見せた視線の意味を、頭の片隅に引っ掛けていた。 「かぁ―――ッ!美味いぜ!!」 相変わらず上機嫌でボトルを空けるカイル。その頬はわずかに赤く染まっている。 「カイルさん、ちょっと飲みすぎですよ」 困ったように、隣りに座るアティが言葉を漏らす。 アティの忠告も気にせず酒をどんどんあおっていくカイル。 ふとその時、口につけていたグラスをドンとテーブルに置いた。 「あ、思い出した。今日の昼間の事」 愉快に笑顔を浮かべながら、カイルは人差し指を立てる。 まさか。スカーレルは彼に視線を向けた。 「今日はびっくりしたぜ。何でも罰ゲームとかでソノラが寝てる俺にキスしてきたんだよ」 「――――!」 ソノラの顔が強張る。 やっぱり、とスカーレルは眉をひそめ、静かにフォークを置く。 「えぇッ!?ホントかよ!」 興味津々で身を乗り出すナップに、カイルは楽しげにうなずいた。 「ああ、そんで――」 「カイルさん」 彼の言葉を止めたのはアティだった。困ったように目を伏せ、彼のコートを掴む。 あえてその話題となっているソノラに視線は向けない。 アティの苦い表情。 スカーレルは、それが恋人の唇を他の女に奪われた事に対するショックからきたものではない事だと感じた。それはただの予測にすぎないのだが。 うつむくソノラ。もう一つのエビをフォークに刺したまま、それは皿の上に置かれていた。 カイルは話を中断され、不機嫌そうに眉を寄せる。 「別にいいだろ?この程度の話。ソノラだって冗談だったわけだし――」 パシャアッ! 「…………」 全員の視線が一人に集中する。 コップを掴むスカーレル。その手は目の前へ向けて伸びていた。 その先にいるのは、水浸しになったカイル。何が起こったのか分からないというように、大きく目を見開き、まばたきを繰り返している。 全員が沈黙するなか、ソノラは静かに席を立ち、ドアを開けた。 そして力なくそれが閉まり、足音が廊下の向こうへと消えていく。 スカーレルはコップを置くと、乱暴に椅子をさげて立ち上がった。 「カイル……アンタって最低ね。ここまで無神経な男だったとは正直思わなかったわ」 ひどく落ち着いた、抑揚のない声。 蔑んだ目でカイルを見下ろすと、スカーレルはそのまま部屋を立ち去っていった。 甲板で座り込み、ソノラはぼんやりと夜空を眺めていた。 ここでは工場の煙などもない。鮮明な輝きを見せる星々がソノラを見下ろしている。 ふいにグゥ、とお腹が音を立てた。 (……スカーレルに貰ったエビだけでも食べておけばよかったなぁ) そう後悔するが、あの場所から少しでも早く逃げ出したいと思う気持ちも間違いではなかった。 重い溜め息を吐く。 その時、自分の肩にポンと何かが置かれた。しなやかな手の感触。ソノラは慌てて背後を向く。 「――スカーレ……」 「ソノラ」 振り返ると、そこにいたのはスカーレルでもカイルでもない。 困ったような笑顔を浮かべるアティだった。 「あっ……」 思わず息を呑む。なるべくなら顔を合わせたくなかった相手。ソノラは反射的に視線をアティの足元へとそらせた。 「隣り、いいですか」 にこりと微笑み、小首をかしげるアティ。女のソノラから見ても可愛らしいが、不思議と嫌味のない仕草。ソノラが無言でうなずくと、アティは失礼します、と腰を下ろした。 「さっきの事ですけど……私、あの事を先にカイルさんから聞い――」 「先生、アニキと付き合ってるんだってね」 言葉をさえぎるようにソノラが言う。驚いたようにアティはソノラを見た。 三角座りのひざに顔をうずめ、目を伏せている。 「スカーレルから聞いたんだ。あたしがアニキにキスしてたのを見て、教えられたの。……諦めろって」 「そう、スカーレルが……って、『諦めろ』?」 「ホントはね、罰ゲームなんかじゃないんだよ。寝てるアニキの顔見てキスしちゃったのは、あたし自身の意思。だって……好きな人の可愛いところ見ちゃったら、魔が刺す時だってあるでしょ?」 好きな人――……。 目の前の少女が口にした言葉に、アティは驚きを隠せずにいた。 アニキと呼んではいつもそばにくっついているソノラ。髪の色が同じだった事もあり、最初はアティ自身、彼らを血の繋がった兄妹だと思っていた。 それほどに親しげな二人だったが、恋愛感情を抱いているという可能性は今までに考えた事がなかったのだ。 「ずっと片思いしててさ。でも、アニキにとってあたしは妹のような存在でしかなくて、あたしは自分の気持ちを隠してるしかなかった」 悲しげに続けるソノラ。口元は何とか笑みを作っているが、それが無理をしているものだという事は目に見えている。 「ソノラ……」 あとは聞くまでもない事だった。 ――アティが。後から彼らの輪に入ってきた自分が、彼女からカイルを奪ってしまった。 どんな気持ちだっただろう。 想いを寄せる男を隣りで見つめ続けていたにも関わらず、そのすぐそばで、知らぬ間に他の女に奪われていた。 自分がその立場だったら。 「…………っ」 アティの奥底に湧き上がる自己嫌悪。無意識にソノラを傷つけていた自分が、たまらなく許せなかった。 アティは静かに、床に手をつく。目を閉じると、彼女はそのまま頭を下げた。 「せ、先生!?」 突然の行動に、ソノラは慌てふためく。目の前で土下座するアティを起こそうとソノラは彼女の肩を掴むが、アティはそれを拒んだ。 「ごめんなさい、ソノラ。私は貴女に憎まれたって仕方のない女だと思う。……でも、私もカイルさんの事が好きだから……譲るわけにはいかないんです。彼にはいい加減な所もありますけど、でも、その分素敵な所だってたくさんあるんです。だから――」 すみません、と頭をさらに下げる。床と額の触れる音が聞こえた。 「……先生……」 アティの後頭部を見つめるソノラ。その目から涙が溢れ出した。 この人は優しすぎるのだ。他人の痛みを自分の痛みに変えてしまう。 アティは何も悪くはない。ソノラが自分の気持ちを胸の奥に隠していたから。 だからカイルは自分のそばから距離を置いていっただけなのだ。 「そんな事しないで、先生っ……」 ソノラは強引にアティの身を起こし、力強く抱きしめた。 月の下で、アティの目の際が光を帯びている。 「あたし、自分がイヤだった。アニキが先生と付き合ってるって知って、先生に嫉妬してたんだ。逆恨みだって分かってたけど、でも……」 グスッと鼻をすすり、声が震えている。息を呑むと、ソノラはありったけの声を出した。 「あたしが、先生の事キライになるわけないじゃんっ。こんなに優しい人の事……どうやったら嫌えるのよっ」 「ソノラ……」 「あたしは先生が大好きだから、みんなと同じで先生の笑顔が好きだから……お願い」 ――あたしなんかに気を遣わなくていいから――。 心にもない言葉だった。長年想い続けていた男をそう簡単に諦められるはずがないのに。 だが、そうでも言わないとアティが可哀想だと思ったのだ。 自分のせいでアティに悩んで欲しくなどない。彼女には笑顔でいてほしい。 「こんなんだからダメなんだよね、あたし……」 つぶやきながら、そろそろ睡眠をとろうと自室へと足を運んでいく。 すると、自室の前で、誰かが壁に背中を預けてもたれかかっている姿が目に入った。 スカーレルだ。 腕を組み、かかとで床をコツコツと鳴らしながら立っている。 「スカーレル……どうしたの」 「あら、お帰り」 ソノラに気づき、スカーレルは姿勢を直すと微笑みを浮かべる。 「部屋にいなかったから、戻ってくるまで待ってたのよ」 「あ……、あたしね、甲板にいたの。そこで先生と話してたんだ」 「センセと?」 意外だというような顔で聞き返す。無理もない、普通ならしばらくは気まずくて会話などまず交わせないだろう。 「先生にね、アニキの事を譲るって言っちゃった」 うつむき、苦笑しながらソノラが言う。 スカーレルはしばらく黙っていたが、やがてソノラを覗き込み、口を開いた。 「ソノラはそれでいいの?」 「…………」 彼の言葉に、再び涙が溢れる。無言で目をこするソノラの頭を、スカーレルは優しく撫でていた。 スカーレルに導かれるまま、ソノラは彼の部屋のベッドに腰掛け、いまだに引かない涙を何度も拭っていた。 「若い頃はね、色々あるもんよ」 紺色の上着をハンガーに掛け、白いシャツの姿でスカーレルはソノラの隣りに腰を下ろす。 「アタシがソノラくらいの年だった頃は、毎日がちょっと大変だったんでね。恋愛とかそういう事をする余裕がなかったから、少し羨ましいわ」 「本当に羨ましいと思う?だって……こんなに苦しいんだよ」 「分かってるわよ。――アタシだって、今はソノラに片思いしてるもの」 スカーレルの言葉に、ソノラは目を見開いて彼のほうを向く。 彼はというと、まったく照れる様子もなくソノラを見つめている。 溢れていたソノラの涙は驚きのあまり引いてしまっていた。 「正直ね……ソノラを抱いてしばらくしてから、ちょっと後悔してたのよ。アタシは好きな子を早く自分のものにしたいあまり、ソノラの気持ちを考えてなかった。ソノラはあの時の事を気にしていないように見えたけど、そんなワケないものね。……処女だったんだし」 ソノラの頬が赤く染まる。 スカーレルに処女をあげてしまった事。確かに心の片隅で気には留めていた。 だが、ソノラはそれほど後悔はしていなかったのだ。最初こそ困惑していたが、スカーレルに抱かれた事は、結果的に嫌ではなかった。 「べ、別に後悔なんてしなくてもいいよ。あたしだってあの時は色々言ってたけど、結局は嫌じゃなかったし。それに……大事にとっておいたって、アニキには先生がいるから、今さら初体験をあげる事なんてできないんだしさ……」 ソノラの声が沈む。どうしようもない事なのだ。 引いていた涙が再び滲み出す。ひざに置いた手の甲にしずくが一滴、二滴とこぼれ落ちる。 「……ぅ……」 スカーレルは何も言わず、ただ彼女の髪の毛を優しく撫でていた。そのさりげない行為が、ソノラには他の何よりも慰めとなっていた。 「ふ……うっ……ああぁっ」 ソノラの手がスカーレルの服へと伸び、しがみつく。嗚咽をあげながら涙で頬を濡らすソノラ。 好きな男を一途に思うその少女が、たまらなく愛おしい。 髪を撫でる手を放すと、スカーレルは両手で彼女の体を抱きしめた。 ソノラはビクリと体を震わせ、頬を染める。 「……何もしないわよ。抱きしめるだけだから」 「……う、うん……」 しばらくスカーレルの腕の中で、ソノラは涙と心が鎮まるのを待っていた。 何も言わず、ただ自分を抱きしめてくれているスカーレル。彼の肌からは、薄い香水の香りがする。 ソノラは女性達が好む香水の匂いがあまり好きではなかったが、彼から香るほのかな匂いは、不思議と心地よく思えた。 「――もう大丈夫?ソノラ」 ソノラのすすり泣く声がおさまった頃、スカーレルは彼女の頬にある涙の跡を親指で拭い取り、わずかに首をかがめてその顔を覗き込んだ。 「ありがと、もう平気……でも」 スカーレルのおかげで何とか涙はおさまった。だが。 ソノラの頬の熱はいまだに引かない。それどころか、以前にも増して熱を帯びている。 シャツ越しに彼の鼓動を感じながら、ソノラは自分の胸の異様なまでの高鳴りに気づいた。 「…………」 彼女の変化に気づいたスカーレルは、突然強引にソノラを引き離す。 「そろそろ部屋に戻りなさい」 「え……」 「アタシが変な気起こす前に、ね?」 冗談めかして微笑むスカーレルに、ソノラは唇を噛みしめて目を伏せる。 彼女の手がシャツを力強く握っている。困ったように笑うとスカーレルは、自分にしがみつくその手を引き離そうとした。 「だめっ……」 ソノラの声に、彼の手が止まる。ソノラは耳まで赤く染め、搾り出すような小声で彼に囁いた。 「スカーレル。ひとつだけあたしのお願い、聞いてくれないかな……」 「なに?」 「さっきまであんな事言ってた手前、こんな事言うと最低だって思うかもしれないけど……」 スカーレルは何も聞き返さない。ただ彼女の次の言葉を待つ。 ソノラは彼の顔を見上げると、唇をわずかに震わせながら開いた。 「……今夜だけでいいから、もう一度、あたしの事……抱いて欲しいなって……」 つづく 前へ | 目次 | 次へ |
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