泪月-oboro-







こんなはずではなかった。
皆が笑って暮らせる世をつくりたかった。
ただ、それだけなのに。
それなのに、何故こんな事になったのか。
『わらわは明智十兵衛光秀が娘、ガラシア。「恩寵・神の恵み」を意味する名を持つもの。我が夫、忠興に神の恵みを…』
自ら館に火を放ち、炎に消えていった、細川忠興の正妻、玉子。
後から聞いた話では、切支丹は自害を禁じているため、彼女は部下に討たせた、という。

『ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ』

「こんな事をするために…細川の館を訪ねたのでは…ない」
書斎で一人、脇息に寄り掛かる。
明日は、徳川家康との戦いが待っている。
「…うっ…」
胸の鳩尾辺りが、軋む様に痛い。
息があがっていく。
「くっ…は…」
苦しい。
まただ。
最近、考え事をするとよくなってしまう。
先日はとうとう左近にもばれた。
『…お気持ちはわかりますが、あまり考え込まないことです』
今日は左近もいない。
「無様…だな…」
理想から遠ざかっていく、現実。


そんな時 ふと、思い出した人物。
(曹丕…)
遠呂智によって歪められた時空で出会った、魏の文帝。
歪めた当本人を倒した後は、見知った元の時代へ帰っていた。
(無理な事だとは思うが、曹丕に今の状態を話したら、あいつだったら、何というだろう)
「は…っく…」
苦しさはどんどん酷くなっていく。
がちゃん、ともたれていた脇息が倒れる。
しかし、人払いをしてある上に、左近も今日はいない。
しばらくすれば治る…いつもの事だ
こんなに傍に人が居ないことが不安だったなんて。
思わなかった。
「…どうした。三成。またか」
その時、ふと知った声が耳に響く。
まさか。
そんなことが。
しかし、月光の中照らされた人は、まさしく。
「曹…丕…?」
異世界で別れた時のままの、若い姿。
「秀吉に頼まれた。三成を見に行ってやってくれ、とな」
『またか』と彼は言っていた。
こんな風になっているのを見たことのあるような口調だ。
しかし、人に見せたのは左近だけだったはずだだ。
「い…つから…だ…」
「一年くらい前からな。…目の前に現れるつもりはなかったが、思うところがあったからな。
 この国の神に頼んで少し姿を現す為の力をもらった」
ふっ、と異世界で見知った笑いを浮かべる。
「…俺は…死ぬ…のか…」
曹丕は秀吉様に頼まれた、と言っていた。
黄泉の国からの迎え、ではないのか。
「そんな事は言ってないが、何故そう思う」
「秀吉様に…頼まれた…と…言っていた…ではないか」
秀吉様は、2年前、鬼籍に入られた。
そんなお方に頼まれた、というのならば…
「確かに頼まれはしたが、別に秀吉の頼みを承諾して来た訳ではない。
 俺が、お前に会いたかったからだ。そのついでに、秀吉にも聞かれた事を報告していただけだ」
『俺』 時々曹丕が使う一人称。
普段は『私』のはずなのに。
「…どんなに、理想を求めても、どうしようもない事がある。それは、お前の責任ではない。
 時間の流れ、というのは、時に誰にも止められない。たとえ、万能であるという神にさえ。
 かと言ってそれに抗うのを、馬鹿だとは思わない。
 …それが、心から思う、お前の信意であれば」
「曹丕…」
「確かに、結果も大事ではあるが、お前は…そうではないだろう。
 秀吉は、お前の捻くれてはいるが、実際は真面目で硬い所を心配していた。
 それが、お前を滅ぼす原因になりかねないと」
褒めて…いるのだろうか、それは…。
「待ってはいるが…早くは来るな。俺はお前を忘れてはいない。
 あの世界での経験は、俺にとっては…楽しいものだった。
 いっそ、遠呂智さえ倒さなければ、この時間が続くのだろうか、とさえ思っていた」
珍しく饒舌な曹丕。
そんな言葉を聞いているうちに、呼吸もずいぶん穏やかになってきた。
「対等な眼で物事を見てくれたのはお前だけだった。俺はお前に会えて良かった。
 …それを言いたかった」
「曹…」
手に触れようとすると、する、と手がすり抜ける。
…触ることは叶わない。
「お前は、お前の道を行け。…いつまでも、待っている」

月の光に、吸い込まれるようにして、彼は、消えた。
しばらく、俺は曹丕がいた所にさしていた月明かりを見つめていた。



「…『あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな』」
三成がふと口に出たのは、和泉式部の有名な歌。



「今ひとたびの 逢ふこともがな…」





三成の書斎に注ぎ込む、月だけが、三成を穏やかに見据えていた。







いつもお世話になっている高月棗さんへのプレゼントに書いた話です。
遠呂智を倒してから元の世界へ戻った戦国世界、と思っていただければ。

最初に出てくる和歌は、ガラシアの辞世の句、三成が呟いた歌は和泉式部の歌で、これは百人一首にあるので、ご存知の方もいらっしゃるかも。
『私はこの世からいなくなるでしょうが、せめてあの世にいく思い出に、もう一度あなたにお会いしたい』という意味の和歌です(平安時代には、いろんな技巧を巧みに使う和歌が多い中で、彼女の歌は比較的表現がストレートでわかりやすいです)



これは…悲恋のうちに入るんでしょうかね?
暫く小説がスランプだったのですが、これを書いたら後は短いながらも割と書けるようになったので、転機の作かもしれません。



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