春望
「…失礼する。曹丕、この間の件だが…」
扉を軽く叩き、曹丕の執務室へ入る三成。
しかし、三成の見たものは意外なものだった。
「…眠っているのか…」
色々な書類が傍らに積まれる中、顔を机につけて、寝息をたてていた。
遠呂智を倒し、平和がやってきた。
しかし、融合された世界は変わることのないまま、続いていた。
仕方なく、皆は政務をはじめ、ありえないことではあるが、中国の三国時代の者たちと、日本の戦国時代の者達の共同政務、という状態がはじまったのだ。
曹丕は魏の太子として、政務を執るようになり、三成はその補佐をまかされた。
平和になったとはいえ、勿論やることは山積で、疲労も溜まっているようだ。
「…春の陽射し…確かに心地よい…」
うららかな春の陽射しに、疲労した体が睡眠を欲しがって、体が応じてもなにも不思議はない。
普段険しい顔をしていることが多い曹丕が、穏やかな顔で、眠っている。
三成はそっと近くの椅子に腰を下ろす。
「少しだけ…待ってみるか」
起こすのが、躊躇われたらしい。
彼がどんなに忙しいかも、わかっていたから。
それに…こんな顔を拝めるのも、起きているときにはまず、ないだろうから。
「『春眠、暁を覚えず』…か。まさにその通りだな」
「…なんだ、それは」
いきなり聞こえたその声は、眠っている、と思っていた曹丕だった
「…起きていたのならさっさと言え」
待っていたのが馬鹿馬鹿しかった、と思うようにむすっとした言葉で三成は答える。
「さっき起きた。…で、何なのだ。今の言葉は」
…詩人の性…だろうか?漢詩の一節で起きるとは。
まったく関心させられる。多分答えないとずっと聞かれるだろう。
「お前から見ると、未来の…詩人が作った詩だ」
「全部教えろ」
…人に物を頼む態度かそれは、とため息をつく。
「分かった分かった。…そういうと思った」
三成は曹丕の傍にあった何も書かれていない木簡を取り、筆に墨を含ませ、徐に書き始める。
春暁
春眠不覚暁 春眠(しゅんみん)暁(あかつき)を覚(おぼ)えず
処処聞啼鳥 処処(しょしょ)啼鳥(ていちょう)を聞(き)く
夜来風雨声 夜来(やらい)風雨(ふうう)の声(こえ)
花落知多少 花(はな)落(お)つること知(し)んぬ多少(たしょう)ぞ
(訳 春のねむりは心地よく、夜の明けるのもわからぬまま寝過ごしてしまった。ふと気がつくと、あちらこちらで鳥のさえずりが聞こえる。さては夜も明けたらしい。それにつけても、昨夜は雨風の音が激しかった。春の嵐に、庭の花々はどれほど散ったことだろう。)
「…これで満足か?」
「なかなかいい詩だ」
「まぁ、…俺も諳んじて書けるくらいだからな。有名な詩だ」
「『春眠不覚暁』か…確かに、春の眠りは心地よい」
「かと言って執務中に寝るのはどうかと思うがな」
わざと意地悪く言ってみせる。
「うるさい。お前もまさにその通りだ、と言っていたくせに」
…こういうところだけ、しっかり聞いているようだ。
「地獄耳」
くっくっ、と笑う声。
久しぶりに見た、曹丕の笑い顔。
…まぁ、今のままでもいいかもしれない。
世界がこのままでも。
結構…面白いし…
なによりも、こいつの傍にいられるのだから。
終
泉川氷魚さんのリクエスト「ミツヒでほのぼの」で書いてみました。
ほのぼの=春、というイメージなので、季節は春に。
タイトルの春望は、「三成と曹丕の春(この意味での春は、穏やかな時間やら色々と)を望む」的な感じでつけてみました
中に出てきた漢詩は教科書にも大抵出てくるやつです。
書かれた時代は唐時代なのでもちろん曹丕知りません。