再臨序曲
「子桓、子桓、待ってくれ、子桓」
私の後ろをちょこまかとついてくるこの少女。しかも年上の私を字で呼び捨てにまでして。
名前は玉といい、織田信長の家臣、明智光秀の娘だという。
遠呂智によって時限が歪んだ世界はまだ元には戻らず、挙句、新しい者をも呼び寄せた。
その一人が、この玉だった。
父の元に行こうとして、攻撃を受け、怪我をしていた所を保護した。
怪我もだいぶ治って魏を出ようとしたのだが、知り合いらしい市や長政が、まだ少し様子を見てからにした方がいいと玉に言い、今もこの宮殿にとどまっている。
何か本が読みたいというので、同じ国の本ならと三成に貰った本を貸してやったら、それから何故か懐かれ、今日もこうやって私の後を付いてくる。
「子桓―」
「今は忙しいといったはずだ。後にしてくれ」
「じゃぁ、今でなければいいのじゃな?ならまた数刻後に寄るから、新しい本を貸してたもれ」
びっくりした。
あれほどの本をもう読んだのか。
この少女、意外と頭はいいのかもしれない。
「…面白かったか?」
「父上に読みなさい、とは言われておった本だったのじゃ。和歌くらいは出来ねばならんとな。だから興味深く読んだのじゃ。しかし、子桓はすごいのう。真名はともかく、仮名も読めるのじゃな」
「とにかく、忙しい。私は行くぞ」
くるり、と背中を向けて歩き出すと
「約束じゃぞ、子桓、また数刻後になー」
と、玉の声が追いかけてきた。
…正直子供は苦手なのだ。
というか、普通、子供の方が私を見れば逃げ出す。
怖い、と。
玉は、市や二喬より幾分下に見えるから、まだ十代のはずだ。
聞いた話では、蜀にいる雑賀孫市を慕ってついていっていたという。だから…もしかしたら。
多少、いわゆるよくいる子供とは少し違う考えを持っているのかもしれない。
「曹丕、玉殿にずいぶん懐かれているな」
木簡に目を通しながら、三成が話しかけてくる。
「書が読みたいというから、お前に貰った本を貸したら、面白かったから、また何か貸してくれと言われた」
「貸した本は何だ」
「古今和歌集と、新古今和歌集だ。父親にあれは読んでおけといわれていたらしいから、興味深く読んだと言っていた」
三成は、ああ、と頷いた。
「男にしろ、女にしろ、和歌を詠む、昔の和歌を諳んじるというのは、必要な教養の一つだ。昔は、王が妃にどれくらい覚えているか試験をしたとも言われているからな」
「倭言葉の本ならお前の方がいっぱい持っているだろう。お前が貸してやれ」
私の言葉に、三成は何をいう、と前置きした。
「玉殿は、お前に頼んでいるんだからお前が貸してやれ。何なら俺の蔵書を提供してもいいし、兼続も本なら沢山持っている。あいつに頼んでやってもいい」
にやにや、と笑っている三成。
完全に面白がっている。
「しかしお前、苦手だ苦手だという割には子供の扱い、上手いな」
「一応下には大勢いるが…殆ど私になんか懐かなかったぞ」
「それで無意識にあしらい方が上手くなったんじゃないのか」
「しらん」
しかし、…あの者はよく分からん。
頭がいい、とは思うが、少女ともつかず、かといえば大人びた風をすることがある。市は全体的に年の割に大人びている。しかし、年相応の振る舞いをすることもある。しかし、市とはまた違う。
実は玉を助けたのは父だった。
最初は二喬の片割れだと思っていたようだったが…
同じ女同士の方がよかろうと、父は甄に玉を預けた。
私の顔を見て、玉が言った言葉は…こうだった。
『…悩みがおありのようじゃな。…しかし、あなたはあなたの道を行けばよい。そなたを皆が誰と比べようと、あなたはあなたでしかないのだから。人に頼るのを、恥と思わず、頼れるものがいれば、頼ればよい。その者も、頼られるのは、嬉しいことだと思うだろうから』
こんな事を言われるとは思わなかった。
…近いことは…三成も言っていたか。
変わった奴は変わった人間を好むものなのだな。三成はこうやって、自分の意思で、私の参謀として魏にいるのだから。
玉は、明智光秀の娘、と言っていたか。
彼もなかなかの文武両道の切れ者だというから、親譲りなのだろうか。
『その者も、頼られるのは、嬉しいことだと思うだろうから』
あれは、三成の事なのだろうか。
いや、あの時の玉がそれを知っているはずはない…はずなのだが。
「どうした。曹丕。何を考えている」
「いや、何でもない」
『兄様は誤解を受けやすいのです。そして…父様と兄上を比べる者は大勢いますが、兄様は兄様です。父様をなぞならなくてもいいのです』
ふと思い出した、たくさんいる妹の一人の言葉。
母が一緒で、父の思惑で劉協様の元に嫁いだ、妹。
ああ、玉はあれに似ているのだ。
植と同じように、私によくついてきていた、数少ない弟妹。
この混沌とした世の中、元気でやっているのだろうか。
今度玉が来た時には、もっと話をしてみるのも、悪くないかもしれない。
終
フライング妄想。初出は、インテの恐惶謹言で出したチラシ兼ミニ本です。タイトルはなんとなく思いつきで(初出のときはありませんでした)
ガラシャは多分戦国サイドにいくのではないかな…と思いはするのですが、好きなキャラ三人(曹丕、三成、ガラシャ)を絡めた話を書きたい、と思い、長政夫婦に引き止めてもらいました(名前だけしか出てなくてごめんなさい)三成はガラシャをどう呼ぶだろう。とかなーり迷いましたが、彼女は信長の部下、光秀の娘ですので、あえて「殿」を曹丕との立場(心の中の)の区別もふまえて敬称に選びました。この三人は今回の新作では是非チーム組ませたいですね。名前は『ガラシャ、両手にツン(笑)』
因みに。古今も新古今も全20巻。和とじなので、一冊に関してはそんなに分厚くはないとは思いますが…。それでも全40冊となるとかなりの量。ガラシャはどれだけの短時間で読んだんでしょうか。