1. モノクロの世界にこぼれた絵具



「スケッチとか面倒だよな〜」
「適当に終わらして、とっとと遊ぼうぜーっ」

そんな会話を耳に入れつつ、スケッチブックに風景を描いていく。
みんなは写生を嫌ってるみたいだけど、絵を描くことが好きな僕は嬉々とした気持ちでいた。
草花をじっと見つめては、美術用の濃い鉛筆で線をスケッチブックにつけていく。
細かいところまでをよく観察して描くことが僕は好きだった。
けれどそれだと、とても描き上げるのに時間がかかってしまう。
だから僕は、美術の時間に一枚の絵をきちんと描き終えるということが今までに一度もなかった。
作品を完成させられないことは残念だけれど、それでも、楽しいから僕は良かった。
半分くらいまで描き終えたところで、僕は道具をその場に残してトイレへと向かった。
そして帰ってきたときには、僕が座っていた場所に、見知らぬ少年が座り込んでいた。

「……やっべ〜。どうしよ……っ」

なにやら焦っている様子の少年の背後に立つ。
そして、驚きに目を見開く。
僕の描きかけのスケッチブックに、少年のものであろう絵の具がついていたのだ。

「なっ、何これ……!?」

泣きそうになりながらスケッチブックを手に取る。
懸命に描いていた花が、赤い絵の具で塗りつぶされている。
僕の目にじんわりと浮かんできた涙を見た少年は、しどろもどろになりながら謝ってきた。

「ごめん、わざとじゃないんだ! 綺麗な絵だなって思って見てたら、パレットを落としちゃって……」

綺麗な絵。
その言葉に、涙が引いていくのが分かった。

「……この絵、綺麗だと思ってくれるの?」
「あ? ……ああ、すごく」

僕は今まで作品を完成させたことがなかったから、先生や友達に、こうやって褒められるということがなかった。
言われることは常に、「絵を完成させろ」とそればかりだった。
だから少年の言葉が、胸に響いた。

「……ありがとう。そう言ってもらえると、すごく嬉しい」
「いや、でも……悪かったな。せっかく上手な絵なのに」
「ううん、そんなことない。でも……どうしようかな」

モノクロで描こうと決めていたために、ここに赤があると非常に目立つ。
隠しようがないよな……。

「……なあ、一緒に俺の絵の具でこの絵に色を着けないか?」
「え?」

少年は画材道具を広げると、僕に微笑んで見せた。
それはとても朗らかで、人を惹きつける笑顔だった。
思わず頷いてしまうと、少年が大胆にも絵に色を塗りだした。

「うわっ……」
「細かく描いてあるみたいだけど……。悪いけど、塗りつぶさせてもらうからな」
「あ、うん……」

絵が塗りつぶされていく様子は、なんだか見ていてとても悲しかった。
けれど少年の横顔はひどく楽しそうで、僕も彼と同じように、見よう見まねで大胆に色を塗ってみた。
彼の塗った絵の具と、僕の塗った絵の具が混ざり合う。
それらはモノクロだった世界を美しく色づけていく。

「こっから先はまだ鉛筆描きされてないけど、せっかくだから、全部塗っちまうか」
「え、下書きとかなしで塗っちゃうの?」
「なくっても何とかなるさ」

僕は細かに時間をかけて描いていたのに、少年は下書きなどなしでもどんどん絵を描いていく。
それも、すごく楽しそうに。

「よし、こんなもんかな!」
「……うわぁっ」

出来上がった絵を見て、感嘆の息を漏らす。
スケッチブックにはさまざまな色によって構成された、美しい世界が描かれていた。
初めて自分の絵を完成させた喜びと、満足のいく作品を仕上げられた達成感。
細かく丁寧に描くことだけが、絵の全てではない。
そんなことを、僕は少年に教えられた気がした。

「……あ、ありがとう」


僕がお礼を言うと、少年はキョトンと目を丸くした。
それから、ニッコリと微笑む。
なんだかその笑顔は眩しくて、僕は少しだけ、目を細めた。




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