6. 変わることのない想いを贈り ます
中学校を卒業してから、約四年の歳月が流れた。
専門学校を無事卒業出来た僕は、今はイラストレーターとして生計を立てていた。
絵の仕事に就くという目標を果たし、幸せでいっぱいだった。
好きなことをやって、そしてそれを認めてくれる人がいる。
自分の描く絵を求めてくれる人がいて、絵を見て幸せになってくれる人がいる。
それはなんて素敵で、やりがいのある仕事なのだろうか。
「……懐かしいな」
そうやって、自分で働いて貯めたお金で、僕は遠い他の県から、生まれ故郷へと戻ってきていた。
都会と違って田舎のここは、空気が澄んでいて空の青が濃い。
手を伸ばせばすぐにでも届きそうなほどに広く近く見える空の下を、ゆっくりと歩いていく。
耳を澄ませば聞こえてくるひぐらしの鳴き声がひどく懐かしい。
「……まだあったんだ」
足を止めて、廃校となってしまった母校を見上げる。
誰も使っていないのであろう建物は、たった四年しか経っていないのにあの頃よりもとても小さく見えた。
鍵はかかっていなかったので、僕は玄関から中へと足を踏み入れた。
電気がついていないため、校舎内は薄暗い。
休み時間には笑い声で満ちていたのが、まるで嘘のように感じる。
冷え切っている廊下を歩きながら、僕は教室の中を覗いた。
そこには卒業式の日、僕が友人とひとつの絵を完成させた黒板がある。
当然その絵は消されていてもう残ってはいなかったけれど、何だか感慨深いものを感じた。
「……久しぶりに、描いてみようか」
レールに置かれていた折れたチョークを手に取る。
懐かしい感触だった。
瞼を閉じ、あの頃のことを思い出す。
そして、傍にいて励ましてくれた少年のことを。
彼はとても綺麗な顔立ちをしていたから、きっと今は、昔以上に格好良くなっているのだろう。
あの日、あの時の少年が、成長したらなるであろう姿を想像しながら黒板に描いていく。
「……出来た」
久しぶりに描いた彼の姿は、予想以上に上手く出来た。
消すのが勿体無いと思うほどに。
残しておいても大丈夫だろうか。
……大丈夫だろう。
何故ならここは、もう誰にも使われることがないのだから。
僕はチョークから指を離すと、そのまま教室を後にした。
せっかくだから、他の所も見て回ろう。
見るもの全てを懐かしみながら校舎内を歩いて回る。
よく通っていた美術室は相変わらずの散らかりようだった。
床や机にこびり付いている絵の具すら、今では愛しく感じる。
ある程度を見終えて、僕は再び教室に足を運んだ。
やっぱり、絵を消しておこうと思ったのだ。
確かに僕はこの学校の卒業生だけれど、それはもう、四年も前のことなのだから。
教室のドアを開け、僕は歩みを止めた。
コツ
チョークと黒板がぶつかり合って、軽快な音を立てる。
コツ、コツ、コツ、コツ
静かな教室に、その音だけが響いていた。
深緑の黒板に白線で描かれていく、笑顔の青年。
それは過去、ここに描かれていた少年の姿を彷彿とさせる絵だった。
やがてチョークが削られていく音が止まり、カタンと、白いチョークがレールの上に置かれた。
「お前の絵、やっぱり好きだな。でもこの絵は未完成だったな」
振り返りながら、青年が笑う。
「だから完成させといてやったぞ。……二人でひとつ、だろ?」
こんこん、と青年が拳で黒板を叩いた。
そこには笑顔を浮かべる二人の青年の姿が描かれている。
「……ごめん」
「いいよ。お前が描かなかったのなら、その都度、俺が描き足すから」
ポケットに両手を突っ込んだ青年は、相変わらずの明るい笑顔を見せていた。
そんな彼に、そっと……近づいていく。
言えなかったままのことばがある 言わせてもらえなかったことば、が
青年の前に立ち、見上げる。
いつの間にか、こんなにも背丈に差が出来てしまっている。
この場所で別れてから……約四年が経っているのだからそれも当然なのだろう。
けれど、それでも変わらない強い想いがあった。
それはあのとき、ここで気づいた、けれど伝えることの出来なかった気持ち。
彼にそれを伝えるべく、唇を動かす。
そうして紡いだ、“好き”という言葉。
それを聞いた青年は、なんてことのないように。
「俺もだよ」
屈託なく、微笑んだ。