5. ぼくがいる きみがいない
卒業式を終えた僕たちの学年の生徒は、ほとんどが涙で顔をくしゃくしゃにしていた。
僕はその中には含まれていない。
何だか、実感がなかったのだ。
これで卒業なのだと。
みんなと、離れ離れになるのだと。
それでもどことなく意気消沈気味に廊下を歩いていると、教室の中に少年の姿があった。
「どうしたのー? みんな、もう下校していってるよ?」
「ん、ちょっと見納めしとこうと思って」
そうか。
僕は卒業してからもここにやって来られるけれど、彼はそうじゃないんだ。
遠く……他の県に行ってしまうんだ。
そのことを考えると哀しくなり、僕は彼の隣へと駆けていった。
寄り添うようにして傍に立つと、少年は「何だよ?」と照れくさそうに笑った。
それから、僕の肩を抱いてきた。
「絵、描き続けろよ? 応援してっから」
「ありがとう。専門学校を卒業したら、そういう仕事で活躍してみせるから期待しててね」
「ああ。……最後にさ、描いて見せてくれよ。お前の絵」
「いいよ」
放課後、僕と少年しかいない教室の黒板に、絵を描いていく。
チョークで描くのは難しい。
だからこそ、その分気合を入れて描いた。
彼に目の前で見せる最後の絵は、僕が一番描いていて楽しめるものを題材にした。
それはもちろん、笑顔の少年の絵だ。
「……俺か」
完成した絵を、感慨深げに彼は目を細めて見ていた。
目に焼き付けようとしてくれているのか、じっと見つめたまま、視線を外さない。
「どう、かな。初めて見せた君を描いた絵よりも、少しは上達してると思う?」
「大分な。かなり上手くなってると思う。……ただ、どんどん美化されてるような気もするけどな」
そう言って笑う彼の横顔を、眩しげに見つめる。
美化されている?
ううん、そんなことはない。
君自身が、時が経つにつれて格好良くなっているんだ。
どんどん逞しくなっていく君に、僕は置いていかれそうでずっと怖かったんだよ。
そのことに、きっと君は気がついていない。
「なぁっ、一緒に写真撮ろうぜーっ!」
僕と彼の見つめあいに邪魔が入った。
同じクラスの友人が、僕に向かって教室の入り口から手招きをしていた。
「……行ってこいよ」
「うん。じゃあ、ちょっと行ってくるね。すぐ戻って来るから」
僕は友人へと駆けていった。
廊下には友人が数名、カメラを持って僕のことを待っていた。
「さ、卒業記念を撮るぞー!」
パシャパシャと、何度もフラッシュがたかれる。
その度に違ったポーズをとって、笑いあう。
彼らとこうしてふざけあっていられるのも、もう、今日だけなんだ。
そう思うと少し、胸が痛んだ。
「……なぁ、再来年からここが廃校になるって知ってたか?」
「え?」
友人の言葉に思わず声を上げる。
廃校……?
この学校が?
「全然知らなかった……。でも、どうして?」
「ほら、ここって田舎だろ。疎開化が進んできてて、子供が少ないんだよ。俺たちが今年卒業して、来年は今の二年生が卒業するだろ? んで、再来年には今の一年生が卒業する。それで終わりになるんだってさ」
「そう、なんだ……」
この話を知らなかったのは僕だけではなかったらしい。
一緒にいる友人の中にも、複雑そうに眉間にしわを寄せている奴がいた。
学校が廃校か……。
卒業と共になくなるというわけではないが、やっぱり、寂しさがある。
「さて、写真も撮ったことだし……そろそろ帰るか」
「あ、ごめん。僕は教室に戻るから」
「ああ、分かった。それじゃあ、また。休みの日にでも会おうな」
友人たちに手を振って、僕は教室へと向かった。
教室の中には、誰もいなかった。
「……あ、れ?」
さっきまでここにいたはずの少年の姿がなく、辺りを見回す。
どうやら僕が写真を撮っている間に帰ってしまったらしい。
「……なに、それ」
きちんと別れの挨拶もしていないのに、帰ってしまうなんて。
戻ってくるとちゃんと伝えてあったのにな……。
ふと黒板へと視線を向け、そして、目を見開く。
黒板の絵に、絵が描き足されていた。
白いチョークで描かれたそれは、僕そっくりの人物だった。
彼の隣で微笑むようにして立っている僕の絵は、思いのほか綺麗で、上手なものだった。
思わず見惚れてしまうほどに。
「知らなかった、な……」
彼は本当は、すごく絵が得意だったらしい。
僕の絵を好きだと言って、綺麗だと褒めてくれるから、てっきりそれほど絵が得意ではないと思っていたのに。
これほどまでに上手な絵を描く彼が、本当に僕の絵を好きでいてくれていたのかはもう分からない。
でも少なくとも、この絵を見る分に……僕は彼に、嫌われてはいなかったのだろう。
だって二人が笑いあっている、二人で完成させたこの絵は、今まで僕が見てきた有名な画家たちのどんなに美しい絵よりも、温かく優しいものだったのだから。
彼には僕の笑顔が、こんな風に見えていたのだろうか。
……僕が描いた彼の絵を見て、もしかしたら彼も同じように思っていたのかな。
そっと、黒板に手を触れさせる。
この絵のように一緒に笑いあっていた日々は、もう終わってしまったんだ。
楽しかった日々は、返ってきはしない。
彼は他の県に行ってしまい、僕たちの繋がりは断たれてしまったのだから。
絵を見ていて、知らず知らず涙が零れた。
鼻の奥がツンとして、胸がジンジンと痛む。
それでやっと、気がついた。
―――僕、彼のことが好きだったんだ。