1. 義務と意思の狭間にて
社長室に呼ばれた僕が一番に目にしたのは、社長の輝かしい笑顔だった。
その笑顔を不審に思いつつも、僕は社長の言葉を静かに待った。
「えっと、このたび新製品の玩具を作ったんだよね」
「はぁ…新製品ですか。それはどういった種類のものでしょうか」
「今までにないモノだよー。これなんだけどね」
引き出しから取り出される四角い箱。
その箱から取り出された玩具を見て、僕は目を見張った。
取り出されたそれは紛れもなく、男性器を模したデザインの―――バイブだった。
それもかなり大きく、おうとつがいくつもあるやつだ。
知識としては知っていたものの、バイブを実際に目の前で見るのは初めてだった。
そんなわけで、目は必然的にバイブに釘付けになってしまう。
社長はそんな僕の反応を満足げに見ながら言った。
「お客様からの注文があってね。バイブとか、いわゆる大人の玩具をこの会社でも製造することになったんだ」
「そうですか…」
子供の玩具開発メーカーに大人の玩具を依頼するなんて、果たしてその客はどういうつもりなのだろうか。
それにしても、この内容では僕がここに来た意味を全く感じない。
一体社長は何が目的なのだろう…。
「新製品だから、なにぶん性能が分からないんだよね。そういうわけで、君にこれを試してもらいたいんだ」
考えを巡らしていたため、社長の言葉に反応するのが遅れてしまった。
僕はしばらく黙って社長の顔を見つめた後、小さく首を傾げさした。
今、社長は何て言った…?
本当は社長が言った言葉が何か聞こえていたし意味もしっかり理解していた。
けれど、それを認めたくない自分がいたのだ。
社長は戸惑う僕を見て可笑しそうに笑うと、バイブを顔の付近まで掲げた。
「どうかな。使ってみる気はないかい? 僕としては試してくれると助かるんだけど」
笑顔で遠まわしに頼んでくる社長相手に、秘書である僕が断れるはずもなかった。
断れば、クビになる可能性だってあるのだから。
「協力してくれたぶん、もちろん報酬はあげるよ。まぁ…選ぶのは君だけど」
ここの会社は大手メーカーで待遇が良い。
何より、秘書という地位は捨てがたいものだ。
「…わかり、ました」
そんな僕に残されている選択肢など、ないに等しい。
僕が小さく頷くと、社長が顔を綻ばしたのが分かった。
「葵くん、とても失礼なことを訊くけど…君は後ろを体験したこと、あるのかな?」
「あるわけないじゃないですか…っ」
それはつまり男に抱かれたことがあるのか? ということじゃないか。
そんなもの、ないに決まっている。
もちろん自分で後ろを弄ったこともない。
僕の返事を聞いた社長は心配そうに眉根を寄せた。
「初めてなのに自分でバイブを挿れるのはキツイよね…」
「あの…失礼ながら社長。社長はあるのですか?」
「ないに決まってるじゃないか! だから君に頼んだんだけど…でも君も初めてとなるとね…」
顎に手を当てて唸る社長。
ちょっと待ってくださいよ。
それって、僕が経験済みだと思っていたということか?
なら社長は、僕が男に抱かれたことがあるような男に見えていたのか…!?
「仕方ないね。僕も手伝うから、一緒に頑張ろう?」
「…は?」
社長の言葉の意図が掴めず、僕は思わず聞き返してしまった。
「あはは、君は理解能力が高いと思っていたんだけどなぁ。さすがに気が動転してるのかな」
社長はくすくすと笑って、それからコーヒーを啜った。
「僕がバイブを挿入しやすいように、後ろを解してあげる。おいで、葵くん」
手招きをする社長。
僕はそんな社長に首を振った。
「そんなことさせられません!」
「なら、自分で出来るの?」
「そ、れ…は……っ」
自分で後ろを弄るなど、出来るわけがない。
かといって社長に…他人にしてもらうなんて恥ずかしくて我慢出来るわけがない!
「心得はあるからさ。といっても、男の人を抱いた経験はないけどね」
そう言って社長は尚も手招きをする。
それでも僕は社長に近づくことが出来なかった。
「自分で出来ないんでしょう? だから手伝うって言ってるのに」
社長は手招きをやめ、軽く唇を尖らした。
それからふっと笑みを消して、冷ややかな瞳で見つめてきた。
「それとも、何…? 約束破るの?」
―――そうだ。
僕は頷いてしまったんだ。
協力をすると。
「…っ」
断れば良かった。
地位だとか名誉だとか富だとか、それら全ては確かに大事なものだけれど…。
それでも、断るべきだったんだ。
「おいで、葵くん」
再び名前を呼ばれ、僕はびくっと肩を竦めた。
行かなければ。 僕は頷いてしまったのだから。
大丈夫、すぐ終わる。
玩具の性能を試すだけなのだから―――。