7. おかえり
記憶を失ったからといって栢山から注がれる愛情が薄くなるだなんてことはなかったようだ。
それどころか、深くなってさえいる。
そのことに記憶を失っている俺は比べることが出来ないため気づくはずもないのだが、それでも、最近の栢山はすごく優しいなって思えていた。
毎日が幸せで、彼と一緒にいるだけで、心が安らいだ。
記憶は相変わらず思い出すことは出来ずにいたけれど、もう……それでもいいかな、と思い始めていた。
彼のことを思い出したいという気持ちは、まだあったけれど。
「……あれ?」
自宅のベッドで寝転びながら、俺はふと、壁にかかっているカレンダーに目を留めた。
日めくりカレンダーはこの部屋の主がぐうたらなせいでめくられることがなく、もう冬にさしかかろうとしているのに七月のままだった。
俺はカレンダーへと近づくと、ビリッと音を立てながら紙を破り捨てた。
これじゃあ、日めくりカレンダーの意味はないよな。
苦笑しながらも紙を破り続け、今日の日付になったところで、俺は動きを止めた。
カレンダーには、赤い丸印がしてあった。
何だろう、このマーク。
印をつけてあるということは、何か特別な日なのだろうけど…。
「ん〜……」
……駄目だ、思い出せない。
米神の部分がチリチリと痛みだしたところで、俺は考えるのをやめた。
それから俺は机へと向かうと、引き出しを開けて中から勉強用のノートを取り出した。
そのとき、引き出しの奥に灰色のマフラーが入っているのが見えた。
何だろう、これ。
取り出して、じっと見つめる。
俺がつけるにしては、やけに長いマフラー。
手編みのようで、ところどころに拙さが目立つ。
これはもしかして、俺が作ったのか……?
どうして……?
カレンダーについた、赤い丸印。
手編みのマフラー。
ドクンッと、大きく心臓が脈打った。
頭の中に、栢山の姿がチラつく。
ああ、そうだ……。
これは俺が、何ヶ月も前から、彼だけのために、一生懸命に編んだものだ。
彼の誕生日プレゼントとして、渡すために。
いつのまにかきつく握り締めていたマフラーに視線を落とす。
霞んでいて、曖昧になっていた彼との思い出。
それらが色鮮やかに蘇ってきた。
小学校の入学式の日、不安がる俺の手を引いてくれた男の子。
中学校に真新しい学生服を着て一緒に登校した男の子。
同じ高校だねと、喜びあった男の子。
いつも俺の隣にいて、笑いかけてくれた、大切な―――。
どうして、忘れていたのだろう。
こんなにも大切な存在であった、彼のことを。
栢山に会いたかった。
会って、忘れていたことを謝って、それで……たくさん、話をしたかった。
俺はいてもたってもいられなくなって、家を飛び出して栢山の家へと向かった。
家を出てすぐの道路を、栢山は歩いていた。
どうやら俺の家に向かってきてくれていたようだった。
栢山は俺の姿を目に留めると、微笑んでくれた。
ああ、その微笑だ。
俺が愛してやまなかった、ずっと傍にあった……大好きな、笑顔。
「……誕生日おめでとう!」
遠くから叫んだ俺に、栢山は驚いたように目を丸くした。
立ち止まって、戸惑ったように俺の顔を凝視する。
「まさか、お前……記憶、戻ったのか……?」
信じられない、と首を横に軽く振った栢山へと微笑みかける。
それで、通じたのだろう。
栢山は再び、俺の大好きな笑顔を浮かべてくれた。
「……おかえり」
嬉しくて、涙が零れそうになるのを必死で堪える。
マフラーを片手に栢山へと駆け寄りながら。
「ただいま、アキヒロ!」
やっと思い出すことの出来た、彼の名前を口にした。