10. 変わらない眼差し
大晦日の日、お寺は参拝客で溢れていた。
除夜の鐘を鳴らすべく、長蛇の列をつくってさえいる。
寺にいる人たちは寒いにも関わらずみんな笑顔で、無料で配られているうどんを美味しそうに食べている人もいた。
そんな中、水瀬は憂鬱そうにため息を漏らした。
明らかにこの場に不相応な表情だが、そんな水瀬に気づき、咎める者も元気付ける者もいない。
水瀬は家の近くにある寺に、一人でやってきていたのだ。
「……なんで、かな……」
今年こそは告白をしようと決め、そして結局、次の年を迎えようとしている。
そんな自分に水瀬は自己嫌悪していた。
もとより自分の意思が弱いことは知っていたけれど、こんなにも情けないとはさすがに思っていなかったのだ。
水瀬は再びため息を吐いた。
吐息は白く目の前の暗闇に広がり、溶けるように消えていく。
水瀬は複雑な気持ちでそれを見つめた。
このまま進藤とは、何も想いを告げることが出来ないままバラバラになり、「水瀬」という存在が忘れ去られてしまうのではないか。
そう、まるで……この吐息のように。
いずれ水瀬のことは、進藤の中から消え失せてしまう。
そんなのは嫌だった。
けれど、だからといって想いを告げるには勇気が足りない。
結局あの決意は何だったのだろうと、水瀬は切なげに目を細めた。
参拝客の顔は、先ほどから何も変わっていない。
みんな笑顔に満ちている。
新しい年を迎えるのだから、当然なのかもしれない。
それでも水瀬は、笑顔を浮かべるみんなの中に入れることはなかった。
「ふぅ……っ」
辛気臭い気分をいつまでも引きずっていても仕方がない。
そう奮い立たせて、水瀬はお賽銭箱の前に移動した。
お金を投げ入れ、合掌する。
―――家族や友人に、不幸なことが起こりませんように。
毎年同じことを祈る水瀬は、ふと、進藤のことを頭に思い浮かべた。
……たまには欲を出してもいいだろう。
水瀬は進藤とのことを祈ることにした。
「……進藤に、好きだと言えますように。出来ることなら、恋が成就しますように」
囁くように言ったところで、ゴーンと、除夜の鐘が鳴った。
人間には108の煩悩があり、それらを清めるために、108回…鐘を鳴らす。
そのために除夜の鐘という存在があるというのに、その鐘の音を聞きながら、明らかに煩悩としか思えないことを自分は祈っているのだ。
それも、縁結びの神様でもなんでもない、仏様に。
水瀬は自分のしていることの可笑しさに苦笑して、振り返った。
「―――あ、れ?」
振り返った水瀬の目の前に立つのは見知った人物…どころか、今の今まで頭に思い浮かべていた人物ではないか。
水瀬は目を丸くして、相手の顔を凝視した。
それは相手も同じだった。
水瀬の好きで好きでたまらない相手 ―進藤― は、目を皿のようにして水瀬のことを見つめていた。
ただひとつ二人の様子で違うところは、進藤の顔が赤いことだった。
目元から頬にかけてが特に赤く、どことなく目の焦点が合っていないようにさえ見える。
水瀬はしばらくの間進藤の顔を見つめていたが、ふと、自分が口走っていたことを思い出した。
『…進藤に、好きだと言えますように。出来ることなら、恋が成就しますように』
祈ったのは自分だ。
口に出したのも自分だ。
そしてそんな水瀬の背後には進藤がいた。
それほど大きな声で言ったつもりはなかったが、進藤の反応を見るに、聞こえてしまっているのは明らかだった。
水瀬は急速に血液が顔から引き、そして、それに負けず劣らずのスピードで顔に血液が上がっていくのが分かった。
ボッと、水瀬の顔が真っ赤に染まる。
確かに好きだと言いたいと思っていた。
けれど何も、水瀬はこんな形で進藤に想いを伝えたかったわけではないのだ。
でもまぁ、これで今年中に想いを告げるという果たせないと諦めていた決意が達成されたな―……などと考えて現実逃避をしているのも束の間、水瀬は腕を進藤に引っ張られて人気の少ない、寺を囲むようにしてある林の中へと連れて行かれていた。
重苦しい沈黙の中立ちすくむ水瀬と進藤。
こんなとき、どう切り出して何を話せばいいのかが全く二人の頭の中には思い浮かんでいなかった。
進藤に至っては大好きな水瀬からのあまりにも唐突な告白に、戸惑い過ぎて喜ぶことさえ忘れているようだった。
茫然としている二人はたまに視線を交わしては、さっと逸らす。
そんな二人の無言の空間を引き裂いたのは、周囲の「あけましておめでとーっ」という明るい声だった。
その声を聞いて、水瀬と進藤は年が明けたことを知る。
「……あ、明けたんだな」
「そ、そうだね……。新しい年になったんだね……」
水瀬は進藤に軽く頭をさげた。
「こ、今年も宜しくお願いします……」
「ああ、俺の方こそ、今年も……って、そうじゃない!」
進藤は声を荒げると、水瀬の両手を握った。
「し、進藤……?」
「正直、さっきの出来事が俺には信じがたいんだけど、事実として認識してもいいのか?」
「う……うん」
恥ずかしさが蘇ってきたのか、水瀬は俯きがちに顔を紅潮させた。
「あんな形で告白されるなんて思ってなかったけど…」
「ぼ、ぼぼ……僕だって進藤が聞いてるなんて思わなかったよぉ!」
半ば泣きながら水瀬が言うと、進藤は苦笑した。
その顔を見て、水瀬は堪えていた涙を零した。
「み、水瀬……?」
「うっ…ぇっ……や、やっぱり…気持ち悪いよね…?」
戸惑う進藤を他所に、水瀬は手で顔を覆った。
指と指の隙間から雫は零れ、切なげな声も漏れる。
「ふっ…ごめんなさい……でも、好きなの……好き、大好き」
水瀬は進藤を一度見ると、そのまま蹲ってしまった。
「あー…おい、水瀬?」
「うぅ……っ、なにぃ……?」
蹲って泣く水瀬と同様に進藤も蹲ると、頭を掻いた。
「返事をする前にそういう反応をされると、非常に困るんだけど……?」
「だ、だって……どうせ、進藤は断るから……っ」
「何でそう思うわけ?」
「だって、進藤……僕のこと、全然……そういう目で、見てくれたことないから……!」
水瀬の言葉に進藤は顔をしかめた。
どうやら進藤が水瀬から感じていたことを、水瀬も感じていたらしい。
それは、自分が年々相手に対する好きだという気持ちを強くしているにも関わらず、相手から向けられる眼差しが、一向に変わらないというもの。
「そういうこと、か……」
進藤はため息を吐き出しながら小さく笑った。
何故、自分の水瀬を見る目が変わらないのか。
それはきっと、昔から水瀬に対する気持ちが変わっていないからだ。
想いが強くなりこそすれ、好きだという気持ちには何の変化もないから……。
水瀬から感じていた不変の視線というのも、同じ理由だったのだろうと思うと可笑しくてたまらなかった。
結局、自分たちは互いを好きで。
愛しているという視線を幼い頃から浴び合っていたからこそ、気づけなかった。
その視線を向けられることが当然だったから、それが、長年求めていたものなのだと。
恋に気づいてからのこの十数年、互いに馬鹿みたいに傷つけあっていたのだろう。
一番求めていた眼差を向けられながら、その眼差を向けられないことを嘆いて、苦しんで。
進藤は苦笑しながら水瀬の顔を上げさせた。
それから、涙が伝う頬にそっと口付けをした。
「っ―――……!」
水瀬の目が見開かれる。
進藤は笑みを浮かべたまま、そんな水瀬の頭を撫でてやった。
さて、何から話をしてやろうか。
とりあえず、鈍感な水瀬にも、今の行動である程度気持ちは伝わったはずだ。
だからそうだな、まずは…。
互いに好かれていることに気づけなかった、馬鹿な二人の話でもしてやるとするか。
進藤は水瀬を引き寄せて、耳元で、今気づいた事実を告げ始めた。