20. それでもまた、恋を (相楽視点)


駅のホームを、重たい荷物を抱えながら歩いていく。
有原へは、手紙を残してきた。
それを読んだとき、彼はどう思うだろうか。

――彼は俺のことを、どう思っていたのだろうか。

今となっては質問することさえ叶わないことだった。
人波を避けながら、この町にやって来てから起こった出来事を、一つずつ、思い返していく。
日数にしてはそれほど多くない、けれど濃い記憶の数々。
それは全て、有原が傍にいてくれたからだ。
“あの人”に捨てられて落ち込んでいた俺を支えてくれた、さまざまなことから俺を守ってくれた、力強い存在は今から行く町にはいない。
もう二度と会うこともないだろう。
たとえ会う機会があったとしても、その頃には、彼にはとても大切な存在が出来てしまっているはずだ。
刺すように、胸が痛みだす。
それに気づかないふりをして新幹線に乗り込むと、有原の声が聞こえた気がした。
そんなわけがない、と思いつつも振り返ると。

「相楽ッ!!」

目の前に、有原がいた。
走ってきたのだろう、頬は紅潮し、肩が激しく上下している。
俺は言葉を失って、彼のことを見つめた。
病院にいるはずの彼が、どうしてここにいる?
考えられることは、ただ一つ。
手紙を読んで、抜け出して来た――。

「ばっ、馬鹿…! 病み上がりのくせに!! まだ退院の許可、出てないだろッ!?」
「うるさいっ。そう思うんなら、あんな手紙だけ残してくなよ!!」
「し、仕方ないだろ…? 母さん、体調が良くないんだから。早く帰って、家の手伝いをしないと」
「それ、本当か」

凛とした声が、鼓膜を震わせた。
きっと有原に、この嘘は見破られている。
それでも俺は、頷いて見せた。
ここで帰るわけにはいかないんだ。
有原はそんな俺に苛立ったように、更に声を荒げた。

「相楽ッ。なぁ、本当のこと言えって! 違うんだろ!?」
「違わない。俺は…」
「嘘言うなっ。……俺は、嫌だからな! 相楽と離れるなんてっ」
「…そう思ってもらえるのなら、嬉しい」

俺は俯き、零れそうになった涙に気づかれないようにするために、目元を前髪で隠した。
その言葉だけで、十分だ。
自分に言い聞かせながら、彼に背を向ける。

「待てよ! お前は俺と一緒にいたいって、そう思わないのか!? 俺のこと、何とも思ってないのか!?」
「思ってないわけ、ないじゃないか…っ!!」

反射的に振り返って、有原のことを睨み付ける。
何とも思っていなかったのなら、家族のもとに帰ろうなどとは思わない。
有原の言葉がこんなにも、辛いはずがない。

「じゃあ、何でだよ? 何でそんな嘘言って、帰ろうとするんだ!?」
「っ……迷惑、かかるから」
「え…?」
「俺が一緒にいたら、有原に迷惑がかかるからッ」

胸に渦巻くわだかまり。
堪えていた痛み。
それらを吐き出すように叫ぶと、有原が息を呑むのが分かった。

「……んだよ、それ。俺に迷惑がかかるから、俺から離れるっていうのか……?」

有原は一度唇を噛むと、俺を睨みつけてきた。

「ざけんなよ…。何のために俺があいつのもとに行ったと思ってるんだ。俺は……俺はお前が好きなんだよ!!」
「あり…はら…?」
「だからこれからも一緒にいたいって思うし、迷惑がかかったって構わない! お前はどうなんだよ!? 本気で俺から離れたいって、そうするべきなんだって、思ってるのか!?」

プルルルルッ、と。
扉の閉まる合図である、音が響く。
離れたいわけがない。
俺だって一緒にいたいって、思ってる。
それでも…。

「お前はずっと、辛い思いしてきたんだろ? だったら幸せになっていいはずじゃないか! 他人に迷惑をかけて何が悪い!? 俺のために身を引くだなんて、そんな馬鹿なこと考えんなッ。いい加減、自分の気持ちに素直になれよ!!」

ドクンドクンと、やけに心臓の音が大きく聞こえていた。
有原と一緒にいたいという願いを、本当に叶えていいのか。
彼の優しさに、甘えてしまってもいいのか。
……分からない、けれど。
鳴り響いていた音が、止む。
ドアが閉まりだす、直前に。

「来いよ、相楽ッ!!」

有原が俺に向かって、腕をさし伸ばした。
俺は弾かれたように荷物を投げ捨て。

「……有原ッ」



――――有原の手を、握り返した。



「っ…とぉ!?」

新幹線の中から俺を引き出した有原は、その勢いに乗ってホームへ尻餅をついた。
俺はそんな彼の腕の中に飛び込むような形で、車両から降りていた。
触れ、れた。
何の抵抗もなく、他人の手を。
もう二度と、一緒にいることは叶わないと、出会えないと、そう思っていた有原の手を。

「っ…ぁ…」

伝わってくる温もりと、感触に、涙が膝へと落ちた。
ドアを閉めた新幹線は、次の駅へ向けて走り出す。
俺を、有原のもとに残して。

「…ありっ…は、らぁ…ッ」

堪えきれない嗚咽とともに、有原の名前を繰り返し呼ぶ。
有原はそんな俺のことを、ギュッときつく抱きしめてくれた。
温かい、と。
そう思いながら、彼の肩に顔を埋める。

「…きっとたくさん…迷惑、かけっ…。でも、俺…一緒に…いた…っ」
「いるよ、これからも傍に。そんなの当たり前だろ? そりゃ、確かに相楽はモテるから、俺はたくさん嫉妬しちゃうだろうし、もしかしたら今回みたいに大変な目に遭うかもしれない。それでもやっぱり、俺は相楽が好きだから」

有原は俺の頬を伝う涙を、そっと指で拭ってくれた。

「泣き顔も、綺麗だよな」
「や…見るな」
「嫌だ。俺、もっともっと…相楽のいろんな表情を見たいって思うよ。笑顔だけじゃなくて、泣き顔も、照れてる顔も、苦しんでる顔も、全部。相楽のいろいろな面を、俺に曝け出して欲しいんだ。それを俺はちゃんと受け入れる。お前を支えてみせるから」

どうして有原は、望んでいることを言ってくれるのだろう。
彼の言葉はいつもそうだった。
心を覆うカラにある微かな綻びから、簡単に滑り込んでくる。
そうして俺の本心を引きずり出しつつも、優しく包み込んでくれるのだ。

「俺…好き、だ。有原のこと…っ」

いつの間にか伝えていた気持ちに、有原が微笑む。
それはいつもの、朗らかな邪気のない笑顔だった。

「知ってたよ、そんなこと」

そう言って触れてきた有原の唇は、熱くて。
不快感の代わりに込み上げるのは、苦しいほどの愛しさだけだった。
彼の言葉は、体温は、俺の心から不安と恐怖を拭い去ってくれる。
きっとそれは、今までも、これからも、変わらないのだろう。

「約束、してくれるか? 傍にいてくれるって。俺をひとりにしたり、しないって……」
「そんなの、約束結ぶまでもねぇけど。でも何なら、指きりするか?」

小指を差し出してきた有原に、頷いて見せる。
もう人に恋をすることはないと思っていた。
触れ合える存在を見つけることも、無理だと思っていた。

それでも俺は彼に、恋をした。

だからこそ。
こうして傍にいてくれるという彼を。
彼を好きになってしまった自分の気持ちを。
そして、彼と歩んでいく未来を。



「――信じる、から」



決して解けることがない、固い約束を結ぶために。
俺たちは小指を絡ませあい、もう一度、互いの熱を確かめあうように唇を重ねた。




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