3. ねがいたいのはきみの倖せ
「竜牙さーん。大丈夫っすかー?」
「…ぁ…?」
組員からの呼びかけに、薄く瞼を開く。
そうして目に入ってきた、見慣れた倉庫の天井に、俺はため息を零した。
どうやら、眠ってしまっていたらしい。
俺は薄ぼんやりとした意識を覚醒させるべく、近くにあった酒瓶を掴み、呷った。
濃度が高く嚥下するごとに喉が焼けるようだが、それが逆に心地いい。
「竜牙さん、イッキはよくないっすよ」
「分かってる」
「ならいいんですけどね〜。……そういえば、何か夢でも見てたんですか? 今日はすっごく幸せそうに眠ってました」
「……昔の夢だ。気にするな」
「ん〜。俺、入団して間もないっすからねぇ。昔の竜牙さんがどんな人だったのか、興味あります」
「気にするなと言っているだろうが」
俺は多少キツイ言い方をすると、胸ポケットから煙草を取り出した。
すぐに差し出されたライターの火をつければ、独特な臭いが鼻腔を突く。
肺いっぱいに煙を吸い込んで、俺はそっと、瞼を閉じた。
あのとき、俺は泣きながら傍にいさせて下さいと頼んでくる相楽を、受け入れるべきではなかった。
カタギの世界に生き、普通の幸せを望む存在とは、相容れないと分かっていたのだから。
「……お前は、気をつけろ」
「え? 何がですか?」
「一般人に惚れるな、絶対に。いずれ後悔するときが来る」
「そうなんですか? ま、その心配は俺にはないですよー。恋愛とか、興味ねーですもん。そりゃ女は好きだけど、あくまで性の対象ってだけですし」
ヘラヘラと笑う男に嘆息すると、俺は倉庫から出た。
今夜はやけに、月が明るい。
眩しささえ感じて目を眇めていると、男が傍に立つ気配がした。
「おー、これはまた。綺麗っすねー」
「お前にそんな感性が残っていたのか」
「ひどいっすね〜、竜牙さん。ところでさっきの話の続きなんですけど。竜牙さんって、一般人に恋して後悔しちゃったクチなんすか?」
「さぁな。答えてやる義理はない」
不満げな男の顔を視界の隅に捉えつつ、再び煙草を銜える。
俺の傍にいると決意した日から、相楽は反抗的な態度を改めて、驚くほど従順になった。
俺が言うことならばどんなことでも悦んでやった。
献身的な態度、そして日が経つごとに美しくなっていく相楽に、俺が惹かれるのにはそう時間がかからなかった。
愛し合っていたと思う、間違いなく。
家庭環境のこともあってか、互いに互いを心の拠り所にしていたのも、きっと思い込みなどではなかったはずだ。
だからこそ、湧き上がったのが死に対する恐怖心だった。
暴力団員という立場上、俺はあまりにも生死の境が曖昧な生活を送っていた。
そこに相楽を引き入れたままで、本当にいいのか。
もしも抗争で俺と相楽のどちらかのみが死んだとき、残された方は耐えることが出来るのか……。
答えは、NOだ。
考えるまでもなかった。
だから俺はこれ以上愛が深くなる前に、相楽が他の人間と幸せになってくれることを願って、突き放した。
「……はず、だったのにな」
「え? 何かいいましたか?」
「独り言だ」
いざ相楽を前にすると、どうしても彼の幸せを願えなかった。
また一緒に過ごしたいと、彼を抱きしめたいと、そんな欲求ばかりが募っていった。
不意に浮かんできた“有原”という男の顔に、思わず奥歯を噛締める。
自らから手放したくせに、誰かに取られると思うと、悔しくて堪らないだなんて。
「ガキじゃあるまいし」
俺は煙草の火を壁で押し潰すようにして消すと、紫煙を唇から零した。
倉庫の奥にある引き出しの中には、相楽が写っている数十枚のネガがある。
それを明日、彼に渡しに行こう。
そして処分をして、一緒に過去を清算するんだ。
新しい人生を歩もうとしている相楽を、いつまでも俺の未練で、縛り続けるわけにはいかないのだから。