10. 平凡な恋がいい!
「あっ、あの! 旭川さんっ」
廊下を一人で歩いているところを見計らって、旭川さんに話しかける。
彼女は声の持ち主が俺だと気付いた途端に、不機嫌そうに眉根を寄せた。あからさますぎる反応だ。
「何よ? 何か用でもあるの?」
「いや、用って程じゃないんだけど。その……今朝、駅で俺のこと見てなかった?」
眼差し同様に敵意むき出しな声にビクビクしながら問いかけると、旭川さんは気に入らないとでも言いたげにフンッと鼻を鳴らした。
「かっ、勘違いだったなら、ごめ――」
「安西さんってホモなの?」
「……!!」
直球すぎる問いかけに思わず後ずさってしまう。あれだけ駅でひっついていたのだからそう思われても仕方がないのかもしれないが、ホモじゃない俺としてはとても心外な発言だ。
傷ついたような表情を浮かべる俺に、旭川さんは相当苛立ったらしい。彼女は舌打ちをすると、ずいっと大きく一歩踏み出てきた。至近距離でぎらつく目に睨みつけられ、逃げ出したい衝動に駆られる。
「どうして黙ってるの? 早く答えなさいよ。榊原くんと付き合ってるの?」
「つっ、つつ……付き合ってるわけないだろ!? 俺はホモじゃないんだからッ」
榊原の名前に反射的に叫び返すと、旭川さんはついと目を細めた。冷やかな視線に息が詰まる。彼女が何を思い、考えているのか、まるで読みとれない。好意的なものではないことだけは確かだったけれど。
「なっ、何だよ」
「ホモでもなくて、付き合ってるわけでもないのに、あんな風にベタベタするんだ? 男同士で? 意味分かんないんだけど。変態なの? 気持ち悪い。女にモテなさすぎて頭でも可笑しくなった? 精神科でも行った方がいいんじゃない? っていうか学校来ないでいいんだけど」
あまりにも酷い言葉の羅列に、怒るどころかポカンと口が開いてしまう。そんな俺に、旭川さんは「間抜け面」と最後にもう一度だけ罵り、足早に立ち去って行った。
「……何だあれ」
廊下にポツンと一人残された俺は、彼女の立ち去った方向を見ながら、左右にゆるゆる首を振った。
今までたいして会話もしたことがない、ただのクラスメイトというだけの人間に、何故こんなにも文句を言われなければならないのだろうか。矢継ぎ早に言われたため詳しくは覚えていないけれど、相当酷いことを言われた自覚はある。
俺は腑に落ちない感情に少しだけ唇を歪め、自分の教室へと歩いて行った。
+++++
「はい、榊原。俺のおごり」
中庭のベンチに腰掛け、購買で手に入れたカツサンドを榊原に手渡してやる。
「さんきゅー。このメーカーのカツサンド、マスタードが効いてて旨いんだ」
榊原はビリビリ包装紙を破るや否や、ガブリとカツサンドに齧りついた。ほぼ朝食抜きも同然だったせいか、相当お腹が減っているらしい。カツサンドはものすごい勢いで小さくなっていく。
「よければ俺の分もやるよ。食うか?」
「え。いいのか?」
「あんまり食欲ないから」
俺が力なく笑うと、榊原はパンを受け取りながら表情を曇らせた。
「もしかして、今朝のことを気にしてるのか?」
「今朝っつーか……いや、まぁ。今朝なんだけど。駅でのことじゃなくてさ」
廊下で交わした旭川さんとの会話を思い出してゲンナリする。あんな風に女子から一方的に罵られる経験は今までなかったから、色々と衝撃だった。
「さっき、旭川さんと話たんだ。なんか凄い嫌われてるっぽいんだよな、俺。ホモじゃないって否定はしといたけど、やっぱりちょっと心配というか」
「大丈夫だって。俺らがホモだって噂を流されることは絶対ないから。何せあの子、俺に惚れてるからな」
へっ!? と榊原の顔を凝視する。彼はコーヒー牛乳を飲みながら、器用に笑ってみせた。
「中学の頃から、何回か告白されて断ってる。だから、俺の立場が不利になるような噂は流さないって」
「マジかよ。全っ然知らなかった。……それで、俺のことをあんなに睨んでたのか」
旭川さんからすれば、昔から榊原の傍にずっといる俺は邪魔な存在なのだろう。実際、彼は俺に惚れてしまっているわけだし。
女の勘は鋭いと言う。もしかしたら、彼女は榊原が俺に対して特別な感情を抱いていることに気付いているのかもしれない。
「少しは安心したか?」
「逆に、違うことで不安になってきた。俺、絶対彼女に恨まれてるよ。今朝の睨みっぷりといい……って、お前はあんまり見てないっけか」
「ああ。興味ないからな」
あっけらかんと言いきる榊原に苦笑しながら、旭川さんの姿を思い浮かべる。
つり目なせいでキツい印象を受けはするものの、比較的綺麗な顔立ちをしていたはずだ。彼女のことを好きだと言っている男子が同じクラスにいることも知っている。
そんな彼女の好きな人が榊原だなんて、思いもしなかった。
「…………。なあ、もしかして他の女子からも告られてたりするのか?」
「ん? そりゃ、まあ……何でそんなこと訊くんだよ」
「ちょっと、気になったから。お前からそういう話、今まで全然聞いたことないし」
榊原から目を逸らし、花壇に植えられている黄色い花を見つめる。
彼が女子から人気があることは、なんとなく分かっていた。整った顔立ちをしているし、気配り上手だし。昔から俺にべったりなくせに、人柄が良いせいか男友達も多いし。俺とは違って、榊原はモテる要素を十分に持っている。
「誰かと付き合ったことは?」
「ない。あるわけないだろ。俺には安西がいるんだから」
即答されて息が詰まった。
俺なんかを好きじゃなければ、榊原は他の男たちが羨むような青春時代を送れるに違いない。榊原だって、そのことをきっと自覚している。それでも――彼は、俺以外の人間を選ぶことはないのだ。
榊原の興味・関心は俺にしか注がれない。彼の瞳は俺しか映さない。そのことを改めて実感し、どうしようもなく鼓動が高まり、頬が熱くなった。
「安西? どうした、黙り込んで」
「っ……勿体ねぇよ。榊原なら、選びたい放題だろうに」
制服の裾をギュッと掴んで引っ張りながら言うと、榊原は目を丸くした。それから、ふわっと笑う。突然何を言い出すんだ、とでも言いたげに。
「流石にそりゃねぇよ。それに告白してくる女よりも、安西の方が俺にとっては遥かに魅力的に感じるんだから、しょうがないだろ? ……俺、お前が相手じゃなきゃ興奮しねぇんだよ」
「ん、っ」
一瞬だけ重なる唇。名残惜しさに目を細めると、榊原に手を握りしめられた。
「ここじゃ、校舎にいる連中から丸見えだ。場所、移動しようぜ」