「わーっはっはっは」
今日も今日とて我が主である魔王様の高らかな笑い声が城に響き渡っております。
この世の全ての人間が怖れる対象である『魔王』。
もちろん、我々魔物たちの間でも恐怖の対象であることは間違いありません。彼に逆らったら、一瞬でその命を奪われてしまいます。彼の指がちょい、と動くだけで、我々の強靱なはずの肉体はあっさりと蒸発したり燃え尽きたり崩れ落ちたりするのです。しかも、わずかに気に入らないということがあったというだけで。
ですから、我々はいつでも彼の怒りを買わないように、おとなしく彼に従っているだけです。
我々の仕事は単純です。
魔王様のおっしゃる通りに、「あの村を滅ぼせ」と言われたら我々は「いーやっほう」とばかりにその村に攻め入り、がっつんがっつんと人間を倒して金銀財宝を奪ってこの城に戻ってきます。まさに悪役そのものです。いや、悪役に間違いないのですが。
当たり前ですが、人間たちは魔王様を怖れています。そして、何とかやっつけようと考えています。そして彼らの中でも腕のたつものが、パーティを組んでこの城にやってこようとしているのです。
つまり、『勇者』と呼ばれる男性が率いる人々が。
勇者と一緒にいるのは神官だったり魔法使いだったりですが、彼らの全てがそれなりに力を持った人間であると考えていいでしょう。
しかし。
「今、勇者はどこにいるのだ!」
魔王様が無駄に広い大広間の一番奥で、そこにあったいかにも高価そうな椅子から立ち上がって叫びます。とても楽しそうです。うきうきしていると言っても間違いではありません。
魔王様は真っ黒なマントを引きずり、壁の近くにあった大きな水晶球の前に立ちました。彼がその指をかざすと、透明だった水晶球の中に、人影が浮かび上がりました。
短い金髪、彫りの深い顔立ち、立派な筋肉を持つ体。それが『勇者』です。
勇者はおそらく、二十代前半だと思います。若いながらも意志の強そうな瞳を持ち、仲間をぐいぐいと引っ張ってくるカリスマ性を持っています。
清廉であるがゆえの魅力。
そういったものを持っているのです。
魔王様とは正反対ですね。
魔王様の外見は、本当に美しい男性です。長く美しい黒い髪の毛、同じ色の瞳は闇を覗き込んでいるかのようで、ひとたび見つめたらそのまま引きこまれそうになります。
細身の体は痩せてはいますがしなやかな筋肉も備えています。背は高く、どんな服を着ても似合います。
女装しても似合うのではないかと思える顔立ちは、長い睫と高い鼻梁、赤い唇が印象的です。
しかし、そんな外見とは裏腹に、彼はとんでもない性格をしているのです。いえ、性格というわけではなく、性癖、でしょうか。
「ああ、いつ見ても美しい……」
魔王様は水晶玉の中に映る勇者の姿を見ながら、そっと吐息を漏らしました。わずかにその白い頬が赤く染まっています。そして、うっとりと見つめる瞳は、まさに恋をするもののものではありませんか。
そうなのです。
困ったことに、魔王様は恋をなさっているのです。思いっきり敵である、勇者に。しかも、それが……。
「あの両足を割り開き、私のこの猛った逸物を突っ込みたい。そして彼の喉から上がる甘い嬌声をこの耳で聞きたい。あの美しい筋肉の流れが痙攣し、彼のピー(すみません、あまりにもあれなので電子音をかけました)が私の逸物を締め上げる様を想像したら、私は、私は……!」
変態です。
間違いなく変態です。
我々の主である魔王様は、いつもこんな感じなのです。勇者の旅の様子を毎日覗いては、いつこの城にやってくるのかとどきどきしているのです。
……勇者がもしもこの城にやってきてしまったら、どうするのでしょうか。
考えるだけ野暮というものです。おそらく、強姦するつもりなのでしょう。勇者は明らかにノーマルな性癖をしているでしょうから、かなりショックを受けると思います。できれば、このままこの城にたどり着かなければいいのに、と私は思います。そのほうが平和です。おそらく、我々にとっても、勇者にとっても。
「おう、また魔王様はあれか」
ふと、私の横に聞き慣れた声が現れました。足音は聞こえませんでした。おそらく、瞬間移動してきたのでしょう。
私がそっとその声のほうに視線を投げると、そこには顔の右側に仮面をつけた男性、ラースが立っています。彼の歳は、人間でいえば三十ぐらいに見えるでしょう。彼は元々は人間でありました。しかし、故あって魔王様の傘下に下り、魔王様に魔物としての力を与えられてここにいます。今は、元は仲間であった人間たちを殺す殺人者として。
「ええ、相変わらずです」
私は彼にそう返すと、小さなため息を漏らしました。何だか毎日、同じようなため息をこぼしているような気がします。まあ、仕方ありません。こんな日常なら、ため息の一つや二つ、出るのが当たり前だというものです。
「まあ、放っておけ。魔王様はこれで幸せなんだから」
ラースはそう言ってにやりと笑い、私の頭の上にその手を置きました。まるで、子供を撫でるかのような仕草です。失敬な。
私はすぐに彼の手を振り払い、彼を睨みつけました。
もちろん、私のその視線に威厳とかそういったものがないのは自覚しています。私の身長は彼より低く、見かけだって彼より幼いのです。
人間でいえば十七歳か十八歳くらいの少年。人間とほとんど姿形も変わりません。
銀色の髪の毛と同じ色の瞳。細い体はコンプレックスにも近いくらい、華奢に見えます。
しかしこれでも、人間の魂を吸い取って殺すことができる魔物なのは間違いありません。まあ、こういう見かけのほうが、人間を油断させることができるわけですから、まあ、いいのかもしれませんが。
しかし、コンプレックスには間違いありません。
子供扱いされるのも厭です。
「お前は相変わらずだな」
ラースが苦笑します。
彼はいつも、必要もないのに私のそばにやってきます。そして、どうでもいいことを言ってはどこかにいってしまいます。何が目的で声をかけてくるのでしょうか。
「何が相変わらずなのですか」
私はおそらく憮然としながら、冷ややかに言葉を返します。すると、彼はわずかにためらった後に言いました。
「魔王様は勇者みたいな男性が好みなんだって解ってるんだろ? お前みたいな線の細い男には興味ないぜ」
「は?」
眩暈がしました。
そして、一瞬の後に怒りが。
私はそのまま、その大広間を出て行こうとしました。しかし、後からラースがついてきて、後ろから声をかけてきます。
「魔王様がそんなに好きか、シェリル」
「放っておいてください」
大広間を出て廊下に立ってから、私は彼を振り返りました。「あなたには関係ありません」
「……まあな」
彼はまた、そっと笑いました。どことなく、苦しげに。
いつにないそんな彼の様子に、私は戸惑いながら見つめ直します。するとそんな私に気がついたのか、彼はわざとらしく皮肉げな笑みをその口元に浮かべ、こう言いました。
「お前、男とヤったことがあるか」
「はあっ?」
私はさらに声を張り上げて顔をしかめました。
いきなり何を言うのでしょうか、この男は。
「それとも、最初は魔王様に抱いてもらおうって考えてるのか」
「な、何を」
私は自分の頬が熱くなるのを感じました。どんな顔をしているのか自分では解らず、それでもこんな自分をラースに見られたくなくてこの身を翻しました。
城の内部にある私の部屋に足を向けながら、私は冷たく言います。
「余計なお世話です。そんなこと、あなたには全く、これっぽっちも、爪の先ほども、関係ないじゃありませんか!」
「関係はあるさ」
私の後ろで、ラースが言いました。「俺は、お前とヤりたい」
「な、何をバカなことを……!」
私が混乱して振り向くと、ラースは少し離れたところに立ったまま、私を見つめていました。どことなく、真剣な眼差しで。
「お前が好きなんだ」
彼がそう言って、少し、危険だと思いました。
彼が私をからかっているのは間違いありません。彼が私とそういう行為をしたい。そんなこと、絶対にあり得ない、そう思います。
だから、私は微笑んで言いました。
「私は、魔王様だけが好きなのです」
そして、彼をその場に残して立ち去ったのです。
「わーはっはっはっは」
今日も魔王様は上機嫌です。
水晶玉の前で怪しげに笑いながら、マントの裾を翻して無意味にポーズをとってみたり、とても楽しそうです。
私はそんな彼の姿を見ているのが好きでした。
ああ、この方は変態なんだ、と思っても、それが魔王様なのですから仕方ありません。ただまっすぐに彼を見つめること、それが私の日課であったというのに。
「よう、元気か」
また、ラースが私の横に立ちました。
私は体を強ばらせ、彼を見ないようにします。できるだけ彼の言葉にも返事をしないようにと。
でも。
彼が言ったあの言葉。
私が好きだと言ったあの言葉は、嘘だと思っています。絶対に、本気ではないと。なのに、どこか引っかかります。
「相変わらずだな、魔王様は」
彼がそっと笑うのを感じて、私も笑いました。
そして、彼に見つからないようにラースの横顔を盗み見ます。その直後、彼が私を見て。
私は慌てて、魔王様を見つめました。
「勇者がこないほうが平和ですよね」
ぎこちなくそう言いながら、胸のどこかがざわめくのも感じました。これが私の勘違いならいいのに。
何となく、ラースとの関係が今までと変わりそうな予感がします。
でも、絶対に、私が好きなのは魔王様なのです!
あのかた以外には誰も好きになりません。言い切れます。
それなのに。
少しだけ、ラースが隣に立っているのが心地よく感じられるのも不思議なのでした。