本日の魔王様 2


「許せん」
 今日の魔王様はとてもご機嫌斜めです。その理由は簡単です。
 魔王様の立派な椅子の横には、大きな水晶球があります。細かな彫刻の入った台の上にある、きらきら輝く水晶球。その中に、映っているものを見て不機嫌になっていらっしゃるのです。
 そこに映っているもの。
 それは、この魔王の城にやってくるであろう、勇者たちの様子でした。輝く金色の髪の毛を持つ、逞しい青年。それが『勇者』です。
 その横には、黒いマントに身を包んだ、魔法使い。その魔法使いはまだ若い男性で、気むずかしそうな顔つきをしています。
 その二人から少し離れたところにいるのは、白い服に身を包んだ神官です。その男性は年配で、長い髪の毛にも白いものが目立ちます。しかし、穏やかな表情をした優しげな人でした。
 それだけだったら問題はありませんでした。
 でも、勇者たちの目の前には、どこかの村の人間らしい男性が立っています。裕福そうだとすぐに見て取れる服装と、上機嫌な微笑み。その男性は、すぐ横に若い女性を伴い、勇者に向かってこう言っているのです。
「あなた様は我が村の恩人です。魔物に殺されそうな村人たちを救ってくださいました。あなた様が魔王の城にいかれることは存じ上げておりますが、もしもご無事にお戻りになりましたら、ぜひこの村にお寄りください。精一杯歓迎させていただきます。……私の娘もそれを待っておりますゆえ」
 ──私の娘。
 それが、その男性の横にいる女性らしいのです。
 おそらく、十七歳、もしくは十八歳といったところでしょうか。明るい栗色の髪の毛は艶やかで、同じ色の瞳は勇者をうっとりと見つめています。華奢な体つき、折れそうな腰、たおやかな物腰。何もかも、可愛らしいのです。
「気に入らん」
 魔王様は眉をしかめ、その水晶球の中を睨みつけています。「邪魔しておくべきだ」
 邪魔。
 いつものように魔王様がいるこの大広間の片隅に立ったまま、私はぼんやりと考えました。
 どうやらあの女性の父は、自分の娘が勇者に恋をしているらしいことは気づいています。つまり、勇者が冒険から戻ってくれば、結婚とか結婚とか結婚とかの話題が出てもいいはずです。
 しかし、反対に考えれば、勇者が帰ってこなければ、全然問題はないのではないでしょうか。
「シェリル」
 急に、魔王様が私の名前を呼びました。
 私は考えるのを中断すると、慌てて魔王様の前に歩み寄ると、そっとその場に膝をついて頭を下げました。
「お前、あの男を殺してこい」
「はい」
 私はすぐにそれに頷いたものの、一瞬の後にこうも続けたのです。「ところで、誰を殺せばよいのでしょうか?」
 だって、水晶球の中に映っている男性は、たくさんいるのですから。
 魔王様は私の言葉にイライラしたようで、低く唸るように続けます。
「あの、娘を勇者に押しつけようとしている男だ。あの男を殺せと言っているのだ。しかし、勇者を傷つけてはならん。それは解っているな」
「はい、もちろんです」
 私は乱れた鼓動を隠すためにも、床を見下ろしながら言います。久しぶりの仕事です。失敗は許されません。
 しかも、こんな大役ですから。
 まあ、魔王様のほうから見れば、今、この大広間にいる魔物は私だけという現状ですから、命令を申しつける相手を選ぶことはできなかったのでしょう。しかし、そんな単純な理由の命令であったとしても、魔王様のご期待を裏切るわけにはいきません。
 頑張らせていただきます。
 私は何度も言いますが魔物です。
 しかし、見た目は人間のように見えます。銀色の髪の毛はともかくとして、銀色の瞳は人間のものには見えないでしょう。でもそれも、目深にマントのフードを被ってしまえば問題ありません。
 私は真っ黒なマントを身にまとい、目的地に瞬間移動しました。魔物って便利ですね。目をつぶって、ほんのちょっと後に目を開けたら、そこは長閑な村の中なのです。
 しかももう、目の前には目的の人物のいる家があります。とても大きな家でした。きっと、この村の権力者なのでしょう。
 辺りは暗く、遠くから獣の鳴く声がします。結構遅い時間なのでしょう。目の前の家からも、そして他の家々からも、灯りは消えています。
 ですから、私は足音を立てないようにそっと、その家の中に入りました。できれば、誰にも見つかりたくないですから。
 そして、目的は簡単に達せられました。

 どうやら、目的の男性はこの家の主ですから、一番よい部屋に寝ているはずです。私はためらいもなく一番奥にある大きな部屋に足を向けました。
 真っ暗な家の中、たくさんの使用人がいる気配がしましたが、誰も起きてくる気配はありません。
 その中で、私はその部屋のドアを開け、するりと中に滑り込みました。大きなベッド、豪快ないびき。私はためらいもなくその枕元に立ちました。
 私の目は、暗闇でも何でも見通すことができます。私の目の前で眠っている男性が、水晶球の中にいた男性であることを確認すると、私はためらいもなく彼の唇に自分の唇を押し当てました。
 そして、ゆっくりと『吸う』のです。
 唇から、彼の魂を抜き取るために。
「なっ」
 突然のことに、その男性が目を覚まします。でも、私は彼の腕を押さえつけ、身動きが取れないようにして『吸い』続けます。彼の瞳から、輝きが消えるまで。
「何だっ、お前は……!」
 その男性が必死に叫ぼうとしましたが、私は気にしませんでした。
 その腕が力をなくし、ぐったりとベッドの上に横たわるまで、ずっと死の接吻を続けていたのです。

 人を殺すことにためらいはありません。そう、いつも自分に言い聞かせてきました。私は魔物です。良心のかけらなどあるはずがありません。ですから、胸が痛むなんてことはないはずなのです。
 それなのに。
「旦那様?」
 廊下のほうから、男性の叫びを聞きつけてきたのか、女性の声が聞こえます。そして、ためらいがちにドアが開けられました。
 私はその人影に眼を向けます。銀色の瞳を。
 召使いらしい女性が、私を見つめていました。最初は何が起きたのか解らず、戸惑ったように首を傾げていた彼女は、ベッドの上の死人を目にすると、金切り声を上げました。それはもう、この屋敷中に響き渡る、大声でした。  次々に人々が起き出してきます。私は慌ててその場を離れようとしました。でも、そこにやってきた若い女の子に目をとめて、顔をしかめました。
 娘です。
 死んだ男の娘。その彼女が、信じられないといったように大きく目を見開いて、父親の元に駆け寄ってきました。
「お父様っ!」
 その悲痛な声が、私の心のどこかを刺激します。気づいてはいけないところを。
「何があったっ!」
 そこに駆けつけてきた、若者。
 『勇者』です。どうやら彼は、この家に宿を借りているようでした。武具を脱いで身軽になった姿で、でも剣だけはしっかりとその右手に持っていました。
 彼は私の姿を見ると、表情を強ばらせました。そして、死んだ男に素早く視線を投げました。その眉間に皺が入ります。強烈な怒りに満ちたものが。

「申し訳ありません」
 私はつい、そう口にしていました。声がかすれているのが自分でも信じられませんでした。自分は何をいっているのだろう。
 これが私の目的。
 謝る理由などどこにもない。
 そうではなかったでしょうか。
「貴様がやったのか」
 勇者が唸るようにそう言いましたが、私は彼から目をそらし、何か言うべきか考え込んでいました。しかし、何も言えそうにありません。
 私はやがて顔を上げ、もう一度「申し訳ありません」と囁くように言ってから、こう続けました。
「魔王様がお待ちです。ぜひ、お早く……」
「貴様、魔王の手先か」
 彼は忌々しそうにそう言いましたが、どこか私の表情に疑問を抱いたのか、怪訝そうな目をしました。私はそんな彼の視線を避けるようにして、その場から瞬間移動したのです。

「よくやった」
 魔王様は私を褒めてくださいました。それがとても嬉しかったのは確かです。
 でも、どこか苦しいのも事実でした。
 私は魔王様の前で頭を下げていましたが、やがて顔を上げました。すると、魔王様は水晶球の中を満足そうに見つめていました。
 いつの間にか、勇者たちはあの村を出発したらしく、夜明けもまだだというのに荷物を手に歩いていました。平坦な道がどんどん険しくなり、足元が危険な山道に入っていきます。
 その先に我々がいる城があります。
 彼らは間違いなく、ここに向かっているのです。
「勇者がここにきたら何をするか」
 魔王様は楽しげにそう呟き、それに続いて電子音が必要なほどの下ネタを口にしましたが、私はそれを笑うことができませんでした。一体、私はどうしたというのでしょうか。いつもだったら、魔王様の暴走した言葉に呆れたり笑ったりするはずなのに。
 やがて私は魔王様に頭を下げると、彼に気づかれないまま大広間を出たのです。廊下を歩き、渡り廊下に出ました。巨大な城には、たくさんの廊下があります。たくさんの塔が立ち、そこに続く渡り廊下は今にも崩れそうな形をしています。
 ここは山奥で、いつも霧がかかっているような場所。
 渡り廊下で私が足をとめ、ぼんやりと霧に霞む空を見つめている様子も、きっと誰にも気づかれないはずです。私はただ、そこに立ったまま、ぼんやりとしていました。

「よう、どうした」
 気がつくと、すぐ隣にラースが立っていました。
 私は思わず、悲鳴を上げたくなるほどびっくりしました。足音なんて聞こえなかったのに。
 彼は相変わらず飄々とした様子で、そこにいました。わずかに吹いている風が、彼がまとっていたマントを揺らします。白いシャツと黒いズボン。黒いマント、顔の右側を隠した仮面。
 彼の仮面の下には、傷があるのだといいます。我々の仲間に──魔物になる前に受けた傷です。
 なぜ、彼は人間であることをやめたのでしょうか。私には関係ないこととはいえ、少し気になりました。
「別に何でもありません」
 私はできるだけ無表情であろうとしながら、素っ気なく言います。そして、霧に霞む遠くの森を見下ろします。あの向こう側に、勇者たちがこようとしている。そうなのです。
「何でもないって顔じゃないな」
 ラースはどことなく私を気遣うように言いました。その口調は、魔物というようなものではありません。自分以外のものを心配するような、そんな心を持つ魔物がどこにいるというのでしょうか。
 私はやがて、苦笑しました。
「それを言うなら、あなたも奇妙です。なぜ、こんな風に私に声をかけてこられるのですか」
「前も言っただろ。お前に気がある」
「……それが本当なのだとしたら」
 私はわざと、露悪的な笑みを浮かべて見せます。彼が気に入らないであろう、笑みを。
「一度寝れば終わりですよ。我々に人格というのはほとんど存在しません。気に入るのは外見のみです。つまり、セックスができればそれでいい」
 私は彼に向き直り、唇を歪めるようにして続けます。「それが我々の関係です。我々人間ではないものたちの、ね」
「そうか?」
 彼は意外なことに、穏やかな表情を崩しませんでした。私を優しく見下ろしながら、その手を伸ばして私の頬に触れました。私は反射的にそれを振り払い、内心の動揺を相手に知られないようにと願いました。
 そして、話をそらします。
 あまり、自分のことに興味を持たれては困るからです。
「ラースは、なぜ魔物になったのですか? 人間であることをやめたのはなぜです?」
「うーん、そうだね」
 彼は渡り廊下の柵にもたれかかりながら、そっと笑って続けました。「殺さねばならない人間ができたからだと思うね」

「殺さねばならない?」
 私は首を傾げて見せると、話の先を促すように目を細めます。そんな私を見て、ラースがくすりと笑いました。
「俺に興味が出てきたか」
 そんな彼の冗談じみた言葉。
 私は問答無用でその場を離れようとしました。彼に背を向けて歩き出した瞬間、私の腕が掴まれて引き戻されます。
「悪かった、気を悪くするな」
 ラースの声が、少しだけ真剣なものになっています。私は彼を振り返って、ただ無表情のまま見つめます。彼は薄く微笑みながら、こう言いました。
「俺は、ある王に仕えていた。騎士団に入り、我が王のために戦う人間だった」
「騎士」
 私は、なるほど、と思います。今もなお、その服の下には立派な肉体があります。体を鍛えているものが持つ体。
「俺は腕に自信があってな。自分で言うのもなんだが、出世は早かった。ただの騎士から隊長へ任命され、その次にはその騎士団の団長となった。部下たちの命を預かる、大役だ。そんな中、戦争が起きた。隣国との対立が深まって、とうとう我々はその国に攻め入ることになった。騎士団の連中だけじゃない、村人たちもかり集めての大きな戦だ。俺たちは必死に戦ったよ。我が国のため、我が王のため。どんどん仲間が死んだ」
「……それでどうしたんですか」
 私はだんだん声が沈んでくるラースの様子に気づき、そっと話の先を促します。彼は苦しげに微笑んでから、続けました。
「我が軍が負けるのは時間の問題だった。敵の陣地内、我々は戦にも慣れていない村人たちも率いていた。不利なのは解っていたんだ。だから、応援を頼んだ。我が国に伝令を飛ばし、別の兵を送って欲しいと王に頼んだ。そして、見捨てられた」
「……ああ」
 私は少しだけ、彼に同情しました。
 信頼していた相手に裏切られる。それは、確かに苦しいものがあります。私の立場で言うと、魔王様のために働いたのに、魔王様に見捨てられた、そういうことなのでしょう。
「どんどん部下が死んでいった。絶対に無事に帰すと約束していった者たちが、なぶり殺しにあう。そういった光景を見続けているうちに、俺は我が王を恨んだのだ。殺してやりたいと思った。切実に願った。そうしたら、魔王様が現れたのだ」

「俺はそのとき、死にかけていたと思う。随分と怪我をしていたし、この右側の頬も敵にやられたしな」
 ラースはそう言って、仮面の上に手をやりました。どこか、懐かしそうに微笑みながら。
「そんな俺を、魔王様は見つけ、新たな命を与えてくれた。俺の願いを叶えるために、力をくれたのだ。我が王を殺す。そのために俺は、新しい肉体と一緒に自分の国に戻った。
 俺には家族がいない。だから、騎士団の連中だけが家族だった。ヤツらを守りたいと思ったし、それだけしか考えていなかった。それをなくしたとき、もうどうでもいいと思ったのだよ。忠誠心とかそういったものは、何の役にも立たない。失った命を救うことすらできない。だから、あっさりと国王を殺したよ。主を失ったその国は、すぐに他国に攻め入られて滅んだ。俺は満足だった。ざまあみろと思ったしな」
 ラースはそこまで言って私の顔を見つめ、苦笑しました。
「何て顔をしてんだよ。お前が気にすることはない」
「でも……」
「俺は満足してる。後悔はしてねえ。今はどうでもいいことだ。俺はここで魔王様のそばで、世界が終わるのを見守るだけだ。魔王様がこの世界を統一するのが先か、それとも勇者が魔王様を倒すのが先か。それすらもどうでもいい」
「でも、それは」
 私は顔をしかめました。
 さすがに、それはどうでもいいこととは思えません。私はいつの間にか不快感を露わにした表情をしていたらしく、ラースが困ったように笑います。そして言いました。
「お前、魔物らしくねえ。前から思ってた」
「は?」
「だからお前に興味があるのかもしれないな。普通の魔物だったら、別に俺の言葉なんか気にしないはずだろ。どうでもいいと思うか、気に入らないと思ったら相手を殺す。そうじゃねえか?」
「……殺すつもりはありません。仲間ですから」
「それもおかしい。俺たちに仲間意識はあるはずねえんだ。そうだろ? それが魔物のありかただろう?」
 ──それはそうかもしれません。
 しかし、不愉快なものは不愉快なのです。
 私が唇を噛んでいると、ラースがふと真剣な眼差しで言いました。
「俺は多分、まだ人間らしい何かを心に残しているんだろう。自分でも、今の自分が複雑な何かを抱いているのが解る。そして、お前にも同じものを感じるんだ。お前も、魔物らしくない感情をその中に秘めている。そうだろ」
 ──それは解りません。
 私は何も応える気になれず、でもどこか奇妙な思いに囚われながら彼を見つめていました。そうしているうちに、何だか胸の内がもやもやしてくるのにも気づきました。
 一体、この感情は何なのだろう、と思います。
 よく解らないものが、私の中にあります。
 私が黙り込んでいると、そっとラースが私の頬に手を触れました。びくりと身を引いた瞬間、ラースが私の唇に自分の唇を押し当てようとして。

 私は慌てて彼の胸を押し戻しました。
 心臓がどきどきします。混乱して頭が上手く働いてくれません。
「シェリル」
 彼の声が、どこか熱っぽさを感じさせます。
 駄目だ、と思いました。とにかく、距離を取らねば、と思って。
「すみません」
 私は彼から顔をそらし、小さく言います。「口づけは、私にとっては『死』を与えるためだけのものです。それ以外にはありません……」
 一瞬の後、ラースが切なそうに「そうか……」と囁いたのが印象的でした。思わず、彼の頬に手を伸ばしたいと思ったほど。
 もちろん、そんなことはしませんでしたが。
「お前が好きなんだよ、シェリル」
 ラースは小さくそう言って、私の耳元に唇を押し当てました。私は慌てて彼から遠ざかり、触れられた左側の耳に手を置きます。
 熱い。
 奇妙なくらいに、頬が熱い気がします。
「……私は好きじゃありません」
 私は必死にそう言いましたが、自分が嘘を言っているらしいと気づきました。なぜなら、そう言った瞬間に心がざわめいたから。
 でも、それを知られてはいけない。
 私が好きなのは魔王様だけ。
 私が存在するのは、魔王様のためにだけ働くため。
 そうだったはず。
「残念だな」
 ラースはやがてそう言うと、私に背を向けました。どこか孤独そうに見えるその背中に、私はつい声をかけたくなります。
 でも、声をかけてもそれに続く言葉が見つからない。そんな予感がして、何も言いませんでした。
 一人、その場に残された私は、ただ茫然としているだけしかありませんでした。
 ラースのことも解らなければ、私のことも解らない。
 どうしたらいいのか、全く解りませんでした。



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