本日の魔王様 3


「このときを待っていた」
 本日の魔王様はいつもにも増して上機嫌です。朝からずっと、この大広間をいったりきたり、そわそわし通しなのです。
 もちろん、その理由は簡単です。この城の前に、勇者がたどり着いたからです。勇者は仲間たちと一緒に、しばらく城を見上げたまま何か話し合っていました。しかし、とうとう思いきったように城の中へと足を踏み入れました。魔王様の部下である魔物たちがそこら中に待ちかまえている場所へと。
 でも、その辺りは魔王様も抜かりはありません。
 勇者を傷つけないように、部下たちには命令してありました。
「勇者以外は殺してもいいが、勇者だけは殺さずにここに通せ」
 と。
 もちろん、魔物たちが魔王様の命令に逆らうわけがありませんでしたが、それ以前に勇者だけではなくその仲間たちの魔法使いや神官に歯が立たないのですからどうにもなりません。城の出入り口にいた魔物たち、階段のところでたむろしていた魔物たち、そこら中に隠れていた魔物たちは、ばったばったと彼らになぎ倒され、彼らはあっさりとこの大広間にやってきたのでした。
「勇者よ」
 彼の姿をドアのところに見た途端、魔王様は感極まったように叫びました。「お前を待っていた!」
「そりゃよかったな」
 勇者は鼻を鳴らし、忌々しいものを見るかのような目で魔王様を見つめます。それは敵意に充ち満ちていましたが、魔王様は彼に見つめられることのほうが嬉しいようで、始終上機嫌でいました。
 しかし、さすがに城内はざわめいています。
 何しろ、勇者がこの城にやってきたということは、最終決戦が近いというか、最終決戦そのものであります。この戦いで、我々魔族が勝つか、人間が勝つか決まるのです。
 それはもう、魔王様を除く魔物たち全てが、緊張しておりました。
 それなのに。
「私はずっと夢見ていた」
 魔王様は夢見るような目つきでおっしゃいます。「いつの日かお前が私の目の前に現れて、こうして私だけを見つめる日がくると思っていた」
「そうだな、意外に早かったかもしれないな」
 勇者は剣を肩に担いだまま言いました。「もちろん、ここにくるまでの道のり、楽なもんじゃなかった。お前のせいで死んだ人間がたくさんいる」
 勇者の目が、大広間の片隅に立っていた私に向けられました。私は彼の視線から逃げるように、そっと横に動きます。しかし、その先にラースが立っていたのに気づき、慌てて別方向へと逃げました。
「このままお前を野放しにしておくわけにはいかない」
 勇者が私から目をそらすと、魔王様に向かって言いました。「俺はお前を」
 しかし。
 魔王様はそんな勇者の言葉など耳に入っていなかったのです。
「ああ、もともと私はギャラリーがいたほうが燃えるほうでね」
 それどころか、そろそろ暴走し始めそうです。
 両腕を開くような格好で魔王様は続けます。
「厭がる相手を無理矢理この冷たい床に押し倒し、その服を剥ぎ取って両足を割り開き、そして私のこの猛るピー(すみません、だんだん危険になったので電子音を入れさせて下さい)」
 勇者が豆鉄砲を食らったような顔をしております。
 何を言われているのか解らないようで、ひどくゆっくりと首を傾げました。そして、こいつ、頭は大丈夫か? と言いたげに魔王様を見つめ、それから仲間たちを見やりました。
 しかし、その瞬間。
 魔王様が瞬間移動で勇者の目の前に立ちました。
 勇者が驚いて後ずさろうとしましたが、その前に魔王様は勇者の顎を掴んで引き寄せ、無理矢理キスをし──。
 あ、グーで殴られました。

 私はつい、額に手を置いてその場に座り込んでいました。この緊張感のなさはどういうことでしょうか。最終決戦ってこんなものなのでしょうか。
「おい、大丈夫か」
 ラースが苦笑しながら私のそばに立ちます。私は少し身構えながら彼を見上げ、ぎこちなく笑い返します。
「放っておいてください」
 気がつけば、勇者の仲間たちも呆けております。それはそうでしょう。まさか、人間たちが怖れる『魔王』がこんな変態だとは思ってもみなかったでしょうから。
 でもまあ、その変態さん加減も、親近感を覚えるとか考えたりしてくださってくれると嬉しかったり嬉しくなかったり。
 私はその場に座り込んだまま、ため息をこぼしました。
 何というか、これから戦うという感じではなくなってきています。
 しかし。
「貴様、殺すぞ」
 我に返った勇者の激高ぶりは、それはもうすごいものでした。当たり前かもしれません。顔色を失い、その目には剣呑な輝きが灯っています。彼は剣を握り直し、その切っ先を魔王様の喉元に突きつけて続けました。
「そのふざけた行為、後悔させてやる」
「……後悔?」
 魔王様がそっと笑います。「後悔しないように思いを遂げるため、これからお前を押し倒」
「言うな!」
 やっと魔王様の考えていることを理解したのか、勇者の腰が引けています。さすがに身の危険を感じたのでしょう。ええ、別の意味での身の危険を。彼はわずかに魔法使いと神官にすがるような視線を投げ、それから攻撃態勢に移ろうとしました。
「邪魔者は殺せ」
 途端、魔王様の目が冷えました。
 長く伸びた爪の先で、魔法使いと神官を指さしながら、魔王様は辺りに控えていた魔物たちに命令を下しました。それを受け、それぞれ魔物たちがそれぞれ彼らにかかっていきます。
 それは、凄まじい戦いになりました。
 魔物と一言で申しましても、たくさんの魔物がおります。巨大な身体を持ったもの、長い爪と牙を持つ獣の姿をしたもの、人間に近い姿で凄まじい攻撃力を持ったもの、それは本当に様々です。
 たくさんの魔物たちが向かっていくのを、魔法使い、神官、勇者はそれぞれの得意技で攻撃を躱し、反撃します。
 そして私はといえば、身の置き所がなく困っておりました。
 私の力といえば、こういった肉弾戦では役に立ちません。相手を油断させ、その唇を奪うことができれば別ですが、それどころではありませんでしたから。
 ですから、できるだけ邪魔にならぬように、壁の近くに立って戦いの行き先を見守っていたのです。
 もちろん、安全などそこにはありませんでした。なぎ倒される魔物たち、飛び交う魔法、勇者の剣。
 やがて、凄まじい威力の魔法が完成し、辺りに弾け飛びました。それは、勇者たちを取り囲んでいた魔物たちを一気に壁際まで跳ね飛ばす力があり、力の弱い魔物はその身を破壊され、消えていきます。
 壁際にいた私のところにも、その魔法の波動は伝わり、光が目の前まで迫ってきました。それはあまりにもあっという間で、逃げようとすらいう気力もわき起こりません。これで終わりなのだという気すらしていました。
 なのに。
「ここを出ろ」
 私の前に立ったラースが、その背を向けながら言いました。持っていた大剣で身を滅ぼす魔法から自分を庇い、そしてその身体で私を庇っていました。
 その背中が苦しげに震えたと思います。それはそうでしょう。魔法をその身に受けているのですから。
「どいてください」
 私は反射的にそう言っていました。彼が私を庇う理由がありません。なぜ、こんなことをするのかという疑問がわきましたが、私はすぐに首を振って考えることをやめました。その答えを出すのが怖かったのかもしれません。
 ですから、行動を起こすことにしました。
 ラースの後ろにいることをやめ、自ら魔法の届く位置に立ったのです。
 身体が焼ける、と思いました。その魔法使いの腕は確かなようで、私の身体から力が抜けていきます。何だか、もうどうでもいいかな、という気にもなります。
 すると、ラースが苛立ったように剣を私の前に押しやってきました。また、その刃が私の身体を隠すようにと。
 私はラースを睨みつけ、彼も私を睨んでいました。
 そんな我々の様子を見ていたのは、勇者でした。その視線に気がついて彼に目をやると、勇者はどこか奇妙な表情で私を見つめています。それから、その視線をラースに向け、その目を細めました。
「……団長」

 ラースは勇者を見ようとしませんでした。
 ですが、私には解った気がしました。ラースを団長と呼ぶ勇者。ラースが人間だったころ、騎士団を率いていたといいます。その彼を知っている人間。
「……ラース」
 私は彼の名前を呼びました。しかし、彼が私を見る前に、辺りから魔法が消え、その代わりに弾けたものがあります。それは、魔王様の強大な力でした。
 魔法使いが放ったそれよりもずっと激しく、魔物すら吹き飛ばす勢いのその力は、その場にいた全員を地面に転がしました。私やラースも免れることはできませんでした。
「畜生、立て直しが必要だ」
 やがて、勇者がその場に膝をつきながら唸るように言いました。彼は魔法使いと神官を見やり、その大広間から出ていきます。おそらく、別の仲間を連れてもう一度こようと考えているのかもしれません。
「逃げるか、勇者」
 魔王様が挑発するかのようにその背中に言いましたが、彼は振り返りませんでした。そして、人間が消えた大広間に広がったのは、静寂でした。

 平穏が戻ったと言うべきなのでしょうか。
 結局、勇者たちとの決着はつかぬまま、次回の戦いに持ち越し、ということになってしまいました。それでも、倒された魔物たちの数は多く、我々もまた新しい戦力が必要となるでしょう。
 魔王様は荒れ果てた大広間を見回しながらも、特に疲れた様子もなく、にやりと笑って言うのです。
「とりあえず、キスは奪った」

 ……平和です。

 私は自分の部屋に戻るため、廊下へと出ました。さすがに疲れています。ゆっくり休んで、早く力を取り戻さなくてはなりません。
 すると、廊下の途中で後ろから声がかかりました。
「シェリル」
 ラースの声です。
 私は無視して歩き続けます。何となく、彼と顔を合わせたくありません。すると、突然私は背後から彼に抱きしめられたのです。それほど強くはない力で、そっと守るように。
 私が慌てて彼の腕をふりほどこうとする前に、彼は言いました。
「あんまり、無茶はするな」
 どっちの台詞でしょうか。無茶をしたのはあなたのほうではないのでしょうか。
 私はそれでも、何も言えずにいました。
 彼の力強い腕。しかし、私を抱きしめるそれは優しい。そのことに気づくと、心臓が奇妙に高鳴るのを感じます。
 彼の唇が私の耳元に寄せられ、その耳の付け根にそっと押し当てられ、私の身体が震えました。
 彼はしばらく黙り込んだまま。
 そして私も何も言えぬままで。
 やがて、彼が冗談めかして言いました。
「死ぬ前に一度くらい、ヤろうぜ」

 とりあえず、私は彼をグーで殴っておきました。



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