本日の魔王様 4


「つまらん」
 本日の魔王様は椅子の肘掛けのところで頬杖をつき、退屈そうに水晶球を見つめていました。その水晶球の中には、勇者たちの姿が映っています。
 どうやら彼らは、どこかの村の中にいるようでした。勇者と魔法使い、神官はその村にしばらく滞在していたようで、顔見知りとなった村人たちと何か話をしています。ですが、どうやらもう、彼らはその村を出ようとしているようです。
「……仲間捜しの旅か」
 魔王様がいかにもつまらなそうな口調で言います。
 そのまましばらく黙り込んでいらっしゃいましたが、やがて小さくこう続けます。
「本当につまらん。勇者がどれだけ仲間を集める気なのかは知らんが、そんなことに集中されたら、次にこの城にくるのはいつになるのか」
 まあ、アレですね。
 早い話が、早く会いたいということなのでしょう。
 私はただその大広間の隅で立ちつくしたまま、ぼんやりと魔王様と水晶球を交互に見つめていました。すると、魔王様が苛立ったように言います。
「かといって、下手に力のある仲間など作られても困る。ぞろぞろとそんな変な仲間を連れてこられたら、彼を押し倒す機会が減る」
 なるほど。
 私が魔王様の言葉を聞いていると、急に魔王様は私の存在に気がついたかのようで、その鋭い切れ長の瞳を私に向けてきました。そんな風に真っ正面から見つめられるのは、少し戸惑います。何しろ、魔王様は他に類を見ないくらいに美しい方ですから。
「お前、名前を何といったか」
 魔王様にそう問われ、私の心臓が跳ね上がったような気がします。私は努めて冷静に頭を下げ、短く言いました。
「シェリルと申します」
「そうだった、興味のない身体の者の名前は忘れやすい」
 ――酷い。
 まあ、仕方ありませんが。というか、興味を持たれた方が困るのでしょうか。
「……それに、細いな」
「は?」
 困惑して顔を上げると、魔王様はすでに私に興味を失ったようで、その視線を水晶球に向けていました。そして、その水晶球の中に映っているのは、今まで見たことの男性でした。
 背が高く、流れるような金髪と深く蒼い瞳が印象的な男性です。歳はおそらく、二十代前半でしょう。明らかに騎士と思われる甲冑を身につけ、どこかの村の人々と何か話していました。
「魔物が出るのですよ」
 突然、水晶球の中から村人の声が漏れ出しました。魔王様は興味なさそうな顔つきでそれを見守っています。
「この森には、怖ろしい魔物がいるのです。夜など、怖ろしい鳴き声が聞こえてきまして、とても安心して眠ってはいられません」
 村人たちは、真剣な表情でその騎士に向かって色々説明を始めます。その内容を聞いていると、村人たちが望んでいるのは、魔物の退治のようでした。若い騎士はそれを聞き、恐れなど知らぬと言いたげに頷き、腰に下げた剣を軽く叩いて言いました。
「すぐに戻ってこよう」
 どうやら、名前の知られた騎士のようです。彼はどうやら、そのすぐ近くの村の出身らしく、ちょうど今は休暇中で村に戻ってきていたようでした。その彼の存在を知ったこの村の住人が、彼に助けを求めた。そういう流れなのでしょう。
「これも細い」
 魔王様が小さくため息を漏らしました。「好みじゃない」
 ──ああ。
 私は急に何のことを言っているのか理解して、頬が赤く染まります。魔王様の性癖のことを考えれば、簡単でした。
 魔王様の好みの男性というのは、筋肉隆々な身体つきをしています。つまり、華奢な男性は好きではありません。性的な対象とはならないのでしょう。
「どうせ仲間を増やすなら、こういうのではなく……」
 仲間を増やす?
 私が魔王様の横顔をじっと見つめているうちに、また水晶球の中に変化が起きました。今度は勇者たちの姿が映っています。そして彼らは、その若い騎士がいる村のほうに向かっているようなのです。
 なるほど、あの騎士を仲間にしようと考えているのでしょうか。
「お前、邪魔してこい」
 突然、魔王様が私に言います。「あの騎士では興味がそそられん。あれは邪魔だ。もっと、私好みの男が増えるのであれば、邪魔はしなくてもいい」
「かしこまりました」
 私が素直に頷くと、わずかに魔王様が片眉を跳ね上げ、確かめるように問いかけてきます。
「私の好みは知っているな?」
「はい、もちろんです」
 私はそっと微笑みます。「たとえるなら『勇者』のような。筋肉がしっかりついていて、正義感にあふれ、自分の腕にも自信があり、しかしいたって性癖はノーマルで女性が好みであり、男性に押し倒されることなど考えたことなく、もしもそうなったら必死に抵抗しそうであり、そして男性に抱かれることを屈辱と考えて表情を歪めそうな、女性にモテそうな整った顔つきをしている美丈夫でありますね」
「その通り」
 魔王様が声を上げて笑いました。そして、どこか楽しそうに私を見つめ直します。
「お前、なかなか見所がある。もう少し筋肉がついたら、抱いてやってもいいのだが」
 ……どうしましょう。

 とにかく、私はすぐに騎士が入った森へと向かいました。何だか魔王様がおっしゃった言葉が頭の中を渦巻いてまして、どうしたらいいのか解らなかったのですが、それはとりあえず後回しです。
 私は魔法を使ってその森へとたどり着きました。国の外れの村。その村に隣接する大きな森。そこは確かに、魔物がたくさん棲んでいそうなところでした。ちょうど陽が落ちたばかりで、辺りはかなり薄暗くなってきていました。私は身につけていたフードを目深に被り、そのまま森の中に足を踏み入れました。
 確かに魔物の気配がします。森の奧に大きな力が感じられました。
 きっと、あの騎士もそちらの方向に向かったのでしょう。
 私は足早に森の奧へと歩いていきます。
 そして突然、鋭い悲鳴のようなものが聞こえました。私はいつの間にか、走り出していました。
 どんどん暗くなる森の中。でも、魔物である私には辺りははっきりと見えています。転がっている石につまづくこともなく、その場所に着きました。

 騎士が剣を『それ』に突き刺していました。
 『それ』とは、巨大な獣人です。全身毛むくじゃらの、大きな身体を持つ生き物。大きな耳と鋭い牙。長いかぎ爪で敵を切り裂く生き物。
 それを、若い騎士は一刀のもとに切り伏せていました。
 私は思わず息を呑んでそれを見つめ、そっと後ずさります。騎士の横顔があまりにも楽しそうに見えたからなのかもしれません。
 騎士は剣を獣人から抜き取ると、腰にあった鞘に収めます。そして、足元に転がっている獣人の骸を見下ろして小さなため息をこぼしました。
 そこに。
「どうしたの?」
 木の陰から小さな影が飛び出してきました。その姿は、人間の子供のように見えました。しかし、その子供──少年は獣人の骸を見て悲鳴を上げました。
「父さん!」
 騎士が小さく舌打ちをしました。それに気がついた少年は、喉の奥から威嚇のような音を上げました。
 その姿は、最初はどこにでもいるような十歳くらいの少年でした。しかし、あっという間にその姿が変貌していきます。その皮膚には濃い体毛が生えていきます。そして、小さな白い歯は鋭い牙へと変わり。
「よくも」
 少年──獣人の子供は、騎士を睨みつけていました。そして騎士も、その小さな少年が人間ではないと知って表情を険しくしていました。その手が腰の剣にかかります。
 私は咄嗟に、辺りをぐるりと見回した後、もっとフードを深く被り、自分の瞳が相手に見られないようにとしました。銀色に輝く瞳は、一目で人間ではないと気づかれてしまいます。
 そして、騎士の気を引こうとしました。
「誰かいるんですか?」
 そう声をかけながら。

「なぜ、こんなところに」
 騎士の静かな声が響きます。しかし、その声には明らかに疑いらしきものが混じっていました。私はそばにあった木の幹に手を置きながら、目の見えない人間のふりをしました。
「悲鳴が聞こえました。何があったんですか?」
「……あなたこそ、なぜこんなところに?」
 騎士が警戒したように訊いてきます。当たり前でしょう。普通の人間なら、森の中にこんな遅い時間にこないでしょうから。相手の疑いを解くためにも、私は何とか怯えているような声を出しながら言いました。
「……道に迷いました。でも、誰かの声が聞こえたのでこっちにきたのですが……あなたは誰ですか?」
 そう言いながら、獣人の子供が逃げてくれればいいと願っていました。私が騎士の気をそらしている間に。
 しかし、そううまくはいかなかったようです。その子供はゆっくりと騎士のほうに歩いていこうとしていました。隙があれば飛びかかろうとしているのが気配で伝わってきます。
 駄目だ、と思いました。
 この騎士は強い。獣人の子供など、あっという間に殺すでしょう。その子の父親を殺したのと同じように。いいえ、それよりももっと容易く。
「すみません」
 私はできるだけわざとらしくないふりを装いながら、目の見えない人間がするように手を騎士のほうに伸ばします。そこに誰がいるのか確認するかのように。
 ふと、彼が戸惑いながら私の手を取りました。そして、獣人の子供から庇うように私の身体を自分の後ろに追いやろうとしたとき。
 私は彼の顔に手を触れました。ぎこちなくその顔立ちを確かめるように手を動かして、やがてその唇に指先を滑らせました。
「下がって」
 騎士がそう言ったとき、私は彼の唇に自分の唇を重ねました。いつもと同じように、性急に舌を彼の中に差し込み、そのまま『吸う』ために。
 彼が慌てて私を突き放そうとします。でも、私も魔物です。人間よりもこの腕は力が強いのです。彼の腕を掴んで逃がさないようにしているうちに、私の被っていたフードが外れました。銀色の髪の毛がこぼれ落ち、私の瞳も露わになります。
 彼が驚いたように私を見つめていました。私が人間でないと知って、その瞳が凍り付いたと思います。
 でも、私は彼を逃がしませんでした。そう、彼の身体から力が抜けるまで口づけを続けて──。
「お前」
 突然、鋭い声が辺りに響きました。
 私は力を失って崩れ落ちる騎士の身体を見下ろした後、ゆっくりとその声のほうに視線を向けました。
 そこには、勇者と魔法使い、神官の姿。
 私は少しだけ、心臓に痛みを覚えました。
 何となく、こうして人間の命を奪う姿を誰かに見られたくなかったと感じたのです。私は魔物ですが、おそらく、完全に冷酷にはなりきれない。いっそのこと、人間を心の底から憎んでいればよかったのに、と思います。
「なぜ殺した」
 勇者がその場に倒れている騎士の姿を見つめ、苦々しげに言います。「やっぱりお前はただの化け物だ」
「だからどうしたというのですか」
 私の口から漏れた言葉は、どこか無機質な響きを持っていました。自分でもそれが本当に自分の声かと思うくらいに。
「我々は敵なのです。……魔王様が望めば、私はその通りにするだけです」
「敵というのなら」
 勇者が忌々しげに続けます。「そういう顔をするのはやめろ。それも狙いか?」
 そういう顔?
 私が困惑して首を傾げたとき、私の前に獣人の子供が立ちました。まるで、私を庇うかのように両手を広げ、勇者を睨みつけます。
「帰れよ」
 少年は怒りに満ちた声を上げました。「人間は嫌いだ」
 勇者がその子を見下ろして、苦笑します。
「子供に守られるとは」
 つい、私は彼を殴ってやろうかと思いました。でも、魔王様の思い人なのですから、そんなことはできません。私は少年の肩を叩き、後ろに下がるように促します。しかし少年はさらに言いました。
「僕らは何もしてなかったのに! 村にもいかなかった。この森の中で大人しく暮らしてただけなのに! 人間は、僕らを殺そうとする。そして、母さんを殺した。父さんは僕を守るために森の奧に逃げて、ずっと大人しくしてた。それなのに、今度は父さんまで殺したんだ。何でだよ? 何もしてなかったじゃないか!」
「魔物は口では何とでも言えるのです。それが嘘でも簡単に」
 神官が静かに言いました。少年の言葉に困惑したように眉をひそめる勇者を、力づけるかのように。人間のやることはすべて正しいのだと言いたげに。
「我々は解り合えません」
 私はやがて、少年を後ろから抱きしめるようにしながら言いました。「あまりにも立場が違いすぎますから」
 やがて、私の腕の中の少年の身体がかすかに震えました。彼は俯いて誰にも見られないようにしながら、そっと泣いていたのです。私はただ、自分の腕に力を込めるだけでした。
「いけよ」
 やがて、勇者が低く言います。私たちから目をそらし、どこか不本意そうに。
「気が変わる前に、どこかにいってくれ」
「クレイグ」
 魔法使いが鋭く勇者の名前を呼びます。しかし、勇者は片手を上げて彼の言葉を遮り、その場から離れようとします。
「本気か」
 魔法使いが声を荒げて言いました。「魔物は殺さねば」
「じゃあ、お前がやれ」
 勇者──クレイグは煩そうに手を振りながら返します。「簡単だろう。泣いている子供──魔物くらい、簡単に殺せる」
「クレイグ」
 魔法使いが言葉を詰まらせて、私たちを見やります。そして、ため息をこぼしました。それは、諦めのため息のようでした。
「おい」
 勇者がその場を離れる直前、ふと振り向いて笑います。「あのクソ魔王によろしく伝えてくれ」

 水晶球の中には、勇者たちが映っています。どこかの村の宿屋に泊まっているようで、彼らはその食堂で食事を取っています。しかし、会話は弾んでいなそうでした。どこか不機嫌そうな彼らの姿。
 魔王様はそれを楽しげに見つめ、小さく呟きます。
「どこか物思いに沈んでいる彼も良い」
 魔王様の頭の中はいつだってピンク色をしているような気がします。私は獣人の子供の手をつないだまま、魔王様を見つめています。
 獣人の子供を森に置いてくるわけにはいきませんでした。父親を亡くしてたった一人で生きていけるのか。無理だと思いましたから。だから、結局一緒に連れてきたのです。
 問題は、魔王様がそれをどう感じるかでした。
「まあ、邪魔はできたからいいだろう」
 ふと、魔王様が我に返ったように私たちを見やります。私のそばに立っている獣人を見下ろし、目を細めました。観察するかのような視線。それを受けて、獣人の少年がわずかに頬を染めました。おそらく、少年は魔王様のような美しい男性を見たことがないのでしょう。それに、この世界を治める方でもある魔王様を目の前にして、どこか夢見心地のようでした。
「お前、名前は?」
 魔王様が少年に訊きます。
「……グラントといいます」
 緊張した声。それを聞いて、魔王様がひどく優しく笑いました。
「将来が楽しみだな。逞しく育て」
「あ、はい!」
 グラントは頬を染めたまま力強く頷きました。
 どうやら魔王様は、私が少年を連れてきたことを疎ましくは考えておられないようでほっとしました。
 しかし、別の意味で心配になりました。
 つまり、グラントに魔王様の性癖を教えたほうがいいのだろうかと悩んだのです。どう考えても、先ほどの魔王様の言葉の意味は。
 逞しく育ってしまったときのほうが、彼にとっては別の意味で危険なのかも知れませんが、そのときはそのときです。頑張ってもらうしかありません。
 私は少年の挨拶が終わった後、大広間を出ました。少年は私の後をついてきて、辺りを興味深そうに見回しています。
「……寝る場所を確保しなくてはなりませんね」
 私が少年の手を引きながらそう言うと、グラントは笑いながら言います。
「シェリルの部屋は?」
「ベッドは一つしかありません」
「僕、身体は小さいよ」
「うーん……」
 どうしようかと悩んでいると、廊下の向こう側からラースが歩いてくるのが見えました。彼は私の姿に気がつくと、軽く手を上げてきます。
「よう、どうした」
 ラースはすぐにグラントの姿に気がつき、首を傾げました。私は彼に少年を紹介し、簡単に今回のいきさつを説明したのですが。
「大丈夫か」
 ラースが私の前髪に触れ、少しだけ気遣うように笑います。「疲れているようだ」
「大丈夫です」
 私は慌てて彼の手を振り払い、ぎこちなく笑い返しました。最近の私は変です。ラースの優しい仕草とか、その微笑みに心が乱されてしまいます。それを彼に知られたくありませんから、できるだけ素っ気なく言います。
「疲れたので寝ます」
「独り寝か?」
 ラースがそうからかうように言って、その手をまた私のほうに伸ばしてきました。その指先が私の頬を撫でた瞬間、背中にぞくぞくとした感覚が走ります。私が慌てて彼から遠ざかるのと、私の前にグラントが両手を開いて立つのが同時でした。
「何すんだよ!」
 グラントはそう言ってラースをきつく睨みつけています。その姿は、勇者とやり合ったときそのままでした。
「大丈夫ですよ」
 私はすぐにグラントの肩を叩き、彼の腕を取って歩き出します。仕方ないですから、今夜は少年と一緒に眠ることに決めました。とにかく、ゆっくり休んだほうがいいと思いましたから、早く部屋に向かったのですが。
 後ろで、ラースが苦笑したのが解ります。そして、こう呟いたのも聞こえたのです。
「気にいらねえなあ、一丁前に『男』の眼をしてやがる」



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