第一話(3)


養護教諭は幸いにして出張のために不在だった。
職員室で鍵を借りて戸を開けようとしていると、黒コートの男がやってきた。
職員玄関からでも調達してきたのだろう。スリッパのペタペタという間抜けな足音。
「どー見たって幻じゃないよなぁ」
幻っていうのは、たぶんもうちょっと儚くて美しいものだとキタルは思う。少なくとも、季節外れの黒のロングコートに、
安っぽい緑のスリッパなんて格好をしたシュールな幻なんて存在しないだろう。
「さっきはすみません。僕ったら、場もわきまえないで」
ぺこりと頭を下げる彼に、キタルは中に入るように促した。とりあえずベッドに腰掛ると、男もそれにならう。
彼はニコニコしながら言葉を続けた。
「いやー、ほんと、あなたを見つけて……というか、あなたに見つけられて安心しました。
戦士を見つけるには時間がかかると思っていたのですよ。そうこうしてるうちに、連中が何かしてくるかもしれませんし」
「あのさ」
「はい?」
「あんた、何で俺にだけ見えるの? ……幽霊、じゃないよね」
自分には霊感はないはずだし、男の底なしに人のよさそうな雰囲気からいっても、超自然的存在には到底見えないよなあ、と思いつつ、念のために聞いてみる。
男は一瞬目を丸くし、あははと笑って否定した。
「僕にそんな力はありませんよぉ。手品の種は、コレ」
黒いコートを指差しながら、
「これはこう見えて、特別仕様でしてね」
袖口にそっと男は触れた。と、信じられないことに、コートが男の体から離れたのだ。
「な、何?」
男がそのコートを脱いだのではなく、そのコート自身が意思を持って男の体から離れた――少なくともキタルにはそう見えた。ふわりと宙に浮かんだそれは、一瞬眩しく輝いた。
現れたのは、雫型の頭に小さな体、黒いコートを着た――たぶん生物。
「僕があんまり頼りないので、妹がお目付け役に連れて行けって言いましてね。
キエールといって」
「……消えることができます、なんて言わないよね」
「すごい、大当たりです!」
興奮した声で、男が言った。そして、そのあとで。
「なかなか頭がいいじゃねぇか、坊主」
――渋い男の声がした。
「オイオイ、どこを見てるんだ。俺は、こっちだぜ」
「……まさか」
「現実を受け容れろ。まずは、それからだ」
キタルは言葉を失った。どうやら、やたらと男らしい美声で喋っているのは、その変な生物らしい。
「このキエールは、光をたくみに操って、身につけている間は普通の人間に見えない状態にしてくれるんです」
「でも、お前はこいつの姿を見ることができた」
低い声が言う。
「お前は魔力のある人間――つまり」
「戦士っていうわけですよ」
男は屈託なく笑う。
「戦士、ねぇ」
自分の置かれた状況に、キタルは眉をひそめた。
変な男。変な生物。そして、戦士だという自分。
――何の冗談なんだ、これは。
頭がぐらぐらした。
戦士などという言葉は、少年漫画の中だけの話だ。
魔力なんて信じていていいのは、小学生のころまでだ。
ヒーローに憧れつつも、現実世界でヒーローになんて存在しないことは、ずいぶん幼い頃から理解していた。
――戦士って言ったってなあ。
正直、信じられない。
が、この男(と変な生物)は、スギルが足跡を絶った場所にいた。おそらく、無関係ではないだろう。
前進するためには、この二人から情報を引き出さなければ。
キタルは口を開いた。
「とりあえず、名前教えてくれない? あ、俺はキタルって言うんだけど」
「そういえば、まだ名乗っていませんでしたか。僕、ヴァスティールって言います」
「ヴァ、何だって?」
「ヴァスティール」
「へぇ、外国人?」
言われてみれば、オレンジがかった明るい髪色をしている。染めているのだろうと思っていたが、地毛なのだろうか。
男――ヴァスティールは困ったように笑った。
「いや、外国と言われるとたしかにそうなんですが……いや、やっぱりちょっと違うような」
「ヴァス、もっと簡潔に言え」
変な生物もとい、キエールがたしなめる。
「俺達は、異世界から来た」
「異世界ィ?」
キタルが素っ頓狂な声を上げる。
ヴァスティールはそれを見て、キエールを非難した。
「ほら、キエール! もっとこう、オブラードに包まないと、ショックを与えちゃうじゃないですか。
これで僕らの胡散臭さニ割り増しですよ」
「事実を曲げてどうする。坊主、信じろ」
「だーかーらー、信じろって言ったって、信じれるものじゃないじゃないですか。物事にはもっと順序ってものが……」
「これから仲間になるんだ、なあ、坊主」
「ちょ、ちょっと待った。これ、ドッキリじゃないよね」
「ドッキリとは何だ?」
怪訝そうな声で、キエールが問いかける。
「う……ドッキリって知らないか。っていうか、考えてみれば、俺みたいな普通の高校生にドッキリしかける意味ないよな」
それに、この状況は、ドッキリとか、そういうレベルの問題ではないような気がする。
何か自分の理解の範囲を超える、不思議な力が働いているのは否定できない。
けれど、異世界の存在なんてすんなりとは信じられないわけで。
「……ま、いいや」
とりあえず保留。
この際、都合の悪いことには、目をつぶろう。
「で、来訪目的は何よ」
「信じていただけたんですか?」
ヴァスティールの顔が輝いた。
「うーん、正直信じたくはないんだけど、異世界から来たってところを認めないことには話が進まなさそうだしなあ。
全部聞いてから信じるかどうか決める」
「いい心がけだな」
「……ありがと」
人外のものからとはいえ、褒められると悪い気はしない。素直に礼を言う。
「ヴァス、俺達がこっちに来た理由を話してやれ」
「わかりました。
あれは、僕の妹の即位式の日でした。僕は式典に参加する前に、勤務先の監獄へ顔を出して、そこで……」
「ちょっと待って」
「はい?」
妹が即位ということは、王政?
で、妹が王族ってことは、ヴァスティール自身も王族か何かなのだろうか。でもその勤務先が「監獄」。
――どうなってるっていうんだろう。
「即位式と監獄ってどうつながってるんだ?」
「ああ。そうか、そっちから説明しないとダメなのか。
ええと、僕の一族は、光の魔法に守護されていて、向こうの世界を治めているんです。一族の中の最も強い人間が王になるんですが、それがたまたま僕の妹だったってわけでして。
僕自身には、ほとんど力がなくて、第十三番監獄の看守として、働いていたんです」
「それで、勤務先の監獄ってことね」
「魔術師としてはほとんど無能な僕でも、光の一族の末端ですから、即位式に出席する義務がありました。
あの朝、妹の即位式で、僕は浮かれていました。お祝いのつもりで、ある受刑者の封印を解いてしまうほどに」
ヴァスティールはそこで何故か遠くを見るような、懐かしい目をした。
キエールがヴァスティールから目を逸らした……ように見えた。
――もしかしたら、何かあったのかもしれないな。
キタルは直感的に思ったが、何があったのかと問う前に、ヴァスティールは再び口を開いた。
「彼の名前は、ルシードと言いました。それまで封じられていた強大な闇の力を発動して、彼は監獄を脱しました。
僕もダメージを受けましたが、ルシードをどうしても自分で捕らえたかった。
だから、妹に頼み込んで、ルシードを追ってきたのです。そして、こちらの世界にたどり着いた」
「その……ルシードとやらを連れ戻すのが目的ってことか」
「はい。わかっていただけました?」
「なんとなくね。で、さっき何であそこにいたわけ?」
「ああ、あの場所には闇の力が発動した痕跡がありましたから。それを調べていたんです」
「闇の……力?」
「ああ。おそらく、そこで人間が一人さらわれているようだ」
人間が一人、さらわれた?
それってつまり。
「やっぱり、スギルは……」
キタルは呻いた。
「知り合いか?」
キエールが尋ねる。キタルは首を縦に振った。
「俺の兄さん」
「そうですか」
沈痛な面持ちで、ヴァスティールは頭を下げた。
「僕らの世界の揉め事に巻き込んでしまったようですね」
「いや、どうせあんた、俺が戦士だとか言って巻き込むつもりだったんだろう。今更謝らなくったっていいよ」
「でも……」
「じゃあ、話は決まったな。協力するんだろう、坊主」
「うん。スギルが関わってるんなら、俺も巻き込まれてやるよ」
戦士だろうが、魔法だろうが、スギルが関わっているなら無視できない。
むしろ、自分で何とか動けるというのは、幸いというべきだ。
「で、聞いておきたいことがあるんだけど」
「何だ?」
「戦士のこととか、敵のこととか。
 さっき『闇の連中』と戦う戦士って言ったよね? ルシードには仲間がいるの?」
「ああ、わかっているだけで一人。別の監獄にいた女魔術師が消えている。彼女も闇の魔法使いでルシードの弟子だった」
「ふーん。その女以外には?」
「そこまではつかめていない」
「了解。じゃ、次は戦士についてだ。どうしてあんたが戦士集めなんてしてるわけ?」
「ど、どうして?」
予想外の質問だったらしく、ヴァスティールは困った顔をした。
キタルは続ける。
「そう。あんたが異世界から来たっぽいことと、あんたの世界ではどうやら魔法使ってるんだろうなーってのはわかった。
でも、どうしてこっちの世界で戦士を探してるわけ?
そもそもだよ、こっちの世界じゃ普通の人間は魔法なんて使えないわけじゃん」
「確かに、こっちの世界にはほとんど魔力を持つ人間がいないな」
「でしょ? そんな面倒なことしなくたって、あっちの世界から、しかるべき人が来た方がいいんじゃない?」
「たしかに。おっしゃるとおりです。
でも、僕たちの世界から魔法使いを連れてきたところで、こちらの世界には不案内なわけです。
余計にこちらの世界を混乱させることにもなりかねない」
「だから、この世界で生きている人間に、魔力を与えたってわけだ」
「魔力を……与える?」
「ええ。向こうの世界には四人の大魔術師がいるんです。光、炎、水、土。
彼らが、自分が一番その力を持つにふさわしいと判断した人間に力を分け与えました」
「ふさわしいって、素質があるってこと?」
キタルは少し考えて、「例えば、霊感があるとか」
「いえ、まあ個人の素質も重要な要素ではありますけど、正しく力を使える人間にしか、力は与えられません。
緊急事態とはいえ、邪な人間に力を与えたら大ごとですからね。で、あなたもその一人」
「俺が、ねぇ」
キタルは黙り込んだ。
目の前の二人の抱える事情はなんとなくわかった。
彼らはまるっきり嘘を言っているようには思えない。
かといって、素直に信じるには、十八年間に蓄積された常識が邪魔をする。
しかし、スギルに関する手がかりは、目の前の情報しかないわけで。
「あの……混乱してます?」
申し訳なさそうな声音でヴァスティールは言う。
「うん。かなり」
「あの、証拠をお見せすれば、信じてくれますか?」
「あるの?」
「証拠といえるかどうかはわかりませんが……」
ヴァスティールはうっすらと微笑んで、手を差し出した。
「手を載せてください」
ぎこちなく手を重ねる。温もりを感じたと同時に、頭の中に光が弾けた
「え……?」
「何か、見えるでしょう」
「うん……何これ。光?」
燃えるような赤、瑞々しい緑、冴え冴えと爽やかな青。それら三つを包み込む、金色の穏やかな光。
触れ合った掌を通して、確かに見える。
「決まりだな。お前は戦士だ。金色の光が見えたということは、光の戦士のようだな」
金色の光? いや、確かに金色も見えるけれども。
「え、待って。赤いのと青いのと緑のも見えるよ」
「何ですって!?」
「赤と青と緑も見えるのか?」
「うん。金色のが一番よく見えるけど」
「どういうことでしょう……」
「どういうことって、こっちが聞きたいんだけど」
ヴァスティールとキエールのただならぬ雰囲気に、キタルはたじろいだ。
「ひょっとしたら、あなたは、違うのかも……いや、でも僕の姿が見えたってことは……」
「何なんだよ、一体」
「ヴァス、もっと確実な方法があるだろう。坊主の力を見極めるための、方法が」
「キエール……試せと、言うんですね」
「ああ。暴走したら、俺が何とかするぜ」
「……わかりました」
ヴァスティールは突然すっくと立ち上がった。
「な、何?」
「キタル君、あなたも立ってください。で、これをつけて」
ヴァスティールは左手につけていた時計を外して、キタルに手渡した。
キタルはわけがわからないままに言われたとおりにする。
「これは、一種の魔力制御装置です。魔力の暴走を止めてくれるし、逆に自分の思うままに力を引き出すこともできる」
「それで?」
「これから、あなたに魔力があるかどうか試します。……一番確実な方法で」
ヴァスティールは右腕を高く上げた。
「ど、どうかした?」
「これから僕がすることを真似してください」
「えぇ?」
「力を引き出すには、手順が要ります。ほら早く!」
しぶしぶキタルは右腕を高く掲げた。
「次はこの腕をそのまま地面に下ろして」
がくっと上体を折り、地面に掌をつける。
「もう一回立ち上がって、両腕を開く!」
「はいはい」
「で、ここで叫ぶ。『クロイツ・チェンジ!』
 そして、すぐに額の前で両手首を交差させてください」
「えー、今やるの?」
さすがに、恥ずかしい。
「はい。大真面目にやってください」
「今授業中だし、うるさくするとヤバイって」
「大丈夫です。『クロイツ・チェンジ』のあとに額の前で手首交差。
ほら早く!」
「わかったよ、やればいいんだろ……クロイツ・チェンジ!」
そして、額の前で両手首を交差させる。
真っ白い爆発が起こった。思わず目を閉じる。
体を電流が走ったような気がした。一瞬の浮遊感。そして、ふと脳裏をよぎったスギルの顔。
「ス……ギ、ル?」
「キタル君、キタル君!」
興奮したヴァスティールの声に目を開ける。ヴァスティールは驚愕に目を見開いていた。
「やはり……あなたは、愛の戦士でしたか」
「何だよ、それ」
「自分を見てください」
「え? うわ、何これ。変な格好」
白い防具に白いマント。少年漫画かRPGの剣士みたいな格好だ。
「失礼な奴だな。計算された伝説の戦闘服を。衝撃に強く、防水、防火、防圧――完璧だぜ。なあ、相棒」
キエールがにたりと笑う。
「変身できたということは、やはりあなたは戦士……しかし、まさか愛の戦士とは」
「はぁ?」
「光、炎、水、土の魔力を持つ戦士――それはすなわち、黄、赤、青、緑の戦士です。しかし、あなたは白だ」
「だから?」
「白の戦士は、愛の戦士。人の心を見抜き、操る魔力を持っています」
「ちょっと、それってヤバイんじゃないの? 心を操るんだろ?」
「ええ。その通りです。暗示をかけたり、恋をさせてみたり、自殺するほどの絶望を与えることも可能」
「おい、マジかよ」
「愛の魔力は心に直接働きかけるために、僕達の世界でも恐れられてきました。愛の魔法は禁忌の魔法。
愛の力を持って生まれたものは他の魔術師によって力を封じられるのです。現に、この僕も」
「あんたも?」
「愛の魔力を持って生まれた者は、四つの魔力を受け容れる素養を持っています」
「じゃあ、さっき見た、四色の光は――」
「普通の戦士なら、自分の属性の物だけが見えるんです。でも、あなたが見たのは四色の光。僕の持っている魔力です。
金色が強く見えたのは、僕が愛の力を光の魔術師によって力を消されたから。父親が光の魔術師でしたからね」
「で、俺はどうしたらいいの? あんたに愛の力とやらを封じられるわけ?」
「そこなんですよねぇ」
ヴァスティールは嘆息する。
「僕としては、あなたがそうそう危険人物とも思えませんし、禁忌といっても、まあ向こうの世界での禁忌なわけですし。
 それに、僕にはあなたの力を封じられるほどの魔力もありませんし。キエールなら封じられるかもしれませんけど」
「ここまで成長してしまった愛の戦士を封じるなんて、俺の力では不可能だ」
キエールが言う。
「でしょう。第一、僕たち、こっちの世界は何しろ不案内ですしねぇ」
「それってつまり」
ヴァスティールはにっこりと微笑んだ。
「協力していただけたら嬉しいんですけど」
「もちろん協力するよ!」
スギルを助けるために、自分の力が役に立つのなら、これ以上嬉しいことはない。
「クロイツ・ホワイトか。いいじゃねぇか。はじめから伝説の戦士が仲間になるなんて、ついてるぜ」
「クロイツ・ホワイト……」
子どもじみた、夢みたいな話。
信じられないけれど、信じなければ前に進むことができない。
スギルの手がかりもつかめないまま、ただ待つだけなんて、耐えられない。
「やるしか、ないな」
ふっきれたような声で、キタルが言った。
嬉しそうにヴァスティールが笑い、キエールが大きく頷いた。





「グレイス」
十代の少年の声が自分の名を呼ぶ。妙にこそばゆい思いで、グレイスは答えた。
「はい、ルシード様」
「この者は、面白いな」
「は?」
顔をあげたグレイスは驚愕した。
「……いかがされました?」
ルシードの目から、涙が溢れていた。
「スギルだ」
「まさか……ルシード様に体を奪われても生きているというのですか?」
「ああ」
素っ気ない口調で言うと、ルシードはゆっくりと自らの唇を人差し指でなぞった。
「何をお考えです?」
「……この世界の人間は、案外侮れないのかもしれない」
ご冗談をと笑おうとしたが、グレイスはそうできなかった。
ルシードの纏う超然としたオーラの中に、ほんのわずか、揺らめくような影を感じたから。
――それは、ひどく頼りない少年の気配だった。


次回予告
変……身?
したらしいよ、俺。
クロイツ・ホワイトかー。
愛の戦士なんてまだ信じられないけど
仲間を探して、スギルを救出しないとな!

BYキタル



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