季節は冬――外に出るのも億劫なほどの寒気で、外は占められている。
ラエスリールは、暖房の聞いた部屋で蜜柑を食べながら、そんな様子をぼうっと眺めていた。
「遅いなー…」
そう言いながら、ちらりと携帯電話を見た――もう約束の時間より三十分が経過している。
今日は久しぶりに恋人と会う約束をしているのである。
仕事で忙しいため、なかなか会うこともままならないのだが、それでもまめに青年が時間を作っては会いにきてくれたりもするのだ。
三十分も過ぎれば何らかの連絡を――青年の性格上、入れてくるはずなのだが、それもない。
「何か、あったのか…?」
だんだん心配になってきたラエスリールは、相手に電話をかけた。
数回の呼び出しの後、相手は電話に応じる。
『あ゛ー…ラス?』
ここで、ラエスリールはぎょっとした。
青年の声がかすれ気味なのだ――ついでに、ごほごほという咳の音まで聞こえてくる。
「闇主、もしかして…風邪、引いたのか?」
言いながら、彼女は「まさか」と思っていた。
闇主はこういうことに関してはしっかりとしているのだ。付き合うことになって数年経つが、彼が風邪を引いたことはおろか病気を
しているのを見たことも聞いたこともない。
『ああ・・・どっかからもらったみたいだ……悪い』
そして、彼はまた咳を数回繰り返した――どうやら、相当苦しいらしい。
「大丈夫か!? 今すぐ行くから、ちょっと待っててくれ!!」
『おい!? 風邪うつるから止め…』
ラエスリールはそんな青年の制止の声を聞かず電話を切って、出かける準備を始めた。
*
青年は、一方的に切られた電話をぼんやりと見つめていた。
「…ったく」
苛立たしげに携帯電話を脇に放った。
風邪を引いた。しかもよりにもよって今日である。 風邪はおろか、病気など滅多にしないにもかかわらず…これはもう、不覚とし
か言いようがない。
何だこの間の悪さは、と青年はひとりごちた。
今日は、久々に恋人と出かける日だった。
そんな日に風邪を引くなんて…せめて明日であればと思わざるを得ない――明日は当然仕事だが、仕事は何かと有能な部下に押しつ
け………もとい任せればそれで済む話なのだ。
ま、ラスに会えるだけましかと無理矢理自分を納得させる。
それだけでなく、看病してもらうという非常に貴重な――彼は看病したことはあっても彼女に看病されたことはなかった――経験を
させてもらうのだ。
これはこれで楽しいかもしれない、と青年は思った。
看病ついでにどんなことをやってもらおうか、という大層人の悪いことを考えている途中でインターホンが鳴った。
ぐらりと揺れる頭を押さえながら、玄関へと向かう。
ラエスリールの姿を認めた瞬間、闇主は彼女の方へと倒れこんだ。
思っていたよりも症状が酷かったらしい。
「あ、闇主!?」
彼女の声が、妙に遠くに響いた。
*
「まさか…ここまで酷かったなんて」
青年を寝台に横たえさせて、ラエスリールはつぶやいた。
件の青年は、荒い息を繰り返しており、見るからに辛そうである。
その様子を見て、これはなんとしても元気になってもらわなければならないな、と心に決めた。
そうと決まったら、早速行動に移すことにする。
「風邪…風邪引いた時、いつも何してくれたっけ」
まず、タオルを濡らして、薬の用意をして――――…。
指を折って数えてゆく。
「――――…」
そういえば、いつも母さまが作ってくれたものがあったな、とラエスリールは思い至った。
少し考えて、彼女は台所へと向かった。
ふわりと漂う甘い香りに気づいて、青年は目を覚ました。
「…?」
疑問に思い、体を起こす。
濡れたタオルが落ちてきた。
「……びっしょり濡れてないだけまあ、合格か」
そう言いつつも、青年の顔は弛緩しきっていた――つまりは、照れ隠しである。
台所に目をやると、彼女がなにやら作業をしている。
あの甘い香りはそこからきているらしい。
相も変わらずぐらぐら揺れる頭を押さえ、彼女に近づいた。
「何してるんだ?」
問うと、彼女は驚いて闇主を見た。
「たまご酒を作っていたんだ。…それより、起き上がって大丈夫なのか?」
「まあ、なんとかな」
そんなことより、彼にとっては彼女が料理――とはお世辞にも言いがたいが――を作れたことが驚きだった。
ラエスリールは、言ってはなんだがとんでもなく不器用である。
そんな彼女に包丁を持たせるのはあまりにも危険なので、彼は料理の類をさせなかった――彼女もその辺は理解していたらしく、率
先して台所に立とうとはしなかったが。
「お前、こういうの作れたんだな」
「馬鹿にしてるのか?」
きっと上目遣いでラエスリールは闇主を睨む――が、はっきり言って彼女のその様子は誘っているようにしか見えず、青年は別の意
味でぐらりときた。
それを押し殺し、いろいろ危なっかしい彼女に言った。
「いや?馬鹿になんてしてないさ。 それより、火傷するなよ?」
「うん…努力する」
その返事に苦笑しつつ、彼女の細い首に腕を回した。
「ちょ…あの、闇主?」
「うん?」
「動きづらいのだが…」
「慣れろ」
一言のもとに言い切り自身の頭を彼女のそれに乗せる。
ラエスリールはもう何も言わなかった。
それは、彼が風邪だからか、今更と諦めたのか。
とにかく、彼女は作業を再開した。
「あと、どれくらいなんだ?」
「んー…あと少し、かな」
そう言うと、彼女はシナモンパウダーを取り出した。
家にこんなもん置いてあったんだな、と闇主はぼんやりと思った。
大体食事は外食か、人を呼んで作らせる。自分は台所に一切立たないので、どこに何がおいてあるかも知らない。
ラエスリールは火を止めると、容器にたまご酒を注ぎ、シナモンパウダーをふりかけた。
独特な、むせるようなあの甘さが、周囲を覆う。
「…一応、出来た、ぞ」
味見はさっき一応したから変な味とかはしないんじゃないかと…思うのだが。
彼女はごにょごにょつぶやいた。
耳まで真っ赤だった。
青年は、そんな彼女の頭を後ろに向かせて、額に軽くくちづけた。
「あ、闇主?」
彼女の困ったような顔が可愛らしく映るのは、熱のせいか。
「そんな顔を見せるのはおれの前だけにしろよ?」
誰彼構わずそんな顔をされるのは面白くない。
どこまでも彼は自分勝手に、ついでに言えば心も狭く出来ていた。
「あ、あの…言っている意味がよく…」
…やはりラスはラスでしかないってわけか。
鈍いにも程がある。
苦笑しつつ、言葉を返した。
「おいおい分かるようになるさ。それより、渡してもらわないといつまで経っても飲めないんだがな」
彼女はさっきからたまご酒の入った容器をぎゅうと握りしめている。
「それとも、飲ませてくれるのか?」
顎に手をかけ、上を向かせながらそう言うと、案の定顔を真っ赤に染めた。
「そ、そんなわけがないだろうがっ!!」
その返答にくすくす笑いながら彼女の手から容器を取った。
一口、口に含むとシナモン特有の香りと砂糖の甘さが口いっぱいに広がった。
ラエスリールは、上目遣いで青年の様子を伺っている。
「まあ、お前にしては上出来じゃないか?」
「…本当に?」
「試してみるか?」
たまご酒を一口口に含み、ラエスリールの腕を引っ張って頭を固定する。
彼女の唇に自身のそれを重ね、飲ませた。
こくりと彼女の喉がなる。
そのまま、誘われるように舌を絡めると、彼女の体がぴくりと跳ねた。
「ん…う、んんっ」
喉の奥から発せられる声に、何かが掻き立てられた。
ぐいぐいとラエスリールは闇主の胸を押すが、たとえ風邪っ引きであろうが闇主は闇主でしかなく。
いつもの如くラエスリールが後手に回ることになる。
熱のせいか、いつもより絡まる舌が熱く感じた。
それが、なんとも甘い刺激を生み出し……ラエスリールはふっと力を弱めた。
それを見計らったように、青年が唇を放した。
いつの間にか彼女の口の端から零れていた液体を親指で軽く拭い、まだぼうっとしている彼女と一緒に寝台へ移動し、そして倒れこ
む。
ギシッと軋む寝台の音で、ラエスリールの意識が一気に覚醒した。
何かを叫ぼうとする彼女の唇を指で押さえ、腕を引っ張って自らへと引き寄せて……そして、抱きしめた。
「…なんなんだ、お前は」
彼女がいじけたように言うと、青年は軽く笑った。
「………おれともあろう者が、何を弱気になっているんだかな」
「闇主?」
「なんでもない」
なんでも、ないんだ。
そう言って、きつく、抱きしめた。
彼女が、どこへも行かないように。
その様子のどこが“なんでもない”んだ、と言おうとして、そこでラエスリールはそうか、と思った。
きつく、きつく抱きしめてくる闇主の様子がなんだか可愛らしくて、愛しさが募る。
きっと、こんな闇主はわたししか知らない。
たったそのことが、こんなにも嬉しいなんて。
「どこにも行かないよ、わたしは」
そう言うと、青年は苦笑気味につぶやいた。
「…なんで分かっちまうんだろうな、お前は」
ふと、視線が合う。
いや、青年が合わせたのだ。
「分かってるさ。お前はどこにも行かないし」
重ねるだけのくちづけをひとつ。
落としてから、青年は言った。
いつもの、不敵な表情で。
「おれが行かせない」
その表情は、常の青年そのもの。
なんとなくラエスリールは、安堵を覚えてしまった。
*
「さ、そろそろ寝るか」
「何も、わたしまで一緒に寝る必要ないんじゃ…」
「“どこへも行かさない”って言ったろ?」
にやりと、青年が笑う。
…本当に、この男は。
ラエスリールはふうと息をついて、それでも、青年に言った。
「…お前は、ずるい」
ぼそりとつぶやくと、青年が苦笑気味に返した。
「…ずるいのは、お前のほうだよ」
「どこがだ。大体風邪がうつったらどうするつもりなんだ」
「今更だろ。ま、ぶっ倒れたら介抱してやるから安心しろ」
「………いい」
「何でだよ。今までもお前が風邪引くたびに看病してやっただろうが」
「あれはっ……看病とは言わん!」
「どこが。立派な看病じゃないか。おれが看病してやった次の日には決まって元気になってただろ」
「それは……〜〜〜〜〜っ」
「“それは”?」
「…だって……あんな、…恥ずかしいじゃないか」
「ふうん? 何回もやってるじゃないか、今更何を恥ずかしがることがあるんだか」
「やっ……やってるとか言うな!」
「そういえば最近ご無沙汰だな。お前次第でどうとでもなるが…どうする?」
「遠慮する!」
「いくらおれでもあからさまに拒絶されると傷つくぞ?」
「嘘をつけ! とにかく、寝ろ!」
「はいはい」
くくっと青年は笑って、彼女に不意打ちでくちづけを見舞った。
「…ばか」
彼女は、顔を真っ赤にして、怒ったようにそうつぶやいた。
Fin.
あとがき
egg-nog=たまご酒 ですが、これは皆さんが想像しているやつとはちょっと違います。
日本式は熱燗に卵と砂糖ですが、西洋ではラム酒などに卵と砂糖らしいです。
ネタを思いついたのはスーパーで生姜湯を見たときです。なんでたまご酒になったのかはちょっと謎ですが。
プロット(この単語使うの久しぶり・・・)の段階では、もう彼が動いてくれなくて困ってしまいましたι
すべての敗因は、彼を風邪にしようなどという無謀なことを思いついた、これに尽きます。
でも、糖度はかーなーりー甘めv うふv
最後らへんなんてふたりに丸投げ・・・もといおまかせしましたら、まあ過激なこと。 闇主さん、意味深なこと言ってますねー。
やったって何を? ていうね(笑)。
続きが知りたい人、見てみてください。微エロなので苦手な方は自分で想像してみてね(笑)
extra story