6

数日経った。
朝起きると……体の調子がいつもとおかしい事に気付いた。やたらと体が軽い。
「………………?」
変だな……と、むくッと起きる。
ベッドを降りて横を向き、窓にかすかに映る自分の姿をみる。
懐かしい姿。コレは……見覚えがある。これは……これは……。
「………!?」
ドバダダダダダ! 凄い足音を立てて浴室に駆け込む。
勢い良く鏡の前に立つ。バン! 鏡に手を付き、揺れる視線を合わせる……
そこには……男。懐かしい男の姿。そう、以前の自分が。鏡のなかの自分の顔がぱぁっとほころぶ。
あの邪魔な胸もない。長くて鬱陶しかった髪もない。懐かしい自分のきりりとした男の顔。
「……や、やった! やったぁぁ!!」
大声を上げてはしゃぐ。青年らしい、若干太い声で。
「え、な、何!?」
灰谷が跳び起きてドアの開いたままの浴室に飛び込んでくる。
「……え!? あ、た、卓哉………!」
……灰谷は目を疑った。そこで見たものは以前からの卓哉。男の。
あのどこまでも女らしい、華奢な姿は何処に行ったのかと思うほど男らしい体格。
「み、みろ! 灰谷! 戻った! 戻ったんだ!」
鏡をにこにこと見つめながら騒ぎ、はしゃぐ卓哉。
あの凛として透き通った高い声は、あのアイドルも裸足で逃げ出すような整った顔は何処にいったのか。
「………………………………。」
呆然と卓哉を見つめる灰谷。
「はは、やった! やったぞ! これで全部元どおりだ!」
そんな灰谷の様子を気にも留めず、鏡の前ではしゃぎまくる卓哉。
その姿に以前体中から滲ませていた女性特有の甘い花のような香りや雰囲気は微塵も感じられない。
「…………………………いい。」
ボソッ。
「ははははははは………ぇ?」
灰谷の変な様子に表情を強張らせる卓哉。
「もう、男でも、いい……。」
ボソッ。……にじり……。
「…………………ぇえ?」
何か言ってる。……にじり寄る灰谷をみて顔が引き攣った。
「……も、もう、どっちでもいい! 卓哉! たくやぁぁぁ!」
ガバッ!
……ぐさっ。
「ぎゃあああああぁぁぁっぁぁ後ろの口があああああああぁぁぁぁ!!!」
…………ガバッッッッ!!!!!!!
手脚をバタバタッ!とはためかせ、一気に寝ていた体を起こす。
「っはぁ…はぁ…はぁ…はぁ………。」
きょろきょろ。薄暗い室内。自分の部屋の、ベッドの上。
昇りきっていない朝日が窓から刺し込み、少しだけ照明の役割になって部屋を灰色に照らし出す。
……体を見る。シャツを押し上げる大きな胸。頭を触る。長い髪。何も変わっていない。
「……ゆめ………か……。」
呟く。高い声。これも同じだ。ふぅ……と、ため息を吐く。
夢で良かったような、それも少し悲しい……いや最後のあれでやっぱり嫌なような。……どのみち嫌か。
しかし、なんて夢か。俺の夢の中にまで出てきてチン○を捻じ込もうとするってのはどういうことだ。
こいつ生き霊でも飛ばしてきたのか……。上を見あげる。薄暗い中にみえる、茶色いベッドの底板。
それごしに奴が寝ているであろう姿を想像する。耳を澄ますとグゥグゥと鼾が聞こえる。
……まだ寝ているようだ。ひょっとしてこいつは今さっきの俺を襲っている夢を見ているのだろうか?
この心労の元凶。苦しんでいるのは女になった為というか、こいつの所為というのが多いかもしれない。
こいつが俺への求愛行動を止めてくれれば、学園生活における不快な点は5割方消えそうな気がする。
大体、あの日。気分が滅入って落ち込んで帰ってきたところに、
俺のズボンをオカズに目の前でオナニーして見せるというのはどういうことか。
……ひょっとしてこいつは誰かに雇われた、俺にストレスをかけて胃潰瘍にして失血死で殺そうとしている
プロのヒットマンなのかもしれない。いや、そうに違いない。あの奇行はそれ以外に説明が付かない。
…イライライラ。……どかっ。
ふつふつと湧いてきた憤りの衝動にしたがって、下から上のベッドの底をゲンコツで1回叩く。
……ぐふーぐふー。耳を澄ますが鼾は途切れず、起きるとかいった気配はない。
……脂肪が衝撃と音を吸収したのか? この豚畜生め。
いっそこのまま下から火を放って……いやいや、それでは俺という犯人の身元が簡単に割れてしまう。
やはり雪山に連れてって滑落死に見せかけて突き落とすしか……。
いや、このデブが趣味でもない山上りにその時だけ行くのは不自然か。
そう、河原にバーベキューにでもつれてったら、林の中に誘い出して猟銃で撃ちぬいて、
猪と間違えましたごめんちゃいーとかなんとかのほうが……。いや、こんなに白い猪はいない。
物騒な思考を張り巡らす。しかし、寝起きのせいか効果的な考えが浮かばない。
上半身を起こした状態で布団を抱えて、顔を突っ伏したままで煩悶する。
……女になってからというもの、灰谷の発情し辛い朝は卓哉も普段通り接していられるのだが、
夜になると灰谷の様子が変わり、そわそわと怪しげな雰囲気を漂わせはじめる。発情した犬のような。
密室で二人きりという事実が興奮させているのだろう。ちらちらと卓哉に熱い視線を送って来る。
衝動に駈られて卓哉の風呂を覗いていたことも数回あった。……それはいずれも本人は気付かなかったが。
でも、なんとなく感じるその灰谷の怪しげな感じ。卓哉は、また発情して襲われたらどうしよう……と思い、
警戒しながら毎夜を過ごす。卓哉は常に気を張り詰めていて、ストレスが日に日に溜まって来ていたのである。
……ふと体が汗でびっしょりなのを気付く。ベタベタと気持ちが悪い。
時計を見やる。……5時ちょいすぎ。ちと早いけど、眠気覚ましも兼ねて風呂に入ろうかな……。
灰谷を起こすまいとそっと立ち上がり、タオルと着替えを引っ張り出すと足音を殺して風呂場に行く。
扉に鍵を掛けたのを確認したら服を脱ぐ。ナプキン付きの下着を脱いでしげしげと今日の具合を確認する。
……特に何も付着してない。うむ、もう収まってきたかな……下腹の痛みも特に無いし。
それをトイレットペーパーでぐるぐるとくるんで便器横の汚物入れに放り込む。
そうでもしてカモフラージュしないと、あの怪獣スカトロンの餌になってしまう。
湯沸かし器のスイッチを入れコックを捻ると、頭上にかけたシャワーから冷たい水が勢い良く吹き出す。
「っ………ぅ……。」
立ったまま頭から浴びて、がたがたと体を震わせながら耐える。
一気に眠気が覚める。そこを我慢すると徐々に温かい水に変わっていく。
その心地よい温水を浴びながら頭、体を洗っていった。
体を洗いながら、ちら…と大鏡を見る。夢ではあそこに元の姿の俺が移った。
ふぅ、あれが現実ならいいのに……いやいや、それではその後灰谷が来て掘られてしまう。
……やはり奴さえ改心すれば悩みはほぼ無くなるような気がしてならない……。
しかし、お人好しの卓哉にはずっと付き合ってきた灰谷の事を今一つ本当に嫌う事は出来なかった。
そのことが悩みの溝を大きくしてることには本人は薄々感づいてはいるのだが。
そして5分も立たないうちに洗いおわった。
体を拭いたら下着を着ける。ブラジャー。最初は巧い付け方がわからなかったが、
最近コツを掴んできた。紐を両肩に通したら前屈みになり、重力で胸を丸い窪みにフィットさせる。
その状態で後手にフックを留めて、脇の下のあたりから皮を引っ張るように形を整えて……完了。
……なんでこんな事巧くなってるんだ……。とほほと、パンツをはく。ナプキンはもういらんだろう。
ダボダボの黒いバミューダ、同様にダボダボの黒いシャツを着て髪を拭きながら浴室を上がる。
髪をガシガシと拭きながら部屋に戻ると、まだ灰谷は鼾をかいて寝ている。
まあ、覗かれる心配がない分、そっちの方がありがたいが。
時計を見ると、まだ5時半。オートロックの開錠時間まであと30分ある。
暇つぶしに居間に行き、椅子に座ってテレビを点ける。
……ぶぃん。NHKのニュースの無機質な画面、そして淡々とした声が流れてくる。
この寮には一応の娯楽としてテレビが置いてあるが、NHKとNHKの衛星くらいしか見れない。
まあ、たまに漫才とかやってるからこれはこれでいいんだが。
それに教養番組も腰を据えて見れば、それなりにつまらなくはない。
しかし、こんな監獄のように何もかも制限されている中でテレビすらなかったらノイローゼものである。
望めるならば、あと民放を一つだけでも入れてくれればありがたいのだが。
バスタオルを頭に載せたまま頬杖をついて、のーん、というような感じで眉間の力を抜いてニュースを見る。
所詮暇つぶしだ。チャンネルをパッパッ、と変えてみる。……といっても3つしかないけど。
何処もつまらなそうなのしかやってない。何が楽しくて制作者はこんなものを電波に乗せるのだろう?
いいから水着のねーちゃんのビデオでも流せばいいのに。朝から目の保養をすれば犯罪率も減るだろう。
……今の自分なら風呂場で下着姿で鏡見つめてても同じか。いや、体が冷えるから止めとこう。
馬鹿な事を考えてテレビをぼけっと見ているといつのまにかもう六時。
そろそろかな……。と思ったその時。
……ガッッチャン! 寮の廊下に一斉に開錠音が響き渡る。
"♪ポロンポポロンポポロポポン……♪""1月18日、土曜日の朝がやってきました。生徒の皆さんは…"
スピーカーからテープの合成音声であろう女性の淡々としたアナウンスと、
その後ろでウンザリするほど聞き飽きたピアノのメロディが流れる。
……鍵が開いたか。それなら、もうご飯食べに行っとくかな。他にやることあるわけじゃないし。
ばつっ。テレビを消して隣りの部屋に戻り、箪笥からトレーナーを引っ張り出して着る。
……ちら。横目で灰谷を見るとまだ寝てる。起こす…のも面倒くさい。
起こしてもどうせ一緒に行こうとかいって待たすに決まってる。……いいや、先に行こう。
念のため箪笥(下着入れ)の中に
「触ったら鼻の真中部分をニッパーで切る!」
とメモを残す。
髪をゴムで後ろで結ぶ。最近はずっとこうしている。こうしないと鬱陶しくて仕方が無い。
運動用のスニーカーに履き替え、徐々にどやどやしはじめた廊下に出る。
がっちゃ……。あまり音を立てずにドアを閉め、廊下を行く。
きょろきょろ……結構起きてる奴がいるもんだ。この時間帯にあまり起きない卓哉は軽く感心する。
「あ、蘇芳、おはよう。」
「ん、おはよぅ。」
ポケットに手を入れたまま一瞥するだけで横柄に返す。
女になって数日。好奇の目は薄まったわけではない。未だ顔や胸元をじろじろ見られるのが当たり前だ。
でも周りは次第に慣れてきたようで最近は挨拶に声を掛けられるようになってきた。
無言で見詰められるよりは精神状態が遥かにマシになった事は言うまでもない。
「おはよう!」
「こ、こんにちわ!」
「す、蘇芳ちゃん、おはよう!」
「ハァハァハァハァ!」
廊下を進むと目が合うたびに声を掛けられる。ただ、殆どが知らない奴。
男の頃はそんな事はなかった。これも女になった所以か。
挨拶を適当に返しつつ丁度来たエレベーターに乗る。卓哉が乗り込むと急に静かになり、視線が集まる。
卓哉はこのときばかりは目を合わせたくないから一番最後に皆に背を向けて乗る。
「…………………。」
ばつが悪そうな顔をしてしぶしぶと。
こればかりはいつも変化が無い。皆黙ってしまい、自分の背中に視線を集中しているようだ。
……大抵、エレベータ内の空気はどうも後ろから飛び掛かられそうな気がして、とてもいられた物じゃない。
まあ5階から階段を上り下りするのは結構骨だし、使わずにはいられないのがまた頭が痛いわけだが。
扉が閉まり、エレベータが密室になるとその中に良い香りが立ち込める。そう、その原因はコレ。
卓哉の髪の、そして全身から出る香り。しかも今回は風呂上がりのシャンプーの強烈な甘い香りだ。
女性特有の強烈な甘い甘い香り。これは本人には気付かない。
そしてそれがどれだけ清々しい物か、男にしかわからない。
濡れて顔に張り付く数本の髪と、上気して少し赤い顔の色っぽさも同様に密室内の男子を煽る。
エレベータ内の男子が例外なくその香りとその魅力に恍惚とする。
女性から徹底的に隔離された青少年たちにはオアシスのような物である。
そして灰谷や一緒のクラスの連中はともかく、違うクラスの連中はここでしかこの花の香りを嗅げない。
最近では卓哉の乗ってくる事を楽しみにしてエレベータに乗る奴も居るくらいだ。
……卓哉は知らない。本人が知らない内に周囲を魅了してしまって、
そして卓哉を取り巻く周囲の環境が本人の望まぬ方向に徐々に変化していくのを。
食堂のある一階に着いた。卓哉にとって悪夢の移動が終わる。
卓哉は飛び出すように降りると早足でさっさかさと食堂に入る。
エレベータ内の他の男子も遠ざかる卓哉の背中を残念そうに見つめながら後に続く。
早足のまま中に入り見渡すとまだ閑散とした食堂内。まあ、まだ開錠したばかりの時間帯だから当然か。
……いつもは列を作っている券売機前も空いている。なので、並ぶことなく切符を買うことができた。
今日はB定食。ベーコンエッグとトースト1枚にサラダとオレンジジュースとヨーグルト。
カウンターでそれらの乗ったお盆をもらって適当な席に着く。周りにはだれもいない席。
そしておもむろにトーストの上にベーコンエッグを滑らせて載せたら、一気にかぶりつく。
……うむ、美味い。これをあみ出したパズーは天才だ。大体いつもこうやって食べるようになってる。
もくもくもく……。外見に似合わず行儀悪く食べていると、入り口に見飽きた人影が横目に見えた。
……その人物はカウンターで大盛りカレーを受け取って
辺りをキョロキョロ見回したかと思うと、気付いたように一直線に卓哉の正面の席に着く。
「卓哉、起きるの早いんだね。」
座りながら言う灰谷。
良く見ると少し寝癖がついている。俺が出たのに気付いて急いで追いかけてきたんだろうか?
「………………………。」
……ぴし。いつも通りサラダのコーンを投げて牽制して返答する。
「おい、たまには飯ぐらい一人で食えんのか。」
ぴしぴし。トースト片手にさらに投げつける。
「い、いやあせっかくだし、一緒に食べようよ……。」
苦笑いをしてスプーンを取る。
「……ええい、見てるだけで胸焼けになる。せめて大盛りカレーをやめれ。」
ぴしっ。
「だ、だって好きなんだもの……。」
そういうとがつがつがつと勢い良く食べていく。
「……朝食は脂や刺激物を控えてあっさり目にしろ。それ以外は人間じゃない」
ぴし……あ、コーンを切らしてしまった。
向かい合ったまま二人で適当なやり取りを交わしつつ食べていく。
最近は特にこういう風に害の無い限りはつい警戒を解いてしまって、こうして灰谷とも男だったときと
同じように接してしまう。……それだけ長い付き合いだったわけで。最近はセクハラも無いし。
その時背後から声が掛けられた。
「……す、蘇芳さん、隣り良いですか?」
目をやると佐藤が上目遣いにてれてれとこちらを伺っている。
「ん、ああ………。」
無下に断ることもないので承諾する。
ぞれを聞いておずおずと隣りに腰掛けてくる佐藤。
……それを見た灰谷の顔が少し強張るが、それには誰も気付かなかった。
会話のテンポが崩されたのもあって、少しの間黙々と飯を食べる3人。
「そういえば……今日は午後は休みだな。」
今日は土曜なので授業は午前中に終了する。私立なので週5日制じゃないのが悔やまれるが。
それを卓哉がなんとなく思い出して、そう話を切り出す。
「う、うん……。」
「そ、そうですね……あ。」
灰谷はともかく、佐藤がなにか良い事を思い出したような表情をする。
そして佐藤が辺りを少しキョロキョロと見渡して、声を殺し、身を屈めてこそこそと言う。
「蘇芳さん……実は僕たちの部屋に内緒でゲーム機があるんですが……。」
それを聞いて卓哉の目がキュピーンと光る。食べる手をぴたりと止め、佐藤に顔を寄せて呟く。
「……マジか。」
「マジです。」
こそこそと顔を寄せて囁き合う。佐藤の目の前に卓哉の顔が迫り、シャンプーの良い匂いがする。
……佐藤の顔が少し赤くなる。内心、とても嬉しいが表情に出さない。
「……やろう。是非、やろう。」
「ほ、本当ですか……!?」
佐藤の顔がほころぶ。
「うん。」
こくこくと肯き返す。
「……灰谷はどうする?」
ちら、と卓哉が正面の灰谷に聞く。
今度は佐藤が怪訝な顔をする番だった。蘇芳さんから誘われるなんて……。
普段から仲が良いのは知っているが、やはり少し嫉妬する。
でも意外な返事が。
「え、あの、俺はちょっと……。」
灰谷は罰の悪そうな顔をしてモゴモゴと断る。
「へ? なんで?」
お前ゲーム好きじゃなかったっけ? と、卓哉が顔をしかめる。
「いや、ちょっとそとに用事が……。」
もごもご。頭を掻きながら煮え切らない様子の灰谷。
「へ、外出るのか?」
「うん、うちの親が届け出だして……。」
もごもご。
この寮は外出は滅多に許されないが、土日や休日に保護者の申請、監督下である限り許可が出る。
たまには家族とのスキンシップを取る必要があるだろう、という考えらしい。
「ふーん、何ひに?」
卓哉がもくもくと目玉焼きトーストを咀嚼しながら聞く。実に行儀が悪い。
「いやぁ、ちょっと……。」
目を伏せ頬をぽりぽりとかいて、またもや煮え切らない態度の灰谷。
「……ふーん、そうか…。」
まあ、どうでもいいや……と興味無さげにそこで話題を打ち切る。
食べおわって、しばしゲームの話で盛り上がった後、
カウンターにお盆を返し徐々に賑わいはじめた食堂を早々に引き上げる。
2階のエレベータで佐藤と別れ、部屋に戻る。時計を見ると……7時。まだ授業まで1時間半もある。
何をして暇を潰そうか。とりあえず居間の椅子に座って、なんとなしにテレビを点ける。
といってもこの学園での暇つぶしの方法は、仲間同士での談笑や
勉強か読書、トランプや将棋などのゲーム、テレビの教養番組か運動場でのスポーツやくらいだ。
健全すぎてウンザリする。せめて漫画かパソコンくらいは置いといて欲しい物だ。
うーん……灰谷と将棋でもするか。頬杖をつきながらつまらないニュースを見ながら思う。
「灰谷、将棋板持ってきて。」
向かいのテーブルに座っている灰谷の方を見ず、気だるそうにそういった。
「え、やるの?」
「……いいからもってこいよぉ。」
コンコン。ぶすっと机をノックして灰谷を急かす。
灰谷は急かされてバタバタと部屋を駆け回り、言われたままに将棋板と駒を持ってくる。
テーブルの上に板を広げ、その上に駒をじゃらりとぶちまけて、二人で並べていく。
パチパチパチ……
「よし、じゃあお前10枚落ちな。」
「10枚……歩しかないじゃん!」
そんな感じでくだらないやり取りなどをしつつ、将棋をして時間を潰した。
……もちろんハンデは無し。結果は卓哉の3連勝。ゲームにはなにかと強い卓哉であった……。
時計を見ると8時15分。そろそろ着替え始めなければ。
着替えるからとっとと先行っとけ、と灰谷を蹴飛ばして部屋から追い払い、急いで着替える。
ダボダボのワイシャツ、同じくダボダボのブレザーとズボン。……買い替えが必要かも、と思う。
着替えた後、髪形を軽く整えて廊下に出ると、部屋の向かいの壁に寄りかかって灰谷が待っていた。
それを一瞥するだけで、さっさとエレベータに向かう卓哉。その横に灰谷が並んでついてくる。
「……先に行っとけって言っただろうが。」
べし。廊下を歩きながら鞄で灰谷のけつをはたく。
「いやあ、せっかくだから一緒に行こうかなあ、と……。」
照れてれとそんな事を言う。
「何がせっかくだから、だ。このコンバット越前め。」
「そんなマニアックな……。」
混み合ってるエレベータ前に着く。コレは乗れないかもな……と思っているうちにエレベータが来た。
どやどやどや……エレベータ前の生徒達が乗り込んでいく。
ふたりもその最後に続いた。卓哉の後に灰谷が乗り込む……と。
ブーーーーー。
ブザーの音が鳴り響く。定員オーバー。どうやら最後に乗り込んだ灰谷のせいみたいだ。
全員の視線が最後に乗ってきた大男に集まる。……一緒にいる卓哉もいたたまれない気持ちになる。
「………………おりれ。」
どがっ。灰谷の尻を蹴飛ばして追い出す。……ブザーも鳴り止む。やはりか。
「……ひ、酷い……。」
「……うっさい。やせれ。でぶのくせに。」
ポチ………ガコン。そんな非難も気にせず、開閉ボタンを押しドアを閉める。
……エレベータが降りていく。
途中の階に止まるが、もちろん1階に向かう生徒達でエレベータは満員で乗る事など出来ない。
止まる階止まる階、そこで待っていた生徒達に残念そうな顔を向けられるが、どうしようもない。
1階に着き、わらわらと本舎に向けて人が降りていく。
卓哉もその人ごみに紛れる。……やはり目立つのか視線が痛いが。
教室に入るともう、殆どの生徒が席についていた。
「おはよー。」
「おはよう。」
適当に挨拶を交わしながら鞄を掛けて席に着く。……そしてもはや習慣になった机の中の確認。
ごそごそ……机の中をまさぐるとやはり今日もあった手紙の束。今日は五通……。
中身も見ずにまとめて握り潰し、教室後ろ出口に置いてあるくずかごに座ったまま投げ込む。
ひゅー……ぽこん。ほうふつせんを描いて見事に入った紙のボール。
これって何時になったら止むんだろう……。ふぅ……とため息を吐いて机に突っ伏す。
……しばらくすると灰谷が軽く息を切らしながら入ってくる。
「ふぅ……。」
やれやれとくたびれた感じで隣りの席に着く。
「……ふん、お前のおかげで恥かいたではないか。」
ゲシ。卓哉が椅子を蹴って先程のことを非難する。
「…う、ゴメン……。」
と苦笑いをしてかえしてくる灰谷。
「お前だけ朝は窓から跳び降りて通学すれ。」
ゲシ。
「……もっと体に優しい通学方法はないの?」
キーンコーンカーンコーン……。
悪態をついているうちにチャイムの音が響き、程なく先生が入ってくる。
それで教室内の空気が引き締まる。そして簡単な朝の挨拶の後、授業開始。
教科書やノートを広げる音がバラバラと教室内に響き渡る。
さて、終わるまで頑張るかな………。
窓から射し込む土曜の清々しい日光を浴びながら早くもウトウトしつつ
頬杖を突いてダルそうに授業を受ける卓哉であった。

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