だだっぴろいダイニングで、たった一人の朝食。
父親はとうに出勤している。そもそも家に帰ってたかさえ怪しい。
母親は仏壇の遺影の中だ。
テーブルの上には、家政婦がつくってくれたサラダがのってる。
野菜は嫌いだからサラダには手をつけることはない。それでも毎朝サラダは食卓に載ってる。カイトの父親に指示されたことを家政婦がひたすら機械的に実行してるからだ。
カイトはあくびをしながらトーストを口に運んだ。
何の味もしない。
何の匂いも。
全ての感覚が曖昧になって……
夢は、そこで途切れた。
目を開けると、そこは薄暗い旧校舎の教室だった。
壁の時計は壊れていて針が止まったままだ。ただ、窓を塞いだ板の隙間からわずかな光が射し込んでいるので、朝になったとわかる。
もぞもぞと動いてマットレスの上に身を起こした。
そうっと胸に触ってみる。
ボリュームのある胸は、いまのカイトの性別を否応なく思い知らせてくれる。身じろぎしただけで胸が波打つように「ぷるん」と揺れた。同時に、昨日の悪夢が甦ってくる……
プラスチックの張り型を突っ込まれ、手下に過ぎなかったはずの同級生たちによってたかって体をおもちゃにされた。
股間には、いまだに棒きれでも突っ込まれてるような異物感が残ってる。そこを手で探ると、決定的な喪失を再確認させられた。
心細さのあまりぎゅっと手を握りしめた。
「オレはこのまま、あいつらの奴隷にされちまうのか……?」
震える少女の声でそうつぶやいた。
「くそ、あの変態野郎の思い通りになってたまるか。絶対にあの野郎をぶちのめして、元の体に戻ってやるんだ」
そうやって虚勢で自分を支えないと、本当の女みたいに泣き出してしまいそうだった。
ふと見ると、窓のガラスにしわだらけになったワイシャツをはおっただけの美少女の姿があった。それが、いまのカイトの姿なのだ。
首には支配されるものの証である首輪が巻かれている。
そのとき初めて首輪から鎖が伸びてるのに気づいた。
それに触れると、ジャラと音がした。
それほど太くはないが、頑丈そうな鎖だ。少なくとも少女の腕力でどうこうなる代物ではない。その鎖の先は、床に埋め込まれた金具に取り付けられていた。鎖の長さは2メートルほど。つまり、その半径2メートルだけがカイトに与えられた自由だった。
「人をなんだと思ってやがる!」
カイトは力まかせに鎖を引っ張ったが、びくともしない。手が痛くなるだけだった。
大型のペンチでもあれば鎖を切り離すこともできるだろうが、周りにあるのは使い古された机と椅子くらいだ。
あきらめて手を離すと金属の鎖が胸のふくらみにこすれた。たったそれだけの刺激でゾクリと背筋が震えた。
もう一度窓ガラスに目をやる。
そこには、乱れたシャツを着て鎖につながれ、息を弾ませてる少女の姿が映ってる。ひどくエロティックな姿だった。
「これが……オレ、なのか?」
そのままペタリとマットレスの上に腰を落とした。
シャツ越しに胸を掴むと、男の体では感じたこともない奇妙な快感が生まれた。
「はぁぁぁ……」
意図せず、切なげなため息がもれていた。
ガラスに映った美少女の姿が、カイトを興奮させていた。
やわやわと胸のふくらみをこねくり回す。それは、ガラスの中の少女に対する行為だった。自分でなく、ここに誰か知らない少女がいる。その少女の肉体を弄んでる。……そう思いこもうとする、無意識的な現実逃避のあらわれだった。
「すげぇ、やわらかい……」
思いあまって胸を鷲掴みにすると、甘く痺れるような感覚と、それを上回る鋭い痛みが走った。
「いたっっ!」
思わず小さな悲鳴をあげていた。
カイトの大好きな、嗜虐心をそそるか弱い少女の悲鳴だった。そのくせそれは、カイト自身の喉から出ているのである。
(どうした、もっと鳴いてみろよ!)
カイトは両掌に左右の乳房をおさめ、乱暴にこね回す。
「あっ、あっ、アン!」
自分の口から出てる吐息混じりの嬌声をカイトは、想像の中の少女の声として聞いていた。見知らぬ少女を嬲る空想の中にいる限り、現実から目を逸らしていることができる。
そうやって刺激しているうち、掌に固い先端がツンと当たるようになった。
(乳首が立ってきたのか。いやらしい体だぜ。そんなに気持ちいいのかよ?)
固くしこってきた乳首をつまみ上げると、あまりにも強すぎる甘い疼きが襲ってきた。刺激が強すぎて、ほとんど痛覚と変わらない。
「アアアッ、いたァ!」
息を乱した少女の悲鳴。
(たまんねぇ……)
下腹部で、剛直の持ち上がるような気配があった。
(犯す! 犯してやる!)
カイトは帆柱のように持ち上がったペニスを握ろうと手を股間にやった。
「あ……」
カイトの空想の世界はそこで終わりを告げた。
固く勃起してるはずのペニスは、そこに存在していなかった。
モノが怒張する感覚を確かに感じていた。けれどそれは、仮想の感覚に過ぎなかった。
事故で手足を切断したものが存在しない部位の痛みをリアルに味わってしまう「幻肢」と同じ現象である。
いまカイトは、存在しないペニスの疼きをリアルに感じていた。そのくせ、それを掴もうとしても手は虚空を泳ぐだけなのだ。
「あああ……!」
雌の肉体にペニスを突き立て、張り詰めた欲望をぶちまけたい。それなのに肝心のモノを見失って、カイトは焦燥感に喘いだ。
そのとき指先が濡れた部位に触れた。
そこは熱く、潤っていた。
ぴちゃ、と淫猥な水音が聞こえたような気がした。
そしてカイトは理解した。……理解せざるを得なかった。熱い疼きを感じてるのは「そこ」なのだと。その部分の疼きが空想の中でペニスの感覚に変換されていたのだ。
目眩がするほどの喪失感。
けれど、股間の疼きは消えない。男の脳は、早く射精しろとカイトに命じてくる。少女の肉体では物理的に実行不可能な命令だ。
どうしようもなくって、ただむなしく腰をくねらせるしかなかった。その動きはカイト自身を挑発するみたいに卑猥な動きに見えた。
(くそぉ、なんでちん●が無いんだ……あああっ苦しい……)
せっぱつまって腿に力を入れたとき、奇妙な快感が生まれた。
ぴくんっ!
電気が走ったように一瞬、体が痙攣した。
両腿に力を入れて、無いはずのペニスを挟むようにする。すると、股間の濡れたところがわずかに圧迫さ、甘い快感が生まれる。
ペニスから生まれる強くてハッキリとした快感とは少し違う。モヤモヤとした全身に広がるような快感だ。それでも、なにがしかの解放感を伴っている。
「ああ……はぁっ、はぁっ……」
カイトは必死に、その快感にしがみついた。
頭の中は、限界まで張り詰めた欲望を放出することで一杯だった。
自身では意識しないまま、カイトは一生懸命両脚をすり合わせていた。
その姿は未熟な少女の自慰そのものである。
「あっ、ふうっ……」
自然と息も荒くなっている。
男の肉体と違い、股間に生じた快感は爆発的に上昇してはくれない。じらすような快感がゆっくりと脊髄を染め上げ、やがて脳に達した。頭の中が桃色の靄に覆われる。
ゆっくりと快感が全身に染み渡り、そして高ぶりが頂点に達した。
頭の中が白く洗われる……
生まれて初めて味わうソフトなエクスタシーを、カイトはそう感じていた。
ムラタたちにいたぶられたときの苦痛にも似た追い詰められるような絶頂感とは別物だった。もっと温かな、もっと……安らぎを伴った感覚だった。
「はぁぁ……」
ゆっくりと息を吐き出すと、力尽きるようにマットレスに横たわった。それでも不思議と、男の自慰につきまとうような脱力感とは無縁だった。全身がほてって、快感の残り火が頭の芯でくすぶってる。
呼吸をするたびに胸が上下し、椀型のふくらみがそのたびに形を変える。そのふくらみの上に手を置くと、妙に心地が良かった。
「あれ? もう起きてたのか?」
男の声に、カイトはがばっと跳ね起きた。
その余波でジャララと鎖が鳴った。
「てめぇ……ヤマセ!」
「ハハ、おはようさん。しかし何度見ても信じらんねぇなぁ。こんな美少女の中身があのカイトさんだなんてよぉ」
「ブチ殺すぞ」
「そんな姿で鎖に繋がれながら凄んでも説得力ないっス」
「くっ……」
屈辱に震えるカイトの前でヤマセは何やら取り出した。パンとミルク、それに銀色の深皿。
「ほんとはカイトちゃんに朝の一発抜いて欲しいんだけどよ、先生の許可無くやるとまたぶっとばされちまう」
ヤマセは深皿にミルクを注ぐと、パンのビニール包装を開けた。
「何のつもりだ?」
「へへ、エサだよ。エサ」
「何ィ?」
「きのうから何も食ってなくって腹減ってんだろ。先生に命令されたんだよ、あんたにエサ運ぶようにって。ったく、生きたダッチワイフはメンテが大変だよな」
「だ、だ、誰がダッチワイフだ!」
「ハァ? あ・ん・た・がダッチワイフだけど……何か?」
ジャラジャラッ!
ヤマセが強く鎖をたぐりよせると、カイトは意志と関係なく引き寄せられた。
少年のゴツゴツした手がカイトの胸に伸び、荒々しくそこを掴んだ。
「い、いてぇっ!!」
乳房を絞られてカイトは悲鳴をあげた。自分でそこを掴んだときとは比較にならない激痛だった。
「イイカゲン自覚しなよ。あんたもう、うちのガッコの王様じゃねぇんだよ」
「うぐ……放せ……」
「あんたは漏れたちに惨めに犯されるだけの公衆便所になるんだよ。おわかり?」
もう一度カイトに悲鳴をあげさせてから、ようやくヤマセは手を離した。
胸をかばうようにして両腕を交差させたのは、無意識の動作だった。
「あ、カイトちゃん、もう涙目?」
「うるせー!」
どんな相手と喧嘩したときも感じたことのないような強い恐怖を感じる。いままでパシリに使ってたヤマセ相手にだ。そのことが自分で許せなくて、カイトは歯噛みした。
「とにかく痛い目見たくなかったら大人しくしてな」
ヤマセはパンをちぎっては深皿のミルクの中に落としていく。
食べ物の匂いに刺激されてカイトの腹がぐぅと鳴った。ヤマセがにやりと笑う。
「がっつくなって。エサの調理は終わったからよ」
反論しようとしたとき、ヤマセの手が伸びてきてカイトの手首を掴んだ。もう片方の手も掴まれ、両手首を背中側にもっていかれた。
「なにを……!」
「いいから、ててから」
ガチャリと、両手首に手錠がはめられた。
ヤマセが手を離したときには、もはやどんなに暴れても手錠を外すことはできなくなっていた。背中側で手錠をかけられていて、一切手が使えない。
そんな状態のカイトの前に、先ほどの「エサ」が差し出された。
「食ってよし!」
意地悪くニヤつきながらヤマセが言う。
「てめぇぇぇ!!」
怒りのまま、くってかかろうとするカイト。だが、首につけられた鎖がピンと張ってカイトを引き戻す。そしてバランスを崩したカイトは無様に床に転がってしまった。手が使えないため、起き上がるのも容易ではない。
じたばたともがくカイトの姿を見下ろして、ヤマセは腹をかかえて笑っていた。
「ほらカイトちゃん。愉快なことしてないで、さっさとメシ食っちまえよ」
「こんなモン、食えるか!」
「食わないなら、それでもいいんだぜ……」
ヤマセは銀の深皿を鎖の届く範囲の少しだけ外側に置いた。
「食わないんだろ?」
「…………」
ごくり、とカイトの喉が鳴った。
一度胃腸が目覚めてしまうと、空腹感は深刻だった。ヤマセの言う通り、昨日から何一つ口にしてないのだから、それも当たり前だ。
本校舎のほうでチャイムが鳴り響いた。朝の予鈴だ。
「おっと。早く戻らねぇと遅刻しちまわぁ。へへへ」
「待てよ……」
「じゃ、俺はこれで」
「待てっつってんだろ!」
「ん? まだ何かあンの?」
カイトは苦々しく舌打ちした。
ここで意地を張るより、とにかくメシを食って体力をつけておきたい。いざというときに腹ペコでは脱走もままならない。ここは我慢だ。カイトは自分に言い聞かせた。
「……わかった。そいつを食ってやる」
「んん? 聞こえないぜぇ」
「この野郎。だまってその皿、寄越しやがれゴルァ!」
ガシャン!
床に置いてあった皿をヤマセが蹴倒した。ミルクが床にこぼれて乳色の水溜まりができた。
「なんだその口のききかたは!」
「な……」
「アタシに食べさせてください、だろうが。ホラ、言ってみろ」
「……食べさせて……くだ……い……」
「ああん? 聞こえねえっつーの! アタシに食べさせてください、だろ!」
「あ、あ……アタシ」
カイトの中で大切な何かにヒビが入っていく。
「つづきは?」
「食べさせて、ください…………」
フン、とヤマセは小馬鹿にしたように頷いた。
「そういうことなら…………そこにこぼれたモン、勝手に食いな。ギャハ!」
「そんな……もう一度皿に……」
「甘ったれるんじゃねーよ。俺だって忙しいんだ。それとも、雑巾にしみこませて飲ませてやろうか?」
「ううっ…………くそぉ…………」
怒りと屈辱に震えながら、カイトは床に顔を近づけた。
手を戒められていては、こぼれたミルクを手ですくって飲むことすらできない。
舌をつきだしてミルクを舐めるしか方法はなかった。
ポロポロと大粒の涙が頬を滑り落ちて初めて、カイトは自分が泣いていることを知った。涙なんて流したのは、記憶にある限り初めてだった。
ぺろ……
一度舌を這わせると、あとは舌が勝手に動いた。
ぴちゃっ、ぴちゃっと獣じみた食事の音がする。
その様子をヤマセがハンディカムで撮影していた。
途中で撮影されてることに気づいたカイトだったが、それをやめさせようと無駄な努力を重ねることはしなかった。
(野郎……いまに見てろ。俺は絶対お前らに復讐してやるからな!)
内心の煮えくりかえる思いを押し殺し、カイトはひたすら犬のような食事を続けた。
やがて本鈴がなるころにはヤマセの姿もなくなっていた。