RED EYES2

『今から君を女にするよ』
ぼやけた視界。何処にいるのか理解できない。
聞こえてきた声も、何処かフィルターが掛かったような声・・・変声機を通したような音であった。
『実験の一環でね。君にはあまりメリットはないけど・・・まあ、その内わかるよ』
安心させようとしている様子はない。寧ろ焦りを生み出すような口調。
それは、自分に感情を見出だすためのものか・・・と思う。
(この男はいつもそうだ)
無意識に思った言葉に男、というのがあった。それはつまり、この見えない視界の中で、正体不明の声の正体を暴いたということか。
否、そうではなかった。この光景を、既に知ってしたのだ。言わば記憶の再放送。
『じゃあ、暫くお休み“RED EYES”。君が目覚めた時、どんな顔をするのか楽しみだよ──』
“男”の言葉とは裏腹に、世界に光が走る。眠ると言うよりは、今正に目覚めようとする朝の光───

「・・・・・・」
目が覚めたのは、丁度目の所にカーテンの隙間から差し込まれる光の所為であった。
時間は、6時半を回った辺り。いつもより多少早い目覚めである。
「・・・夢、か」
夢など、何年振りに見たか。感情のない自分に、整理すべきものがあったのか。
ぽつりと呟いた後、“紅眼”は寝起きとは思えないはっきりとした動作でベッドから起き上がった。冬の寒い空気が部屋に満ちているのにも関わらず、彼女はその身に一糸も纏ってはいない。病的に
まで白い肌を晒し、しかし何も感じない女、それが“紅眼”であった。
男の時もそう変わらない。彼に・彼女にとって、性別というものは関心の対象ではなかった。寧ろ自分そのものに大して興味がなかった。性別然り、感情も、命ですらも。
何の躊躇いもなくカーテンを開く。その美しい裸身を外に曝けながら窓も開く。冬でしか味わえない突き刺さるような寒さが入り込んできて、より一層“紅眼”の肌に切り掛かる。
そこは高かった。マンションの一室、最近流行の超高層型マンションの最上階二十五階。そこに彼女はいた。
その官能的よりは寧ろ神秘的な姿を隠す事も暖をとる事も考えず、ただ呆然と霧の掛かる町を見下ろす“紅眼”。果たして何を考えているのか。それとも、何も考えていないのか。
あの男との出会いから一週間。ようやく、今日から任務につける。

株式会社オーフェンス。始まりは従業員たった四人の小さな工業会社だったが、長い年月をかけて次第に成長、現在では精密機械生産量の三十五パーセントのシェアを誇る大企業と化した。
そんな小さな企業を一から作り上げた偉大な社長、大林金末家の五代目が権蔵である。黒いスーツが良く似合う美しい容姿、腕っ節のよさ、得意会社との対応、社員への気配り等、その姿は何処から見ても恥ずかしくないものであり、初代社長の再来とまで言われている。
そんな社長の下に優秀な部下が集まってくるのは当然といえるし、また恨みを買うのも当然であった。
だが、本当に殺しをしているかどうか・・・と考えれば、それは大部分の人間がNOと答えるだろう。
「あの社長がそんな事してるわけが無い」
「大体、殺すなんてそんな簡単にできる筈がない」
一般的な見解はそんなものだろう。だが、事実はどうか・・・それを確かめるために、彼女はここにいた。
「橘静香です。本日より社長秘書として働かせて頂きます」
それは、あくまで義務的───深々と頭を下げて挨拶する中に抜け落ちたような要素は一切見当たらないが、それでもそれはただの芝居のようであった。
グレーのスーツを身に纏い、赤いリボンを胸に咲かせ、膝上の短いスカート穿いたその女性の瞳は・・・赤。
“紅眼”であった。
ある程度の情報は“裏”から取れたが、やはり裏づけはない。そこで取る手段とすれば、直接その証拠を掴む事。
「橘君・・・ね」
ちらちらと資料と本人の照合をして、権蔵は笑った。片頬を吊り上げて笑う、ニヒルな笑み。嫌な感じは受けない。
「ようこそ我が社へ。歓迎するよ。君の仕事に期待している」
「はい。それでは、失礼します」
再び一礼をする“紅眼”‐便宜上、これからは静香と書く‐。まるで元々女性であるかのような仕草。無駄も隙も違和感も無い。
静香は秘書室に戻った。社長室へは秘書室を通さなければ行けない図式になっているため、すぐ隣の部屋に移動しただけだが。
扉が閉まるのを確認して、権蔵は仕事に取り掛かる。新しく入ってきた秘書に、多大な不信と不安を覚えながら。

彼女の、静香の仕事っぷりは大したものであった。初めてとは思えない情報処理やスケジュール組みの完璧さは、先輩秘書達が下を巻く程であった。
(ひょっとして、何処かのスパイかしら)
(ありえるわね、あの社長を僻んでる会社なんて数知れずだものね)
そんな噂が耳に届くのに、そう時間は掛からなかった。だが、それもその筈であった。求人広告等必要ないし新入社員が来る季節でもない、その現れ方はまるで影のよう。
だが、仕事の失敗は無いし、寧ろ会社のプラスになっている事から、先輩達は噂で止めてあるのだ。
勿論、静香本人にそんなものは関係無いが。
「社長、お茶をお持ち致しました」
相変わらずの無感情な声が部屋に響く。権蔵は黙々と資料にサインやら何やらをしているところであった。
「有難う、そこに置いておいてくれ」
「はい」
社長の机の隅に茶の入った湯飲みを置き、くるりと振り向いた瞬間。
「橘君」
突然、権蔵が静香を呼び止めた。
「はい」
返すは、やはり無表情。
「今晩、空いているかね?」
「──ええ。この後の社長のスケジュールは特に」
「ああ、いや、私のじゃない、君のだよ」
「私の?」
静香の言葉に苦笑を交えながら権蔵は言った。何処までも仕事に忠実な分、何処か抜け落ちているような感じを持っている女、そんな認識だろうか。
「何故そのような事をお聞きになられるので?」
「入社して一週間でここまで成績を上げた君に対して、何か労いでもしてあげようと思ってね」
権蔵は立ち上がり、静香の方を向いた。その頬にはあのニヒルな笑みが浮んでいる。
「今晩、何の予定も無かったら、夕飯でも一緒にどうだい?」
「お断りします」
誘い掛けたところを、一瞬で斬り返された。
「私などと一緒に食事をしたところで、何の面白味もありません。他の、それを楽しみにしている女性をお口説きになられてはいかがでしょうか」
その現状をてきぱきと報告する姿は、正に“紅眼”のものであった。だが、そんな静香を権蔵は遠慮しているととったようだ。
「いや、これは社長命令だよ。一緒に食事してもらうよ?君にはこれ位言わないと無駄みたいだからね」
苦笑混じりに言う社長。何故自分にそうこだわるのか──可能性を瞬時に考えだし、幾つかの結論は出た。
「──わかりました。お供させていただきます」
「ありがとう。それじゃあ、仕事終わったら声をかけるから」
「はい」
小さく頷いて、静香は退室した。その背中を見届けた後、権蔵は机に備え付けられている電話の受話器をとった。
「ああ、俺だ・・・橘静香に関する資料、今集まったのでいいから持ってきてくれ。勿論、裏からな」

超高級、とはこういうホテルの事を言うのだろう。
一流調理人が腕を揮い生み出した芸術作品が次々と・・・とまではいかないが運ばれてくる。そのどれもがそれまでの味覚を狂わせる程の味である。一般人ならまさに「ほっぺが落ちる」だろう。
だが、そんな食事を口にしていても、静香の口からは「美味しい」の一言も出ない。当然と言えば当然か。
「そう言えば、聞いてなかったね」
二人用の机に、静香の向かい側に座っていた権蔵が手を止めた。続けて静香も。
「何がですか?」
「君の事。履歴書だけだと、良い家庭と環境に恵まれているようだね」
──一流私立小学校からエレヴェーター式で上がり、一流の大学を卒業後、大手金融会社に就職、僅か半年で昇格。しかし、何を思ったか突然退社、今に至る。
確かにこれは静香がでっちあげた履歴ではあるが、その気になればその程度の実力は発揮できる。
それを、今この会社で証明している。
「私の過去を聞いて、如何なさるおつもりですか?」
「何もそんなに構えないでくれ。ここはプライヴェートなんだから」
静香の反応に思わず苦笑いする社長。このテのタイプの人間でも苦にしないらしい。世渡りが上手い証拠だ。
「プライヴェートでもプライバシーはあります。むやみやたらに聞くのは失礼かと存じますが」
「成程。その通りだ。──ああ、君、ワインを持ってきてくれたまえ。赤で、ここの一番の奴を」
通りかかったウェイターに声を掛けて、権蔵は再び静香を見た。
長く艶のある黒髪。服装はグレーを基調としたスーツ。服の上からでもよくわかる二つの膨らみ。
反対に、華奢とも言っていい程細い体。形のよい朱唇。きりっと整えられた眉。吊り気味の目。
・・・紅い瞳。
「・・・綺麗だね・・・」
ぽつり、と呟く。今まで便宜上仕方なく言った事も少なくないこの言葉を、権蔵は素直に口にした。だが。
「有難う御座います。──ですが、私はそのような事を言われても喜ぶような者ではありません」
相変わらず、誤解を招くような言い方で跳ね返す静香。否、跳ね返している訳ではなく、ただ事実を言っているだけなのだが。
「クールだね」
肩を竦め、苦笑する権蔵。感情を持たない静香相手に、とうとうギブアップか。
「お待たせいたしました。当ホテルでの最高級赤ワイン──」
二人の間に現れたソムリエが、長々とワインの説明をしていく。歴史ある赤ワインらしく、その値段は時価にして50万は軽いそうだ。
(こんな道化の為に金を費やす者がいるのだな・・・無駄な事を)
静香はそんな事を思いつつ、また別の思考を巡らせる。
人間は死んだら朽ちるだけ。死ぬまでが人生なら、その刹那の時間を好きなだけ楽しめればいい──
(私には関係の無い話だ)
そう最後に付け加えた。全く持ってその通りだった。
「じゃ、頂こうか」
権蔵は静香の空いたグラスにワインを注いでいく。その色は多少の違いがあれど、彼女の瞳の色と同じであった。
「月並みだけど・・・君の瞳に乾杯」
こんな場所、こんな空間でこんな事を言える権蔵。これも彼の魅力の一つであった。勿論、静香には届く筈もないが。

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