13

 深い闇が広がる世界に光が差し、令の意識は自然とその光に包み込まれる。
 眼前の光景が闇から光、そしてその光が収まるにつれ少しずつ形あるものが現れた。
 見覚えのある天井、そして窓から入る夕日。微かに聞える街の喧騒。
 令はようやく自身がベットの上で寝ている状態である事を理解する。
「気が……ついた?」
 声がする。力入らぬ体で何とか首だけを横に向けると、そこには不安げに令を覗きこむ瑞稀の姿があった。
「杉島さん……?」
 令の発した声に彼女は安堵の笑みを浮かべる。見るとその瞳には微かに涙を溜めていた。
 令はゆっくりと体を起こして、静かにあたりを見まわす。
 そこは学校の保健室だった。過去に一度貧血でお世話になったので見覚えがある。
 自分が今ここに寝かされていた状況と、意識が無くなる前の状況……双方を思い返し、
 令はようやく自身が今いる理由を把握した。
「つまり……溺れて意識を失っていたんだよね。」
「うん、そう…だけど……その……」
 瑞稀は何かを言いよどむように顔を歪める。その瞳に溜めていた涙がつっと頬を伝った。
 そしてその感情を爆発させるように、頭を下げて声を高く張り上げた。
「…ごめんなさい!! ちょっと悪戯のつもりだけだったのに、あんな事に……私、私……」
 俯き、涙を流して嗚咽する瑞稀。それは事が意図的に行われたという懺悔、
 あの奇妙にサイズの小さい水着を令に着せたのは、やはりわざとだったのだ。
 しかし目の前で泣き、謝罪する瑞稀を見てしまうと令はとてもその事を責める気にはなれなかった。
 結局瑞稀が落ち付くのを待ってから令は着替えを済ませ、二人揃って保健室を後にする。
 外はもう日が傾きかけようがという時刻になっていた。
「三木原さん……その……」
「えっと…何?」
「私の家に寄っていかない? その……謝罪の意味も含めて、なんだけど。」
 罰が悪そうな顔で瑞稀は令の顔を見ている。その瞳は何故か、令に懇願しているように見えた。
「その……いいの?」
 思わず令は今の自分の状況を忘れて聞き返してしまう。なにしろ相手はあの瑞稀だ。
 その家に招待されるなど男の時なら浮かれて舞い上がってしまっただろう。
 無論その後は嫉妬に狂ったクラスメイトにボコボコにされるのだろうが……。
 しかし今は女の友人同士である。やましい事など何もないし、そんな心配も皆無だった。
 令が了承すると、瑞稀は嬉しそうに頷いて歩き出した。

「あ、ついでだから飲み物でも買っていこうか。」
 彼女の家まであと少しという所にあるコンビニの前で、瑞稀は財布を覗きながら呟いた。
「三木原さん、買ってすぐ行くから先に歩いててちょうだい。すぐ済ませるから。」
「あ、お金私も出そうか?」
「いいってば、謝罪だって言ったでしょ? すぐ行くから歩いてて!」
 令の提案を断り、瑞稀の姿はコンビニの自動ドアの向こうに消えて行った。
 仕方なく令は言われた通りに歩きはじめる。彼女の家は近くなのは当然迷う事もない。
 そもそも瑞稀の家はここからそれほど距離が離れているわけではないのを令は知っていた。
 というのも昔一度だけ出向いた事があったからだ。
 まだ令が二年生だった頃、風邪を引いた彼女の家に宿題のプリントを届けた事があった。
 当時はただクラス委員だったが故にその役回りが来ただけの事だったのに、
 彼女の家に行ったという点だけで随分とクラスの男子に羨ましがられたものだ。
 さすがにボコボコにはされなかったが……。
 通りを少しばかり歩き、10メートル程先の交差点を左に曲がるとすぐに彼女の家が見えてきた。
 正直、もう一度ここを訪れる事などありえないと令は思っていた。
 −これで男のままだったら、最高だったんだけどな……−
 それはほんの僅かの歯車の違い。それ故に悔しいのに、それ故に訪れた幸運。
 嬉しいのか悲しいのか、令の心境は自分でも理解できないほど複雑だった。
 自分で意識した事は無かったが、今考えれば令は多分昔から瑞稀に思う部分もあったのだろう。
 しかし傍から見ても自分と彼女は似合わない……そんな劣等感あったから、そして彼女が自分を
 見てくれるなど有り得ないから、おそらくそれを選択肢としてすら考えなかっただけである。
 後ろから瑞稀の声が聞え、令はもうそれを考えるのを止めた。
 暗い顔を見せたくなかったから。これは有り得ない状況が生んだ幸運なのだから。
 振り向くと、彼女がジュースをかかえて走ってくるのが見えた。
「ごめんね遅くなって。あ、ここが私の家よ。入って入って!」
 瑞稀に手を引かれて令は玄関につれられる。そしてそのまま彼女の部屋まで案内された。

 その部屋は主の性格をそのまま現したかのように、きちんと整理整頓がなされた綺麗な部屋だった。
 いささか堅苦しくも思えたが、窓辺のヌイグルミなんかがきちんと部屋の主が女性である事を語っている。
 −多分……クラスの男子で彼女の部屋に入ったのって僕が始めてじゃないか?−
 漠然と令の心に奇妙な優越感のようなものが浮かぶ。
 しかしそれは、女の体というイレギュラーの産物であって正当な手段で得た権利ではなかった。
 二人は床のクッションの上に向かい合うように座る。先ほどのジュースを手渡され、
 令が栓を開けて口を付けた。が……ふと、瑞稀がこちらをじっと見ている事に気が付いた。
「瑞稀さん?」
「あ……あ、なんでもないよ! ちょっとね……」
 何か水着の時と同じような反応。こうして見ると多分に彼女は嘘をつくのが下手なようだ。
 さすがに2度目は……と思い令が問いただそうとすると、先に瑞稀の方から口を開いた。
「その……ちょっと話しがあってさ。いい?」
 何故か瑞稀はどこか照れているような仕草で令を見ていた。
 居心地が悪いようにジュースの缶を手でもてあそぶ。とは言え令にも”麗”にも断る理由もない。
「いいけど、何?」
「あ、あのね……三木原さん、その……三木原さんは従兄弟の令君の事は……どこまで知ってる?」
「……へ?」
 突然上目遣いに瑞稀が質問を投げかけてきた。不安と期待……そんな顔だ。
 しかし来るなり突然”令”の事についての問いである。その意図が読み取れない。
「どこまでって……その、どういう事?」
「あのね……その、あの、例えば好きな料理とか、好みの音楽とか……」
 段々声が小さくなってゆき、微かに令から目を逸らす。その顔が少し赤くなる。
「あと、その………好きな……人とか。」
「……!!」
 その態度、その言葉に令の心臓が爆発した。令も別段朴念仁という訳ではない。
 まだ多少の不確定要素はあれど、その意図する意味は多分間違いなかった。
 しかし令はそれを素直に信じられなかった。なにしろあの杉島瑞稀が……である。
 勉学は人並み、運動神経も良い方でもなく、ルックスだって悪くはないが男として格好いいとは言えず、
 そんな自分をなどと、到底思えなかったからだ。しかし瑞稀の態度は……
「み、瑞稀さん? それって……その……」
「うん……ずっとね、好きだったの……。」
 衝撃の告白だった。信じられないという言葉が頭の中で右往左往する。動悸が一気に高まる。
 そして思わず”僕も……”という言葉が口に出かけ、令は慌ててその言葉を飲み込んだ。
 なんという幸運と不幸の交差。そう、今の令は”麗”であって彼女の言う令ではないのである。
 令としての思考を強引に押しこみ、令は麗としての存在を演じ続けるしかなかった。
「そう……なんだ。でも、どうして?」
「令君ね、すごく……そばにいるだけで暖かいんだ…。」
 頬が染まったその顔で自身の事を言われ、令はどきりとする。なにか夢の中にいるような気分だった。
「優しいしね。他の男子と違って令君は私の事も特別扱いしないでくれるのが嬉しいの。
 おべっか使ったり、変に距離を置いたり、私に対してそういう態度取る人も多いんだ。」
 彼女の言う事はなんとなく令にも理解できた。確かに彼女は優秀すぎる部分がある。
 成績優秀、クラスのまとめ役、そんな存在の裏で逆に対等の者がいない孤独があったのかもしれない。
「でもね、令君は真っ直ぐ私と向き合ってくれるんだ。すぐに惹かれた……告白したかった。
 でも私、案外そういう事に度胸が無かったんだ。」
 令にはもう瑞稀の言葉が半分も耳に入らなかった。必死に動悸を悟られないように我慢し、
 落ち付くためにジュースに口を付ける。そしてそのまま瑞稀の方を見た。
「皮肉だよね。令君が女の子になってから、ようやく言えるなんて。」
 いきなりむせた。寸出のところで吐き出すのを抑える。
 笑顔で語りかけてきた相手がいきなり喉元にナイフを突き刺してきた。そんな衝撃だった。
「な……な! すす杉島さん、どど、どうしてわかったの!!?」
「……やっぱり令君なの? 体まで全部女の子だったけど、やっぱり令君なの!?」
 が、慌てた令の言葉に反応した瑞稀の態度は驚きと半信半疑の視線。
 その時になって令は自身の迂闊さにようやく気がついた。最後の言葉は核心ではなく誘導尋問だったのだ。
 しかも慌てた言葉で自身からそれを証明してしまった。それをとぼけてしまえば、
 話は多分終っていたはずなのに……令の心に絶望が広がる。
「その……あの……でも、でもどうして!? なんで僕だって……」
 見ると事を引っ掛けた瑞稀自身、信じられないという目で令を見ていた。
 しかしそれを問いかける以上、半ば覚悟はできていたのだろう。静かに顔が落ち付きを取り戻す。
「更衣室で着替えた時の事、覚えてる?」
「更衣室でって……あの水着の事?」
「あれについては本当に私の悪戯、それについては弁明はしないわ。やろうと思った動機の一つがその疑惑だった
 という事は確かだけど……そうじゃなくて、その時言った言葉よ。」
 言葉? 問われて思い返すが、あの時の令は半ば回りの光景の刺激を視界に入れない事に必死で、
 正直どのような会話を交わしたか覚えてはいなかった。
「私に……子供の頃から水泳をやってたって言ったわよね。転校早々にそれを知ってる事自体も変だけど、
 そもそもその話、クラスじゃ私令君以外にした事ないのよ。」
「……!!」
「でもそれだけじゃ”麗さん”が”令君”に聞いたという可能性もあったけど……さっきジュース買った時に
 先に行ってもらったでしょう? 私の家を知らないはずの麗さんは迷う事なく大通りの交差点を家の方に曲がったわ。」
「……!!!」
「そしてさっきジュースを開ける時、プルタブを中指で開けてたわよね。それって令君のクセだもの。」
 次々と上がる”迂闊な行動”。しかも当の令には、指摘されるまでまるで意識していなかった事ばかりだ。
 つくづく自分の間抜けさを呪いたくなる。しかし瑞稀がそこまで令の事を見ていたなどいう事自体が予想外の事で、
 正直これはどうしようもなかったのかもしれないと思う。
 しかし事態はいよいよ最悪の状態になった。身内でないクラスメイトにまで事がバレてしまったのである。
 ましてや今日令は女の子として更衣室に入るなど、ある種弁明の余地もない行動まで取っているのだ。
「令君……どうしてこんな事に?」
 彼女の目が真っ直ぐ令を見据える。令はそれが自身を責めているように見えた。心が一気に絞めつけられる。
 謝罪や言い訳を待っているのか、それとも令に怒鳴り散らしたいのか、瑞稀の意図は理解できない。
 しかし令は今までの人生においてこれほど空気が重い沈黙を味わった事がなかった。
 絶望と悲壮に心が塗り潰され、令の心が悲しさで錯乱する。もう逃げるしかなかった。
「ご、ごめん!!」
 思わず出そうになった涙を堪えて謝罪の言葉とともに立ち上がり、
 そのまま部屋から駆け出そうとするが……その手を瑞稀に掴まれた。
「待って!! 行っちゃ駄目!!」
 叫ぶ彼女を無理矢理振り切ろうと力を込める令、しかしその声に微かな悲しみを感じた時、
 令はゆっくりと彼女の方を振り返った。
「……いいよ、話したくない事なら話さなくていいから!! だから……!!」
 両手で令の腕にすがり付き、瑞稀は令を引きとめる。その目は令を責めてはいなかった。
 まるで捨てられた子犬のような目。自分を捨てないでという懇願の目だった。
「お願い待って……ずるいよ令君。私、まだ令君の気持ち、聞いてない……」
 言われて令は、先ほど告白された事実を思い出す。そうなのだ……彼女は麗が令と知っていて、
 その上で言葉を口にしていたのだ。指摘され、改めてその事に気が付いた令だった。しかし……
「だって、僕は今女の子なんだ……。杉島さんを好きになる資格なんて……」
「そんなの知らない! 令君の、令君の気持ちは……どうなの?」
 言葉を遮られ、問われる。とりあえず身体の問題を否定された状態。当然だが令の答えは一つしかなかった。
 しかし突然心臓が高鳴る。それを令が口にしようとした瞬間、体にすごいプレッシャーがかかった。
 告白とはかくも神経が磨り減るものかと令は焦る。しかしそれに負けるわけにはいかない。
「……き。」
「え………?」
「僕も…………好きだ。」
 搾り出すようになんとか出した令の言葉に、瑞稀の頬に一筋の涙が落ちる。
 そしてそのまま、全身で令を抱きしめた。突然の抱擁に驚いた令だったが、ゆっくりとその肩を抱きとめる。
「令…くん……」
 瑞稀がゆっくりとその目を閉じた。なんの合図であるかは言うまでもない。
 令はゆっくりとその唇を彼女の唇に重ねた。

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