23

「藤枝さん、着替えの手配を急いで――」
「はい、3分で済ませます」
 千鶴が素早く部屋を出て行く。心の前でとろけていた人と、同一人物とは思えない。
 秘書としての彼女はとても優秀らしい。
「申し訳ありません。心がとんだ粗相を」
 心を抱きかかえ、恋はのほほんとした口調で謝罪する。
「まったく、悪戯っ子なんだから……」
 呆れている様子だが、愛の態度は普段と変わらない。
「いいえ……心ちゃんもお年頃ですもの。色々とあるはずです」
 はっきりいってこの場にいる誰も、事態の異常さなどまるで気にしている様子がない。
 ぽろぽろと涙をこぼしつつ、心は放心している。
 愛液にまみれてぐちゃぐちゃになった衣服は、とうの昔に脱がされている。シャワーを済ませて、その小さな身体はいま、大きなタオルに包まれている。タオルの下は患者用の院内服だ。
 恋の胸に抱かれて、時おり涙を拭いてもらっている。
 ぐったりしたまま動かない亜津子の『お花』に、腕を潜り込ませているところを発見されたあと、心は一度も口を開いていない。亜津子は精も根も尽き果て、どこかへと運ばれていった。
 彼女のアヌスには例のローターがねじ込まれ、尿道には愛液を集めていた管が挿入されていた。
 犯され、嬲り尽くされた彼女の顔は恍惚の笑みを浮かべ、涙と涎を垂れ流していた。
 そのうえ彼女は失禁までしていた。いや、させられていた。
 壊れてしまったかもしれない。
 しかし、亜津子の事を心配する人間は此処にはいない。それを為した心以外には……
 その心とて、いまこの時は彼女のことに、思いが及ぶことはないのだ。
 発見されたとき、表情の無い顔で涙を流し、笑いながら、心は亜津子を責め立てるのを止めなかった。
 見開かれた瞳の奥には冷たい何かが宿り、その姿は禍々しくも透明で、ドキリとするほど美しかった。
 じっさい千鶴などは、その姿に見とれてしまったくらいだ。
 最初の発見者である彼女に、その透明な瞳で一瞥をくれたのみで、尚も心は責め続けた。
 愛によって亜津子から、半ば無理矢理に引き離され、ようやく笑いが止まった。
 そのあと、恋に抱きかかえられた途端、本格的に泣き出した。まるで赤子のように。
 院内の施設を借りてシャワーを使うため、抱いて連れていかれる間も、シャワーの間も、ずっとずっとその涙は止まらなかった。
 何も事情を知らない者が見たら、心の方が『被害者』だと思ってしまっただろう。
 小さく華奢な身体で仔猫のように震え、頬を染めてぽろぽろと涙をこぼす。
 泣き声を誰にも聞かれたくないのだろう、声を洩らさぬよう懸命に我慢しているのが、余計に周囲の憐れな気持ちを誘う。
 ずいぶん落ち着いてきたとはいえ、心の瞳からはいまだ時おり、大粒の涙がこぼれる。
 心とじかに接する四人、恋と愛に玲那と千鶴は、もとより心には大甘な人たちだ。
 どうにか心の気分を変えさせ、泣き止まさせてやろうと、入れ替わり立ち代り世話を焼く。
 キスの雨を降らせ、抱き締めて頭を撫で、背中や手の甲を擦ってやり――まるっきり、親猫が生まれたての子猫をあつかうような感じだ。親猫の数が多すぎるが……
「ほーらほら、もういい加減泣くやめなって」
 涙を拭いてやりつつ、愛はやさしい口調で語りかける。コクリと頷くが、心の涙は止まらない。
 口を開かないのは、しゃべらないのでは無く、しゃべれないから……なのかもしれない。
 亜津子との事が原因で、心はかなり『戻って』しまっている。容易に言葉を紡げないほどの、幼いこころにまでなっていたとしても、不思議ではないくらいに。
「心ちゃんのお着替えと、昼食の準備が整いました」
 千鶴が大きなカートを押してくる。
「心、今日のお昼は先生といっしょだよ――嬉しいでしょ?」
「そうなの、ご相伴に預からさせて頂くことになったの……だから、もう泣かないで、ね?」
 ようやく、心は笑顔を見せる。
「せんせ……いっしょ」
 たどたどしく言葉を紡ぐ。
「心ちゃん、こっちに――食べさせてあげても、よろしいかしら?」
「でも、それでは先生が召し上がれませんわ」
「そうねえ……でしたら――」
 昼食は蕎麦だ。心の好物である。しかもわざわざ、心の馴染みの店から出前をとったものとみえる。
 もっとも今の心に、それが認識できているのか、甚だ疑問ではあるのだが。
 玲那は思いがけぬほど豪快に蕎麦を啜り、あっという間に五口ほどで平らげてしまった。
 あっけに取られて皆が見守るなか、蕎麦湯を飲み下す。
「――さあ、これでいいわ。心ちゃん、お昼をいただきましょうね?」
 心を抱きかかえると、蕎麦をほんの少し汁につけ、口へと運んでやる。ちゅるちゅると啜りこみ、咀嚼して飲み込む。こんな調子では蕎麦がのびてしまう。本来の心ならば大いに嘆くところだ。
「おいしい?」
「……おいし」
 頷いて、にっこりと笑う。すっかり涙も止まったようだ。蕎麦の量も心のために、無理をいってわざわざ少なくしてもらってあるらしい。普通の、いわゆる天ざる蕎麦だ。
 心の馴染みの店〈ろくごう〉の名物は田舎蕎麦。これは汁を大根下ろしの搾り汁でのばしてあり、とても辛い。心も好んで食べたものだが、いまの『心』にはとうてい食べられまい。
 何はともあれ、昼食は和やかに過ぎていく。
「お食事が済んだら、お着替えしましょうね?」
「うん」
 だいぶ機嫌の直った心は、嬉しそうに頷く。
 突如ドアがノックされる。
「あら? この時間には、誰もこないように――連絡したはずよね?」
「はい。もちろんです」
 千鶴は即答する。玲那は休憩中であり、しかも黒姫家の人間と昼食を共にしている。
 この病院で、その時間を邪魔するような者はいないはずなのだ。
「院長、入らさせてもらいます――」
 男性の声。すぐにドアが開き、現れたのは心も良く知る人物だ。
 田崎 康治。玲那の弟であり、現在、この病院の副院長を務めている。
 心は男だったとき、玲那とより、むしろ康治との方が付き合いが深かった。
 家庭教師をしてもらったこともあるのだ。面倒見の良い親戚のお兄さん、そんな感じだろう。
 玲那によく似た優しげな目元、すらりとした長身で、全体に知的な雰囲気を漂わせている。
 なによりその誠実な人柄は、医師として全幅の信頼を寄せるに足る人物であるといえよう。
 医師としての気概もなかなかのもので、あくまで己の実力と技量を追求し、単に親の跡を継ぐことを良しとはせず、外科医として一人立ちすることを目指していた。
 その修行のつもりで留学したアメリカにおいて、緊急救命医療の先進国を目の当たりにし、大きな感銘を受けて進路の転換を図った。
 帰国後は、大学病院の緊急救命センターで勤務を続けてきたのだが、激務に継ぐ激務で、とうとう自身の健康を害してしまい、復帰後に生家である田崎医院に戻ったというわけだ。
 最初から副院長のポストがあったわけではない。周りからの後押しでその役職についた。
 一度は医師として大きな挫折を味わった康治だが、このまま終るつもりはない。
 平たく言えば、玲那と康治は兄弟であると同時にライバルでもある、ということだ。
 ちなむと先代院長夫妻は存命で、院長の職は退いたものの、医師・研究者としてはいまだ現役である。
 この先どちらが田崎医院を背負っていくかは、先代の意向によるところが大きいだろう。
 今のところは玲那が、数歩先にリードしている。彼女自身が優秀な医師であり、研究者としてもかなりの業績を残してきたからだ。しかし、もっとも大きな要因は、彼女が心の主治医であるという、その一点に尽きる。
 この町で黒姫家の後押しを得るということは、そういうことなのだ――
 黒姫家が持つ影響力――それはある種の『力』によるもの――はこれまでずっと、町のさまざまな部分を裏側から動かしてきた。それはこれからも変わらないだろう。
 『それ』とは別のもう一つの力。経済力つまりは金の力、それ自体は大したものではなかった。
 心たちの曽祖父の代までで、かなり没落し、資産は縮小していた。それを祖父の監物が一代で、なかなかのレベルにまで回復・増大させ、そのままそれを父ではなく、母が継いで保持した。
 恋の代になって、たったの数年で、黒姫家の資産はこれまでにないほど膨れ上がってきている。
 彼女の投資資本家としての嗅覚は非常に優れている。祖父と恋の双方を知る者はほぼすべて、恋の手腕が祖父以上であることを認めている。
 彼女はいずれ、心に黒姫家を継がせるつもりで、自分はその時まで預かっているに過ぎない、そのように考えていたらしく、こと在る毎にそれを匂わせた。しかし、彼女によって保持され、増やされた資産はとうぜん彼女のもの。それに自分には姉のような才はない、そのことも分かっていたから、心はこのまま恋が、黒姫家を正式に継ぐべきだと考えていた。
 心もさすがに、今の資産が祖父の代のざっと数倍にまで及んでいるとは、知る由もない。
 もっとも、知ったところで、心の考えが変わるわけもない。
 彼はあくまで、己の力のみで生きていくつもりだったのだ。ゆくゆくは家を出て、黒姫家とはまったく関わりを絶ち、一人の男として、格闘家として身を立ててゆくつもりだった。
 それはすなわち、父を超えることに他ならないからだ――

「こんにちは、お久しぶりです」
 院長室に入ってきた康治は、さわやかな笑顔で挨拶をする。余計なことを言わない辺り、流石だ。
「お久ぶりです」
「どーも、お久しぶりです。彼女はできました?」
 愛はやはり、余計な一言をいう。
「いいえ。残念ながら」
 さらりと笑顔で返す。
 康治は玲那に抱かれた心に目を向けると、これまでより尚一層やさしげな笑みを浮かべる。
「こんにちは、心ちゃん。久しぶりだね」
「……こんにちは、康治せんせい……お久しぶり、です」
 玲那に優しく介抱され、甘えたおかげで落ち着いたのか、多少は本来の心に帰ってきている。
 少なくとも、康治を認識して挨拶を返せる程度にまではなっているようだ。
「どういうつもりです? 副院長、いまはお客様がみえていらっしゃるのですよ。
 しかも、お食事の最中です」
 玲那から静かな叱責の声が飛ぶ。それを受けて、真正面から視線を合わせると、康治の表情はにわかに真剣なものになる。
「その点についての非礼は、お許しいただきたい。ですが院長、いや、今はあえて姉さんと、そう呼ばさせてもらいます――あなたはまた、『あの事』に絡んで騒動を起こしましたね?
 少しは自重してもらいたいと、何度も申し上げたはずです」
 間違いなく、心が亜津子に対してしてのけたことを指して言っている。
 それにどうやら、康治は玲那の『趣味』に関して、知っているらしい。
 さすがに兄弟だということだろう。隠し通せるものでもない。
「そのことに関してなら、このあと説明します。康治、とりあえず今はお下がりなさい。
 あなたはレディに恥をかかせる気ですか?」
 いまの心の姿を指しているのだろう。心は下着も着けずに院内着をきて、タオルに包まれている。
 千鶴以外の職員を誰も部屋へ通さないのは、心の姿を晒さないようにするために他ならない。
 ましてや男などもっての他だろう、たとえ康治が、玲那の弟だろうが関係ない。
 それらをすべて察したらしい。
「分かりました。私も女性に恥をかかせるような真似をしたくはありません。
 隣で待たさせてもらいます――失礼しました。皆さんには今回の非礼をこころからお詫び致します
 ――心ちゃん、ごめんね。恥ずかしい思いをさせてしまった……」
 心に対して、きっちりと頭を下げて詫びると、静かに部屋を出て行った。
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「心ちゃん、あんよを通してちょうだいね」
 玲那は白いショーツに心の肢を通していく。控えめだが上等のレースに縁取られているものだ。
 赤いリボンのワンポイントが可愛らしい。ブラジャーも同じデザインのセットだ。
 恋と愛の前だったら、素裸を晒すことは別に恥ずかしくもない心だったが、さすがに玲那や千鶴に見られるのは、恥ずかしいと感じるようだ。真っ赤になって俯いている。
 下着を着けてもらったところで、玲那の手で日焼け止めのクリームが塗られていく。
「これは、今日から処方しようと思っていた新しい日焼け止めなの。今までのものより、ずっとずっと、お肌にやさしいからね。しかも効果も高いの。だからこれからはもう、ファンデーションなどは、付けなくても大丈夫ですよ。なるべく、お肌に負担をかけないで欲しいから……」
「先生、優しいってどのくらいですか?」
 愛は興味を惹かれたのか、すかさず質問する。
「舐めちゃっても平気なくらいです。それこそ、赤ちゃんが……完全に無味無臭ですし――」
 あの『やさしい』手で、丁寧に丁寧に塗りつけてゆく。とても心地良くて、心は感じてきてしまう。
「――あ、ん……」
 背中に触られて、ゾクゾクしてしまった。心のそんな様子をみて、恋と愛は笑っている。
 用意された着替えは、セーラーカラーの黒いワンピースだ。胸元に白いスカーフが、リボンのように結ばれる。こちらもやはり、ところどころにレースがあしらわれている。
 周りの人間が『心』に似合う服を選ぼうとすると、どうしてもこういう衣服になってしまう。
 実際とても似合うし、無理も無いことなのだが、本来の心にしたら複雑なところだろう。
 いまの状態の心は、そのことをあまり気にしていないようだが……
 すっかり着替えも済んで、待合室で待つ康治を、千鶴が招き入れる。
「――おや。心ちゃん、とても似合っていますね」
 心は真っ赤になって俯き、もじもじとし始める。まるで本当に、本物の女の子のようだ。
 どうしてこんな風になってしまうのか、心本人にも分からない。
 そんな心のようすを見て、部屋にいる誰もが微笑を浮かべる。可愛らしくてしょうがないのだ。
「心、康治先生に、もっとちゃんと見てもらったら?」
 愛は悪戯っぽい笑みを浮かべている。心は小さな胸をかき抱くように組んでいた腕を下ろし、その場でゆっくりと回転する。ふたたび正面を向いて、きちんと一礼する。
 ほぼ完璧といってよい、上品な所作だ。
「これはご丁寧に、ありがとうございます――とても可愛らしいお嬢様だ」
 康治はやさしげな微笑を浮かべると、最上礼で返す。気障だが厭味ではないのが、彼の美徳だろう。
「ありがとうございます」
 自然とお礼の言葉が口をついた。心にもよく分からないが、嬉しかった。
 笑顔のまま恋と愛の待つソファーまで移動して、二人の間にちょこんと座る。
「さきほどの話の続きですが、お客様のいらっしゃる前で、よろしいのですか?」
「構いません。黒姫家の皆様には、聞いていただかなくてはいけませんから……」
 玲那は即答する。若干その瞳が厳しいのは、真面目に話しをする気だからか、それとも、心と康治が親しげにしたことが気に入らないのか。
「そうですか。では、他でもない国中看護婦ですが、先ほど確かめたかぎり、特に異常はないようです」
 それを聞いて、心はほっとする。
「まあ、あなたも座ったらどうです?」
「いえ、このままで結構」
「そう――やっぱり、大丈夫だったみたいね。あの娘は特別『強い』子だと思ってたけど、予想通り」
 玲那はにこやかだ。ちょっとした予想が当って嬉しい、といった感じだ。
「そういう問題ではありません! 確かに今回は大事に至らなかった。しかし、人道的に見て、とうてい許せる行為ではない。以前から申し上げているはず、姉さんの『趣味』については、口出しするつもりは無い。しかしもう少し考えていただきたい、と。万一このことが世間に知れたら、病院の信頼どころか、患者さんにまで妙な目が向けられることになりかねない!」
「大きな声を出さないで。心ちゃんを怖がらせてしまうでしょう?」
「姉さん! 真面目に聞いて下さい! 彼女の前任者の時も、その前もずっと言ってきたはずです!」
「あの娘も、その前の娘も、みんな自分から望んで私と仲良くしたのよ? あの娘たちのうち誰一人、私に恨み言をいうような娘はいないわ」
「そうかもしれないが、世間の目があることを忘れてもらっては困ります! たとえ、彼女たちがどうであろうと、周りの評判が――」
「はっきりおっしゃいなさい。もう、姉さんのお下がりは嫌ですって……」
「な!! 私はそんなことを――」
 玲那はあくまで静かに、落ち着いたトーンで話を続ける。
「知らないとでも思って? あなたがあの娘たちの何人かと『仲良く』してること。一人二人とは、とくに『仲良く』してるみたいねえ? 楽しいでしょう? それで、こんどはお下がりじゃない、新しい娘が欲しくなった。ね、そうでしょう? 特に国中さんのことは気になってたみたいね」
「違う!! 私は姉さんとは違う! 彼女たちとは――」
「何が違うの? 彼女はいない、なんて嘘までついて。ただのお友達だとでもいうつもりなの?
 あなたはただの友達と、あんな事までしちゃうの?」
「それは……お互い、大人の男女として」
「いいのよ。あなたを責めたりしない。正直になって……あの娘たち、とっても可愛かったでしょ?
 とっても綺麗だったでしょ? 女の子は優しく可愛がってあげれば、みんなみんな、あんなにも、可愛くなれるの」
 康治は答えない。俯いたままだ。尚も玲那は続ける。
「男の人ってみんなそう。女の子を欲しがるくせに、可愛がってあげるのがとても下手なのよ……
 康治、あなたも、もう一人前の男でしょう? いつまでもそんな調子じゃ、心配だわ――それに、国中さん、あの娘はとっても喜んでいたはずよ? どう?」
「え、ええ。本人は意識もしっかりして、その、溌剌としていました。すぐに仕事に戻りたいと……」
 それを聞いて、心はほっとする。
 (あっちゃん、平気……大丈夫――)
「――でしょうね。だってあの娘は、とっても喜んでいたもの。私にはわかるの。だって、だってあの娘は、心ちゃんに可愛がってもらえたのよ? 嬉しくないわけないじゃない」
「待て! 待てよ、待ってくれ! 冗談でしょう? 姉さん、嘘だといってくれ!!
 心ちゃんが、彼女を? そんな莫迦な!」
「嘘でも、冗談でもありません。あの娘は、身に余る光栄に感謝するべきだわ。心ちゃんよ?
 心ちゃんに可愛がってもらえるなんて……」
 玲那の表情に、初めて変化が起こる。ほんの微かに、だが確かに瞳の奥に現れた色は、嫉妬……
「嘘だ! 嘘だッ!!」
「……ごめんなさい。ごめんなさい!!」
 二人のようすを見て、黙っていられなくなった心は、叫んで立ち上がった。すでに瞳は潤んでいる。
 ゆっくりと康治の側まで歩み寄り、彼の手をとった。
「心ちゃん?……」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい――ボクがいけないの、いやらしい悪い子なの。
 だから、だから、けんかしないで……悪いのは僕です。ごめんなさい、ごめんなさい……」
「本当に、君が?」
 コクリと頷く。
「ボクが……やったの。あっちゃんに、えっちないたずらを、いっぱい、いっぱいしたの。
 あっちゃんが喜んでくれると思って、気持ち良くって、いっぱい、しました……
 ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
 小さな両手で、康治の手を包み込むように握り、小さな胸に押し付けてぎゅうっと抱き締める。
 せっかく泣き止んだばかりなのに、ぽろぽろと大粒の涙をこぼしながら。
 康治の手に、柔らかくあたたかい感触が、温もりが伝わってくる。あたたかい涙が、こぼれてくる。
 そっと、彼の手が心の髪を撫でる。ハンカチを取り出し、涙を拭いてやる。
「いいんだ、君は悪くない。君は国中さんを喜ばせてあげようとしたんだ、そうだね?」
「……うん」
 真っ赤な顔で頷いて、康治を見上げる。
 {きっと、何も分からずに――きっと、絶対にそうだ}
「君は悪くない。いけない子なんかじゃ、ない。責められなくてはいけない人がいるとしたら――
 それは姉さん、あなただ。あなたが良からぬことを吹き込んだせいで、心ちゃんは苦しんでいる。
 何よりあなたには、この院内で起こったことに対する責任がある。ましてや今回の件は、院長秘書室、あなたの目の前で起こったことだ。管理責任はあなたにある」
「たしかに、そうね。その通り……でも、あの娘は、それを訴えたりしないわ」
「ダメぇ!! けんか、しないで。いけないのはボク、悪いのはボクだから!」
「その通り」
「ええ、その通りです」
 これまでずっと黙っていた恋と愛が、初めて口を開いた。
「今回の件は、うちの子が、心が仕出かしたことです。万一の責任は心が、保護者の私がとります」
「……恋お姉ちゃん」
「恋姉の言うとおり、うちの悪戯っ子がやったことの責任は、うちでとるべきね――でも、どうするの?」
「こういうのはどう? 国中さんが、看護婦のお仕事を続けられないようなことになってしまったら、その時は……うちで雇って差し上げるの」
「いいわね、それ。私もこれから先は忙しくなるかも知れないし、人手があった方が助かるもの」
「ね? いいでしょう。住み込みのハウスキーパーさんよ。ご本人に確かめないといけないけど」
「あっちゃん、うちにくるの?」
 心は嬉しそうだ。なにせ、お気に入りの亜津子が家にくるかもしれないのだ。
「まだよ、万一の時、それにご本人に確かめないと、ね?」
 恋はあくまでのほほんと、心を落ち着かせる。
「しかしそれでは、院長の責任問題が……」
「この話はこれでお終い。よろしいですね?」
 恋に真っ直ぐ見据えられて、はっきり言われてしまう。黒姫家の現党首の言葉だ。
 何より、静かな微笑を湛えながら、その瞳には有無を言わせぬ迫力がある。康治も頷くしかない。
 玲那は内心おだやかではないが、正面から恋に異を唱えることなどできない。
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 帰りがけ、心は玲那に自ら抱きつくと、口付けをしてきた。皆がいる前で恥ずかしがりながら、それでも一心に玲那を求めてきた。
「せんせい、大好き。また来るね――それと、こんど、家に遊びにきて……」
 耳元で囁く。それだけで、玲那の気はずいぶんと晴れた。
 自分は心に好かれている、求められている。その自負は、何より彼女の喜びとなる。
 しかし、それを脅かす、その可能性のあるものがいる――亜津子だ。
 {心ちゃんの、心ちゃんのところに、行かせたりするものですか!!}
 たかが『ペット』の分際で、自分の大切な心に可愛がられるなど生意気にもほどがある。
 {いくらでも補充のきくペットのくせに、ペットのくせにペットのくせにペットのくせにペットが
 ペットがペットがペットがペットがペットペットペットペットペットペットペットペットペット……}
 玲那は亜津子の病室へと向かう。これまで何人もの『ペット』たちを『壊して』きた、お気に入りのおもちゃを携えて……

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