39

 心を膝の上からおろすと、ベッドに腰かけさせ、龍鬼はやさしく言い聞かせる。
「今までよく見えなかったところを、確かめるだけだから――怖がらないで、いいからね?」
 心は小首を傾げるようにして、龍鬼を見つめている。
 先ほどまでのような、あからさまな警戒の様子は、もうほとんど見受けられない。が、だからといって、龍鬼に対する注意がおろそかになっているというわけでもない。
 むしろ興味深げに、龍鬼の挙動を観察しているような感じがうかがえる。
 血を『味あわせた』ことによる効果は、龍鬼の想像以上だったようだ。

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《心は『力』を必要としている。あれが欲しているのは、自らに従い、『力』をふるう『手足』だ》
 つづけて“声”は言う。
《ゆえに、心に選ばれたいのなら、『御子』と共に在りたいのなら『力』を身に着けろ》
 さまざまな意味をもつ言葉。それらを弄んだ曖昧な表現。
 いつものことだが、“声”は勝手だ。つねに突然やってきては、分かり難いことや意味不明なことを言う。
 龍鬼の疑問には、ほとんど何も答えてくれず、言いたい事だけいって、さっさと帰ってしまう。
「またですか…また、それですか……いいでしょう。ならば…ならばあえて、今日はあえてお訊ねします。
『力』とは? それはどういうものなんです? どういう種類の力だというのですか?」
《すべて、だ。お前が考えつく、ありとあらゆる全ての種類の『力』だ。富だ。権力だ。知だ。腕力だ。単純な暴力だ。人を制する武だ。外面的な魅力だ。内面的な魅力だ。人徳だ。洗練された美的センスだ。身体能力だ。何事にも動じない精神だ。法を操り社会を欺く知識と機転だ。深く複雑な思考を可能とする、考える力だ。魔術のような超常的な力だ――すべてだ》
 今回はめずらしく、龍鬼の呼びかけに答えてくれた。
「分かりました。『支配する』ための方法というものがあるとしたら、その全部――と言いたいんですね?」
《そうだ。お前の思う通りだ。『力』を身に着けろ。あとは心の意に従え。心の望むままに『力』を行使しろ。あれは、自分が『なに』を欲しているのか、今はまだ気がついてすらいない。あれはまだまだ『子供』だからだ。しかし、案ずることはない。共に在れば、すぐに分かるようになる》
「――まってください。心は、自分の欲しいものが何なのか、まだ分かっていないのでしょう? それなのに、どうやって『それ』を持つ者を選ぶんです? どうやって判断するんです?」
《案ずるな、といったはずだ。心は、それと知らずに『力』を持つ者を惹きつけ、その中から選り分ける。己の望む、『力』を持つ者を》
「ただ黙って、近くにいればいいと? そのままで、心に選んでもらえるまで待っていろ――と? 心が求めている『力』の持ち主ならば、自然と選ばれるから、それまで黙って待っていろというのですか?」
《不服か?》
「もちろんです。心が、僕に気付く前に、他の誰かを選んでしまったら? そんなことになったら、どうすれば? それに、僕はもう待つのは嫌だ!! 我慢できない!! こんなこと、あなたはとうに知っているはずだ!!」
《そうであったな》
「だから僕は『あの時』も、あなたの言葉を信じた」
《そして失敗した。だが、失敗したのは、我のせいではないぞ?》
 “声”が、笑っている。とても愉快そうに。
「分かっています。あなたの言葉に従ったのは――いや、利用したのは、すべて僕の責任ですから。
『あの時』は準備も万全ではなかったし、それに何より、僕は弱かった。あれは、僕の力不足………力? そう…そうだ……」
 もうすでに分かっていたのに、あえて目を逸らしていた事実を、龍鬼は噛みしめる。
 自分に足りないのは、『力』だと。いま有る『力』だけでは、及ばないのだと。
《お前が『力』を持っていることを、心に知らせる方法を一つだけ教えてやる。『力』はお前の持つすべてだ。ゆえにお前のすべてに、お前の『力』は宿っている。たとえば、お前の身体を巡る『血』の一滴の中にも……。お前の身体を離れれば、それは力の残滓、痕跡にすぎなくなる――が、判断するためには充分だ》
 それだけ言うと、“声”は消えた。気配のかけらも残さずに。
 このあたりは、いつも通りだ。
「……あなたのいう『力』とやら、僕も多少は持ち合わせている、そのつもりだった――けれど、今のままでは、この程度では不足……。どうすればいいんでしょうね? ……《お方》様」
 鉄格子のはまった窓から、月の光が射し込む。
 龍鬼は考える――いつからだろう? 闇の向こうから“声”が聞こえるようになったのは。
 物心ついた時点で、龍鬼にとって、これはすでに当たり前のことになっていた。
 だからといって、はじめから“声”のいうこと全てに、いちいち従ってきたわけではない。
 従うようになったきっかけは、心のため、心を守るためだった。
 “声”の与えてくれた情報に従って、心を助けることに成功してからというもの、龍鬼はそれ以来何度も、最愛の幼馴染を守るために“声”の『導き』を利用してきた。
 “声”は、いつでも有益な情報を与えてくれるわけではない。先ほどの『力』云々というような、わけの分からない『講釈』を述べる場合も多いし、質問にはろくに答えてくれない。
 だが、ここぞというとき、役に立つことも少なくなかった。
 はじめは“声”の正体なぞに、まるで興味を持たなかった龍鬼だが、いつの頃からか、この“声”こそ、自分の祖先が代々仕えてきた、黒姫家の祭る《カミサン》なのではないかと、考えるようになっていた。
 そうでもなければ、『御子』を――心を守ろうとする自分に、その『危険』を知らせる理由がわからない。
 『御子』である心は、おそらくだが、この同じ“声”を、幼いころから自分などよりもずっと鮮明に、そして頻繁に耳にし続けているのではないだろうか――そう思うと龍鬼は、これが二人の絆のような気がしてきて、心と自分との『運命』を夢想せずにはいられなくなるのだった。
 龍鬼は、“声”を《カミサン》だと思いたかった。だから、旧家の人間たちが儀式や報告のさいに、
《カミサン》に対して用いる《お方》様という呼び名を、“声”に『贈った』のだ。
 《カミサン》を《お方》様と呼ぶのは、なにも旧家の人間たちだけではない。
 黒姫家の人間であっても、『作法』に従う場合は、《お方》様と呼びかける。
 ただ『御子』だけが、彼らのみに許された特別な呼び名を用い、《カミサン》に語りかけるのだ。
 『御子』以外の者にとっては、その呼び名をただ『思う』ことですら、禁忌に触れる行為とされている。

 龍鬼は窓辺へ歩みより、鉄格子の間から夜空を見上げた。
 梅雨の切れ間、久しぶりに顔をみせた月は、心の瞳のように金色に輝いている。
{心……君に、逢いたいよ}
 殺風景な部屋。
 備え付けのベッドと机、小さな本棚以外はろくなインテリアさえありはしない。
 真っ暗な室内を、青白い月の光がぼんやりと照らす。
 月明かりに照らされた白い壁一面に、無数の紙が貼り付けられている。
 否、壁が白いのではない。それは、貼り付けられた紙の白さだ。
 紙にはすべて、同じものがスケッチされている。
 おどろくほど精密で、繊細なタッチで描かれているのは、一人の少女のさまざまな表情。
 一枚一枚、どれも凄まじい描きこみ度合いであるのにも関わらず、紙そのものの白さは失われていない。
 紙をまるで汚すことなく、描き損ねらしい描き損ねも、修正の跡もない作品たち。
 モデルは、これらを手がけた少年の脳内に焼き付けられた肖像のみ。
 その他には、写真一枚とてありはしない。
 当然だろう。
 少年がこの施設に収容された、その『原因』となった人物の写真を持ち込むことなど、許可されるわけがない。
 写真はおろか、ここでは新聞も雑誌もTVも、外からの情報はすべて遮断されていて自由に得られず、たとえ学術書の類であろうとも、読書には許可が必要だ。
 内容が適切であるか否か、それが検閲されるのはもちろんだが、本の重さや大きさ、固さや紙の質などが、より重要視されている。実際に許可がでるのは、薄く小さな文庫本や新書、いくつかの雑誌・新聞くらいのものだ。
 筆記具などに関しても、先端が尖った固いものは、人を傷付けるための「武器になる可能性がある」として、持ち込むことを禁じられており、クレヨンやクレパスなどの『軟らかい』物のみが許されている。
 そのため龍鬼は、デッサン用の木炭を差し入れさせて、それで描いている。
 じつは収容されてしばらくの間は、サインペンやマジック、フェルトペンなども持ち込みを許されていたのだが、ちょっとした『騒ぎ』を起こしたために、それらも禁止されてしまった。
 『騒ぎ』の『被害者』となった人物は、この施設の職員であり、龍鬼の最初の担当者だった。
 その男は、龍鬼がこの施設に入った当初から、あからさまに侮蔑するような態度をとりつづけていたが、龍鬼はまったく相手にせず、無反応であり続けた。
 龍鬼は、男の名前を知らない。名前どころか、すでに顔も覚えていない。
 仕方あるまい。
 心と、心の大切なものたち以外の『もの』など、龍鬼にとっては単なる『動く物』にすぎないのだから。
 何か理由があるならともかく、道端の石ころに、わざわざ話しかける者がいるだろうか? 
 仮に狂人であるのなら、何の理由がなくともそうするのかもしれないが、龍鬼は狂人ではない。
 ゆえに、男がいかに失礼な態度をとり続けようとも、龍鬼は黙々と、絵を描きつづけた。
 そんな龍鬼の態度から、「組し易し」と侮ったのか、それとも「無視された」と判断して、憤慨したのかは定かでないが、男の『いやがらせ』は少しづつ度を増していった。
 男はまず、龍鬼の描いた絵を取り上げた。
 それでも反応がないと見るや、「絵を描く事は禁止だ」とわめいたが、男にそんな権限がないことを、龍鬼は知っていたので、無視して描きつづけた。
 つぎに男は、取り上げた絵を破り捨てて踏みつけ、唾を吐きかけることまでした。
 この時点で龍鬼は、男に『制裁』を加えることを決めていたのだが、あくまで表には出さずにいた。
 そのせいで、調子に乗ったのだろう。
 最後に男はあろうことか、心を侮辱した。口にするのも憚られるような、とても汚らしい言葉で。
 この瞬間、男への『制裁』は極刑――単純に命を奪うだけでなく、出来うる限りの方法で苦しめ、後悔させること――に決定した。
 朝食を運びこむ時を利用し、男を捕らえた。その後、本来は龍鬼を『拘束』するための施設を逆手にとり、
『安全な』室内でじっくりと、ほぼ丸一日かけて、男を『処分』した。
 この施設で、絵を描くことと読書以外に、龍鬼が時間を費やしたのは、後にも先にもこの時のみ。
 かように心を描くことに熱中している龍鬼だが、彼はいままで、これほどまでに集中して、絵を描いたことなどなかった。絵を描くという行為自体ろくにしたことがなく、せいぜいが学校での、授業程度のものだった。
 それが、ここへ来てからずっと、憑かれたように、心を描き続けている。
「――もうすぐだよ、心、待っていておくれ」
 満足のいく出来の作品が描けたら、龍鬼はこの施設を出るつもりだ。その気になれば、彼はいつでも此処から抜け出せる。
 例の男を『処分』したときも、そのまま出ようと思えばできたのだが、わざとそうしなかったのは、いまだ満足のいく絵が描きあがっていないから、ただそれだけが理由だった。
 描きはじめて一月ほど経っているが、その間で彼は急激に、かなりの上達を示している。
 あと一週間もすれば、絵は完成するだろう。
{喜んで、くれるかな……?}
 描きあがった絵は、心に贈るつもりだ。
 月が、雲に覆われていき、闇がふたたび、辺りを包みこんでしまう。
 龍鬼が、心を『助けた日』から、遡ること半月ほど前、静かな夜のことだった。

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 そうして昨日――つまりは、『助けた日』――も、やはり“声”の導きに従ったおかげで、龍鬼は心を助けることができた。

《心に会わせてやろう》
 と、“声”は遠回りの道を指示してきた。
 よもや、『あんな場面』に出くわすとは、思ってもみなかったが……。
 心が無事なうちに助けることができて本当に良かったと、龍鬼はこころから安堵したものだ。

 あの夜、“声”は言った。「お前のすべてに、お前の『力』は宿っている。たとえば、お前の身体を巡る『血』の一滴の中にも」と。
 もしも言葉どおりに、龍鬼の『力』が『血』に宿っているというのなら、いったいそれを、どうしたら良いのというのか?
 龍鬼には、『味あわせる』ぐらいしか考えつかなかった。
{まさか……吸血鬼じゃあるまいし}
 我ながら貧弱な発想だと、そう思ったのだが……一応、これはこれで『正解』だったらしい。
 まあ、良しとする。
 心は口元に微笑みを浮かべて、琥珀色の透き通った瞳に、龍鬼の顔を映している。
 愛しさがこみ上げてきて、龍鬼は堪らなくなってしまう。
 手を伸ばして、そっと頬に触れる。と、心はその手を包み込むように、両手で握ってくる。
 龍鬼は思う――離れ離れになっていた二ヶ月ほどの間で、心の外見は、少し大人っぽくなった。
 だが同時に、以前の、彼が知っている心よりも、態度の面ではむしろ幼くなっている。
 大人っぽさと子供っぽさの、その間のふり幅が大きくなったような、色気と幼い無防備さが混ざりあった、ちぐはぐで不安定な感じを受ける。だが、それが心の魅力を、さらに引き立たせてもいるのだ。
 ふたたび『なでなで』してやると、心は心地良さそうに目を閉じた。
 龍鬼は、心の身体を引き寄せる。
 上半身を龍鬼の膝の上にもたせかけ、心は横になる。ちょうど、うつ伏せで膝枕をしてもらう状態だ。
 心は『なでなで』されるのが、すっかり気に入ってしまったらしい。
 龍鬼の手が、背中からお尻にかけて触れてきても、抵抗しようとはしない。
「いい子だね。すぐに終わるよ」
 龍鬼が、ガウンの裾に手をかける。
 恥ずかしそうに身をよじり、心はガウンの裾をおさえる――が、龍鬼に『なでなで』されて、すぐにふにゃふにゃと力が抜けてしまう。
 包帯が手早く巻き取られ、真っ白な太ももが、ついで、お尻が晒されていく。
 お尻や、太ももの裏側のところどころに、肘などと同じく擦り傷ができている。
 とくにお尻のあたりの傷が酷いようだ。
 きっと中年男に襲われたとき、乱暴に扱われてできた傷に違いない。
{可哀想に、酷いな}
「んっ」
 ピクンと、心が震えた。龍鬼の指先が、そっとお尻の傷に触れたためだ。
「ごめんね。痛む? 痛いかい?」
「…少し、ピリピリします。だけど……だいじょうぶ」
「そう――凄いな。心は偉いね」
「どうして?」
「だって、こんなに酷い怪我をしてるのに、痛がったりしていない。泣いてもいない。凄いね。心はとっても、とっても強い子だね」
 心の頭を優しく『なでなで』しながら、龍鬼は答えた。
「ボクは、泣いたりしません。ボクは、男ですから……男が泣いて良いのは、本当に悲しいときだけです。母様も、父様も言っていました。だからボクは、痛いからって、泣いたりしないですよ……」
 龍鬼が『褒めて』くれたので、心はなんだか嬉しくなってしまう。
「そうだね。でも僕だったら、心のようには我慢できないかもしれない――だから、偉いよ。凄い。心は強い子だね。強い、とっても強い男の子だ」
 さすがに今の心にも、龍鬼の言葉が見え透いたお世辞だということくらいは、分かる。
 だが、そうだと分かっていても、『強い子』だと言われること自体は、まんざらでもない気分だ。
 否、悪い気がしないどころか、素直に嬉しい。心は『男の子』なのだから。
 嬉しくて嬉しくて、ついつい気が緩み、得意になってしまう。
 こころが幼く『戻って』いる『お子様』状態の心にとって、己を戒めるのは非常に難しいことなのだ。
「良い子だね。良い子、良い子……」
 龍鬼も、いまの心のそういう状態を何となく悟っているのだろう。褒めてやりながら『なでなで』を続けて、心を安心させ、油断をさそおうとしているらしい。
「えへ…ふふ、ふふふ……」
(ほめられた。いい子、ボク、いい子……つよい子だって、ほめられちゃった♪)
 膝枕をしてもらいながら、心はすっかりご機嫌だ。龍鬼に対する警戒は、加速度的に緩んでいく。
「良い子には、お利口さんな心には、ご褒美をあげないとね」
 そう言いながら龍鬼は、心の髪に口付けた。
「ごほうび?」
「そうだよ。ご褒美をあげる」
 心は思い出す。先ほど龍鬼は、後でもっと『美味しい』ものをくれると言っていた。
 ご褒美とは、それのことだろうか?
「なあに? おいしいの、ですか?」
「ううん、ごめんね、違うんだ。それはもうちょっと後で、必ずあげるから、もう少し我慢しておくれ。ご褒美とは関係なしに、絶対にあげる――ご褒美は、それとは違うけど、でも、『良いもの』だから、ね?」
「なあに? なあに? なんですか? おしえてください」
「ご褒美はね……」
「ひあ! あ、ん……なに、するの…? やめて、いたずら、やめてください」
 髪を撫でていた龍鬼の手が、すべる様に移動して、お尻に触れている。
「大丈夫、悪戯なんてしないから、絶対。優しくするからね?」
 覆いかぶさるようにして、龍鬼の顔がお尻に近づいていく。
 ペロリと、龍鬼はお尻の傷を舐めた。
「あうぅ! やめて、ください」
 とてもくすぐったい。舌先が触れるたびに、傷に滲みてちくちくする。少しだけ、痛い。
「うう、ん、あ……あ、だめ、だめです!」
 無言で、龍鬼は心のお尻を舐めつづける。
 その一方で、相変わらず優しく『なでなで』をして、心が抵抗できないようにしてしまう。
「い、いやぁ…あ、あんっ……はぁ、ん、やめて、やめ――う?」
 痛みが、ちくちくと滲みるような痛みが、どんどん薄れていく。
「い、ふっ…ふあぁ、ん」
(いたく、ない…?)
 程なく痛みが完全に消えて、あとに残ったのは、ただただこそばゆいだけの、かすかな心地よさ。
「あう、あ、あ……いや、もう、やめて…ください」
 心臓が、ドキドキする。頭が熱い。くらくらして、身体の自由がきかない。
 もの凄く、『イケナイ』ことをされている気がしてきて、心は恥ずかしくて堪らない。
「さあ、もう大丈夫だよ」
 ぴたりと、龍鬼は舐めるのを止めた。
「どうかな? もう、痛くない――よね?」
「あ……あ、あの、はい。いたくない、です。……でも、どうして?」
 心の疑問はもっともだ。
 たいしたものではないが、心はたしかに傷を負っており、痛みもあった――はずなのに、その痛みが、気のせいなどではなく、完全に消えてしまったのだから。
「怪我のことだよね? 傷は、僕が治したよ。綺麗に治してあげたからね。不思議?」
「…はい」
 『治した』とは? 一体どうやれば、怪我をたちどころに治すような真似ができるというのか?
 心は、不思議でしようが無い。だから大人しく、龍鬼の次の言葉をまっている。
「怪我を治してあげられた、その理由はね……僕が、心を愛してるから――だよ」
「……うそつき」
 信じられるわけがない。からかわれている――としか、思えない。
「嘘じゃないよ。真剣に、本当の本気で、心の怪我が治るようにこころを籠めたんだ。だから、願いが通じたんだよ。それで、心の怪我は――治ったよね? この通り」
 龍鬼は、唾液でべちゃべちゃになってしまった心のお尻を、優しく撫でる。
「んっ……だめです、さわったら、だめ」
「ね? もう痛くない。それに……ごらん」
 龍鬼は、心の腕を示してみせる。
「……あ」
 お尻よりも前に、龍鬼に舐められた肘の傷が、綺麗に消えている。
「この通り、肘も――お尻だって、同じなんだよ。心の身体は、綺麗に元通り」
「どう…して? どうして?」
 さっぱり分からない。まるで魔法――そう、「魔法みたいだ」と、心は思った。
「ふふ、みんな治してあげるね」
 言い終るや、龍鬼は覆いかぶさってくる。
「あ……やっ! いや、いやです。やめて、治さないで、いいです」
「恥ずかしがらなくて、いいんだよ? 心の身体を元通りに、綺麗に治すだけだから――これは、治療なんだから恥ずかしくないよ」
 唾液でぬるぬるするお尻を、優しく撫でさすりながら、龍鬼は腕の傷に舌を這わせる。
(ま…また、また、おなじ……おんなじ)
 龍鬼の舌が触れるたび、ちくちくと傷に滲みて、微かな痛みを感じる。
 白い肌のあちらこちらに、紅くうっすらと広がる擦り傷が少しずつ消えていき、それと同時に痛みも、まるで目に見えるかのように薄まっていく。
「う、うぁ……ぁ、あ…だめ、だめぇ」
 しばらくすると、腕の傷は完全に見えなくなり、痛みもいっしょに失せてしまった。
「綺麗になったね。これで上はお終い。さあ、次は下のほうだね」
「はぁ、はぁ…は…ん」
 身体が熱い。熱にうかされたようにぐったりして、心は抗議の声をあげることすらできない。
 ベッドに、心をうつ伏せに寝かせなおすと、龍鬼は太ももの裏側に舌を這わせはじめる。
 ぴちゃぴちゃと、湿った音。
 痛みが消えていくのと比例するように、心の呼吸はどんどん荒くなっていく。
 龍鬼の唇が、舌が触れてくるたびに、胸の奥のほうがちゅくちゅくして、息苦しい。
 太ももとお尻のいたるところ、下半身の怪我のすべてを舐めあげて、龍鬼は『治療』を施していく。
「はっ、は……はぅ…んっ、ふぅ」
 治療のすべてが終わったころには、心の瞳はすっかり潤み、いまにも涙がこぼれ落ちそうになっていた。
「――うん。これで、すっかり綺麗に治ったよ――心?」
 龍鬼が顔を覗きこんだ、ちょうどその瞬間、心の瞳から大粒の涙がこぼれ出す。
 ぽろぽろと、堰を切ったように止め処なく、涙は流れつづける。
「ごめん。ごめんね……ご褒美のつもりだったのに。怪我が治ったら、きっと喜んでくれるって――なのに、ごめんね。ごめんね」
 龍鬼はすっかりうろたえて、心を抱き上げると、子供をあやすように『なでなで』をはじめる。
「……んっ、ひっ…ん」
「――心」
 それでも、心が泣き止まない――と見るや、龍鬼は唇を重ねてしまう。
 心の口に舌を挿し入れて、小さな舌に絡めてもてあそぶ。
 溢れだしたお互いの唾液を混ぜ合わせ、心の口にそそぎこむ。
 『抱っこ』された安心感と『なでなで』の心地よさ、そしてキスに感じる『美味しい味』――。
 それらのおかげだろうか、心は胸の奥のちゅくちゅくした感じが、少しづつ溶けて消えてゆくような、そんな気がしてくる。
 身体が熱くて、ぐったりした感じは相変わらずだが、息苦しさは薄れて、もうさほど感じない。

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