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 どれくらいの間、キスを続けているのだろう。心の気持ちは少しづつ落ち着きはじめているものの、涙のほうは一向に止まる気配を見せない。
 心自身にも、「男は泣いたりしちゃいけない。めそめそするのは格好悪い」という思いがあって、懸命に涙を止めようとしてはいるのだが……だからといって、そう簡単に止められるものでもない。
 龍鬼は唇をいったん離すと、心の目尻に当てて涙を啜りだす。
 いくら涙を啜っても、あとからあとからじわじわと、透明なそれは溢れてくる。
「ごめんね。僕が余計なことをしたせいで、つらい目に遭わせて」
 ベッドサイドに放置されていたカップを手に取ると、心の飲みかけのミルクを一口含んで、龍鬼はふたたび口付けをする。
 ほんの少量づつ、心の口にミルクが注がれていく。
 それをすぐには飲み込まず、舌をつかって唾液と混ぜ合わせるようにしながら、ゆっくりと味わう。
 二人の唾液とミルクの合わさった液体が、お互いの口内を何度か行き来するうちに少しづつ消えていく。
 絡み合うものが舌だけになってしまうと、龍鬼は唇をはなした。
 別れを惜しむかのように、白く濁った粘液が糸を引きつつ、ゆっくりと切れていく。
 もう一口ミルクを含み、龍鬼は同じことをくり返す。口移しでミルクを与えながら、頬の内側や舌の裏側、心の口内のすみずみまで愛撫してやる。
 心は瞳を閉じ、龍鬼の舌をただただ迎え入れるだけ――。
 息をしゃくり上げるたびに鼻や咽喉が、子犬のようにきゅんきゅん鳴ってしまい、情けない事この上ない。
 ちょうど四回くり返したところで、カップは空になった。
 ミルクが無くなっても、二人のキスは終わらない。鼻先を押し付けて擦り合わせるようにしながら、夢中で舌を絡めあう。
「こぼれちゃったね……綺麗にしてあげる」
 いつに間にか二人の口の端からミルクがこぼれ落ち、首筋を伝って、心の胸元にまで流れていた。
 龍鬼はそれを舌で舐め取っていく。首筋を通りすぎて、胸のあたりに舌が触れる。
「やぁ…」
 小さな胸を庇うように、心は両手で抱えて隠す。
 両腕で抱えられたために、ささやかながらも一応谷間らしきものができた心の乳房。
 その谷間に唇を当て、龍鬼は残りの液体をすばやく啜りこんだ。
「ほらね? もう終わったよ」
 心の頭を撫でてやりながら、微笑みかける龍鬼。
 意外なほどあっさり終わったので、心はどう反応したらいいのか分からず、龍鬼の顔を見つめている。
 ――と、龍鬼の口元にもミルクがついていることに気付く。
 お返しのつもりなのか、それとも、ただ単純にもっとミルクが欲しいだけなのかは分からないが、 胸を抱えていた腕をほどくと、龍鬼の首にしがみついて、まるで子猫のように龍鬼の口元を舐めはじめる。
 小さな舌が、龍鬼の唇やその周辺をちょこちょこ動きまわると、すぐにミルクは無くなった。
 そのままぴたりと龍鬼の耳に口をつけ、小さな声で何事か囁く。
「…………」
 龍鬼は微笑んで、「――うん、分かった。連れて行ってあげる」
 真っ赤になって視線をそらし、心はこくんと頷きかえす。

 **

 軽々と心を抱き上げ、龍鬼は扉を目指して歩いていく。
 扉の向こうは、先ほどまで居た寝室とほぼ同じ大きさの部屋。
 たぶん居間なのだろう。テーブルとソファーが中央に置かれており、趣味の良い調度品がそこかしこに配置されている。部屋には誰もおらず、正面と向かって左とのそれぞれに一つずつ扉がある。
 やっぱり此処には、見覚えがあるような気がする――と、心は思った。
 龍鬼は左の扉へと進んでいく。
 着いたところは洗面所にトイレ、さらに奥へと扉は続く。この並びからするとバスルームだろうか。
 トイレの真正面で、心は下ろしてもらう。
「着いたよ」
 龍鬼はニコニコしながら心を座らせる。
「…あの」
「ん?」
「…出ていって、ください」
「どうして?」
 なぜか意外そうな顔で、龍鬼は訊ねてくる。
「どうしてって…そんなの、決まってます…………はずかしいです…だから」
 吐息がかかるほど近くにいても、耳をすまさなければ聞き取れないくらいに小さな声。
「どうして恥ずかしいの? 僕たち、男同士じゃないか。恥ずかしがらなくても、大丈夫だよ――ね?」
「それは、それはぁ……だけど、でも…そんな……こんなの」
「大丈夫――おしっこだったよね? 何もしないから、安心して」
 腰を屈めて心を抱きしめると、龍鬼は唇を塞いでしまう。ガウンの裾をまくり上げて下半身を露出させ、お腹を優しくさすりはじめる。
「ん、んぅ……んん、ん」
 抵抗したくても、心の手足はうまく動かない。龍鬼のキスは、先ほどから相変わらず『美味し』くて、『なでなで』は気持ち良い。身体――肉体的には、まるで不快なところなどありはしないのだ。
 けれどだからといって、彼に抱かれたまま『して』しまうわけにはいかない。
 いくらなんでも、(や……こんなのヤダよぉ。はずかしい……はずかしいよぉ)
 だが考えてみれば、龍鬼の先の言葉もあながち間違いとは言い切れない。本当に『男同士』であるのなら、小用くらい見られたところで、さしたる問題にはならないはずだ。だいたい、公共施設・駅・店舗などの、不特定多数が利用する男性用トイレにおいて、小用便器はとなり合って設置されているのが一般的なものだ。
 しかしながら、こういう点がいわゆる『お坊ちゃん育ち』の、さらにその上をいく甘えたい放題で育てられた、心という人間の『心らしい』ところなのだから仕方がない。実をいえば、心はもともと男だったときから、個室でないと用を足すのが苦手であったほどに、『繊細な子供』だった――だった、と言うべきだろう。
 なぜなら、現在の――女の子になる直前までの心は、そういう点を『克服』していたから。
 黒姫家の――つまりは母の『躾』はたしかに厳しいものだったが、それはあくまで礼儀作法やマナー、道徳や倫理などに関する部分であり、それ以外では、むしろ過剰すぎるほどの愛情を注がれて心は育った。
 心の暮らす町の住民たち、なかでもとりわけ富や権力など、ある種の『力』に恵まれた旧家の連中にとって、重要かつ特別な存在である《カミサン》を祀る、『御子』の血筋――黒姫家。
 その黒姫家の『御子』であり、跡取りでもある心は、周囲の大人たちから特別中の特別扱いを受けてきた。
 望むものは何でも、ほぼ全て間違いなく与えられたし、よほど道義に外れた真似をしない限りは、叱られることも滅多になかった。基本的に『お行儀良く』さえしていれば、何をしても許された。
 心が望んでも得られなかったのは、友達――同性・同年代の友人くらいのものだ。
 けれども幼いころは病弱だったこともあって、いつでも母と一緒だったし、周りには常に使用人たち――彼ら、いや、彼女らはほとんどが女性であり、黒姫家の子供たちは彼女らを『姉や』と呼んでいた――がいてくれたから、友達のいない寂しさを特に感じることもなかった。それに学校――I学園の幼稚舎や初等部の低学年の頃――には、病気で休みがちでまともに通うことができなかったため、友達ができないのは「仕方がないことだ」と思い、心本人もそれで納得できていた。
 幼いころの心には、『男の子の友達』は一人もいなかった。
 身の周りで男といえば、父や祖父、それに旧家の優しい『おじさま』や『おじいさま』たちだけだった。
 だから心は、歳の近い『男の子』がずっと苦手だったのだ。
 そして、いまの心はその頃の、幼いこころに『戻って』しまっている。
(いや……いやぁ…)
 心は漏らさないよう、一生懸命に我慢している。
 『あそこ』に意識を集中して、おしっこが出てしまわないように身体を強張らせている。
 お腹をさする龍鬼の手の動きが、変化していく。撫でるような動きから、手の平をおしつけて、そっと揉むような動きへ。さらに空いているもう片方の手で、背中もさすりはじめた。
 決して安易に、心の『大切な部分』に触れるような真似はせず、出来うる限り刺激の少ない方法で、心を安心させようとしている――らしい。
 かたく強張っていた心の身体から、力が抜けていく。

 ぷしゅ ちょろちょろ ちょろ ちょろろろろろ ちょぽちょぽ ちょぽちょぽ ちょぴ

 我慢しきれずに、心は龍鬼に抱かれたまま『して』しまった。
 もちろんここはトイレなのだから、『した』こと自体には問題が無いと言えるのかもしれない。
 しかし文字通りの『目の前』で、龍鬼にすべてを聞かれてしまった。『見られた』のとは違うことなど、何の慰めにもならない。
 排泄行為を強要される――もっともこの場合は強要されたとは言い難いが――などということは、一個の人間にとって身体・精神に受ける『いたずら』のうちで、単純かつ直接的に『犯される』ことよりも、ある意味ではずっとずっと屈辱的な仕打ちだ。
 ましてや、心は普段こそ、そのような素振りを見せはしないものの、とても『誇り高い』人間なのだ。
 『誇り』は、心を取り巻く様々なものと、自身の内面とに根ざしている。本人は否定するのだろうが、由緒ある旧家に生まれたという出自も、当然にそれらのうちの一つであろう。
 心のショックをさらに大きくしているのは、排泄行為を見られたのが、これで二度目であるということ。
 一度目は昨日、透子に。そして二度目はたった今、龍鬼に。
 心にとっては、透子のような女性――今では年上の『お姉さん』だ――に『悪戯』をされるよりも、龍鬼のような男の子――同年代の同性――から『辱め』を受ける方が、何倍も悔しい。
 物心ついたころから、いつでも身近にいて、接することにも慣れている若い女性に『おしっこ』を見られてしまう――それとて充分に恥ずかしいが、もっと小さな頃は『姉や』たちにお風呂に入れてもらったり、トイレの世話もされたりしていたのだから、ショックはさほど大きくなかった。
 それよりも、ほとんど接したことのない、まるで『知らない生き物』である自分以外の『男の子』に『悪戯』された――身体を触られ、いいようにあしらわれたことの方が、よほどショックが大きいのだ。

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