8

 心は急いで起き上がると、愛に背を向けて胸元のボタンを閉め始めた。
「あれぇ? まだ、手当てのお礼をいってもらってないわね…」
 ワザとらしく言いながら、心の髪を撫でてくる。
「‥‥ありがと」
「―ん、どういたしまして。それにしても、よく我慢して――って、もしかして!!
 『お姫様』は本当はこういうのが好きで、もっとしてもらいたいから?」
「愛ッ!!」
 いくらなんでもカチンときた。愛を睨み付ける。
「もー、冗談よ。すぐ本気にする。ほらほら、涙ふきなさいって」
 いつのまにか涙が溢れてしまっている。心底なさけなかった。
「おまたせ〜」
 申し合わせたようなタイミングだ。
「心ちゃん?! どうしたの?」
 心の涙を見て、滑稽なほど取り乱す。
「まッまま愛ちゃん!! また心ちゃんを泣かせたのね!!? いつもいつもいつも言ってるでしょう! 心ちゃんを虐めちゃだめって!!」
「莫迦いわないで、いつ私が心をイジメたのよ?」
 シレっと嘘を尽く。悪びれる様子などまるでない。
 (確かに虐めたってのは少々違うかもしれんが――泣かせたのはお前だろ‥‥コイツは――)
「コレは――心の手当てしてたら、ちょっと包帯きつく巻き過ぎたから、緩めようとしたら傷に響いちゃったの。ネッ? 心?」
「‥‥‥うん」
 (ホントのことなんぞ言えるわけないだろうが……)
「本当に? 本当なのね?」
「嘘言うワケないでしょうが」
「そう‥‥‥それよりも、どーして愛ちゃんが心ちゃんの手当てをするの?!! 心ちゃんのお世話は私の仕事でしょう? どうして? どうしてよ?」
 (姉さん……いったい僕の世話にどんなコダワリが――?)
 いい加減、付き合っているのに疲れてくる。
「あの…恋お姉ちゃん? もういいから、お昼にしよう?」
「えっ? あ……そうね。心ちゃんがそう言うなら」
 心の一言であっさりと矛を収める。
 (僕の言うことなら、なんでもいいのか姉さん………)
 各々いつもの席に着いた。食卓に並べられた料理をみて心はこころの中で唸る。
 (コレは凄いな――愛が作ったとは思えない‥‥‥しかし――なんだコレ?)
 問題は目の前のモノ、つまりは心の分の食器だ。
 (なんだよ、この来客用の湯飲みに取っ手つけたみたいなのは?)
 マグカップ‥‥らしい。その他の食器もとても小さい、当然そこに盛り付けられた量も知れたものだ。
 男だった時の何分の一だろうか? それすら判然としないほど少ない。
「「「いただきます」」」
 とりあえず、マグカップに注がれたミルクで喉を湿らす。飲み物の好みは同じらしい。
「今日のは自信作なの。まあ、まずは試してみて」
 小さなスプーンで、これまた小さなスープ皿から野菜のたっぷり入ったスープを掬い、口へ運ぶ。
 短時間で作るためだろう、野菜は細かくに切られている。
 (これは――僕の味だ)
「どう? いい感じでしょう?」
「ええ。とってもおいしいわ」
 (驚いたな。まるっきり僕が作ったのと同じタイプの味だ)
 男だった時、食事の仕度は心の仕事だった。
 食事は身体作りの基本だ。強健な身体を作るためにはバランスのとれた食事は欠かせない。
 そのため、母が亡くなって以来、常に自分で管理してきた。
 一人分用意するのも、家族全員分するのも同じようなものだったから、自然に心の役割になって行った。
 料理の基本は、母が生きているうちに習っていた。
 幼い頃、病弱だった心は母にべったりだった。母が料理するのを傍らで自然と覚えていったし、手伝いも進んでやった。
 母仕込みの味を兄が作る。
 考えてみれば、愛にとっては随分とゴツイ『お袋の味』だったわけだ。
「どうしたの、心? 気に入らなかった?」
「ううん、おいしいよ」
「――そう。デザートに林檎のタルトも焼いたからね」
 (デザートか…芸が細かいな。いや、これが女の子の気遣いってやつなんだろうな)
「ところで――」
 食事もかなり進んだころに、恋が話を切り出す。
「今日の午後のお出かけの予定だけど、どうしましょうか? 心ちゃんの体調もあまり良くないみたいだし、明日にする?」
 (そういや、昨日そんなこと言ってたな。化粧品とか冬物がどうとか)
 荷物持ちで二人に付き合う予定だったことを思い出す。
「そうねぇ。私は別に、明日も空いてるから平気だけど?」
「愛ちゃんの予定がOKなら、私はいつでも大丈夫だから、明日でいいわね」
 現在の恋の主な仕事は、黒姫家の資産の管理だ。
 祖父やその前の代からの付き合いなどもあるので、まったく自由というわけではないし、多少その手の『お付き合い』もあって面倒な『作法』も多いが、基本的に家で出来るし、スケジュールも自分で組める。
 一方、愛の方は今年の春からメイクアップアーティストとして働き始めたばかりだ。
 専門学校在学中に講師として招かれていた、現在所属している事務所の所長に、センスを見込まれた(本人曰く)らしいが‥‥‥あまり仕事に出て行かない。
 まだ駆け出しで修行中の筈なのに、大丈夫なのだろうか? 甚だ疑問だ。
 ここで今の自分、つまりは女の子の『心』はどうなのか気になってきた。
 明日は平日なのに、二人は心に関してそのことを気にしている様子がない。
 (学校は? 通ってないのか? そもそも――僕は何歳なんだ?)
 いかにも《僕は?》という感じの目で二人を交互に見つめた後、俄かに考え込んだ心に、「心ちゃん? 気にしないでいいの。学校にいって勉強するのが正しいこと、普通のことだなんて、そんなわけ絶対にないんだから」
「その通り!! 人の生き方なんて十人十色よ。高校に行かずに大検を受ける。いいコトだと思うよ?」
 取り繕うように口々に言う。
「うん」
 努めて明るく答えながら、笑う。変な顔になっていないか不安だったが、誤魔化せたようだ。
 (ふーん、大検ね。ってことは少なくとも中学は卒業してる、高校一年生以上ってことか。それにしては‥‥‥ガキっぽいよな)
 驚いたことに、あんな少量でもかなり、いや完全に満腹になった。
 食後のお茶も済んで、後片付けをはじめた愛に、
「僕も――」
 手伝いを申し出る。
「ああっ!! それならちょっと――待っててね?」
 言うが早いか恋が駆け出して行き、すぐに戻ってきた。手に何か持っている。
 白いエプロン、フリルがやたらと付いている可愛らしいデザインだ。
「はーい、心ちゃん。これ――そう、手をこっちに、はい」
 ささっと身に着けさせられる。何もさせてもらえない、袖を捲くるのすらやられてしまう。
「はい、出来ました。さあどうぞ」
「あら、似合うわね。カワイイよ、心‥‥‥でも恋姉、これ何時の間に?」
「秘密よ」
「だいたい幾つ目よ、それ。」
「いいのよ。心ちゃんは可愛いんだから」
「答えにも理由にもなってない!」
 ムダ話を続ける二人を無視して、心は食器洗いを始める。なんと言うか、やりづらい。
 この身体が不器用な訳ではない、寧ろ以前より器用に感じるのだが――大きいのだ、食器が。
 無論、実際は心の手の方が小さいということなのだろう。
 なんとか食器を洗い終えた。
 (この身体・・‥このサイズ。これから苦労しそうだな)
「ご苦労様、心」
「心ちゃん、こっちで一緒にひとやすみしましょうね」
「恋姉はさっきから何もしてないじゃない………」
 (二人とも良くしゃべるな‥‥ってあれ? これは…)
「心ちゃん、どうしたの?」
「‥‥トイレ」
 しかも、両方同時にきた。急いで向かう。
 考えてみれば、女の子になってこれが初めてのトイレだ。
 (あんまり見たくないんだよな。身体……)
 トイレに入れば、女の子の証を嫌でも目にすることになる。その上、触れることにも。
 (まあ、さっき風呂で見たし……気にするだけ無駄だ)
 両方だから、どうしても座ることになる。意識せずに済むのでありがたい。
 着いた。ドアを開け中に入る。なるべく考えずにショーツを下ろす。
 衣服の裾が引っ掛るので、どうしても撒くりあげて座ることになる。丸見えだ。
 今まで、自分の下半身がハダカ同然だったことに、改めて気付く。
 (こんな、薄い布切れ一枚……なんだか怖いな)
 座ってしまえば、あとは自然に任せるだけだ。何も特別なことはない。
「ふぅ」
 すっかりコトが済んで、いつものようにウォシュレットのスイッチをいれた。
「ぴッ!!?」
 (違う!! 当ってるトコ違う?!!)
 あわててスイッチを切った。
 (でも…どうすれば? ちゃんと当てるには、当てながら調節しないと分らないし……)
 水流を最弱にしてスイッチを再び入れる、
「はぁ…ぁ…ぁ‥‥ふぅ」
 少しづつ調節して、なんとか狙いどころに当てることが出来た。
 だが、いつもと違う。身体が火照ってしまうような‥‥‥怖くなってスイッチを切った。
 ここで疑問が生じる――
 (前は……どうするんだ? どうしたらいいんだろ?)
 紙で拭くのみで済ますのか? それとも、後ろと同じように洗うべきか‥‥‥考えても分らない。
 (キレイにしておくに越した事はない――よな? 女の子は病気になり易いって聞くし………でも、
 前のどの辺に当てればいいんだ? もう一度当てながら探るのか?)
 しかし、不安だ。この身体はとにかく敏感すぎる。『後ろ』もキチンと当てている間ですら少し変な感じがした。
 水流が最弱でなかったら『感じて』しまったかもしれない………
 それに『前』の場所を探り当てるまで、また違うところに当って耐えられるのか?
 (あっ――ビデ? 確かこれって……)
 いつもは気にも止めないボタンが、目に留まる。
 (たしか……『女の子』を洗うヤツだよな? ってことは間違ってたとしても、後ろ用より早く前に届くかも)
 とりあえず一度、後ろと前をトイレットペーパーで拭くことにする。
 前にペ−パーを当てた瞬間、水分を吸い取られるしゅんという感触がこそばゆかった。
 (どこに当てるのか、目で確認しといた方が……分り易くなるかも)
 そうっと自らの秘裂に手をのばす。ぷにゅん、と柔らかい感触。ゆっくり静かに左右へ拡げる。
 綺麗なピンクだ。少し湿っている。
 (ええと、ココが『女の子』だから、この上……ココだ、これがおしっこの――どっちも小さいな)
 こんな風にしっかりと自分のココを見たのは初めてだったが、心はそんなことは忘れていた。
 確認が済んだ。いよいよビデのスイッチに手をかける。
 (よし。いくぞ)
「――ぅあ…ぁぁん…‥はぁ‥‥んぅ」
 ――どうにか、尿道口付近をきれいに洗えたようだ。もう一度ペーパーで拭き取る。
 (たかがトイレでこの騒ぎか……僕はこれからどうなるんだろ………)

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