亜美は女でありながら男の心を持ち、それでいながら男ではない。二人分の、まだそれぞれ十数年程度の人生の記憶を併せ持ち、だが体は一人分という人間だ。だが少なくとも、今の自分が肉体的には間違いなく女だということは事実だ。そういう自覚もある。だが、都築悠司としての記憶もちゃんと残している。
しかし、既にどこからどこまでが亜美で、どこからが悠司なのか、わからなくなってしまった。
蕩けるようなセックスという言葉があるが、まさに二人は心と心が蕩けて混じりあってしまったようだ。
悠司は即物的で、無気力といっていい性格だった。ろくに大学にも行かず、ひがな一日中アパートに閉じこもってインターネットの世界に逃避していた。掲示板荒らしはするし、目的も無く違法なファイルを落としまくり、交換に明け暮れた。
大学3年目を迎えてからは、ほとんど大学にも行っていない。大学からの通知は、全て封も切らずに放り出してある。先日、ついに両親のもとに大学から連絡が行ったようだが、悠司は電話越しに泣き言をくどくど言い続ける母親の言葉を、馬耳東風と聞き流していた。
格好よく言えば、彼は人生の目的を見失っていたのだ。
一浪して今の大学の理工学部に入学したのも、元からコンピュータが好きだったからだ。まず一流といってもいい大学だが、実際の授業は退屈を極めた。今さらフォートランやコボル、CASLの授業をとらされると知って唖然となった。実践的な授業など皆無に等しかった。
次第に授業に興味を無くしていった悠司は、上級生から悪い事をいろいろと教えられ、そして退廃の中へと埋もれていったのだ。今や外に出るのは食料やディスクを買いに行ったり、ネットで知り合った連中とファイルを交換したりする時くらいだった。
必修科目を1年と2年の時に取れるだけ取っておいた「貯金」が効いて、なんとか3年に進級できたものの、このままでは放校処分にもなりかねない。地方の商事会社でなんとか職にすがりついている父親からは、4年で卒業してもらわないと困ると言い含められている。
このままでいいはずがなかった。
だがこうしたはっきりとした記憶が残っているのだが、肉体がある亜美とは違い、精神だけの存在である以上、これも亜美が作り出した妄想である可能性は否定しきれない。驚異的に作り込まれた多重人格だと言われても仕方がないのだ。
悠司のことを調べるのは簡単だ。東雲に頼めばいい。どうしてかとも聞かずに、調査してくれるはずだ。
しかし、亜美は迷った。もし都築悠司という人物が存在しないとしたら、どうなってしまうのだろう? それが怖かった。恐ろしかった。
顔を上げてみると、鏡の中の自分が涙を流していた。
「なんでこんなに弱くなってしまったのかしら……」
女言葉が自然に唇から紡がれる。強く意識しなければ、言葉遣いは女性のものになってしまう。それが恥ずかしかった。
そして、目尻から溢れてこぼれ落ちた涙。
亜美も悠司も、こんなことで泣いたりはしない。
熱い雫に濡れたほっぺたを鏡に押しあてる。かちん、と眼鏡のフレームがガラスに当たる音がした。固く冷たいガラスの感触が心地いい。なおも流れ続ける涙を、亜美はそのまま放っておく。
こんなに弱い自分は嫌いだった。
瀬野木亜美は、年齢にそぐわないほど超然たる態度の少女だった。
都築悠司は、泣いた記憶が無い。親は離婚しており、父親に引き取られた彼は、父親が海外勤務ということもあって、高校に入る前から一人暮らしだ。喧嘩もしたが、負けたことはない。
どうして、涙が出てしまうのだろう。
抑えようとすればするほど、涙は溢れかえって止まらない。
昨晩のセックスまでは、確かに悠司としての独立した人格があった。だが今では、彼に問いかけても返事は返ってこない。しかし、確かに悠司という存在を内に感じる。表に出ている人格は亜美のものだが、今までの彼女とは明らかに違う。
つまり、今の彼女は悠司でも亜美でもない、新しい亜美なのだ。
まるで生まれ変わったようだ。
全てが新鮮に見える。そう、自分の体でさえも。
冷静に鏡を見て気づくのは、異常なまでにスタイルがいいという点だ。
この年頃の女性は、全体的にどこかぽってりとした体つきなのが普通だ。それは将来、子供を産むための準備期間であり、やがて自然と大人の体形になってゆく。ダイエットなどする方が後で後悔することになりかねないのだ。
あの観久も、下半身がやや太い。俗に処女太りなどと言われることがあるが、彼女の場合それにはあてはまらない。なにしろ亜美ほどではないが、男性経験は豊富だ。同じく布夕も、平均的なスタイルよりは良い体系だが、どこかぼてっとした印象は免れない。しかし将来はかなりのスタイルになるだろうと、ファッションメーカーのオーナーの子として、物心つく前から大勢の人の骨格を見てきた瑠璃の保証付きだったりする。
その瑠璃は、半分は外国人の血を引いているからかスタイルは群を抜いている。その反面、まだ肉付きに乏しく、成熟には遠い。新体操選手の針金のような体にちょっと肉をつけたようなものをイメージしてくれれば間違いない。
そんな彼女達に対して亜美の体は、成熟に近い抜群のスタイルだ。お尻や腰の位置も同級生とは全然違う。それでいて肌つやは十代でしかありえないような、水を弾く、滑らかでしっとりとしているものだ。学校でも、1・2を争うスタイルだというのも納得できる。上位争いの中には、テニス部部長の楠樹と、副部長の長狭がいるというのは余談だが……。
スタイル抜群の上、美人で、その上お嬢様で、頭も良くてとなれば、完璧と呼ぶしかない(近眼という点はマイナスではあるが)。それなのに、誰もが物足りなさを感じるのも事実だった。どこがどうとはっきり言えないが、確かに何かが欠けているのだ。
「美人なんだけど、なんか印象薄いのよね」
彼女に会った者は、多かれ少なかれ、このような印象を持つ。亜美を嫌う者は、陰口で彼女のことを「お人形さん」と呼んでいる。これを聞いた人は眉をひそめるが、心の中で誰もが納得するのだった。
亜美は改めて鏡の中の自分と向き合った。
なぜか自分の裸に胸がときめく。
これほど大きい乳房は垂れがちなものだが、テニスをしているからなのか、上向きに張りのある実に形のいいバストだ。男達が口々に誉めそやすのも当然だろう。
胸を持ち上げて乳首を吸った。
くすぐったいが、体にじん、と軽い痺れが走る。
股間が熱い。
嫌だと思うと、それだけで濡れてきた。
まるで自分が変態になってしまったようで、そう思うとますます体が熱くなってくる。
「俺って……変態なの、かな」
わざと男っぽくしゃべってみると、胸が苦しくなる。もちろん唇から出てくるのは、少女の細い声だ。
持ち上げた乳房を、舌で舐めてみる。けっこう重い。てのひらのひんやりとした感触で、乳首に刺激が走る。つんと上向きの乳房は、張りがあって少し固めの感じがする。これ以上柔らかいと垂れてしまうだろう。
義兄がつけたキスマークをみつけて、その上からキスをする。
「ん……」
すべすべの肌を舌で舐めると、胸がびりびりと痺れてしまう。
昨日の事を思い出すだけで、疼く。子宮が鳴くというのは、こんな感じなのだろうか。触ってもいないのに熱を持ったひだが痙攣するように動く。そのたびに、きゅんきゅんとお腹の中に気持ちよさが膨らんでゆく。
ヘアーを剃られてしまった無毛の股間に息づく秘唇は、とろとろに蕩けていた。
亜美は熱い息を吐く。
唇から空気中に媚薬を振りまいているような、甘い吐息……。
ソファーにとすん、と腰を下ろすと、それだけで腰に響くような気持ちよさがわきあがってしまう。
ペニスを握ってこすり、思う存分射精してみたいという欲望がこみあげてくる。でも女の体ではそうもいかない。
私は、エッチ……変態なんだ。
昨日は義兄のペニスまでしゃぶってしまった。精神的にはホモセクシュアルな行為を、男の心は自虐的な快感に変えてしまっていた。
「いいもん……変態で。変態だから、エッチなことするんだもん」
子供っぽい口調で、これからの自分の行為を正当化しようとする。
亜美にとって自慰は食事と同じような行為で、特に意識してやっていたわけではなかった。それが今では、不自然なことだということがわかる。姉に教えられるまま、当然のようにしていたことを思い出すだけで恥ずかしさがこみあげてきた。
数え切れないくらいの人とセックスをしてしまった。
小○生の男の子や、傘寿を過ぎた老人とセックスをしたこともある。そんな年齢でも、ちゃんと勃起するのだから不思議だ。まだ皮も剥けない少年のペニスも、枯れきった樹木の趣のあるペニスも、亜美には等しく愛しいものだった。
自分は淫乱な女の子だったんだ。
「恥かしい……」
思い出すだけで体が熱くなってくる。
熱くなればなるほど、次から次へと今までしてきた色々な行為を思い出し、ますます体が熱くなってゆく。
どうしようもなく恥かしい。恥ずかしくて仕方がない。
「恥かしい! ああ……トイレでエッチもしちゃった。電車の中で、痴漢さんに犯されちゃった……なんて恥かしいのかしら」
淫らな過去が次々と思い出される。
しゃがんで顔を覆い隠すが、もちろんこんなことで恥ずかしさが薄らぐわけもない。すべすべのお尻を丸出しにしてしゃがんでいる姿はまさに、頭隠して尻隠さずといったところだ。
すごい。
私ってこんなにヘンタイだったんだ……。
今まで食事と変わらない意識でしていた数々の行為が、実は他人にしてみればとんでもなく恥ずかしく、淫らで、他人から隠そうとすることだということを、亜美は初めて自覚した。
顔を上げて鏡を見ると、そこに映った自分の姿に思わず見とれてしまった。
かわいい。そして、とんでもなくエッチだ。
閉じた股間を押し上げるように、何かが膨れ上がるような感じがする。
「おちんちん……ちんちんが欲しいのぉ……おちんちんを女の子の中に突っ込んで、どびゅどびゅって射精したぁい……」
鏡に向かって脚を広げ、和式便器で小用をたすような姿勢で足を開いたまま、そっと股間に手をやる。もちろん、手をやっても男性器があるわけがない。しかし亜美は確かに、そこに何かがあるのを感じていた。
空想上のペニスを、そっと握りしめた。
亀頭のくびれをつかまれたような衝撃が走る。
「……っ、やぁっ!!」
亜美は想像だけで、達してしまった。のけぞった拍子にうしろに倒れこみそうになる。尻餅をついて、そのままあぐらをかくような姿勢で、だらしなく脚を投げ出したまま虚空をつかんだ手を動かし続ける。
「あ……やだっ。感じちゃうっ! と、止まらないよぉ!」
目を半眼に見開いて、手を前後に激しく動かす美少女の姿は何とも異様なものだった。股間から飛沫が床に飛び散る愛液が、まるで精液のように見える。
脳がぐずぐずに突き崩されるような、どうしようもない快感が亜美の体を駆け抜ける。
「あいゃ、やぁっ! んやぁぁぁんっ!!」
精液が出る! と錯覚した瞬間、亜美はタイル張りの床に置かれたマットの上に、長々と黄金色の液体を放出してしまった。
亜美は自ら漏らした小水の上でしばらく放心していた。
想像のペニスの刺激だけでイッてしまった彼女だが、体の火照りは収まるどころか、膨らむ一方だった。
ふらふらと立ち上がり、濡れてしまったマットを浴室に持っていってシャワーで洗い流す。わずかな水滴だけでも、亜美の敏感になりきった肌には愛撫と変わらない効果を発揮する。
「あ……やだぁ。また、イッちゃう……」
お湯に浸りきったマットの上に倒れこみ、寝転がってシャワーを浴びた。
レンズに水滴が降り注いで視界が歪む。
体がじんじんと痺れる。
性欲が止まらない。
キモチイイことが止められない。
水の分子に凌辱されるような錯覚に囚われながらも、なおも亜美は行き場のない性欲に悶え続ける。
「もう、だめ。せめて、何か、挿れない……と……」
震える手で立ち上がり、シャワーの水流調整レバーを傾けてお湯を止める。高ささえなんとかなれば、これでも挿入したいくらいだ。据え置式のシャワーなので、シャワーヘッドを股間に直接あてたり、挿入することもできない。腰より低い位置には挿入できそうなものは何もない。
だが、そんなものよりもペニスを握って思う存分こすりたかった。
一気に駆け上がり、一気に落下する男の快楽曲線がたまらなく懐かしい。ほんの数日前のことだというのに、数十年も前のことのように感じる。男のシンボルというだけあって、ペニスがないだけで何もかも失ったように思えてしまうのだ。
自分は女なのに男で、男なのに女だ。
「くそぅっ! チンポがない……辛いよお……」
体から水滴を滴らせながら、ウオークインクローゼットの一角に向かう。数々の装飾品をしまってある片隅に、お目当ての物があった。
姉や子猫ちゃんやお姉様方から贈られた大小さまざまなディルドゥは、ざっと見ただけで三十本以上はありそうだ。
まるで大きな万年筆のような物もあれば、表面がビロードのような布地で覆われている物もあった。なんでも姉がヨーロッパを旅行した時に買い求めたものだという。
自分で買った物は一つもない。
亜美はまず、根元に近い部分に丸い突起がぐるりと周囲に散りばめられたレモンイエローのディルドゥ……というより電動こけしを選んだ。箱には「ちっぷる君」というラベルが張ってある。別に彼女が書いた訳ではなく、本当にそういう名前のバイブらしい。他にも横綱太郎だの、妙な名前のバイブがいくつもある。
スイッチを入れるとうねうねと動き始め、リングがぐりぐりと回転を始めた。どういう仕組みなのかよくわからないが、胴体の部分もなかなか複雑な動きをしている。
ごくりと唾を呑み込む。
でも、こんなのでは満足できない。自分が欲しいのは、本物のペニス。それも、思う存分射精できるものだ。あの放出する快感が欲しかった。
それでも亜美は、立ったまま脚を広げ、バイブを挿入する。
「ふ……ぬふぅんっ!」
熱い吐息を漏らして、震える。気持ちいい。満足はできないが、少なくとも身を焦がすような焦燥感からは一時は逃れられる。亜美はバイブを挿入したまま、お尻を突き出すような姿勢で次の獲物を探し続けた。
「あ。こ、これなんか、いい……かも」
見つけたのは紫色の双頭のディルドゥだ。片方は細く、もう一方は太い。わずかに反り返ってはいるが、おおむねバトンのような一直線の形状だ。
亜美は股間で震えているバイブを、一気に引き抜く。じゅずぼぼっという変な音がしてバイブが床に落ちた。何かを失った隙間を埋めるように、続けてディルドゥを挿入する。もちろん挿入するのは太い方だ。
横にある姿見を見てみると、下を向いたまま勃起しているような変な感じになっている。
それでも亜美は不思議な満足を感じていた。
「ああ。おちんちんが生えてる……」
背中を駆け上がる妖しい感覚に、亜美は酔いしれる。
ほぼ真下に突き出ている紫色の無機物を握り締めると、先程までの何かに追い立てられるような焦燥感が薄らいでゆく。
「お、おちんちん……おチンポ……きもちいい」
端から見ればディルドゥを使ってオナニーをしているようにしか見えないのだが、亜美の中ではペニスを握って気持ちよくなっていると置き換えられていた。
オカズは、目の前の自分の姿だ。大きな胸の美少女がオナニーをしている姿を見てペニスをこすっているような、倒錯した自慰行為を続ける。快感を感じているのは膣だが、亜美にとってそれは、男性器で感じている快感そのものだった。
股間から流れ落ちる白濁した液体も、まるで精液のようにおもえて興奮した。まだ自分もザーメンを出せるんだと、ピンク色に染まりきった脳味噌で考える。
しばらく立ったままディルドゥでのオナニーを楽しんでいた亜美だが、突然手を止めた。
空しくなったのだ。
しょせん作り物。自分が女である以上、男としての快感など得られるはずがない。亜美が宙を仰いで惚けていると、ドアの向こうからよく通る声が聞こえてきた。
「亜美様、食事をお持ちしました」
「は……はい。ごくろうさま……です」
ドア越しに怪訝そうな気配を感じるが、かおりはそのまま隣の部屋で食器を並べ始めたようだ。